2月7日も快晴。
こちらに来てから見つけた紀州鉄道、日本一短い路線(2,7km)、5つの駅を8分で走っています。
JR御坊駅
この駅の0番線から出ているのが紀州鉄道。
御坊8:37分発⇒西御坊8:45分着、西御坊8:50分発⇒御坊8:58分着ということで30分ほどで往復できるようです。そして往復で360円。
電車?いえいえ今では珍しいディーゼルカー、それも年代物です。
このような街中の隙間を走るような路線。
終点の西御坊駅。
この駅舎を見て昔の松本電鉄浅間線を思い出しました。こんな駅舎を馴染みにしていたものです。
12月に訪ねた銚子電鉄の外川駅も同じような佇まい、各地の私鉄を訪ねることも味があって良いですね。
その後は美浜町の日の岬へ、
煙樹が浜
カナダ移住百年の碑
海沿いの街を訪ねるとこのような移住の碑を見つけます。内地で食えなくなった人々が希望を胸に海外へと出かけて行ったのでしょう。
日の岬、対岸は四国でしょう。
由良町の白崎海洋公園に向かいますが、その間入り組んだ入り江の道に苦心惨憺、逆走してしまう場面もありました。
フェリーのサンフラワーが入渠しているドックもありました。
白崎海洋公園は白亜の岬。
絶景です!
次は醤油のふるさと湯浅町。
湯浅伝統的建造物群保存地区、
醬油屋や
麹屋
湯浅町総合センターの駐車場には見慣れないものが、
津波救命艇です。
南海トラフ地震に備えて配備しているのでしょう。
定員25名、救難信号や保存食料も積んであり、大津波の際にはこれに乗船して海を漂いながら救助を待つという意図でしょうが、この町で25名では少なすぎる感は否めません。
湯浅しょうゆ(有)
蔵の中を見学もできます。
ここでの買い物はもちろん湯浅醤油、金山寺みそ、そして湯浅醤油のラーメン。
醤油屋の若い娘さんに昼食の美味しいところは?と紹介された湯浅駅前のかど屋食堂。
湯浅といえばしらす丼、さしみとしらす丼定食1360円。
さすが一押しのしらす丼、美味しかった。刺身も付け合わせも満足できました。
有田川を越えて紀北へ、
ここはミカンの大産地、紀伊国屋文左衛門が荒波の中、ここのミカンを積んで江戸へと届けて一攫千金を成し遂げたという話は有名。
紀文船出の地の碑
紀文が船出した港の現在は、
紀三井寺を抜けて
雑賀崎、信長軍に抵抗した雑賀孫一の本拠地。
今日の泊り、加太へ。
加太の先は大阪府になるので少しだけ越境、県境の大川トンネルの脇には大川峠への誘惑的な峠道が、惜しいながら通行止め。
トンネルを抜け大阪府へ、とっとパーク小島は海釣りができるみたい。
この人工の岬?で海釣りをするみたいです。
加太へ戻り今日の宿は加太海月、
明日渡し船で渡る予定の友が島は指呼の間、その向こうには淡路島が。
この宿には朝食だけお願いしてありましたが、付近の事情を聞くと夜も営業している飲食店は皆無とのこと。夕食も用意できるとのことで5000円也の夕食膳。
この日の移動距離は161km、海岸沿いの隘路には戸惑いましたが様々な見分に満足。
でもこの夜は風の勢いが強くて心配になります。
ということでひと夜明け、8日の朝はだいぶやばい天候に。
スマホで友が島汽船のサイトを確認すると
今日の便は荒天のため欠航!
今回の紀州の旅では友が島へ行くのが最優先事項だったのに。
計画段階では起点をここにしてその後紀伊半島を周る予定でしたが、友が島汽船の運航は土日祝だけとわかり計画を反転させたのに!
今日の予定は午前中に友が島を周り、午後は和歌山城や根来を経て三重県名張の赤目温泉へ行く予定でしたが、どうするか!?
今日から明日にかけては紀北でも雪の可能性が大、高速道路も予防的に閉鎖されそうです。やむを得ず旅館もキャンセルして今日中に家へ帰りましょう!
朝から一路寒冷前線からの逃げの旅。
阪和自動車道に乗り岸和田SAでは雪に閉じ込められた時の非常食としてみかんパンを購入。
第2京阪を京都へ、山科で降ろされてしまいました。
京都はすでに雪、寒冷前線に捕まってしまいました。
名神京都東⇒小牧間は通行止め。
覚悟を決めましょう!ここからは一般道の旅、私の流儀には合ったスタイルですね。
琵琶湖大橋を渡り、
先月走った近江路安土へ、
そこから雪の積もった彦根を抜けて米原から関ケ原今須峠、
小牧から東海北陸道に入り、中央道を経由して帰ってきました。
今日の走行距離は501km、帰るだけに9時間半を費やしました。
3泊4日の旅のトレースがこちら、
こちらに来てから見つけた紀州鉄道、日本一短い路線(2,7km)、5つの駅を8分で走っています。
JR御坊駅
この駅の0番線から出ているのが紀州鉄道。
御坊8:37分発⇒西御坊8:45分着、西御坊8:50分発⇒御坊8:58分着ということで30分ほどで往復できるようです。そして往復で360円。
電車?いえいえ今では珍しいディーゼルカー、それも年代物です。
このような街中の隙間を走るような路線。
終点の西御坊駅。
この駅舎を見て昔の松本電鉄浅間線を思い出しました。こんな駅舎を馴染みにしていたものです。
12月に訪ねた銚子電鉄の外川駅も同じような佇まい、各地の私鉄を訪ねることも味があって良いですね。
その後は美浜町の日の岬へ、
煙樹が浜
カナダ移住百年の碑
海沿いの街を訪ねるとこのような移住の碑を見つけます。内地で食えなくなった人々が希望を胸に海外へと出かけて行ったのでしょう。
日の岬、対岸は四国でしょう。
由良町の白崎海洋公園に向かいますが、その間入り組んだ入り江の道に苦心惨憺、逆走してしまう場面もありました。
フェリーのサンフラワーが入渠しているドックもありました。
白崎海洋公園は白亜の岬。
絶景です!
次は醤油のふるさと湯浅町。
湯浅伝統的建造物群保存地区、
醬油屋や
麹屋
湯浅町総合センターの駐車場には見慣れないものが、
津波救命艇です。
南海トラフ地震に備えて配備しているのでしょう。
定員25名、救難信号や保存食料も積んであり、大津波の際にはこれに乗船して海を漂いながら救助を待つという意図でしょうが、この町で25名では少なすぎる感は否めません。
湯浅しょうゆ(有)
蔵の中を見学もできます。
ここでの買い物はもちろん湯浅醤油、金山寺みそ、そして湯浅醤油のラーメン。
醤油屋の若い娘さんに昼食の美味しいところは?と紹介された湯浅駅前のかど屋食堂。
湯浅といえばしらす丼、さしみとしらす丼定食1360円。
さすが一押しのしらす丼、美味しかった。刺身も付け合わせも満足できました。
有田川を越えて紀北へ、
ここはミカンの大産地、紀伊国屋文左衛門が荒波の中、ここのミカンを積んで江戸へと届けて一攫千金を成し遂げたという話は有名。
紀文船出の地の碑
紀文が船出した港の現在は、
紀三井寺を抜けて
雑賀崎、信長軍に抵抗した雑賀孫一の本拠地。
今日の泊り、加太へ。
加太の先は大阪府になるので少しだけ越境、県境の大川トンネルの脇には大川峠への誘惑的な峠道が、惜しいながら通行止め。
トンネルを抜け大阪府へ、とっとパーク小島は海釣りができるみたい。
この人工の岬?で海釣りをするみたいです。
加太へ戻り今日の宿は加太海月、
明日渡し船で渡る予定の友が島は指呼の間、その向こうには淡路島が。
この宿には朝食だけお願いしてありましたが、付近の事情を聞くと夜も営業している飲食店は皆無とのこと。夕食も用意できるとのことで5000円也の夕食膳。
この日の移動距離は161km、海岸沿いの隘路には戸惑いましたが様々な見分に満足。
でもこの夜は風の勢いが強くて心配になります。
ということでひと夜明け、8日の朝はだいぶやばい天候に。
スマホで友が島汽船のサイトを確認すると
今日の便は荒天のため欠航!
今回の紀州の旅では友が島へ行くのが最優先事項だったのに。
計画段階では起点をここにしてその後紀伊半島を周る予定でしたが、友が島汽船の運航は土日祝だけとわかり計画を反転させたのに!
今日の予定は午前中に友が島を周り、午後は和歌山城や根来を経て三重県名張の赤目温泉へ行く予定でしたが、どうするか!?
今日から明日にかけては紀北でも雪の可能性が大、高速道路も予防的に閉鎖されそうです。やむを得ず旅館もキャンセルして今日中に家へ帰りましょう!
朝から一路寒冷前線からの逃げの旅。
阪和自動車道に乗り岸和田SAでは雪に閉じ込められた時の非常食としてみかんパンを購入。
第2京阪を京都へ、山科で降ろされてしまいました。
京都はすでに雪、寒冷前線に捕まってしまいました。
名神京都東⇒小牧間は通行止め。
覚悟を決めましょう!ここからは一般道の旅、私の流儀には合ったスタイルですね。
琵琶湖大橋を渡り、
先月走った近江路安土へ、
そこから雪の積もった彦根を抜けて米原から関ケ原今須峠、
小牧から東海北陸道に入り、中央道を経由して帰ってきました。
今日の走行距離は501km、帰るだけに9時間半を費やしました。
3泊4日の旅のトレースがこちら、