浅間温泉よい処
2月10日から11日にかけて、中部内陸を寒冷前線が通り過ぎました。
松本は27cmの大雪が降り、全国放送でもこの日日本一の積雪を記録。
久方ぶりの大雪で、いつも登っている裏山(大音寺山)はどうなっているか?
快晴になった11日の朝行ってみました。
昨日、私と奥さん、そして次男が雪かきを小まめにしたため、我が家前は完全に溶けています。
我が家前の水路には温泉旅館の排湯が流れているので、雪はそこに投げ込めば完了。積雪時の強い味方です。
目指すは大音寺山、一番手前の山がそうです。
残念ながら一番乗りではありませんでしたが登山口に到着。
いくつかある登山路の中で、処女雪のルートを選択。
多分こっちかな? 目印が消えて分かりませんが行ってみましょう。
後ろを振り返ると自分の足跡だけがついてきます。
この辺りは27cmではききません、深いところは40cmほどはありそうです。
これだけの積雪ではラッセルをするだけでも一苦労、途中で引き返し、眺望を楽しみます。
残念ながら北アルプスは雲の中ですが、松本盆地の雪景色も乙なものです。
不動の滝に下って今日の散策は終了、
たいして登らなかったのに、ラッセルで心地よい疲労と満足を得られました。
松本は27cmの大雪が降り、全国放送でもこの日日本一の積雪を記録。
久方ぶりの大雪で、いつも登っている裏山(大音寺山)はどうなっているか?
快晴になった11日の朝行ってみました。
昨日、私と奥さん、そして次男が雪かきを小まめにしたため、我が家前は完全に溶けています。
我が家前の水路には温泉旅館の排湯が流れているので、雪はそこに投げ込めば完了。積雪時の強い味方です。
目指すは大音寺山、一番手前の山がそうです。
残念ながら一番乗りではありませんでしたが登山口に到着。
いくつかある登山路の中で、処女雪のルートを選択。
多分こっちかな? 目印が消えて分かりませんが行ってみましょう。
後ろを振り返ると自分の足跡だけがついてきます。
この辺りは27cmではききません、深いところは40cmほどはありそうです。
これだけの積雪ではラッセルをするだけでも一苦労、途中で引き返し、眺望を楽しみます。
残念ながら北アルプスは雲の中ですが、松本盆地の雪景色も乙なものです。
不動の滝に下って今日の散策は終了、
たいして登らなかったのに、ラッセルで心地よい疲労と満足を得られました。
毎年恒例の浅間温泉たいまつ祭り。今年は10月10日(土)の予定でしたが、
去年は台風の影響で中止、そして今年もコロナ禍で中止になってしまいました。
しかし、梅の湯と同友会浅間部会が去年造ったたいまつを今年奉納しようと1年間取っておきました。
2年続けて奉納できないのも申し訳ない、しかしたいまつ祭りはやらないが御神火の火おこしは実施するという情報があり、それではこのたいまつを燃やして奉納しよう、ということで御神火の点火式に参列することができました。
10日の夕方、御射神社脇の奉納場所へたいまつを安置、本殿へ登ります。
外から見た本殿
いよいよ点火式、ご神火用舞錐を用意し
岡宮の神主様の前で舞錐を回し始めます。
弥生時代からあるという舞錐、皆さん汗みずくになりますがなかなか着火しません。
何人もが交代しながら回します。煙は出ても火は起こらず、真綿に火が移りません。
やっとの思いで点火、
それを神前に奉納、祝詞をあげます。
総代が榊を奉納し無事に神事が終了。
いよいよ御神火をたいまつに
暗闇の中たいまつに点火、
大きく燃え盛るたいまつにコロナ禍退散、家内安全を祈りました。
同行した民俗学者市東さんが持参の仏像にたいまつの煙をかざし清めました。
今までたいまつを担いだことはあっても、ご神火の点火式に立ち会ったことはありませんでした。
舞錐にて火を起こすことも初めて見聞でき、貴重なひと時でした。
去年は台風の影響で中止、そして今年もコロナ禍で中止になってしまいました。
しかし、梅の湯と同友会浅間部会が去年造ったたいまつを今年奉納しようと1年間取っておきました。
2年続けて奉納できないのも申し訳ない、しかしたいまつ祭りはやらないが御神火の火おこしは実施するという情報があり、それではこのたいまつを燃やして奉納しよう、ということで御神火の点火式に参列することができました。
10日の夕方、御射神社脇の奉納場所へたいまつを安置、本殿へ登ります。
外から見た本殿
いよいよ点火式、ご神火用舞錐を用意し
岡宮の神主様の前で舞錐を回し始めます。
弥生時代からあるという舞錐、皆さん汗みずくになりますがなかなか着火しません。
何人もが交代しながら回します。煙は出ても火は起こらず、真綿に火が移りません。
やっとの思いで点火、
それを神前に奉納、祝詞をあげます。
総代が榊を奉納し無事に神事が終了。
いよいよ御神火をたいまつに
暗闇の中たいまつに点火、
大きく燃え盛るたいまつにコロナ禍退散、家内安全を祈りました。
同行した民俗学者市東さんが持参の仏像にたいまつの煙をかざし清めました。
今までたいまつを担いだことはあっても、ご神火の点火式に立ち会ったことはありませんでした。
舞錐にて火を起こすことも初めて見聞でき、貴重なひと時でした。
コロナ禍で世の中が逼塞状態です。
東京などでは外出制限、そして公園などは過密状態。
ストレスが溜まりますね、そして体も動かせない。
私は去年からスマホに万歩計アプリを入れました。
去年の7月が15,3万万歩 8月が13,5万歩、 9月が13,8万歩、 10月が11,7万歩、
11月が17,1万歩、12月が11,3万歩でした。意識しないで歩いていればそんなもんでしょう。
そして新年に決めたことが、月あたり20万歩を目標にしよう!
なぜか? 1日に1万歩を歩くことが健康に良い、というような説がありましたね。
でも毎日1万歩はきつい!
そこで2日に1日は1万歩=月あたり15万歩、そして1日に3千歩なら意識しないでも歩いている。
ということで、15万歩+3千歩×15日=20万歩が無理のない線か、という計算です。
そして1月が22,4万歩、 2月が22,9万歩、 3月が21,3万歩と20万歩をクリアーできました。
4月に入り、コロナの緊張もますます強っていますが、今日で20万歩を突破しました。
走行距離も140km、松本から山梨の大月位ですかね。塵も積もればです。
歩数や距離と共に楽しみなのが季節の移ろい。特に春は格別です。
山の小径にも新芽の芽吹き
そして草も萌え始めました。
桃の花?
この日は浅間温泉から北洞を目指しましたが、南洞からの大滝山
山一つ越えた北洞を目指す途中の山腹には古い祠?
大日不動尊か? 後光が射しているようです。
そして北洞からは常念岳が
初めて目にした北洞への開道記念碑
春の風物詩の田起こし
水も張って田植えの準備
もちろん桜ですが、ちょっと盛りを過ぎたかも。
もう一つ、この春目覚めたのが河原歩き。
山道であれ、遊歩道であれ、舗装路であれ毎日のように歩いていては飽きもきます。
身近にあっても歩こうと思わないのが河原。
こんな整備された草地なら散歩も気持ちよいですが、
この川を上流まで遡ったらどうなるか?
ということで橋の下をくぐって
しばらく行くと芝生から雑草ぼうぼうの草地に、
ここからが正念場、お滝です。
小学校の低学年時、本郷小学校にプールがありませんでした。
水泳の授業はここ、お滝でやりました。
一級河川 女鳥羽川
いよいよ荒れ地です、ワイルドですね。
でも気持ちよさそうなビーチ?もあります。
河原の典型的な風景、石ゴロゴロ
そして今の時期、農業用水の取捨もたけなわ。
水路が様々に変化して、ちょっと気を抜くと
もっと上まで踏破するには長靴無しでは無理でした。
いつもは歩かない場所にも新たな発見がありました。
山の小径は傾斜がきつくて難儀ですが、河原歩きもそれに勝る歩きにくさ。
大岩ゴロゴロから足を取られる砂地もあり、見た目平坦な河原の歩き難さは山以上。
昨年から始めた峠走破の際に疑問に思っていたこと=昔の人は平坦そうな川沿いの道を作らず、なぜ険しい山の道筋を選んだのか?
坂道は登りでは苦労ですが、降りは楽ちん快適。また馬や牛に荷物を積んで石ゴロゴロの河原を歩くことは実際問題として不可能、牛馬の足を折ってしまいかねません。
また山はどれも変形ながら三角錐。土砂崩れは山の常備の一つに石から始まり、崩落に連れて山肌の広範囲な土砂を巻き込んで広域化します。
川も増水すると上流から下流域まで全て流されます。
よって、なるべく山の上部に道を作れば土砂崩れで流される道の距離は短くなる=復旧が短時間で終了、となるわけです。
古からの輸送路であった街道や峠も、その当時の経済に依存していたからには復旧に時間を取られず、安定した輸送力を求められていたことは明らかです。
こんなことも頭で考えただけでは分かりません、 自身の足で歩いてみると実感一入でした。
ついでに、河原にはこんな石が転がっていました。
足で一撃を加えると
堆積岩が風化して脆くなり、そのうちには砂になってしまうのか?
もう少し温かくなればバイクで峠探訪始めたいのですが、この頃の信州はコロナに加えて地震も心配ですね。
ということで私の健康、ストレス解消法でした。
東京などでは外出制限、そして公園などは過密状態。
ストレスが溜まりますね、そして体も動かせない。
私は去年からスマホに万歩計アプリを入れました。
去年の7月が15,3万万歩 8月が13,5万歩、 9月が13,8万歩、 10月が11,7万歩、
11月が17,1万歩、12月が11,3万歩でした。意識しないで歩いていればそんなもんでしょう。
そして新年に決めたことが、月あたり20万歩を目標にしよう!
なぜか? 1日に1万歩を歩くことが健康に良い、というような説がありましたね。
でも毎日1万歩はきつい!
そこで2日に1日は1万歩=月あたり15万歩、そして1日に3千歩なら意識しないでも歩いている。
ということで、15万歩+3千歩×15日=20万歩が無理のない線か、という計算です。
そして1月が22,4万歩、 2月が22,9万歩、 3月が21,3万歩と20万歩をクリアーできました。
4月に入り、コロナの緊張もますます強っていますが、今日で20万歩を突破しました。
走行距離も140km、松本から山梨の大月位ですかね。塵も積もればです。
歩数や距離と共に楽しみなのが季節の移ろい。特に春は格別です。
山の小径にも新芽の芽吹き
そして草も萌え始めました。
桃の花?
この日は浅間温泉から北洞を目指しましたが、南洞からの大滝山
山一つ越えた北洞を目指す途中の山腹には古い祠?
大日不動尊か? 後光が射しているようです。
そして北洞からは常念岳が
初めて目にした北洞への開道記念碑
春の風物詩の田起こし
水も張って田植えの準備
もちろん桜ですが、ちょっと盛りを過ぎたかも。
もう一つ、この春目覚めたのが河原歩き。
山道であれ、遊歩道であれ、舗装路であれ毎日のように歩いていては飽きもきます。
身近にあっても歩こうと思わないのが河原。
こんな整備された草地なら散歩も気持ちよいですが、
この川を上流まで遡ったらどうなるか?
ということで橋の下をくぐって
しばらく行くと芝生から雑草ぼうぼうの草地に、
ここからが正念場、お滝です。
小学校の低学年時、本郷小学校にプールがありませんでした。
水泳の授業はここ、お滝でやりました。
一級河川 女鳥羽川
いよいよ荒れ地です、ワイルドですね。
でも気持ちよさそうなビーチ?もあります。
河原の典型的な風景、石ゴロゴロ
そして今の時期、農業用水の取捨もたけなわ。
水路が様々に変化して、ちょっと気を抜くと
もっと上まで踏破するには長靴無しでは無理でした。
いつもは歩かない場所にも新たな発見がありました。
山の小径は傾斜がきつくて難儀ですが、河原歩きもそれに勝る歩きにくさ。
大岩ゴロゴロから足を取られる砂地もあり、見た目平坦な河原の歩き難さは山以上。
昨年から始めた峠走破の際に疑問に思っていたこと=昔の人は平坦そうな川沿いの道を作らず、なぜ険しい山の道筋を選んだのか?
坂道は登りでは苦労ですが、降りは楽ちん快適。また馬や牛に荷物を積んで石ゴロゴロの河原を歩くことは実際問題として不可能、牛馬の足を折ってしまいかねません。
また山はどれも変形ながら三角錐。土砂崩れは山の常備の一つに石から始まり、崩落に連れて山肌の広範囲な土砂を巻き込んで広域化します。
川も増水すると上流から下流域まで全て流されます。
よって、なるべく山の上部に道を作れば土砂崩れで流される道の距離は短くなる=復旧が短時間で終了、となるわけです。
古からの輸送路であった街道や峠も、その当時の経済に依存していたからには復旧に時間を取られず、安定した輸送力を求められていたことは明らかです。
こんなことも頭で考えただけでは分かりません、 自身の足で歩いてみると実感一入でした。
ついでに、河原にはこんな石が転がっていました。
足で一撃を加えると
堆積岩が風化して脆くなり、そのうちには砂になってしまうのか?
もう少し温かくなればバイクで峠探訪始めたいのですが、この頃の信州はコロナに加えて地震も心配ですね。
ということで私の健康、ストレス解消法でした。
我が家から歩いて20分、大村にある玄向寺は牡丹の花で有名、槍ヶ岳を開山した播隆上人が修行をした寺としても知られています。
そのお寺の上手の谷あいにかつて存在したという霊場女鳥羽の滝の掘り起こしをしようと活動を始めた若手民俗学者の市東さんに誘われて霊場の発掘?(実際は藪の切り払い)に昨日行ってきました。
玄向寺、
子供時代、この右手にいちご園を経営する桃仙園があったり、保育園の遠足に来たりとなじみのあるお寺でした。この上流に霊場があったなどということは初めて知りましたが。
水野家廟所
これも知りませんでした。
近くにいても知らないことがいっぱい!
この廟所も朽ち果てつつあったものをお寺の檀家さんが協力して再興したとか。
水野家の子孫は東京在住、今ではサラリーマンになっておりとても自力で維持は無理、そこで檀家さんの協力を得るということになったそうです。
その廟所の上流10分くらいの範囲に霊場が展開されています。
今日は廟所のすぐ上を開墾
こんな石碑もありますが、昭和の時代にはこの滝の存在も知られていたようです。
しかしそれから三十有余年で樹木に覆われた、忘れ去られた存在になってしまうとは!
この斜面の樹木の伐採や草を刈ると昔の道筋が現れてきました。その間2時間、手足も腰もクッタクタ。
今日の作業はここまで、お昼には終わりました。
そのあと女鳥羽の滝を案内してもらいました。
滝への道標、
二の滝
御岳信仰の遺物、信仰されていた方々の位牌も安置されているということです。
そして一の滝
思っていたより大規模で迫力もあります。
今までに大量に繁茂する竹や樹木を伐採してここまで見れるようになったそうです。
まだ倒壊した石塔や大木の片付けなどやることがいっぱいありそうです。
その昔、修験者は岩盤からしみだしてくる水を樋に受け、滝に打たれて修行をしたそうです。
高いところから大量の水を体に受けてするのが修行と思ってきましたが、冬のさなかにチョロチョロと流れる微量の水を受けてする修行のほうが辛いそうです。
微量の水では体温がすぐに下がってしまうから、ということ。
松本平の里山にある霊場としては最大規模ではないか! という場所を再確認できて貴重な経験でした。
そのお寺の上手の谷あいにかつて存在したという霊場女鳥羽の滝の掘り起こしをしようと活動を始めた若手民俗学者の市東さんに誘われて霊場の発掘?(実際は藪の切り払い)に昨日行ってきました。
玄向寺、
子供時代、この右手にいちご園を経営する桃仙園があったり、保育園の遠足に来たりとなじみのあるお寺でした。この上流に霊場があったなどということは初めて知りましたが。
水野家廟所
これも知りませんでした。
近くにいても知らないことがいっぱい!
この廟所も朽ち果てつつあったものをお寺の檀家さんが協力して再興したとか。
水野家の子孫は東京在住、今ではサラリーマンになっておりとても自力で維持は無理、そこで檀家さんの協力を得るということになったそうです。
その廟所の上流10分くらいの範囲に霊場が展開されています。
今日は廟所のすぐ上を開墾
こんな石碑もありますが、昭和の時代にはこの滝の存在も知られていたようです。
しかしそれから三十有余年で樹木に覆われた、忘れ去られた存在になってしまうとは!
この斜面の樹木の伐採や草を刈ると昔の道筋が現れてきました。その間2時間、手足も腰もクッタクタ。
今日の作業はここまで、お昼には終わりました。
そのあと女鳥羽の滝を案内してもらいました。
滝への道標、
二の滝
御岳信仰の遺物、信仰されていた方々の位牌も安置されているということです。
そして一の滝
思っていたより大規模で迫力もあります。
今までに大量に繁茂する竹や樹木を伐採してここまで見れるようになったそうです。
まだ倒壊した石塔や大木の片付けなどやることがいっぱいありそうです。
その昔、修験者は岩盤からしみだしてくる水を樋に受け、滝に打たれて修行をしたそうです。
高いところから大量の水を体に受けてするのが修行と思ってきましたが、冬のさなかにチョロチョロと流れる微量の水を受けてする修行のほうが辛いそうです。
微量の水では体温がすぐに下がってしまうから、ということ。
松本平の里山にある霊場としては最大規模ではないか! という場所を再確認できて貴重な経験でした。
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