見聞録

日本周遊の旅(紀州路③)北山村、奥吉野、伊賀上野

このブログは家に帰って落ち着いてからアップするのが通例ですが、信州百峠からずーっとお供にしていたカメラのSDカードがいきなりダウン!
そのうえカメラ自体も電池をはじめあらゆるところがおかしくなりました。
そこでカメラを買い求めたところ、希望の機種が4か月先まで入荷無しということで、紀州路③の画像がゼロ、その後の旅ではスマホでわずかな撮影をしました。
そんなことで12月には三浦半島と房総半島を周りましたが、ブログのアップをさぼったまま2か月近くが経ってしまいました。

新年を迎え、この2か月も含め、新たな気持ちでブログアップに励みたいと思います。

11月8日は太地町から奈良県の十津川村を経て奥吉野経由で伊賀上野へ出て一泊する予定でしたが、白鯨のマネージャーが、十津川の東にある北山村のホテルマネージャーも兼務しているということで道路事情を聞いたところ、十津川を通る国道168号線は崩落があって不通とのこと。
北山村を通る国道169号線なら伊賀上野へも行けるということで変更しました。

この道もかなりな難路なので迷わないように、日暮れまでに伊賀上野へつけるようにと緊張します。

北山村にしかない珍しい柑橘である邪払(じゃばら)の加工品も買い求め、伯母谷ループ橋を通り、川上村からは国道370号線で宇陀路を抜けて名阪国道に出て伊賀上野へのルートでした。

伊賀上野では上野城や忍者屋敷で九ノ一の忍術も見せてもらい、ヒルホテルサンピア伊賀で一泊、

9日は一路松本へ伊勢湾岸道で帰るという旅でした。

一枚も写真がないのも寂しいので、12月になってコンビニで販売しているのを見つけた味覚糖の邪払のど飴写真をアップします。
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後になってから軌跡をアップしました。
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日本周遊の旅(紀州路②)大王崎、太地町くじらの博物館、燈明崎

11月7日は5時起きして朝風呂は大浴場。
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日の出前に相差漁港へ、
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日の出時にちょうど帰港した漁船。
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高い岸壁に苦労しながらの荷揚げ、
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網の中にうごめく伊勢海老を発見しました。
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今日も大漁です!
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朝食も盛りだくさん、
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伊勢海老の味噌汁も付いてきました。
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今朝の新聞を見るとトランプの返り咲き!
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宿の女将さんは若いころ海女をしていたそうです。
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そのころ獲った最大級のアワビを見せてくれました。
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でかい!

朝の散策で発見しましたが、この港には鯨崎があるそうで旅の初めに行ってみました。
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海女小屋「おぜごさん」、海中へもぐって冷えた体を温めるためにもこんな小屋が必要だったのでしょう。
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ウバメガシの林を抜けていくと
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鯨の供養塔
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今日は太地町へ行く予定ですが、このあたりにも鯨が寄ってきたのでしょう。
恋路が浜
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町内にある相差海女文化資料館へ、
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早速海女さんの潜りが、
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海女文化を世界遺産に!
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磯めがね
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これが発明されたのが明治10年ころ、それによってアワビの収穫量が大幅に増えて一時禁止されたこともあったとか、
収穫するアワビの大きさも10,6㎝以上のものに規制し、乱獲を抑えたそうです。
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アワビを岩からはがすカギノミ、
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この鯨崎沖では駆逐艦「春雨」が座礁しました。
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資料館の庭には立派な枝ぶりの昇竜の松。
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志摩半島の突端、大王崎を目指します。
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岬へといざなう遊歩道には真珠などの宝石店が、
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波切九鬼城址、海賊の九鬼氏の城だったのでしょう。
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大王崎灯台
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この灯台には入れます。
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このレンズは現役、
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灯台わきには資料館、
建設当時のレンズ、
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このレンズはフレネルレンズといって遠くまで光を届けるため精妙な角度に作ってあります。
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私が小さいころ流行った流行歌に灯台守を唄った「喜びも悲しみも幾歳月」というのがありました。
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1917年にここで座礁した巡洋艦「音羽」
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全国には登れる灯台が15基あるそうです。
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周遊の旅に加えてみましょうか。

伊勢道から紀勢道へ
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奥伊勢PAで昼食、
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松坂牛うどん(1050円)と鯛むすび(210円)
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一旦高速を降りて国道42号線を新宮へ
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熊野古道松本峠、
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世界遺産「花の窟」
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今回は熊野はスルー、和歌山県との県境、新宮へ入ります。
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那智勝浦新宮道で太地へ
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太地町で再び国道42号線に合流、
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立派な太地駅の内部、
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道の駅たいじでくじら博物館の割引券をもらって
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親子くじらのモニュメントを過ぎ、
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太地町くじらの博物館
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入館料は1800円、くじらやイルカのショーも見れます。
中へ入るとドドーンとセミクジラの骨格、
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熊野太地捕鯨史
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寄贈された鯨の生殖器のはく製、
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広い空間では背美鯨が古式捕鯨で獲られています。
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古式捕鯨の勢子船、
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その舟板と水押、
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昭和初期からはここ太地から南氷洋へ鯨獲りがたくさん出かけていました。
昭和13年に砲手として出漁、船団第2位の成績を上げた細野傅次郎の祝賀会の様子。
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太地の捕鯨を題材にした吉村昭の「海の絵巻」
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捕鯨砲の変遷
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古式捕鯨の銛
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銛を打った鯨に飛び乗りとどめをさした手形包丁
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船同士で通信するためのささやき筒、今でいうスピーカーです。
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3時半からはイルカショー、
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カマイルカです。
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大ジャンプ
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博物館の向かいには捕鯨船第一京丸、
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鯨を母船に引き込むクロー
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太地町を周ります。
漁協スーパーでお買い物
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冷凍の鯨各種
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地酒ならぬ地酢「金蘭酢」
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梶取崎へ
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その間際にあった燈明崎、この名前にビビッーときました。
太地の古式捕鯨では鯨を発見するための山見台がここにあったはず、
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この突端が岬です。
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何と吉備真備もここで難破しています。
熊野灘は難破の名所と言われていますが、駆逐艦や巡洋艦そして遣唐使の吉備真備までが!
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山見の狼煙台
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鯨を発見するとここから狼煙で合図を港へ送ったそうです。
山見跡
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ここに常駐して鯨を発見していました。
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太地漁港、
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今日の泊りは太地らしい白鯨
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元は国民宿舎だったようです。

夕飯はもちろん鯨のフルコース料理
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ドドーンとフルコースでした。
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日本周遊の旅(御前崎⇒紀州路①)御前崎、伊良湖岬、鳥羽

11月6日から9日まで、御前崎から太平洋沿岸をトレースし、伊良湖岬からはフェリーで鳥羽に渡り、紀州路を太地町まで下り、そこから紀伊半島の山の中を十津川や吉野を経て、伊賀上野へというルートを描きました。

晴れの予想ですが、渋滞中の岡谷ジャンクションは霧に覆われています。
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双葉から中部横断自動車道を清水へ、そこから東名高速道路に。
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日本平SAに着いたときはスッキリ青空。
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吉田で下りて御前崎へ、
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国道150を御前崎へ向かいます。
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太平洋に出ました。
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御前崎港、
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南国ムードの道を、
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今日は太平洋も平穏です。
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御前崎に来ました。近くには浜岡原発があります。
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御前崎、そして灯台。
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海岸沿いの先には浜岡原発。
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国道150に出ましたが、ここからも浜岡原発に行けます。
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海岸沿いを一直線、
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昼食は「どんぐり」
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時間が惜しいので、すぐに出てきそうなランチ(980円)を頼みました。
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国道1号線に
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浜名大橋を越え、
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やっと国道42号線に入れます。
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国道42号線は浜松から伊良湖岬へ、そこから伊勢湾フェリーで紀伊半島の鳥羽に渡り、紀伊半島をグルーッと周り和歌山市まで続く国道。今回はこの国道を途中までたどる旅です。

伊良湖岬へ、
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15:10発の伊勢湾フェリーまで1時間近くの時間があります。
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車共々7600円。
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こんな感じで伊良湖岬から鳥羽へ渡ります。
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伊勢湾フェリーの歴史を見ていたら、創設に信州の飯田市も絡んでいるのを見つけました。
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いよいよ出航、私が一番目、他には数台の自家用車のみでした。
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伊良湖岬が遠ざかっていきます。
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と思ったら、1時間弱で鳥羽へ、
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接岸、フェリーのゲートが開き
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今夜は相差泊まり、
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相差は漁港らしい、今日の泊りは料理旅館かず美。
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お風呂は温泉、
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1階の大浴場と
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3階には露天風呂
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夕食には刺身以外に寿司も付いてきました。
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日本周遊の旅(奥会津②)馬坂峠、桧枝岐歌舞伎、舘岩、河相継之助、只見、六十里越峠

いよいよ11月、桧枝岐もよく冷えました。
まずは宿の前の道(トヤス林道)を馬坂峠へ、
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峠から向こう、栃木県側は土砂崩れで行けないようです。

しばらくすると舗装も切れ、宿のおかみさんが言っていたようにガタガタのダートに。
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心細い橋を渡り、
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あと20分で帝釈山、そこが峠のはずです。
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だいぶ空が開けて
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馬坂峠(1790m)到着、やはり車はここまで。
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いかにも峠らしく空に抜けています。
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栃木県の山々、
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ここからUターン、北には会津駒ケ岳が、
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トヤス沢の清流、
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村に帰り、歴史民俗資料館へ、
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義経千本桜、狐忠信
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村の産業だった曲輪の工程、
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山奥の開拓に使ったムコウジロ小屋の復元、
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漁労具のグー
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ズーを使った岩魚漁、昔の岩魚は大きかった。
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村役場
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役場の向かいにある桧枝岐小中学校講堂で開かれている文化祭に参加。
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ちょうど中学生の役者さんが登場。
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参加者勢揃いのご挨拶。
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30分ほど歌舞伎を堪能しました。

桧枝岐からは東の谷沿いの木賊(とくさ)温泉へ、
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トンネルを抜け、
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木賊の温泉街
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もう一つ東の谷沿いの舘岩地区へもトンネルで、
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湯の花温泉
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奥会津博物館舘岩館、
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昭和30年代、舘岩のスナップ、
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初めて見ました、コウガイという黍など雑穀を収穫する道具です。
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桧枝岐も舘岩も豪雪地帯の高冷地で米は採れません。粟や黍などの雑穀やソバが主要だったのでしょう。

前沢曲家集落で昼食、
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そば処曲家
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川沿いの紅葉を眺めながら食べたのは天ざるセット(1750円)
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嬉しいことに本格的?なはっとうが付いてきました。
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もち米とそば粉を合わせた生地をゴマや砂糖で合えてあり、もっちり食感もGOOD!でした。

国道401号線を只見へ、
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只見から会津若松方面へ少し足を延ばすと、
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只見線と只見川が並行して走る国道沿いに、
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河合継之助墓所が、
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明治元年8月、この地で河合は政府軍と戦い負傷しその後亡くなりました。
河合継之助記念館、
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彼が日本で初めて導入したガトリング砲、
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6本の銃身を束ねた機関砲です。
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私にも司馬遼太郎の「峠」の風景が蘇ってきました。
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幕末の戦闘シーンではよく耳にしたミニェー銃、
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継之助が戦闘の傷を療養し、亡くなった家も移築されています。
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河合継之助、幕末の風雲児は特異な風貌をしていました。
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同じ敷地内には山塩資料館。塩沢村という名も塩を表していますが、山の中で塩とは信州大鹿村の山塩とかぶるものがあります。
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明治時代の製塩の様子、
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山の中で製塩をするということは、海辺で天日で乾かすと違って膨大な燃料(薪)が必要だったのでしょう。
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只見駅
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平日は一日上下線合わせて6本の運行しかありません。
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それにしても長大な沿線。会津若松から新潟県の小出まで、特にこの先の只見ダムから県境越えでは長いトンネルと急傾斜が待っています。=私がこれからたどるルート。
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只見ダムが見えてきました。
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その堰堤も重厚、
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県境の手前、田子倉湖。
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その河畔には六十里越峠開道記念碑。昭和48年田中角栄の名があります。
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深い山奥まで延々と続くスノーシェード。田中角栄の日本列島改造論をそのまま表現したような道です。
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新潟県境を越え、
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ここで再び只見線と出会いましたが、この長大な山脈をくり抜いて走るトンネルも経験したいものです。
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その後小出から関越道に入り、塩沢石打ICで下り、国道353号線で山越えし、国道117号線に出て。
このまま家にも帰りつけますが、明日長野で開催される田中優子の講演会に出ることもあって、津南の越後田中温泉のしなの荘に泊まります。
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小さな宿ですが、地産地消にも熱心なようで、ビールは新潟限定の風味爽快ニシテ、お酒は苗場山。
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鶏肉団子が美味しかった!
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朝食も気が利いています。
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雪下ニンジン100%ジュースも新潟らしい。
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翌日は1時半から長野のキッセイ文化ホールにて佐久間象山塾、田中優子の講演を聞いてから帰りました。
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日本周遊の旅(奥会津①)枝折峠、奥只見、桧枝岐村

10月31日から11月2日まで2泊で南会津へ、主目的は桧枝岐村です。

朝6時過ぎに家を出て、飯山までは霧の中。
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栄村から
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新潟県に出るときはクッキリ快晴です。
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十日町で国道117号線から252号線へ右折し、
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堀之内ICを目指し、
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国道17号線に入り
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国道352号線を発見、尾瀬、奥只見方面へ。
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この国道も酷道として名が知られています。
この線を枝折峠に向けてただちに入るか? 奥只見シルバーラインを行くか?

シルバーラインを奥只見ダムまで行くことに、
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シルバーラインとは銀の道ということ。昔この奥に銀の鉱山があったそうです。
全長22kmほどのこの道のうち18kmほど、80%がトンネルです。
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以前は有料道路だったからか料金所をくぐっていきますが、この先どうゆうわけか二輪車通行止めとなっています。
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最初のトンネルに入ります、
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この後ほとんどが真っ暗闇、岩盤がむき出しになった荒堀のトンネル。
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30分ほどもかかって奥只見ダムサイトに出ました。
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奥只見レイクハウス、
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店内では魚沼市に残る歴史ロマン「尾瀬三郎物語」をアピール中、
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朝早く家を出たので11時というとちょうど昼時、鶏肉がたっぷり入ったそば900円。
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駐車場からスロープカーが登っていきます。
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ダムサイトから奥只見湖遊覧船が出ているようです。
私は枝折峠を越えて奥只見湖畔へ行く予定なので遊覧船は不要です。

ダム建設当時?の朽ちた柱から奥只見ダムを望む、
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ダム側のトンネル入り口、このトンネルはダム建設の資材を運び込むために掘られたものを、その後も観光用に使っているということです。
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黒部ダム建設時に使った大町トンネルが現在も観光用に使われているのと一緒ですね。

シルバーライン入り口、国道352に戻り、左の大湯温泉方面へ、
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細い国道です、尾瀬まで65km、酷道っぽい雰囲気が出てきました。
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だいぶ高いところまで上りました。
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スノーシェードも草生して、
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三島由紀夫文学碑、奥只見ダム建設現場をモデルにした「沈める滝」を書いたということです。
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枝折峠(1065m)到着
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ここは滝雲や雲海で有名なようです。
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ここから東へ、奥只見湖畔の曲がりくねった×2乗くらいの九十九折を桧枝岐村へ向かいます。
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魚沼の山々を背に下っていきます。
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銀山平、銀の道
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江戸時代に銀の鉱山が発見され、最盛期には1万数千人が行き来したという場所です。
シルバーラインの銀山平入り口、
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奥只見湖には外輪遊覧船ファンタジア号が浮かんでいます。
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この先が九十九折の難所、
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沢の水が橋もないために道路上を流れる洗い越しがいたるところに出現します。
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この洗い越しは特に水量豊富、
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上手を見ると沢から大量の水が降ってくるようです。
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これでは少しの降水でも通行止め必至でしょう。

奥只見湖に別れを告げて、
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恋ノ岐乗越を過ぎ、
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鮮やかな紅葉の中を
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福島県桧枝岐村に入ります。
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御池から沼山峠への道がありそうです。
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尾瀬御池ロッジから先へ伸びているようですが、路線バス以外は入れませんでした。
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板倉群、釘や柱を使用しない倉庫建築、
落し貫板倉、
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井籠造り板倉
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柱を使わず厚板を井籠式に組み上げた技法、
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ここが桧枝岐村の中心地、
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道の駅案内所には
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何とハコネサンショウウオが、
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生きています。この地方ではサンショウウオを食する習慣があったようです。
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桧枝岐村の郷土料理、裁ちそばとはっとう。
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桧枝岐歌舞伎の舞台はここから、
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橋場のばんば、子供を水難から守る水神様、良縁づくり、悪縁切りにも霊験があるとか。
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歌舞伎伝承館、
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これが歌舞伎の舞台、上演する際には左側に花道が開かれます。
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桟敷席に当たる石段が周囲に周っています。
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昭和46年の上演時の様子。
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今日の泊りは民宿「檜扇」
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宿から歩1分にある源泉かけ流しの公衆浴場「燧の湯」単純硫黄温泉で源泉温度63,5度。
柔らかくほッとする温泉です。
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夕飯は地のものが、楢茸、栗茸、むかごなど、
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裁ちそばも出ました。
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ちょっと不格好ですがおかみさん手作りのはっとうも出してくれました。
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おかみさんの話では明日、村の小中学校の文化祭があり、中学生が歌舞伎を演ずるとか、
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この村では歌舞伎を後世に伝えるために小さい時から歌舞伎にかかわってもらうとか、他地区から来た若者も大いに関わっていると、出してきたのが地元のフリーペーパー
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長野県の大鹿村でも歌舞伎がありますが、若者育成の話を聞いたことがなく心配になりました。

また私が楽しみにしているのが宿の図書館? そこの蔵書によって宿主の興味が分かります。
山人の賦
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桧枝岐風土記、
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借りていきたかったのですが、大事な蔵書なので諦めました。
後に松本の図書館で山人の賦の1巻を発見、さっそく借りてきます。

この日の走行距離は319km。充実した一日でした。

明日はこの宿の前を走るトヤス林道を馬坂峠まで上り、小中学校で歌舞伎を見てから只見目指して北上する予定です。












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