街道を往く

日本全周の旅(芸予)1日目は広島でお好み焼

一昨年の出雲、昨年の会津から八戸に続き、日本全てを回る車旅の第3弾に出かけました。
奥さんのリクエストもあり、広島の原爆資料館としまなみ海道を入れて、広島➡しまなみ海道➡宇和島➡足摺岬を経て、大阪の娘のところに寄るルートです。
総計2000km以上になるか! また台風2号も気がかりな旅です。

5月30日は広島へ一気に走る最長ルート、約700kmあります。

何もなければ、とスタートしましたが、一宮ジャンクションで集中工事中、
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工事渋滞5km、50分に出くわしました。
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のろのろ時間に対応しようと、直前のSAにあったファミマでおにぎりを買い、車中で昼食です。

最期のSAは広島から100km程の福山で、このころから雨になってきました。
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広島中心部のドーミーインに着いたのは17時過ぎ、9時間の長時間運転でした。
ひと風呂浴びて、広島といえば広島風お好み焼き。
事前に調べてあった、創業昭和46年の八昌薬研堀店へ、
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並びました1時間! 長旅の後の1時間は応えます。

お勧めはそば肉玉930円、20~30分かかるそうです。
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その間にサイドディッシュとしてすじポン550円
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それと、隣の人がおいしそうに食べているシーフードミックス1540円
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コの字型のカウンターの中には2か所の焼き場があって、奥の焼き場では生地を薄く伸ばした上にてんこ盛りのキャベツともやし、そして豚肉を乗せ、
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正面の焼き場では焼きそば、卵を焼いて、奥で焼けた上物と合体させています。
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まず出来上がったのがねぎ焼930円、半分にカットしてくれます。
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ねぎの食感がレアっぽくて美味しい。

そして最後がそば肉玉、
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手慣れたヘラさばきでカットしてくれました。
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やはりオーダーから40分かかりましたが、さすが老舗です。
でも自分とすれば大阪風のほうが好みでした。

明日以降に備えて早めにおやすみなさい。


武田信玄最期の進軍②

5月18日は、6時前に目覚め、寸又峡温泉の散策を。
親子愛情カエル
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寸又峡温泉の街並み
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外森神社
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寸又峡温泉のアイドル? カモシカ
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そして朝食
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今日の目的地は二俣城。
千頭駅に立ち寄って川根新茶を探します。
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一軒だけ開いていたお茶屋さん
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川根新茶ありました。
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千頭駅にはトーマス
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そして昭和30年代に湘南電車で活躍した車輛も、
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二俣の街までは高速を利用、目指すは二俣城
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国指定史跡二俣城
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天竜川と二俣川に挟まれた要害です。
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堀切を右に見て
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本丸跡へ
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ここ二俣城は、家康の長男岡﨑三郎信康が信長の命令で切腹させられた場所。
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(子の石碑は信康の菩提寺青龍寺にあります)

大手門跡
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信玄との戦いで、焦点となった水の手櫓を探しましたが、迷った挙句に鳥羽山城跡?
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その先にあったのが鳥羽山城跡
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近くの青龍寺へ向かいます。青龍寺には井戸櫓のレプリカが、
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青龍寺正面には本田宗一郎ものづくり伝承館が、
私にはこちらの方が興味津々。
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1949年ホンダC型
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1958年ホンダドリームC70
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2500円の初期ホンダF-1のポスターなど、ほしいものがいっぱいありましたが、この年で部屋にポスターを飾るのも大人げない、と諦めます。

浜松市に移動し、知久屋桜台本店にて昼食。
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店の隣には、総菜残渣を食べてもらうためのヤギさんがいました。
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ということで3日間の南信州から遠州への旅が終わりました。
帰りはさすがに山道は避けて、無難な高速道利用。
清水ICから中部横断道を通って、中央道を帰りましたが、中部横断自動車道は片側1車線、懐かしい中央道の快適さに驚きました。


信州百峠(90)兵越峠から水窪そして秋葉神社(武田信玄最期の軌跡)

5月17日は、南信州しらびそ高原から兵越峠を経て、武田信玄が上洛を目指して最期の進軍を進めた経路をたどりたいと思います。

しらびそ高原の曙光5時12分、つばめ? 宿の軒下に巣を構えているつばめも朝食の真っ最中。
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私の朝食、南信州では川魚の一夜干しが定番のようです。
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昨日行けなかった下栗ジオパークサイトへ、開店は10時、まだ誰もいません。
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下栗の集落へ下りていくと目に付いた「下栗の里いっ福」
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お母さんが路傍に出てきてしばし会話。
まだ開店前でしたが、楽しい話で盛り上がって、
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下栗風モーニングティータイム? 梅サワーと筍ご飯を出してくれました。
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お孫さんも春の高校伊那駅伝で大活躍だそうです。
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お母さんのモットーが印象的。
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下栗の茶畑はつつましやかです。
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上町に下って、まつり伝承館天伯を見学。もちろん我々2人だけ。
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ここの目玉は遠山霜月祭、熱湯を煮立てする竈の形がユニークです。
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秋葉街道=「塩の道」であり、秋葉講の「信仰の道」であり、戦国時代の「戦いの道」でもあった。
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武田信玄は、諏訪から杖突峠、高遠を経て、遠山、青崩峠で遠州水窪に入り、浜松の家康、そして天下統一を目指した。
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いざ遠州浜松、水窪方面へと国道152号線を南下。
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走りやすい立派な道、と安心するや否や
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小嵐川沿いは三遠南信道の大工事中。だんだん道はすぼまって、

ますます隘路に、
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右青崩峠、左は兵越峠、
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青崩峠が信玄の通過した道、本来行きたい道ですが、
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兵越峠に変更、
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兵越峠(1165m)
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これが今年の国境?
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毎年信州勢と遠州勢が峠の国盗り綱引き合戦をして、勝者が1m国境を広げます。
綱引き合戦の戦場。
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その脇には青崩峠への登山道、兵越峠と青崩峠の間は4km程もありそうなので諦めます。
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静岡県境を越えて
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直進すればトンネルを経て水窪へと行けそうですが、右折して旧道を、
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旧道、連れがいい顔をしません「生唾がわいてきそう」
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ということで水窪川沿いで一服、
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水窪の街に入ります、インフォメーションセンター碧にて昼食、
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そこでゲットしました、水窪季節の郷土料理4部で400円。
とじくりという大豆、米、そば粉を混ぜた肉団子風がユニーク。
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秋葉街道街道筋を秋葉神社へ向かいます。
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右佐久間も行きたいが、
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勇壮な秋葉ダムを過ぎ、
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秋葉山へ9km
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車道の脇には群生する木が、天狗のうちわに似ていますが?
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秋葉山本宮秋葉神社
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勇壮な鳥居が迎えます。
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ほんの数百メートルですがきつそうな石段にメゲました。
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この鳥居で参拝完了、ということで秋葉山を下ります。

今一度天竜川沿いに戻って大迂回。大井川の上流、今日の宿寸又峡へ向かうはずが?
ナビが最短ルートを教えてくれました。
天竜川の支流気田川沿いのルートから国道362号線、川根茶の本場に迷い込みます。
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下栗の茶畑とはスケールが違います。
やっとのことで寸又峡の道標に出会い、
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大井川に出ました。
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さすが「越すに越されぬ大井川」その川床は南アルプスから流れ出た砂礫で覆われています。
大井川の支流寸又峡、その高度差にも肝を冷やしながら、
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寸又峡温泉に到着、
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なぜかここにも森林鉄道のトロッコ列車、
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今日の宿は寸又峡温泉翠紅苑
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今日は疲れた!
信玄の道と洒落てはみたが、峠路大好きの私でも奥静のワィンデイングロードは初体験。
同じくねくね道でも信州とは一風かわった悪路でした。
寸又峡温泉でじっくりと癒します。
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この温泉、当館の創業者望月恒一が私財をなげうって1957年に開湯。
おかげでゆったり気分に浸れました。

夕食は
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頼んだワインは何と! 塩尻の井筒ワイン。
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今朝も5時から暁を見て、疲れも加わってぐっすりと眠れました。







明日香の里漫遊

関西二日目の6月23日。

今日は明日香の里です。
レンタカーに乗り、カーナビの示すように左折します。
「あれ?」訳も分からないうちに高速に入ってしまいました。
泊まった奈良パークホテルは西ノ京にあります。そこは阪奈道路のインター入り口にもあたっていたのです。
ナビはそのまま行け! と示していますが、明らかに方向が違います。私は高速道に入る気などさらさらなく南へ行きたいのにナビは西へ誘導しています。
ナビは高速道へ入ったことを認識していて、生駒山を抜け、東大阪から松原、羽曳野を経由して葛城、そして橿原への大迂回路を示しています。
生駒山を抜けるまで降り口は無く、腹をくくってナビ通りに行くことにしました。
しかしそこは高速道、着時間は当初下道を行く際に想定した時間とそんなに変わりません。

ということで何とか橿原に着き、
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明日香へ
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明日香村雷(いかずち)このあたりが明日香(飛鳥)の里のようです。
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明日香と呼ぶにふさわしいまったりとした日本的な風景です。

今日の出発点はここ、飛鳥資料館。
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ここで情報を入手し、今日の順路を決めたいと思います。

橿原は藤原京、法隆寺は斑鳩、奈良は平城京、そして東大寺と位置関係が分かります。
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照明に映えるしび、
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昨日の東大寺にもありました。
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ここから出土した富本銭、
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私たちが習った日本最古の通貨は和同開珎(708年)でしたがこれは683年、日本最古の銅銭です。
キトラ古墳壁画の複製
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など興味あるものが満載ですが、そろそろ昼時、明日香の里を回らないと時間がありません。

まずは資料館前の「天極堂」という吉野葛料理店で腹ごしらえ。
吉野葛を練りこんだ吉野うどん
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そして葛ぜんざいをいただきました。
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ちょうど腹に充分と思ったのですが、ぜんざいは余分でした、午後は腹が張ってたいへんでした。


午後のいちばんは山田寺、資料館からすぐです。
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法隆寺より古いお寺がここにあったという。
蘇我倉山田石川麻呂が建立したとか、ここ明日香の地は蘇我氏の影響が強いところですね。

飛鳥寺への町並み
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ここにも飛鳥寺があったようです。
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次に行ったのが酒船石遺跡
酒船石は竹やぶに覆われた小高い丘の上、紫陽花が満開です。
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酒船石は、昔読んだ手塚治虫の「三つ目が通る」の印象が強いです。
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そして亀形石造物
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どうやら祭祀に関わる物らしいです。

次が石舞台古墳、この頃になると暑さと湿気で動くのもやっと。
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しかし石舞台はスケールが想定外、大きいです。
これは横穴式石室をもつ方形墳、
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その様子が中に入るとよくわかります。
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築造は7世紀の初め、古墳を覆う封土は無く、天井石が露出してこのようになりました。

そして蘇我氏の居城があった甘樫丘
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この麓に豊浦宮がありましたが、蘇我氏は天皇を見下ろしていたのです。

そろそろ帰ろう、その前にお土産を、と甘樫丘近くの道の駅に寄りましたが、めぼしいものは無し、蘇が欲しいと問うと、教えてくれました蘇の製造元を。
道の駅からすぐの西井生乳加工販売所、
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蘇を売っていました。
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昨晩の情報では、明日香の蘇は白っぽくて柔らかい、
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その通りでした。また裏書は
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乳脂肪分18%以上、ということは生乳を5分の1以上に煮詰めているのですね。弱火で7~8時間煮詰めるようです。

明日香から1時間半ほどで奈良に、今日の宿は奈良ホテル
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このホテルは明治42年に「関西の迎賓館」として建てられたそうです。
ここの夕食はフレンチらしく、今日の腹具合とはそぐわないので、夜は駅前に遠征。

様々物色していると、こんな小路に迷い込みました。雰囲気ありますね!
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そしてしもた屋風の「たかま家」に入りました。
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ここは「自家製麺、蕎麦酒場」と銘打っていましたが、
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炙り京鴨や鱧の天ぷら
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そして手打ちそばでした! とても満足。
今度奈良へ来てもこの横丁は良いですよ。一口餃子の店も繁盛していました。
こんなことも旅の醍醐味ですね。


というようなグルメ紀行はともかく、その後になって「アッ!」と気づいたのですが、今日の大阪廻りのコースも無駄じゃなかった! ということです。
この道、推古朝の時代に遣隋使として派遣された小野妹子たちが、堺から大阪湾、瀬戸内海を通って隋へ行き来した道ではないか!
今のように生駒山にトンネルが通っているわけは無し、難波に出るためにはこの道が最短ルートだったのです。

この日はレンタカーで巡ったせいか、かなり歩いたと思ったのですが9900歩でした。









信州百峠(73)大河原峠

6月13日、前回行けなかった大河原峠への道も10日に開通しているはず。
前回と同じくビーナスラインを通って向かいます。
この日も2000m近い標高では寒いこと、カッパを着こんで向かいます。

車山高原付近では、八ヶ岳のすそ野にポッカリ浮かんだ富士山
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そして蓼科山も前回よりくっきり見えます。
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大門峠も諏訪側から来る道は大門街道と呼ばれているようです。
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女神湖畔から蓼科スカイラインに入ります。
蓼科山登山口を過ぎ
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その後も順調に通過できます。
左手前の林道唐沢線で春日温泉に抜けられます、数年前にはここを春日温泉に抜けた覚えが。
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直進し、なだらかな道を峠目指します。
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峠遠望、まさしく峠のたたずまい。
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大河原峠に着きました。
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標高2093m、この峠も2000m越え、信州の峠は雲の上です。
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ここからも蓼科山へ登れます。
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向こう側は佐久方面、快適な蓼科スカイラインを降っていきましょう!
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この下から春日温泉に抜ける春日渓谷があるはず。

ところが、
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道は崩落していてストップです。
春日温泉に出られればショートカットできるはず、だったのですが臼田を迂回して帰りましょう。
その麓にあったのが
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JAXAの臼田宇宙空間観測所、初めての出会いでしたが、ここも見学できるかな?
佐久市内、臼田と野沢の中間あたりへ降り立ちました。
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国道142号線を帰路に、回り込んだ望月には春日温泉の道標が、
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大きく迂回したものです。

先日行った長和町のやすらぎ乃湯で入浴、そして温泉内の食堂にあったのが馬肉うどん(750円)
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これを昼食に、あとは帰るだけ。





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