日本周遊の旅

岬と峠紀行(美濃、伊勢、甲賀、伊賀②)島津の退き口、神君伊賀越え

3月11日は美濃、伊勢、甲賀、伊賀の二日目。

ところがここでトラブル発生!
それもこの旅から無事帰還した後、1日目のブログ掲載をしたあと我がカメラのSDカードからあらゆるデータが消し飛んでしまいました。
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専門家にも見てもらいましたが、どこにも残っていないということ。

というわけで、この旅の2日目、3日目は頭の中のわずかな思い出だけの貧相な報告のみです。
水口から出発して
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信楽
 ↓
そこから多羅尾へ、
家康が伊賀越えの際泊まったという小川城址へ
 ↓
御斎峠を越えて
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 ↓
桜峠を目指したのですが、全く違う桜峠(多分三重県中部)へとだいぶ遠回りの迷走をしてしまいました。
 ↓
京都、奈良の県境を経て大阪の飯森山付近の伊賀越えルートの傍示越えから
 ↓
だいぶ日も傾いて、今晩の宿泊地の鈴鹿からは離れてしまったので、不本意ながら新名神高速道路で一路鈴鹿へ、
 ↓
亀山で新名神を下りて加太、そして伊賀の国境まで、
 ↓
鈴鹿のルートインホテルに投宿。

不本意な午後を過ごしてしまったのでヤケ酒のため平田町の街へ、
ふと見たお品書きには何と山賊焼?
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三重の地で山賊焼をメニューに出していると勘違いしてオーダーしたら、
何と山椒焼でした。
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こんなことなら、ここへ来る途中で見た大繁盛していたみさき屋のぼつ焼にするんだった。
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岬と峠紀行(美濃、伊勢、甲賀、伊賀①)島津の退き口、神君伊賀越え

3月10日から二泊三日。今回のテーマは二つの退路つまり逃げ口をたどる旅です。

①島津の退き口
 関ケ原の戦いで西軍に属した島津義弘が、敗戦が決定的になった戦場から正面の東軍総大将徳川家康本陣を突破し、伊勢街道から堺、大阪を目指し、瀬戸内から薩摩への逃避行の道。(そのうち伊勢から泉州まで)
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②神君伊賀越え
 本能寺で織田信長が明智に討たれた際、徳川家康は腹心少数と堺にいましたが、その一報を聞いて紀伊半島を横断。伊賀を越え、伊勢に出て海路三河までの逃避行の道。(そのうち泉州から伊勢まで)
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歴史的にも有名な二つの逃避行がほぼ同じ紀伊半島横断(目指す方向は真逆ですが)という判断を下した場所を見分することにワクワクして、10日の朝は6時前に出発。
松本は雪も舞っていましたが、
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神坂SAで小休止の上、
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関ケ原には8時50分着、この間走行距離は250km。ほぼ東京へ行くのと同じ距離です。
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左⇒関ケ原(古戦場)右⇒(四日市ということは島津が逃走した伊勢街道)

関ケ原駅前の観光交流館で情報収集と思いましたが残念ながら休業。
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でも町内には案内がいたるところにあるのでまずは開戦地へ。
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関ケ原古戦場を俯瞰した写真。
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開戦地の直近に島津の陣、左の笹尾山には石田三成陣、右奥の桃配山に徳川家康陣。
そして右から左へと北國街道が走っています。
ここからも石田三成陣の旗指物が遠望できます。
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開戦地の西には小西行長陣。
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そこから500mほどの林の中に島津義弘の陣がありました。
小池神明神社があります。
島津は会戦中ほとんどこの地点にとどまっていたので、ここが今回のスタート地点です。
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石田三成陣へ、重臣島左近と並んで布陣しています。
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戦いの帰趨が決まった決戦地、写真の奥500mほどには石田三成陣が見えます。
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ここで何と中日新聞の記者からインタビュー!
これから暖かくなる観光シーズンに向けて、決戦地の幟を新しく掲げなおしたところとか。
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当地を訪れた動機など聞かれました。もちろん得々と目的を語りましたが、掲載紙面を見れないのが残念。

家康本陣の桃配山は決戦地から2kmほどのガソリンスタンド脇です。
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会戦地を家康の気分で俯瞰します。
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開戦時の布陣、島津義弘は北國街道から井伊直政、松平忠吉や本多忠勝の陣を突破して伊勢街道へ逃走したことが分かります。
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逃走時に討ち死にした島津豊久が討たれたといわれる烏頭坂。
ここには島津、現在では鹿児島県との友好のベンチがあります。
〇に十字が島津の家紋と言われていますが、元々は十字だけだったようです。
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私も一路国道365号線伊勢街道へ、
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島津豊久の墓がありました。
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朝が早かったので腹がすきます、CAFEあめんぼで早めの昼食。
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自家製のシチリアーナ風里山ピザ、鮎のアヒージョが乗っていて美味しかった。
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デザートも甘いピザ。
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国道306号線、彦根、多賀方面へ。
一説ではこのルートで駒野峠や五僧峠を越えて琵琶湖畔へ出たという説もあります。
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ところが冬季閉鎖中、
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もとの国道365号線へ戻ると国道306号線と合体、津、亀山方面へ。
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そして国道1号線に入り大津、甲賀へ、ということは旧東海道か。
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東海道47番目の関宿、道の駅関宿へ。
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東北支援「希望の缶詰」昔懐かしい鯨の缶詰を買いました。
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ここからが鈴鹿越え、鈴鹿峠にナビをセットして置いたら違う鈴鹿峠へ来てしまいました。
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鈴鹿トンネルを抜けて
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滋賀県の甲賀市へ、
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道の駅あいの土山は休業。
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東海道49番目の土山宿、
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案内板に森白泉終焉の地、森鴎外の祖父で医者だった人が亡くなった井筒屋跡。
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島津氏は鈴鹿峠を越えてここ土山宿まで来ましたが、東軍の詮議が厳しいということを察知してもう一度鈴鹿峠へ引き返し迂回したということです。
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でも私は甲賀を探訪。伊賀、甲賀で有名な両地ですが伊賀は三重県、甲賀は滋賀県と別れていることを知りました。
甲賀市は広い! まずは旧甲賀町の甲賀駅へ、
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駅舎の天井から忍者が、
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甲賀流忍術屋敷も、
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私たちは甲賀を「こうが」と読みますがここでは「こうか」と発音するようです?
豊臣政権で五奉行の一人長束正家も統治した水口へ、
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水口城自体は徳川家光時代に出来たようです。
資料館は休館日、
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朝も早かったので疲れました、4時前にチェックイン。
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大浴場でひと風呂浴びて沿道の寿司屋へ、
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走行距離は387km、
所用時間は9時間
旅程は
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岬と峠紀行(下野、常陸、下総②)鹿島灘、東海村、那珂湊、水戸

2月18日も天気は大丈夫、国道6号線に出るまで30分ほどかかりました。
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水戸、日立方面へ、

日立からはバイパスを国道245号線方面へ、
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今日は左手に鹿島灘を見ながらの南下です。
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昭和電工!?
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昨日通った大子から流れる久慈川を渡ると東海村、片側2車線に広がります。
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東海村の中だけはず~っと片側2車線の立派な道路が続きます。
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これも原子力村の恩恵か!?
原子力科学館は臨時休館、
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東海第二原発、この先へは行けません。
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那珂湊へ、
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東洋のナポリと言われた阿字ヶ浦海岸、
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ひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅。先日テレビでやっていましたが、様々な工夫を凝らして最近黒字転換したとか、
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駅では様々なグッズを販売中!
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市場は昼時で混みあっています。
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御食事処小舟に入ります。
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サービスランチ(1750円)は刺身定食をいただきました。
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那珂湊には反射炉があるようなので探してみました。
山上門、江戸小石川にあった水戸藩藩邸を移築したもの。
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江戸にあったころは、この門を佐久間象山、横井小楠、西郷隆盛、江川英龍など幕末、維新の重要人物が出入りしていた。
門をくぐった先にあるのが反射炉(模型)
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残念ながら実物は水戸天狗党の乱の際破壊され、昭和12年に実物大模型として再建されたもの。
脇には反射炉に使われた焼成煉瓦を作る登り窯もある。
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(2025年7月に見た伊豆韮山の反射炉)
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水戸へ移動します。
最初は弘道館、
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梅の花が咲き始めています。
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鮮やかな八重寒紅、
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正庁へ入ります。
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農人形。
烈公と呼ばれた徳川斉昭ですが「愛民謝農」の心で小型の農人形を常に食膳において感謝したそうです。
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日本最大の藩校が弘道館(左下)
日本最古の学校が昨日訪れた足利学校(右上)
閑谷学校や咸宜園にも行ってみたいものです。
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水戸光圀から明治時代まで250年に渡って編纂された大日本史、
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最後の将軍徳川慶喜晩年の家族写真(左端が慶喜)
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今回常陸を走ってみて、鹿島灘の長大な海岸線に列強が押し寄せれば日本は大変なことになると危機感を持ち、幕府に強硬策を具申した徳川斉昭の心情も理解できます。
斉昭が考案したという安神車(鉄製の戦車)や潜水艦。
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水戸にも天狗党の足跡がありました。
常盤神社境内の常盤共有墓地、
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回天神社
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元治元年尊王攘夷の志半ばで幕府に降伏した天狗党800余名が敦賀の鰊蔵に押し込められ非道な処遇を受けましたが、その鰊蔵の一つを水戸に移築して回天館として天狗党の足跡を展示しています。
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昨年7月に敦賀で見てきた鰊蔵、
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内部、開館時間は10時~14時まで、すれすれで間に合いましたが案内はいません。
自分で照明をつけて見てきました。
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天狗党行軍経路
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上州から信州へ入る内山峠、
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望月宿、
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笠取峠
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和田宿、
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和田峠の合戦場、
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和田峠の合戦で亡くなった松本藩士の墓の写真もありました。
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天狗党殉難志士の墓、
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ここには天狗党以外にも歴史上著名な人の墓が、
水戸黄門の漫遊記でもお馴染みの格さんの墓、格さんは大日本史編纂を主導した学者でもあったのですね。
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藤田東湖の墓、水戸学の大家でしたが、安政2年の安政江戸地震で死亡。
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関鉄之助、桜田門外の変の実行部隊の指揮者。
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あまり観光客も来ない場所ですが、私は興味深く散策できました。


水戸の名所と言えば偕楽園、
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路傍には正岡子規の句碑が、「崖急に梅ことごとく斜めなり」この場所そのものを詠んだリアリズムの俳句ですね。
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好文亭、斉昭が別邸として建てたものですが昭和20年の空襲で焼失、昭和33年に復元。
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各部屋には襖絵にちなんだ樹木の名前がついています。
菊の間、
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桃の間、
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一見二階建てと見えますが、二層三階からの眺めは素晴らしい!
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吐玉泉、泉が湧いています。
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庭も写しておかないと。
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お土産は偕楽園で獲れたという梅を使った梅干しと梅サブレ、
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今日の泊り大洗へ移動、大洗まいわい市場、
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お土産につくば鶏そぼろ、
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マツコが紹介したというチョコフォーカステラ、
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隣のセイミヤも見ていきます。
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宿はそのすぐ近く、舞凛館。
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湯はナトリウム塩化物冷鉱泉、
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宿の一押しがアンコウ鍋、大きな鍋で満腹。
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走行距離は141km、見学が多かったので距離は稼げませんでした。
所用時間は8時間20分でした。


行程は
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岬と峠紀行(下野、常陸、下総①)足利学校、奥久慈、北茨城

2月17日からは茨城県へ、鹿島灘の海岸線を踏破したいと思いました。
右回りで行くか、左回りで行くか思案しましたが、ちょうどその期間中、千葉の幕張メッセで弊社も参加するスーパーマーケットトレードショーがあるので、最後にその会場をのぞこうと右回りにしました。

朝6時過ぎに出発、東部湯の丸ICで上信越道に。
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横川で一服し、
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北関東道へ、
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最初は足利で下りて、
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史跡足利学校へ、
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足利尊氏、八幡太郎義家を祖とするこの地を治めていた領主でした。
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足利氏宅跡に建つ国宝鑁阿寺の本堂。
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その並びに足利学校がありました。
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ここで一番印象に残ったのが宥座の器、
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器が空の時は傾き、ちょうどよい時はまっすぐに立ち、満杯になるとひっくり返ってしまうというもの。
水を注いでいくと程よい加減で直立しましたが、その後も注ぐとひっくり返ってしまいました。
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足りなくてもだめ、入れすぎてもダメ、ちょうどよい加減を保つ「中庸」という孔子の考えを教えるものでした。

東北道へ、
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矢板で下りて、
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県道74号線、塩谷喜連川線を行きます。
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喜連川市内を抜け、
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那珂川町の道の駅ばとう、この町で那須与一が生まれたようです。
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ここで注目が馬頭高校が開発した鮎の魚醤、繊細な風味が特徴とか。
1本お土産に。
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馬頭広重美術館は残念ながら休館中。
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茨城県大子町に入ります。
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常陸大子駅で情報収集

ちょうど昼時、道の駅奥久慈大子
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奥久慈と言えば奥久慈しゃも、全国の地鶏の中でも品質が良いと有名店も御用達の鶏肉です。
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冷凍は何種も並んでいましたが旅の途中では買えません。

レストランも奥久慈しゃもを一押し!
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もちろん昼食は奥久慈しゃもの親子丼1900円也。
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さすがです、美味しかった。

次に行くのは袋田の滝、トンネルに入り、
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その内部、
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3か所のの展望台から滝の景観が見えます。
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ここから高萩を目指し、
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茨城県最北端の北茨城へ。
茨城県の海岸沿いは今回ですべて周りたいもの、ただ足跡を残すだけではもったいないので目標を探したところ見つけたのが模擬原爆着弾地の碑。
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広島や長崎に原爆を投下する前に、米軍が予行演習として実施したのが模擬原爆の投下。
ここ北茨城への投下が昭和20年7月20日。それから終戦の前日8月14日まで52個の模擬原爆が日本各地に投下されたそうです。
裏面には投下場所やその被害が明記されています。
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私が先日読んでショックを受けた「ブラック・スノウ」
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アメリカの陸軍、海軍から独立した空軍を創設しようとする動きと、第二次世界大戦の趨勢の中でドレスデンなどドイツ空爆で成果を上げた米軍が、頑なに終戦を拒んだ日本軍に対して重爆撃機Bー29を開発し東京大空襲から原爆投下へと進む経過を、指導部の考えと実際に爆撃をする第一線の操縦士の回想や恐怖を織り交ぜ、更に空襲された日本国民の恐怖の証言も対比した書です。
戦争とは、始める前の大義名分と実際に始まってしまうと止めどなくなる現実が胸をえぐりました。
そんな流れの中にこの模擬原爆もあったのです。
それが広島などの悲劇を生みだしたとは!
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(2023,5,31 広島原爆資料館に展示されていた被爆直後の被災した人々)

ここから福島県境まではわずかです。
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県境の平潟トンネルを抜けいわき市に。
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ここで折り返し、今日の宿へ。
ここにも津波避難タワーが、
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永谷園の工場もありました。
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さっき来た道を戻り大子町方面へ、横川温泉中野屋旅館。
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何と!ここの湯は八幡太郎義家ゆかりの湯だとか。
泉質は単純硫黄泉ですがぬるぬるしていて時間がたっても肌はすべすべ。
良いお湯でした。
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今日は八幡太郎義家にも縁があります。
季節になれば中庭も見事になるでしょう。
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夕食はここも奥久慈しゃも鍋と常陸牛の陶板焼きと豪華、
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そのうえ旅館としては手間のかかる部屋食でゆったりできました。
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今日の走行距離は434km、
所用時間は10時間程でした。

行程は
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岬と峠紀行(播磨、備前②)鵯越、長田、和田岬、明石、揖保乃糸、備中高松城址、玉島

1月28日と29日はまとめます。

28日は8:30にスタート。
阪神高速北神戸線の有馬口ICから、最初に目指すは義経の故事でお馴染みの鵯越(ひよどりごえ)。
藍那ICで下りて、
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ひよどりごえ森林公園を目指します。
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公園事務所に聞いたところ、「ひよどりごえという場所はもう一つあってここが旧跡だという明確な位置づけはありません。」
の言葉にガックリ、一の谷という地名が須磨海岸にもあるのでもしかするとそっちかも?
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今日のスタート地点を和田岬、それと和田岬砲台と決めていたので、長田を経て和田岬へ。
地図上では分からなかったのですが、和田岬一帯は三菱重工の敷地になっていました。
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さすが厳重な車止めもあり、ビビりながらも聞いたところ「和田岬砲台は毎月第2木曜日に見学会があるので事前申し込みをしないと入れません、車での侵入もお断り。」
神戸の西側海岸線の起点として予定していたのに残念! 事前調査の必要性と計画性の無さに自分ながら腹が立つこと。

須磨海岸付近も巨大建物に埋め尽くされて須磨の浜を遠くから覗くのみ。
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国道2号線を明石へ、明石海峡大橋をくぐり、
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そういえば昨年の4月にこの橋を通って淡路島へ行きました。
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明石は東経135度子午線が通っているので明石天文科学館へ、
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ところがここも工事中、今日はついていませんね。

それではということで明石城址にある明石市立文化博物館へ、
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ここの目玉は明石原人。
発見者の直良信夫と出土した西八木海岸。
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明石人は新人?現代人の一つ前の人類です。
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雌雄2頭のアカシゾウの骨格標本、
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明石焼きでお馴染みのタコを採るたこつぼや漁具、
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初めて存在を知った明石型生船、活魚を生け簀で運搬するための船。
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明石城址には巽櫓と坤櫓というふた棟の重要文化財がありますが、これはたぶん坤櫓。
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明石城址を出て西八木海岸へ、明石原人腰骨発見地。ここで発見されたと思うと感慨ひとしおです。
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やっと瀬戸内海とご対面。

すでに昼飯時、まだ今日の目的地である岡山まで三分の二以上を残しています。
兵庫県と岡山県の両方を走破するとは目標を欲張りすぎたとちょっと後悔。
急がねば、海岸沿いを走る国道250号線を行く予定でしたが、
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姫路城には行ったことがあるのでパス。
姫路バイパスを使って時間を稼ぎます。
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そして着いたのは龍野市の揖保川沿い。
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揖保乃糸そうめんの里で見学と共にランチをいただきます。
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併設の食事処庵にてそうめんチャンプルー1000円也。
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2階はそうめんの里資料館。
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興味深いのはそうめん作りの今昔。
明治のそうめんづくり、
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そして現在のそうめんづくり、
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各所に手作業が残されています。

そうめんづくり、麺体からひも状に太い生地を切り出し、
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これも年代物の機械で細くのしていきます。
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そして実地で体験できる「やってみようコーナー」
「小引」と「さばき」を疑似体験できました。
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資料館の奥から工場の包装ラインが見られます。
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さあ帰ろう、と思ったらそうめんを延ばす実演が。
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この作業は現在でも一部機械化は出来ていません。
触らせてもらうと、棒に架かった端の部分(ばち)は細く伸ばされていますが、中心部は何となく太目。
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解説の女性の説明では、細くなった部分は乾いてそれ以上伸びないが、太い部分は若干水分を含んでいるので伸びるとのこと。いずれにしても時間と力加減の絶妙なバランスが必要です。
少しづつ伸ばす過程で何度も熟成時間を取りグルテンを行きわたらせ、待ちの時間と伸ばしを繰り返すなど、何だか人を成長させることと同じ極意だと気づきました。

赤穂もパスして岡山県総社へ、
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ここで見たいのが備中高松城址、秀吉の奇策の水攻めで陥落させたお城です。
本能寺の変をいち早く知った秀吉が、毛利方との和解を素早く締結し光秀討伐に駆け戻ったいわくつきの古戦場。
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湿地にかかった板橋の向こうが本丸跡、水面との比高は4m程しかありません。
そして備中高松城資料館は3時の閉館間際でした。
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一人落城の責任を取って自刃した清水宗治の首塚、
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城址から100mほどのところが清水宗治の自刃の地。
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宿に入るには少し時間があるので昭和レトロのまち玉島商店街へ、
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3か所あるという商店街ですが、どうやら一番閑散としたところへ来てしまったようです。
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折角ですが時間切れ、今日の宿瀬戸大橋温泉やま幸へ、
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健康ランドのようですが温泉のようです。

この日の走行距離は261km
所用時間は8時間でした。
経路は以下の通り
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宿泊棟とは別棟の食事処で牛すき焼きメインの夕食。
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ここでも鯛のかぶと煮がお勧め、瀬戸内ではどこでも鯛が豊富に獲れるのでかぶと煮が名物としていきわたっているようです。

そして朝食も十分な量がありました。
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最終日29日は備中松山城へ行こうかと思いましたが、天気予報では関ケ原あたりがやばそうなので一路帰ることに。
暖かい岡山でもフロントガラスに霜が降りていました。
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岡山ICから山陽自動車道へ、
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龍野西SAでは
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香川名物の骨付きどりと鶏油を
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京滋バイパスを抜け、複雑なジャンクションをいくつも通り阪神高速へ、
多賀SAで昼食、
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やはり関ケ原は雪、このままいけばかなり積もりそうです。
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早めに帰ってきてよかった!

ということで無事帰ってきました。
夕飯の肴のあてには骨付き鶏、鶏油で両面をじっくりあぶっていただきました。
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この日の走行距離は555km
所用時間は8時間。

3日間の走行距離は1324km、やはり瀬戸内へ行くのは遠いものです。
次回はもう少し山陽道を細分化してこまめな計画を立てたいと思います。
また来る途中で気づいた大垣から桑名へ行く道筋=旧伊勢街道や伊賀、甲賀そして信楽など未知の地域も回り残しています。

3日間の行程は
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でした。





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