日本周遊の旅

岬と峠紀行(若狭、丹後半島④)旅を語る、帰郷

7月6日、
10時に大津駅前の喫茶店で待ち合わせ。
3月まで松本大学観光ホスピタリティ学科で指導されていた名誉教授の山根宏文先生が、現在大津の比叡山麓に住まわれているので、観光や旅についてのアドバイスをいただくためです。

先生からは滋賀や京都のスポットをたくさんご教授いただきました。
早速私の日本周遊忘備録に記入し、これからの参考にさせていただきます。

また先生から貴重な資料をいただきました。
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これは来年松本市博物館で開催される旅の展覧会用に作成されたもので、ディスカバージャパンや
兼高かおる世界の旅からブラタモリまで、今までの旅番組を網羅したものです。
その中身は、地域の文化に触れ、地域の人と交流すること。その地域ならではの文化(食文化も含め)、暮らし、芸術などを体感することが旅を魅力あるものにするのではないか、とあります。

私も今回の若狭、丹後半島についてはそれなりに調べてきたつもりでしたが、木ノ本の焼鯖そうめんも、敦賀と天狗党の関りも知らなかったり失念していたりとポカミスばかり。
そして実際に走ってみてこそわかるルートの距離感や刻々と変わる風景のだいご味、地元の人と話す中で分かってくるその土地ならではの風土感など、至らないまでも楽しさ満載の旅でした。

次回この地を訪れる際は西回り(堀越峠回り)の鯖街道も経験したいとか
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美山の鶏すき焼きも食べたいとか、安曇川の畔針江も行ってみたいなど、楽しみ満載です。


帰りは琵琶湖西岸を通って木ノ本から高速に乗り、帰郷しようと思っていましたが、そんな候補地が出るに及んで、これはじっくりともう一度この地を訪れた方が良いと思い、大津から名神高速道路に乗ってさっさと帰ってきました。

帰りは養老SAにて、
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無性に食べたくなったカツカレー
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これにはカツ以外にメンチカツがおまけについていました。

帰着時間が17時、
この日の走行距離は330km
4日間の合計は1210km。

旅程は以下の通り。
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岬と峠紀行(若狭、丹後半島③)丹後半島、熊川宿、鯖街道

7月5日朝食前に近くを散策。
宿の目の前、丹後鉄道の踏切を渡って間もなく天橋立ビューランドのリフト乗り場がありました。
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昔からこの山に登って足の間から逆さの天橋立を見ると昇り竜のように見えると聞いていたのですが、9時開業では私は旅立っていますし、登山道もなくリフトが唯一の選択肢ということも気に入りませんね。

今日は丹後半島を一周し兵庫県境までと、小浜から鯖街道を京都大原まで、そして宿泊地の大津までを予定しています。
まずは丹後半島の伊根へ。
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ここが天橋立の北端、
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廻旋橋からここまで歩いて(125cc以下のバイクもOK)来られるのです。
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30分ほどで伊根へ、これは南側の舟屋集落。
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小さな岬の駐車場に車を止めるとそこには自衛艦が!
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昨日舞鶴の引揚記念館でもらった海上自衛隊舞鶴地方隊のパンフレットが役に立ちました。
PG828 ミサイル艇「うみたか」基準排水量200t、全長50m、速力44ktとあります。
自衛官募集中の幟がはためく中、親子連れや若い人たちが乗り込んでいきました。
のどかな伊根にはふさわしくない光景に唖然としました。
そして出航、
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伊根の家は道沿いから見ると、手前が住居、海に向いた方が納屋になっていて舟が置いてあります。
そこから海面へ滑り込める構造ですが、現在は車の駐車場に改造されたところも多くあります。
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伊根町観光案内所から見た舟屋が一番絵になっています。
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湾内クルーズや旅館、飲食店もあって、ゆっくり1泊してもよさそうでした。

丹後半島の突端経ヶ岬へ、
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経ヶ岬灯台へ右折、
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近畿最北端経ヶ岬灯台がちょこっと頭を出しています。
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経ヶ岬とは、先端部にある柱状節理の様子が経巻を立ち並べたように見えることから名づけられたということです。
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この先端まで30分ということで、先を急ぐため諦めました。

京丹後市内、ここで正午を迎えます。
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兵庫との県境まではまだ30km程はありそうです。
この後に鯖街道の予定も控えているので半島をショートカットすることに。
宮津方面国道312号線に、
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見慣れた黄色い看板「ラーメン藤」
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松本の駅前にもありますが、同系列?
味噌ラーメンと餃子を頼みましたが、ビジュアル的には松本の方が野菜類の盛りは多そうです。
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勘定の際に聞いたところ発祥は京都とのこと、松本でもルーツを聞いてみましょう。

小浜まで山陰近畿自動車道から舞鶴若狭自動車道を、
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国道27号線に入り、右上根来(かみねごり)へも別の鯖街道は通じているようですが、かなりな隘路のようで一般的ではないみたいです。
根来とは書きますが、有名な忍者集団の根来(ねごろ)衆とは違うようです。
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事前に用意した幾通りもの鯖街道、
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根来坂ともありますが、今日私が目指すのは水坂峠から右へと折れる若狭街道です。

高島方面、国道303号線へ、
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若狭鯖街道の宿場熊川宿、
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宿場の真ん中ほどにある旧村役場の若狭鯖街道資料館(宿場館)へ、
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女性の学芸員が熱心に説明してくれますが、写真はダメとのこと。
古い鯖街道の地図があったのに残念です。
ここから京都大原までの道中を聞いたところ、車なら1時間半ほど。琵琶湖までなら20分!
驚きました、私はその倍くらいの時間を予想していたのに。
でも彼女の小さい頃は峠をいくつも超えての難儀な道だったようです。その中でも若狭鯖街道が一番容易で通行量も多い道だったとか。
最後に入り口に置いてあった鯖街道背持人だけはお許しが出てパチリ!
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熊川宿を出てすぐに滋賀県との県境へ到達して驚き!
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水坂トンネルを越えるとすぐに朽木への道も。
鯖街道のお遍路さん?もたくさん歩いています。
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ここまでがあっけなかったので、直進して琵琶湖の湖岸道路へ。
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Uターンして再び若狭街道(国道367号線)へ
朽木への下り坂、杉林が続きます。
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朽木宿、金ケ崎から退き戦では信長が近江の豪族朽木元網に助けられ京都に生還できたということです。
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ここから京まで45km、このころになって信長もやっとホッとしたことでしょう。
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朽木谷を流れる安曇川、あずみがわと書いてあどがわ。
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安曇野(あずみの)や安曇族と関係があるのでしょうか? この川は琵琶湖に流れ込みます。
鯖街道らしく鯖寿しの店が並びます。
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左が琵琶湖大橋、この先が京都大原です。
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京都府に入りました。
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今まで京都へ行くには京都駅から北へと見物の展開をしましたが、北の端から京都へ入る気分は妙なものです。

大原の里に入り三千院にも向かいましたが、多くの人通りに辟易し、向かった先は土井志ば漬本舗。
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常温保存で日持ちがする志ば漬やすぐきがありましたのでお土産に購入。
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思い出?の出町柳駅
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初めて目にするタクシー、IONIQ5とあります。
調べたところ韓国のヒュンダイのフラッグシップEVだそうです。
京都のMKタクシーも洒落ている!
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蹴上から山科あたりが酷い渋滞、山科駅前あたりで観光バスが道をふさいで故障中でした。
今日の宿はスーパーホテル大津駅前、
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行動時間は9時間半
走行距離は287kmでした。


今日の足跡は
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岬と峠紀行(若狭、丹後半島②)水戸天狗党、若狭の原発、三方五湖、舞鶴引上記念館、天橋立

7月4日も天気はどうやら持ちそうです。
北国グランドホテル周辺には国民宿舎も含め10軒以上のホテルがあったようですが、現在はここ一軒のみ。
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氣比神社を通り抜け
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氣比の松原へ行く途中でうれしいものを見つけました。
水戸天狗党終焉の地、天狗党一党を閉じ込めた鰊蔵がありました。
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以前吉村昭や伊東潤の小説で天狗党の顛末を読みましたが、敦賀まで来て天狗党に結びつけられないとは迂闊でした。
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天狗党の足跡、内山峠から馬籠までは信州を通っていますし、私も出向いて知っているところばかり。
何だか身近に感じます。
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水戸天狗党、武田耕雲斎等353名の墓。
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氣比の松原、
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今日の大きなテーマは若狭の原発巡り、最初は敦賀半島突端の敦賀原発へ、
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間近に見る敦賀原発、
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その奥には新型転換炉原型ふげんがあるようですが、警備員がいて入れません。
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原発の近くには敦賀原子力館、
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ここからは敦賀原発の大要がつかめます。
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「原子力発電と原子爆弾は違う!」
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先日、イランの核施設へトランプ大統領が爆弾を落としましたが、イラン側の主張は原爆を作るような高濃縮ウランの製造はしていないというものでした。その論拠がここにあります。

敦賀半島突端の立石岬へ、
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原発からここまで約1km、ここでは通常の生活を送る人がいます。
その先、立石岬を目指しますが熊が怖くて引き返しました。
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敦賀半島トンネルが半島を東西に結びます。
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半島西岸には高速増殖炉原型炉もんじゅ、トラブルが相次いで2016年に廃炉が決まり、現在その措置を進めているところ。
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しかしこの門から数百メートルの場所には白木という集落や美しい砂浜があります。
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3kmほど南へ下ると美浜原発が、
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300mほどの丹生大橋の手前には美浜原子力PRセンター、
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ここも1㎞ほどの対岸には海水浴場があります。
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ここからは三方五湖へ、日向湖では海上釣り堀にたくさんの人が、
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三方五湖レインボーラインへ、
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五湖の一部が見えます。
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リフトで上まで行けますが、私はここまで。
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お土産にサバネーズ、若狭らしいお土産?
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思わず目が行った「峠プロジェクト」峠を走ってステッカーを集めるようですが私には興味なし。
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左が水月湖、右が三方湖
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昨日の今庄でもありましたが、ここは梅の産地で梅林もたくさんあります。
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熊谷農園で、
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梅干しと紅しょうがをお土産、
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小浜方面へ海岸線を走ると福井県海浜自然センター
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何と無料です。
魚にエサをあげてみよう。冷蔵庫の中にガチャがあり、その中にはオキアミが入っています。
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水槽の餌やりポイントへエサを入れるとイシダイなどが競い合って食います。
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魚に触れられるほのぼのポイントも。
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子供と一緒なら満ち足りた時間が過ごせます。

小浜港の若狭フイッシャーマンズワーフで昼食に、
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先を急ぐ?旅なので地魚の寿司を。
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次は大飯原発です。
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青戸の大橋を大島へと渡り、
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大島トンネルを抜け、
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T字路を左へ行けば大飯原発、
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ここで通行止め、あのトンネルの先に原発はあるのでしょう。
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最後は高浜原発へ、
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今までで一番近距離に見られます。
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内浦湾をはさんだ蔕ヶ崎から見える高浜原発。
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蔕ヶ崎の先までは行けませんでした。
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次は京都府の舞鶴へ、
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舞鶴引揚記念館を見たかった。
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展示品は千人針
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シベリアへ抑留された人が、白樺の樹皮を剥いで作った白樺日誌
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ラーゲリ(収容所)の様子。
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阿智村の満蒙開拓平和祈念館のパンフレットも置いてありましたが、海上自衛隊のパンフレットもありました。
岸壁の母
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様々な引揚船が大陸と舞鶴を往復しました。
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宮津へ
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今日の宿は天橋立近くの仁風荘、
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車を置いてから天橋立へ、
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これで日本三景は全て周りました。
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砂浜では海水浴中の人も、
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廻旋橋、大きな船が通過する際は手前の三分の二が廻旋します。
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橋の継ぎ目が微妙なアールを描いていませんか、
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真ん中にはモーターの点検扉が、
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宿にあった昔の絵葉書には、昭和35年まで手動だった廻旋橋の写真もありました。
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宿のお風呂
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夕食の煮魚は美味しかった。
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今日得た情報として、若狭は越前がに以外にもアオリイカが名物ということ、天橋立ではトリ貝が名物。そして私はどちらも大好物。
今日は赤いかは食べましたが、名物どちらも口にできなかったことが残念です。


この日も行動は約9時間
走行距離は216kmでした。

今日の行程は
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岬と峠紀行(若狭、丹後半島①)賤ケ岳、栃ノ木峠、今庄、金ケ崎城跡

7月3日、いよいよ最後の愛車⁈ での遠出です。
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遠出は淡路島から1か月半と久しぶり、今回は2月に行った北近江を起点に越前若狭から丹後半島までの日本海側を3泊で巡ります。

岡谷ジャンクションの工事で30分の渋滞を潜り抜け、
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その後も中央道リニューアル工事で減速を強いられました。
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名神で京都方面へ、
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米原からは北陸道へ
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小谷城スマートインターで高速を降り、
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前回は見れなかった中島城跡
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丁野山城跡を素通り、
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木之本の北国街道の宿場の雰囲気漂う町並みで昼食を物色。
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焼鯖そうめんの幟に着目。
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目を引いた長浜名物 焼鯖そうめんの店!
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焼鯖そうめんとは?
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ここで偶然の一致に驚愕! 実は今回の旅の後半では小浜から鯖街道を経て京都へ出るルートを考えていました。
日本海で獲った鯖に、腐敗しないよう一塩してから鯖街道を京都へと届いたものが鯖寿司となって、現在では若狭の名物になっていますが、一塩する保存法以外に焼鯖にして遠方へと届けるという手法もあったことに驚きました。
このお店「みちくさ」の女将さんによると、焼鯖でだしを取ったつゆにそうめんを入れて味付けするそうです。
焼鯖そうめん定食1350円。
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よく見ると鯖は丸のままを筒切りにしています。
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鯖のだしは強烈ですがここにしかないパワフルな風味に満足。
尚このお店は江戸末期の建築で昔は菊屋呉服店だったということ。

「みちくさ」の向かいには登録有形文化財のきのもと交友館。
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木ノ本駅も街道筋らしい風情があります。
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木之本郊外の賤ケ岳古戦場へ、2月に来たときは雪があり、リフトも運航中止でしたので再チャレンジ。
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リフトで賤ケ岳へ、私一人の貸し切り状態。
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史跡賤ケ岳
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眼下には余呉湖、この周辺の山々を舞台に秀吉と柴田勝家の決戦が行われました。
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賤ケ岳決戦の布陣状態、今日私は勝家の敗走ルート(右上)に沿って若狭に討ち入り?します。
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「戦いのあと」というブロンズ像、この武将は秀吉方で勝利を収めたわけだが、勝った喜びより如何にも戦い終わって疲れ果て、戦いのむなしさと悲哀さえ感じる。
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余呉湖を抜け若狭への栃ノ木峠、2月にはここまで来ましたがこの先冬季閉鎖中でした。
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今日は若狭へと一路、
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ここから福井県、
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滋賀県側は緩い登りでしたが、福井側は急な下り勾配、
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北国街道でも重要な宿場町今庄へ
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江戸時代には加賀百万石をはじめ多くの藩が利用し、鉄道が引かれてからは、信州の碓氷峠のように急こう配の鉄路に備えて補機(後ろから列車を押すもう一台の機関車)の付け離しや、石炭や水の補給のための設備もあった集積地でした。
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今庄の街並み
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そこで見つけた「梅肉」
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ひっそりしていましたが入ってみると、奥からおじさんが出てきて説明、
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若狭梅を加工し「一子相伝 梅肉一筋」をモットーに梅肉と紅梅液を商いしています。
私も梅肉を買い求めました。
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海岸線に出て、しおかぜラインを敦賀へ24km、
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ここで初めて日本海に対面。
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敦賀の金ケ崎城跡へ、
城跡まで登ろうかとも思いましたが今までで疲労困ぱい? いえ織田信長の「金ヶ崎の退き口」の故事に倣って撤退しました。
朝倉氏討伐で越前に攻め込んだ信長が、浅井氏の裏切りで退路を断たれ、ここから必死に京都へ逃れたという道を逆にたどったのが今日の道筋でもあったのです。
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明後日は、その信長が京へ逃れた朽木谷を通るのが楽しみです。

このあたりは旧敦賀港駅跡、その頃のランプ小屋なるものが。
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明治時代の敦賀港の写真に時代を感じます。
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敦賀半島先端にある敦賀原発へ行こうと思いましたが、往復に2時間ほどかかるようなので断念。
ちょっと早いが今日の宿泊場所へ、
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敦賀トンネル温泉北国グランドホテル。
北陸トンネル掘削中に湧出した温泉を引いている湯量豊富な温泉。
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展望風呂は私だけで独り占め。
部屋の真正面には北陸新幹線の敦賀駅
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北陸新幹線は福井までしか来ていないと思っていましたが敦賀まで来ていたんですね。

夕食は質素でしたが、
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子持ち白魚の卵とじが秀逸でした。
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この日の行動は約9時間、走行距離は377kmでした。
行程はこんな感じです。
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岬と峠紀行(淡路島①)思わぬトラブル、和歌山市街

4月20日から3泊4日で淡路島へ。
今回は、まず2月に荒天で渡れなかった和歌山の加太から友ヶ島へ行くこと。そして加太から指呼の間に見えた淡路島を一周するという計画を立てました。

6時20分に出発しましたが生憎の曇り空、
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意気揚々と走っているとカーブでハンドルがわずかにとられます、そして警告灯も点滅。
塩尻ICの合流線で、岡谷JCTでも合流線で、阿智の急カーブでも。それも右への急カーブだけ。
これはおかしい?この先にあるミニのディーラーを探すと一宮にありました。
一宮ICで高速を降り、
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ディーラーへ一直線。
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調べてもらったところ原因がはっきりしません。また日曜日ということもあって修理の予定がいっぱいですぐには見てもらえません。
かかりつけの松本の修理工場の社長に電話をすると、保険でレンタカーやレッカー費用をまかなえるというので手配。しかしその社長がより良い提案を。
社長が懇意にしている名古屋の修理工場でレンタカーもレッカーも手配できるとのこと。

それならレンタカーで淡路島を周っている間に名古屋で修理を終え、帰りに車をチェンジして帰れば万事オーケー!
2時間ほど待ちましたがレンタカーが到着、トヨタのヴォクシーです。
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この旅自体を断念すべきかとも考えましたが、これで旅を継続できます。

ただ時間がかかってしまったので、13時に和歌山の加太を出航する連絡船には間に合いません。
友ヶ島行きは断念し、和歌山へは泊まりに行くだけになりました。
養老SAで昼食
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豚豚定食、豚の生姜焼きと豚汁のセットで1050円也。
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近畿自動車道から阪和自動車道へ、和歌山ICで下りて駅前のホテルへ、
交差点で出会った光景、午後3時過ぎなのに中華そば屋の前に行列が並んでいます。
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ドーミーインにチェックイン
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駅前の居酒屋で夕食でも、と思い散策していると、
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銀平本店、落ち着いたたたずまいのお店です。
ちょっと高そうですが入ってみます。
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6時前なのにほぼ満席、カウンターに案内されます。
真上を見ると鏡で板さんの仕事ぶりが見えます。
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頼んだメニューが、串本産の鰹、自家製すり身天、野菜添え金山寺みそ。
それぞれが十分な量、丁寧な仕事、そして厚切りの鰹の旨い事!
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少々お高かったけど充分な満足感で幸せ。

同じ店にいた観光バスのアテンダントの人と話をすると和歌山ラーメンの話に。
昼間見た行列の店は和歌山ラーメンの元祖で、一方の旗頭である井出系
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もう一方の旗頭が車庫前系といって丸宮本店がルーツだそうです。
和歌山ラーメンの定義は豚骨醤油、丸宮の方が醤油が多くさっぱり系らしいです。
食べ比べをしたいところですが今日は満腹、明日も朝早く淡路島に旅立たなければならないので無理ですね。

         今日の走行距離は車を変えたので分かりませんが、一宮からは230㎞程でした。






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