岬と峠紀行

岬と峠紀行(東美濃)岩村城址、苗木城址、中山道

3月20日、今日は日帰りでお隣の県岐阜の東美濃へ、

中央道を飯田山本で下りて、
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阿智から平谷村そして根羽村を経て愛知県境を豊田市へ、
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国道257号線へ右折して岐阜県は恵那市へ入りました。
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道の駅上矢作で一服、
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右折岩村城址の看板を、
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車がすれ違うのも困難な細い山道を登っていくと、
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想像に反して? 立派な石垣が!
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山の中且つ城址ということで、森に覆われ誰もいなくて熊でも出るのでは?と慄いていましたが、10人以上の参観者がいる開けた山頂です。

休憩所には歴代城主が、その中に森蘭丸を発見。
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わずか3か月だけ城主を務めたのでしょうか?
などと思いながら本丸へ、
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天守は最初から無く、櫓などが建っていたようですが明治の廃城令で競売に付され取り壊されたそうです。
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そしてここに興味深い案内板が、
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武田氏討伐でこの城に着陣した織田信長は、ここに滞在した時に武田勝頼の討ち死にを知り、そのわずか80日後、6月2日には本能寺で明智光秀の謀反によって自刀しましたが、森蘭丸も信長と共に本能寺で散っています。
ということで森蘭丸が3か月だけの城主ということも頷けます。
また女城主というのは遠山景任の妻ですが、この人は織田信長の叔母おつやの方だったそうです。

岩村城下へ下りてみます。
岩村歴史資料館、
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日本三大山城は、ここと備中松山城、大和の高取城だそうですが、1月に備中へ行ったとき見損なった城ですね。
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岩村城下は懐かしい風情が残っています。
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そこから一路恵那市外へ、そして国道19号線を中津川へ、
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国道沿いにあった東雲、釜飯と鶏ちゃんのお店で、
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奥美濃古地鶏の釜めし1780円。
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30分待つと、ふっくら釜めしが出来上がり。
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中津川を国道257号線で下呂方面へ、
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そこにあるのが苗木城址、
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ここも明治の廃城令でつぶされましたが、それ以前の雄姿。
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駐車場から10分ほど、大矢倉の脇を登ると
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本丸は巨岩の上に、
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天守はこの二つの大岩の上に建っていたそうです。
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眼下には木曽川が、そして現在リニア新幹線の橋脚工事の真っ最中。
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駐車場脇には苗木遠山資料館、
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ちょっと中山道散歩?
県道7号線を馬籠方面へ、
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中山道落合宿本陣、
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そして馬籠まで足を延ばしましたが、
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馬籠峠から長野県に入り木曽路を帰ろうか?とも思いましたが、神坂のスマートインターが目の前にあるので高速で帰る妥協。

岡谷で下りて、奥さんへのお土産は新鶴の塩羊羹。
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この日の走行距離は379km、
所用時間は9時間30分でした。

行程は
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岬と峠紀行(美濃、伊勢、甲賀、伊賀②)島津の退き口、神君伊賀越え

3月11日は美濃、伊勢、甲賀、伊賀の二日目。

ところがここでトラブル発生!
それもこの旅から無事帰還した後、1日目のブログ掲載をしたあと我がカメラのSDカードからあらゆるデータが消し飛んでしまいました。
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専門家にも見てもらいましたが、どこにも残っていないということ。

というわけで、この旅の2日目、3日目は頭の中のわずかな思い出だけの貧相な報告のみです。
水口から出発して
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信楽
 ↓
そこから多羅尾へ、
家康が伊賀越えの際泊まったという小川城址へ
 ↓
御斎峠を越えて
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 ↓
桜峠を目指したのですが、全く違う桜峠(多分三重県中部)へとだいぶ遠回りの迷走をしてしまいました。
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京都、奈良の県境を経て大阪の飯森山付近の伊賀越えルートの傍示越えから
 ↓
だいぶ日も傾いて、今晩の宿泊地の鈴鹿からは離れてしまったので、不本意ながら新名神高速道路で一路鈴鹿へ、
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亀山で新名神を下りて加太、そして伊賀の国境まで、
 ↓
鈴鹿のルートインホテルに投宿。

不本意な午後を過ごしてしまったのでヤケ酒のため平田町の街へ、
ふと見たお品書きには何と山賊焼?
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三重の地で山賊焼をメニューに出していると勘違いしてオーダーしたら、
何と山椒焼でした。
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こんなことなら、ここへ来る途中で見た大繁盛していたみさき屋のぼつ焼にするんだった。
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岬と峠紀行(美濃、伊勢、甲賀、伊賀①)島津の退き口、神君伊賀越え

3月10日から二泊三日。今回のテーマは二つの退路つまり逃げ口をたどる旅です。

①島津の退き口
 関ケ原の戦いで西軍に属した島津義弘が、敗戦が決定的になった戦場から正面の東軍総大将徳川家康本陣を突破し、伊勢街道から堺、大阪を目指し、瀬戸内から薩摩への逃避行の道。(そのうち伊勢から泉州まで)
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②神君伊賀越え
 本能寺で織田信長が明智に討たれた際、徳川家康は腹心少数と堺にいましたが、その一報を聞いて紀伊半島を横断。伊賀を越え、伊勢に出て海路三河までの逃避行の道。(そのうち泉州から伊勢まで)
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歴史的にも有名な二つの逃避行がほぼ同じ紀伊半島横断(目指す方向は真逆ですが)という判断を下した場所を見分することにワクワクして、10日の朝は6時前に出発。
松本は雪も舞っていましたが、
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神坂SAで小休止の上、
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関ケ原には8時50分着、この間走行距離は250km。ほぼ東京へ行くのと同じ距離です。
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左⇒関ケ原(古戦場)右⇒(四日市ということは島津が逃走した伊勢街道)

関ケ原駅前の観光交流館で情報収集と思いましたが残念ながら休業。
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でも町内には案内がいたるところにあるのでまずは開戦地へ。
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関ケ原古戦場を俯瞰した写真。
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開戦地の直近に島津の陣、左の笹尾山には石田三成陣、右奥の桃配山に徳川家康陣。
そして右から左へと北國街道が走っています。
ここからも石田三成陣の旗指物が遠望できます。
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開戦地の西には小西行長陣。
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そこから500mほどの林の中に島津義弘の陣がありました。
小池神明神社があります。
島津は会戦中ほとんどこの地点にとどまっていたので、ここが今回のスタート地点です。
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石田三成陣へ、重臣島左近と並んで布陣しています。
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戦いの帰趨が決まった決戦地、写真の奥500mほどには石田三成陣が見えます。
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ここで何と中日新聞の記者からインタビュー!
これから暖かくなる観光シーズンに向けて、決戦地の幟を新しく掲げなおしたところとか。
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当地を訪れた動機など聞かれました。もちろん得々と目的を語りましたが、掲載紙面を見れないのが残念。

家康本陣の桃配山は決戦地から2kmほどのガソリンスタンド脇です。
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会戦地を家康の気分で俯瞰します。
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開戦時の布陣、島津義弘は北國街道から井伊直政、松平忠吉や本多忠勝の陣を突破して伊勢街道へ逃走したことが分かります。
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逃走時に討ち死にした島津豊久が討たれたといわれる烏頭坂。
ここには島津、現在では鹿児島県との友好のベンチがあります。
〇に十字が島津の家紋と言われていますが、元々は十字だけだったようです。
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私も一路国道365号線伊勢街道へ、
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島津豊久の墓がありました。
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朝が早かったので腹がすきます、CAFEあめんぼで早めの昼食。
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自家製のシチリアーナ風里山ピザ、鮎のアヒージョが乗っていて美味しかった。
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デザートも甘いピザ。
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国道306号線、彦根、多賀方面へ。
一説ではこのルートで駒野峠や五僧峠を越えて琵琶湖畔へ出たという説もあります。
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ところが冬季閉鎖中、
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もとの国道365号線へ戻ると国道306号線と合体、津、亀山方面へ。
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そして国道1号線に入り大津、甲賀へ、ということは旧東海道か。
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東海道47番目の関宿、道の駅関宿へ。
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東北支援「希望の缶詰」昔懐かしい鯨の缶詰を買いました。
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ここからが鈴鹿越え、鈴鹿峠にナビをセットして置いたら違う鈴鹿峠へ来てしまいました。
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鈴鹿トンネルを抜けて
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滋賀県の甲賀市へ、
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道の駅あいの土山は休業。
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東海道49番目の土山宿、
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案内板に森白泉終焉の地、森鴎外の祖父で医者だった人が亡くなった井筒屋跡。
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島津氏は鈴鹿峠を越えてここ土山宿まで来ましたが、東軍の詮議が厳しいということを察知してもう一度鈴鹿峠へ引き返し迂回したということです。
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でも私は甲賀を探訪。伊賀、甲賀で有名な両地ですが伊賀は三重県、甲賀は滋賀県と別れていることを知りました。
甲賀市は広い! まずは旧甲賀町の甲賀駅へ、
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駅舎の天井から忍者が、
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甲賀流忍術屋敷も、
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私たちは甲賀を「こうが」と読みますがここでは「こうか」と発音するようです?
豊臣政権で五奉行の一人長束正家も統治した水口へ、
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水口城自体は徳川家光時代に出来たようです。
資料館は休館日、
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朝も早かったので疲れました、4時前にチェックイン。
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大浴場でひと風呂浴びて沿道の寿司屋へ、
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走行距離は387km、
所用時間は9時間
旅程は
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岬と峠紀行(下野、常陸、下総③)鹿島神宮、スーパーマーケットトレードショー

2月19日も晴れました。
今日の最初の目的地は鹿島神宮、国道51号線を鹿嶋へ南下します。
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右手に鹿島メルカリスタジアム。
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鹿嶋と鹿島どちらの字が正しいのでしょう?

大洗からちょうど1時間。
かしまじんぐうは鹿島神宮でした。
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境内の案内、奥宮まで入ってみましょう。
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うっそうたる木立に囲まれて神々しい雰囲気と気温もだいぶ低くなってきたような。
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鹿島神宮といえば塚原卜伝はやはり欠かせませんね。
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さざれ石、国歌にも詠われていますね。
漢字では細石と書くようですが、小さな石が長い年月をかけて炭酸カルシウムや酸化鉄によって固まったものだそうです。
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鹿を飼育しています。
ここの鹿は神鹿、奈良の鹿の起源だそうです。
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奥宮に参拝してきました。
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お腹が冷えてきたので要石まで行くのは止めてトイレを探します。
最後に商売繁盛のお札をいただき、鹿島神宮を後にしました。


北浦に架かる神宮橋を渡り道の駅いたこへ、
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最後のお土産を物色してから東関東自動車道の潮来ICへ、
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このICまでは一昨年の12月に来たので、これで房総海岸と鹿島灘の海岸線がつながりました。

幕張で下りて、
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幕張メッセで開催中のスーパーマーケットトレードショー会場へ、
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弊社も元気に出展中、
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今年は山賊焼を前面に展開しています。
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各所を見学し、帰宅したのは18時でした。


走行距離は389km
所用時間は9時間30分でした。

行程は
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3日間では964km
行程は
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岬と峠紀行(下野、常陸、下総②)鹿島灘、東海村、那珂湊、水戸

2月18日も天気は大丈夫、国道6号線に出るまで30分ほどかかりました。
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水戸、日立方面へ、

日立からはバイパスを国道245号線方面へ、
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今日は左手に鹿島灘を見ながらの南下です。
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昭和電工!?
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昨日通った大子から流れる久慈川を渡ると東海村、片側2車線に広がります。
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東海村の中だけはず~っと片側2車線の立派な道路が続きます。
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これも原子力村の恩恵か!?
原子力科学館は臨時休館、
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東海第二原発、この先へは行けません。
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那珂湊へ、
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東洋のナポリと言われた阿字ヶ浦海岸、
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ひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅。先日テレビでやっていましたが、様々な工夫を凝らして最近黒字転換したとか、
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駅では様々なグッズを販売中!
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市場は昼時で混みあっています。
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御食事処小舟に入ります。
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サービスランチ(1750円)は刺身定食をいただきました。
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那珂湊には反射炉があるようなので探してみました。
山上門、江戸小石川にあった水戸藩藩邸を移築したもの。
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江戸にあったころは、この門を佐久間象山、横井小楠、西郷隆盛、江川英龍など幕末、維新の重要人物が出入りしていた。
門をくぐった先にあるのが反射炉(模型)
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残念ながら実物は水戸天狗党の乱の際破壊され、昭和12年に実物大模型として再建されたもの。
脇には反射炉に使われた焼成煉瓦を作る登り窯もある。
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(2025年7月に見た伊豆韮山の反射炉)
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水戸へ移動します。
最初は弘道館、
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梅の花が咲き始めています。
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鮮やかな八重寒紅、
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正庁へ入ります。
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農人形。
烈公と呼ばれた徳川斉昭ですが「愛民謝農」の心で小型の農人形を常に食膳において感謝したそうです。
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日本最大の藩校が弘道館(左下)
日本最古の学校が昨日訪れた足利学校(右上)
閑谷学校や咸宜園にも行ってみたいものです。
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水戸光圀から明治時代まで250年に渡って編纂された大日本史、
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最後の将軍徳川慶喜晩年の家族写真(左端が慶喜)
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今回常陸を走ってみて、鹿島灘の長大な海岸線に列強が押し寄せれば日本は大変なことになると危機感を持ち、幕府に強硬策を具申した徳川斉昭の心情も理解できます。
斉昭が考案したという安神車(鉄製の戦車)や潜水艦。
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水戸にも天狗党の足跡がありました。
常盤神社境内の常盤共有墓地、
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回天神社
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元治元年尊王攘夷の志半ばで幕府に降伏した天狗党800余名が敦賀の鰊蔵に押し込められ非道な処遇を受けましたが、その鰊蔵の一つを水戸に移築して回天館として天狗党の足跡を展示しています。
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昨年7月に敦賀で見てきた鰊蔵、
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内部、開館時間は10時~14時まで、すれすれで間に合いましたが案内はいません。
自分で照明をつけて見てきました。
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天狗党行軍経路
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上州から信州へ入る内山峠、
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望月宿、
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笠取峠
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和田宿、
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和田峠の合戦場、
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和田峠の合戦で亡くなった松本藩士の墓の写真もありました。
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天狗党殉難志士の墓、
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ここには天狗党以外にも歴史上著名な人の墓が、
水戸黄門の漫遊記でもお馴染みの格さんの墓、格さんは大日本史編纂を主導した学者でもあったのですね。
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藤田東湖の墓、水戸学の大家でしたが、安政2年の安政江戸地震で死亡。
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関鉄之助、桜田門外の変の実行部隊の指揮者。
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あまり観光客も来ない場所ですが、私は興味深く散策できました。


水戸の名所と言えば偕楽園、
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路傍には正岡子規の句碑が、「崖急に梅ことごとく斜めなり」この場所そのものを詠んだリアリズムの俳句ですね。
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好文亭、斉昭が別邸として建てたものですが昭和20年の空襲で焼失、昭和33年に復元。
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各部屋には襖絵にちなんだ樹木の名前がついています。
菊の間、
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桃の間、
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一見二階建てと見えますが、二層三階からの眺めは素晴らしい!
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吐玉泉、泉が湧いています。
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庭も写しておかないと。
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お土産は偕楽園で獲れたという梅を使った梅干しと梅サブレ、
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今日の泊り大洗へ移動、大洗まいわい市場、
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お土産につくば鶏そぼろ、
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マツコが紹介したというチョコフォーカステラ、
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隣のセイミヤも見ていきます。
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宿はそのすぐ近く、舞凛館。
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湯はナトリウム塩化物冷鉱泉、
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宿の一押しがアンコウ鍋、大きな鍋で満腹。
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走行距離は141km、見学が多かったので距離は稼げませんでした。
所用時間は8時間20分でした。


行程は
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