見聞録

北前船

図書館でふと手に取った一冊の小説「男たちの船出」著者は伊東潤。
IMG_5684

三船敏郎のような厳つい男に目が行きました。

内容は、瀬戸内塩飽の船職人の話です。
徳川の幕藩体制も整った1600年代後半、それまで五百石積程の船しか作ったことがない塩飽の船大工のもとに河村七兵衛(後の河村瑞賢)が訪れ、千石船を造ってほしいという依頼をします。
塩飽ではそれを拒否、しかし塩飽の若き船大工が出奔し、佐渡の宿根木で地元の船大工と協力して千石船を作ってしまう物語。

塩飽という名には、海賊の島という意識しかありませんでしたが、佐渡の宿根木のいう地名にピン!ときました。

2018年の9月に佐渡旅行をして、佐渡の南西端の宿根木にも行って、実物大の千石船を見てきました。
IMG_8822

下にいる人と比べてください、その大きさが実感できます。
この船は実際には512石積、帆の大きさが約155畳だそうです。

物語の中で、佐渡で作ったはいいものの、試験航海で、冬の日本海の荒海に翻弄されて難破してしまいます。
千石船のウイークポイントがここ、
IMG_8816

船の艫(とも)、舵をはじめ千石船の後ろ部分が最大の弱点でした。
IMG_8817

舵を見てください、こんな縄で吊るす弱体な舵では日本海の荒波はこなせません。
舵が流されれば船の操作が不可能、大きな横波でも食らえばひとたまりもありません。

西洋から渡来する南蛮船は遠洋航海ができるように堅牢に作られていましたが、鎖国を国是とする日本では陸地が見える範囲の航海が精いっぱい、国の政策がこのようなところにまで及び、勇敢な船乗りが無駄な命を落とした事例もあるのですね。

宿根木では千石船を見るのに忙しく、宿根木の高密度な集落群(1haに110棟の建造物)日本海航路、文化の集積地を見ないでしまいました、残念。
IMG_6056


またこの本で河村瑞賢に興味を抱き、
IMG_5996

「江戸を造った男」も読みました。
瑞賢という名前は、社会科の教科書で出会った気がしますが、東回り航路、西回り航路の開発をはじめ、干拓や河川整備、銀山開発まで幅広い偉業を達成した人ですね。

有名な英雄、武将や政治家の物語も面白いですが、こんな実業家も興味深いですね。

この頃の私は、峠を巡ったり歴史的な興味を引く場所を訪れたりという、体験を通した見分と、書籍を照らし合わせた知識が加わると、気づきが倍増するような思いがします。
また知識とはいっても、案内パンフレット⇒案内書⇒実録やノンフィクション⇒研究書⇒学術論文⇒古典の順で確度や真実度合が高まりますが、歴史や民俗など古いものは、その中にはフィクションや思い違い、人に寄っての解釈の違いもありますし、不明な部分も多分にあります。
そんな不明な部分を小説で補うことも興味深く感じます。
一つの事象に対して、一つだけの小説では思いが偏ってしまうので、複数の小説やノンフィクションを並行して辿るとより深い気付きがありますね。

その例が、明治時代に青森の八甲田山で200名もの遭難者を出した陸軍演習の話。
私は新田次郎の「八甲田山死の彷徨」を以前に読みましたが、上記と同じ伊東潤の「囚われの山」
IMG_5997

を読んだところ、新田次郎とは異なる視点で書かれていて参考になりました。



松江城

松江城、
IMG_5301

松本城と同じく国宝5城の一つですが、松本城の国宝指定が1936年、それに比べて松江城の国宝指定は2017年と大幅に遅れます。
松江城が国宝として認定されたのは、筑城時の祈祷札が松江神社で2016年に発見されて確定しました。

というような情報が、旅から帰ってくる前日の「市民タイムス」に載っていました。
IMG_5524


のみならず、松本城と松江城の意外な縁もありました。
松本城は、その縄張りを確定したのが小笠原氏、築城したのが石川氏、そして現在のような複合連結構造にしたのが松平直政でした。
直政の在城期間は5年ほどでしたが、その直政が次に赴いたのが松江でした。

また松江城も松本城と同じく、明治になって壊される運命を救った保存運動がありました。
IMG_5280


天守の中で興味を引いたものは
後藤又兵衛のものとされる甲冑と槍、
IMG_5291

又兵衛自身は大阪夏の陣で亡くなっていますが、その縁戚の人が松江藩にいて伝わったものらしいです。

また松本城と同じく急な階段
IMG_5300

この両城は築城年代も設計思想も似ていますね。合戦を意図した実践的な平城の様相です。

しかし縄張りも城壁も松本城を圧倒的に凌駕しています。
IMG_5302


そして松江城の初代城主、堀尾吉晴(茂助)。
IMG_5304

私の好きな戦国武将の一人、信長から秀吉へと臣従し、秀吉元では忠実な中堅として活躍、秀吉晩年には三中老の一人となりました。秀吉の死後は家康に従った人です。

宍道湖のしじみ漁

松江しんじ湖温泉すいてんかくの夜景
IMG_5226

幸いなことに宍道湖畔の湖側の部屋、

朝起きると湖面には多くの小舟が、
IMG_5229
IMG_5236


よく見るとしじみ漁をしているみたい。
腰を据えて5m程はある柄を引き寄せています。
IMG_5231

そして柄を引上げ
IMG_5232

水中にあった籠を上げて舟内に中身をあけます。しじみゲット!

また水中に投入、湖底を引きずり
IMG_5234

また引き寄せるの連続です。
IMG_5235

よく見ると柄には直角に取っ手がついています。
この取っ手で水中を探りながらしじみを採っているのですね。

松江の2日間、毎回必ずしじみ料理が出てきました。
その日食べるものを採る風景を見られることはめったにありません。
貴重な風物詩でした。

山陰そば談義

今回出雲へ行く目的の一つに、本格的な出雲そばを食べたい!ということもありました。
有名ホテルの総料理長をされていたHさんに出雲の蒲鉾屋さんを紹介していただき、その方から情報をゲット。

とその前に、城崎のある豊岡市を走っていると出石という案内が出ています。
そういえば出石そばというものがなかったっけ⁉
事前に出石川も目にしています。

コウノトリ文化館の学芸員の方に聞いてみたらこのパンフレットをくれました。
IMG_6005

ありました出石皿そば。早速車で30分ほどの出石へ。

時間は11時過ぎ、観光客も多そうなのでまずはそば屋へ。
出石そば山下
IMG_5185

出石そばの歴史
IMG_5186

そうして食し方
IMG_5188

出石皿そばのルーツは、宝永3年(1706)に信州上田藩主の仙石氏がお国替えで当地へ赴任。その際に仙石氏とともに信州から来たそば職人の技法が在来のそば打ち技術に加えられ出石そばが誕生。
その後、出石焼が始まり白地の小皿に盛る様式が確立されたそうです。

ここでも信州との結びつきを発見しました。それも信州のそば文化が当地へ伝わったということは誇らしいことです。

そばが出てきました。
IMG_5189

小皿一皿が一口分。
ここの面白い食べ方が生卵つゆ。もったいなかったですが、黄身だけをつゆに入れて食します。
IMG_5192

おお! そばが濃厚になります。
一人前5皿ですがお代わりを追加。良い経験ができました。

出石城は明治元年に取り壊されましたが、隅櫓や登城橋、登城門が新たに建築されました。
IMG_5199

商店街も風情があります。
IMG_5200


それからの出雲入り、信州→出石→出雲と、そばの縁が繋がってきそうです。
蒲鉾屋さんから聞いた地元民一押しの出雲そばは「平和そば」
IMG_5262

このお店は昭和25年に創業。初代店主が終戦後間もないことから「世の中の平和」を心から願い「平和そば」と名付けたそうです。
安倍首相も絶賛したそばだということ。
IMG_5265

もちろん手打ちです。

出雲そばとは⁉
IMG_5268

出雲そばの特色は割子そばと釜揚げそば、

割子そばの食べ方
IMG_5267

信州のようにそば猪口につゆを入れるのではなく、割子の中に少量のつゆをいれて攪拌するもの。食した後に割子に残ったつゆは次の割子そばに移して食べるので、つゆの使用量が少なくが経済的です。

メニュー
IMG_5266

このお店ではセット物がありました。皆さんセットを頼んでいます。

私は親子丼とのセット、親子丼と割子そば2段です。
IMG_5271

奥さんは三色割子そば
IMG_5272

そばの香りが鼻腔を刺激します。
普段の私はのど越しを重視しますが、このそばはのど越しも良いし香りが優れもの。
思わず称賛の声を上げたら店員さんが記念撮影してくれました。
IMG_5273


ということで、満足な昼食になりました。

出雲そばと信州そばの関連は聞けませんでしたが、そばが取り持つ縁でした。
そしてお土産に買った干そば
IMG_6006

残念ながら平和そば謹製ではありませんでしたが、日本の三大そばは「出雲そば」「信州戸隠そば」「岩手のわんこそば」だそうです。





豊岡のコウノトリと自然

憧れていた城崎温泉は兵庫県豊岡市にあります。
豊岡と言えばコウノトリで有名、コウノトリとの共生を掲げています。
城崎の語源は黄沼前海(きぬさきうみ)と言われ、昔から低海抜の沼沢が広がっていたそうです。

城崎が豊岡市にあることを知って、豊岡市立コウノトリ文化館へ行ってきました。
IMG_5141

屋根の上にとまっているコウノトリが分かりますか⁉
ここはこの文化館をはじめ、大学院や検疫棟もあり、飼育ゾーンや自然ゾーンも含めた広大なコウノトリの郷公園の一画にあります。
IMG_5148

IMG_6004

パンフレットをいただき、
IMG_6003

公開ゲージへ
IMG_5150

いますね!こんなにいるとは。
佐渡の朱鷺保護センターでは遠目に少しだけ垣間見れたのとは違います。
IMG_5157

入り口の垂れ幕に200羽達成と書いてありましたが実感できます。
公開ゲージ脇の祥雲寺巣塔では野生のコウノトリが営巣していました。
IMG_5170


昭和30年代の出石川では人と牛とコウノトリが共生していました。
IMG_5172

昭和31年に特別天然記念物に指定されましたが、昭和61年には最後の一羽が死亡し、日本のコウノトリは絶滅してしまいました。

平成1年に旧ソ連のハバロフスクから受贈されたコウノトリにより飼育下繁殖に成功、以後毎年繁殖し平成11年にコウノトリ郷公園ができたそうです。
つい半年ぐらい前にはこのコウノトリが長野県にも飛来して新聞に載りました。
コウノトリが飛来した各地の図。
IMG_5171

長野県にも飛来したことを告げると、初耳らしく「資料を送ってください」と言われました。

この豊岡市に来て水田や沼沢が多く、緑が豊かなことが気になっていました。
出石川河畔にはオオサンショウウオの碑
IMG_5100

出石川も緑に覆われていました。
IMG_5104


町を挙げての保護が実感できました。またコウノトリブランドの米なども有名です。


記事検索
プロフィール

hongokeiniku

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ