見聞録

上野 国立科学博物館

せっかくの、そして久々の東京へ来たからには、ということで翌17日は上野の国立科学博物館へ。
上野公園をさ迷っていたら、正岡子規記念球場に行きつきました。
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日本で野球を広めた人としての正岡子規は知っていましたが、球場まであったとは!
記念碑もちゃんとあります。
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そこをまっすぐ北?へ行くと
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実物大(30m)のシロナガスクジラのオブジェが目を引きます。
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これが国立科学博物館
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書きたいネタはたくさんありますが、特に注目は鶏。
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日本在来の鶏種が展示されていました。
特に注目は東天紅
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そして小国
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なぜ注目かといいますと、私の名刺を飾る二種だから。
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隣には彼の忠犬ハチ公の実物剥製が。
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昼食に入ったレストラン(上野精養軒)ではボロネーゼを。
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ここから見える光景はクジラの骨格。
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反対から見ると巨大なマッコウクジラが。
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ゴジラならぬティラノサウルス
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世界の野生動物も数多。
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これ以外に最新の科学技術の展示も盛りだくさんでしたが、4時間では走り回って一巡するのが精々でした。
改めて来たいと思います。


越中紀行(立山、氷見、五箇山)

10月4~6日、富山県に行ってきました。
なぜ富山か?
今年の夏にキャッチした情報によると、立山の室堂などの観光地の隣に、かなり痺れるスポットがありました。
立山カルデラ、常願寺川の最上流にある地質の安定しない崩落地。
そこをトロッコで見学するという催しを、立山カルデラ砂防博物館が行っています。
が、それは抽選によるのです。
残念ながら3度の抽選に漏れ、最後の機会は日程を抑えていましたが、これも空振り。
なので、この日程でトロッコに乗れないでも現地に行ってみよう、ということです。

4日、10時半に出発。出るのが遅くなったため、上越を回って高速道路で立山へ。
立山芦峅の立山権現芦峅中宮雄山神社を過ぎ
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この先称名滝まで12km、
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今日泊まる立山駅をチェックして
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称名川を渡り、
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右へ行くと立山有料道路を、直進すれば称名滝へ。
残念ながら立山有料はマイカー立ち入り禁止。
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立山有料は、こんな急斜面のつづら折り。
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称名滝まで1,2kmに駐車場、遊歩道に沿って
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大日岳への登山口も過ぎ、
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いよいよ日本最大落差の滝=称名滝
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落差350mの称名滝です。中央右側の黒い帯は、春時だけ現れるハンノキ滝(落差500m)
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圧倒の迫力、300m程も離れていても水しぶきに包まれます。
10万年前には、立山駅のあたりにあった滝が、称名川の力で15kも後退し、現在地に来たとか。
年間15cm程も両岸を削っているのです。
この遊歩道を歩けるのは17時まで、時間ギリギリでした。

今日の宿はグリーンビュー立山、
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夕食は、アルコールも含めてフリードリンク!
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我々長野県人も富山県民割を使えるので、とてもお得な一泊目ができました。
温泉もちょっとヌル~とした良い湯でした。
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5日は氷見を目指しますが、その前に当初の目的地立山カルデラ砂防博物館へ、
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隣は立山砂防事務所、
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私が抽選に落ちた、立山カルデラ砂防体験学習会が出発するのと同時に入館、どさくさにまぎれれば一緒に行けたかも。
砂防事業の主力となるディーゼル機関車も展示、
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立山の地質や成立ちの紹介は1階。
2階は、明治時代のお雇い外国人から「滝のような川だ!」と驚かれた常願寺川(称名川の本流)の崩壊との闘いの展示が面白い。一日いても飽きない展示と資料です。

芦峅にある立山博物館へも立ち寄ります。
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観音寺の銅造地蔵半跏座像の足元には
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信州松本町立山講中の刻印が、信州松本とのつながりも明らかです。
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富山市内を通り抜けて氷見へ、
石川県との境まで行って、虻が島の背景には立山連峰。
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九殿浜温泉、ひみのはなに泊まります。
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この日も県民割でお得な宿泊ができました、感謝です。
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最終日6日は、氷見界隈を見て歩こうか! 
宿から氷見市街へ行く途中にある阿尾城跡、
一説によると前田慶次郎の居城だったという。
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道の駅にも行きましたが、ほとんどの店が開店前、お土産としては鯛かまぼこ。
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今週末の孫の誕生日(1歳)に出しました。

さて、時間はたっぷりあるからどうしよう?
道路地図を見ていると、氷見から続く高速道路?が。
能越自動車道から小矢部を過ぎ、東海北陸自動車道に続いています。
これなら高山⇒安房経由で帰ろうか?
それなら、白川は行ったこともあるので、五箇山へ寄って帰ろうとなりました。

東海北陸道は片側一車線、それもトンネルの連続で目が疲れます。
ただ走っているだけ、旅の風情も何もありません。

五箇山ICで降り、菅沼集落へ。
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合掌造りの前で記念撮影
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小腹が空いたので栃餅ぜんざいを
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まず目指したのが塩硝の館、
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私も以前から不思議に思っていた硝石の作り方。黒色火薬を作るには欠かせないですね。
日本では、古民家の床下の土を集め,ネズミなどの糞尿の化学変化から作るもの、としか知りませんでしたが、ここでは分かりやすく説明しています。

原料は土、草、稗がら、蚕の糞。家の床下に穴を掘って、それらを交互に入れ込み、年に数度切り返しして4年ほど経つと塩硝土ができる。
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土中の断面図
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次に塩硝土に水を加え、まずは30分の一に、次に2分の一、それをさらに煮詰めて硝石の結晶を取っていくという根気のいる仕事です。
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塩硝土抽出の樽や釜
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塩硝と火薬
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その実物
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作業風景のジオラマ
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ここ越中の山奥から金沢までの塩硝街道は、いくつもの峠を越えた難路だった。
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加賀藩御用の塩硝を作り、着実に加賀の殿さまへ納めるための仕組みも、村内に塩硝吟味人や上煮屋などを置いた組織的なものであった。
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この日は中学校の修学旅行生で賑わっていた。

五箇山民俗資料館
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生活民具や、養蚕に必要な用具などの展示があったが、目を引いたのは「籠の渡し」
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菅沼集落の沿って庄川が流れているが、橋もなく急流であったため古典的ケーブルカーが用いられた。
籠の渡しの実物も川に架かっていました。
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実際には乗れないでしょうが、ケーブルを保持する用具も堅牢です。
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五箇山と言っても範囲は広く、菅沼から5km程離れた上梨には重要文化財村上家住宅
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そこから6km程離れた相倉にも合掌造り集落があります。
菅沼、相倉共に世界遺産に指定されています。

余談ですが、八王子の高尾にある「うかい鳥山」には、ここ五箇山の民家が移築されていることを思い出しました。

帰りは雨になり、高山近郊の道の駅ななもり(七杜)にて昼食、飛騨牛きしめん、1000円也。
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安房道路を越えて帰途につきました。

来年こそは、立山カルデラのトロッコ列車に乗るぞ!

3日間の走行距離は631kmでした。






















寺井尚子来る!

7月23日、待ちに待ったジャズバイオリニストの寺井尚子が松本にやってきました!
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私は音楽などの興味はあまりありませんが、寺井尚子はユーミンと並んで特別な存在。

そのコンサートがキッセイ文化ホールであり、奥さんと聞きに行きました。
やはりリアルの圧倒的な迫力、寺井尚子の情熱的なバイオリン、酔いしれました。
熱演の中で2度もバイオリンの弦が切れるというハプニングもあり、最後はスタンディングオベーションで幕を閉じました。
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演奏曲は
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そして帰りには3枚のCDも
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ゆっくりと聞きほれるつもりです。





国立民族学博物館(千里万博公園)

6月25日、この日はいよいよ国立民族学博物館(みんぱく)です。
今日が2回目の訪問、千里中央駅からモノレールで万博記念公園駅へ、
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高速道路の跨線橋を渡って公園へ、太陽の塔
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この日も朝からじっとりと暑い! その中を10分ほどで民族学博物館到着
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館内
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2F中央ホールから左へ、その後時計回りで回りました。
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左のAブロックはオセアニアから始まります。
オセアニア⇒南北アメリカ⇒ヨーロッパ⇒アフリカ⇒西アジア⇒南アジア⇒東南アジア⇒中央、北アジア⇒中国⇒東アジア⇒朝鮮⇒アイヌ⇒日本の文化の順番です。
ここを一回りするだけで世界一周文化の旅ができます。

前回はオセアニアを見ただけでしたが、今回はじっくり見ましょう。
ミクロネシア、カロリン諸島のサタワル島から、6名の乗員によって3000kmの航海をして日本に来た遠洋航海用のカヌー。「チェチェメニ号」、1975年沖縄海洋博の企画として渡来したものです。シングルアウトリガー式カヌーです。
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全てが木材由来でできていて、釘やカスガイは用いていない。
帆も帆布ではなく、植物繊維を編んで作っている。
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六分儀もナビもない時代、遠洋航海をするために編み出された航海法
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マーシャル諸島の海図。


ニューギニアの捕人具
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捕人の様子
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中南米は私たちが現在食べているものの発祥地
トウモロコシは中米で栽培化
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ジャガイモはアンデス、右上は凍結乾燥されたジャガイモ
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と、詳しく見ていくときりがないし、興味が尽きない。
今回はザーッと紹介。

不鮮明でいけませんが、コロンブス以前の新旧両大陸主要作物と家畜
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ヨーロッパ、パンの多様性
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東南アジア、移民エスニックのインスタントラーメン
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奴隷貿易と使用されていた足かせ
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一周するのに2時間半、それも駆け足で。展示品をじっくり見るだけで何回来なければいけないだろう、ここで昼食時。

みんぱくの前にあるピザハウスで食べたのは、
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万博公園の間伐材で焼いたマルゲリータ。

ここで暑熱と疲れを癒し、後半戦へ。
午後はビデオテーク、世界の様々な地域で暮らす人々の生活や儀礼、芸能などを記録したビデオを自由に視聴できます。
館内にはそのためのブースが十か所ほど設置されています。
そこでも2時間ほどを過ごしましたが、これも興味が尽きません。

午前中はよく歩きましたが、午後はビデオ鑑賞?だったので、この日の歩数は12000歩弱、これからも何回も訪れたいものです。







興福寺、JT生命誌研究館(高槻)

6月24日朝食時、レストランの窓からフッと目をやると、尖塔が目に入りました。
そうか、興福寺が指呼の間にありました。朝のうちに行っておこう!
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ちなみに朝食は最も軽めのメニュー フレンチトースト、
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興福寺を散策します。しかし今日も朝から暑い!
猿沢の池、中学の修学旅行での思い出は何故かこの池でした。
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五重塔
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目立たないところに建っていた三重塔、これも国宝
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その脇には放水銃、文化財を守る砦ですね。
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そしてこれも国宝、北円堂
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奈良から京都、そこでJRに乗り換え高槻へ。
奥さんは暑いので駅ビルの喫茶店で涼むそうです。
高槻の商店街を通って
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JT医薬総合研究所へ、徒歩10分ほど。
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ここから入ります。
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研究所の一画にJT生命誌研究館はありました。
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研究館はここの1階と2階です。
何が生命誌? 38億年前に誕生した生命が進化、多様化して現在に至る生命誌の歴史を一挙に体感できる施設です。胸ワクワク!

入館料は無料、時間があれば何時間でも、熱い最中はクールダウンするためにもありがたい。
残念ながらお客さんは数名、でも静かな中でじっくり見て回れます。

膨大な展示を全てアップしたいところですが、そうもいきません。
印象に残ったものだけにします。

骨の進化、進化の順にあげます。
ナメクジウオからカワヤツメへ
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ホシザメ(軟骨魚類)からコイ(硬骨魚類)へ
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ミナミアメリカハイギョ(魚に肺ができます)
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ウシガエル(両生類)からクサガメ(爬虫類)へ
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ニホンザル(哺乳類、霊長類)とニワトリ(鳥類)
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骨を見るだけでも進化の模様が分かります。

細胞の模型
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裏から見ると
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単細胞とか言いますが、一つの細胞の複雑なこと!

そして世界のオサムシ
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オサムシを漢字表記で「治虫」、読み名の通りですが、鉄腕アトムでおなじみの手塚治虫はご存じですね!
手塚治虫は幼少時からの昆虫少年、漫画家としてデビューするときから「てずかおさむし」とよむことを強く希望していたが、周囲からの違和感が大きく「てずかおさむ」となったらしいです。
オサムシは世界の分布していて、飛ぶことができない。
そこで世界のオサムシの分布を調べることで、大陸の移動とその中での生命の分布などが分かるらしい⁉ 私にはよくわからないが?
ということで、養老孟子先生が熱中しているゾウムシなどと同じように、生命の進化が分かるらしい。

出口(入り口?)の間際でこの本を発見!
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ここ、JT生命誌研究館に来たかった目的はこの人に会いたかったから。
それを志向したのが3年前、2020年までこの方はここの館長さんだったのです。
ここに来たら会えるとはもちろん思っていませんでしたが、2代目館長をしていた時に来たかった。
もちろん3代目館長の永田和宏さんもすごい人だと思います。
でも、ときめいたときにすぐに来られないコロナ禍が忌まわしいですね。

それにしても「老いを愛づる」、今の私にピッタリです。
もちろん速攻で購買。

ところで中村桂子さん、この名前を知ったのはこの本、
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大田堯さんは東大教育学部の名誉教授、同友会に大きな影響を与えた教育者です。
私も「共に育つ」という本にあった「猿が2本足で立つようになったのはその気になったから!」というフレーズから社員教育を深く考えるようになりました。
その先生は教育学ばかりでなく、生物学人間の進化にも造詣が深く、2018年100歳で亡くなる前に中村桂子さんとの対談本が出たということに感銘を受けました。
そんな経緯でJT生命誌研究館をいつかは訪れたいと思っていたのです。

この日は暑くて蒸す中12000歩歩きました。














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