街道を往く

川上村➡大弛峠➡山梨へ

梅雨前の絶好の日よりです。
以前大学で学んだ上勝町。そこは葉っぱビジネスで町おこしをしましたが、その際目についたのが、この町を起点に伸びている日本一長い林道「剣山スーパー林道」全長87km、その関連で文献を見ていたら、日本一高いところを通っている林道が長野県にありました!
どうせならそこを走破しよう! と思い立ちました。
その名は「林道川上牧丘線」川上村から山梨県山梨市の牧丘まで通っています。その最高地点が大弛峠(おおたるみとうげ)、2360m。車で登れる林道としては日本一高いところを走っています!

朝8時半出発。長野県側はかなりのがれ道らしいので愛車はスーパーカブをチョイス。それなりに着込んできたつもりが、それでも寒い! バイクに乗るときは普段に比べて2枚くらいは多めに着込まなければなりません。予備に持ってきたダウンのベストを重ね着します。三才山トンネルから佐久へ、そして小海線沿線を川上村へと進みます。
川上村のレタス畑、
IMG_7795

ここは高原野菜で有名ですが、千曲川源流の村でもあります。川上犬という日本犬の故郷でもあります。
以前参加した千曲川流域学会で、このレタスに与える化学肥料や農薬が川に流れ込んで水を汚染、流域の鮎などに奇形が発生しているという報告がありましたが、さもあり何というような大規模栽培です。

林道の入り口が分からないので、信濃川上の駅へ行って情報を集めましょう。
IMG_7805

駅前看板に目指す道が、
IMG_7797

朝日岳と国師岳の間に小さく「大弛峠」が出ていました。

一安心して駅前に1軒だけあった食堂に入ります。
IMG_7804

開店前だったけど入れてくれました。
メニューはたくさん、そしてどれも安い!
IMG_7798

山国なので刺身定食はありませんが、おばさん一人でやっているのに凄いな!

山越え前なので消化に良いように味噌ラーメンを頼みました。
IMG_7800

何と健康的?な味噌ラーメン、肉類無し、黄色や赤色はパプリカです。ちょっと少なかったか?と思いましたが550円なら値段相応。

店を出るとちょうど小海線の電車が入ってきました。
IMG_7806


途中峠への曲がり口が分からず何人かに聞きまくりましたが、この峠地元の人にもあまりメジャーでないようです。この村からは峠がたくさん発しています。三国峠や信州峠はメジャーらしいのですが。

やっと発見
IMG_7807

ここを右折して広々とした農道を走ると源流の向こうにかすかにけぶる山並みが、
IMG_7809

いよいよここが林道の入り口
IMG_7813

左の道へ入り込みます。すぐに舗装が途切れてダートになり、
IMG_7818

千曲川源流の清流とともに登っていきます。
それでも最初はこんなもん。
IMG_7819


しかしその後が凄かった!!!
2~30cm位の大石がごろごろ、写真を撮る隙もありません。
悪路と傾斜のためスピードはせいぜい10km、ローギアか良くてセカンド、エンジンが音を上げてオーバーヒート。
IMG_7823

私も汗ダクダク、着込んだ上着を脱いで一休み。
オフロード用のバイクに抜かれても悔しい!と感じなくなったのは私が大人になったからなのか?
抜かれたバイク3台、下ってきた4WDにすれ違ったのが3台、気の毒そうに見ています。
やはりスーパーカブはこの道にフィットしてません、でもよく頑張った!

後で調べたところ、川上村側が16,8km、ほとんど舗装無し、これは村道だそうです。

ということで峠に着いたときは私もオーバーヒート。
IMG_7829

県境です。見てください、左側が長野県、真ん中から右が山梨県、山梨側は県が管轄、立派な舗装路、ここから22,3kmの下りです。

峠にあった鳥瞰図、
IMG_7831

山の向こうが長野県側、高さが分かります。
実は6月1日がこの峠に登れる初日、これから10月いっぱいまで楽しめます。
ちょっと考えてみたら、千曲川は長野県を駆け下って日本海に出ますが、この峠を境にして南側に降る雨は山梨県へ、そして笛吹川を下って太平洋へ。
そう、この舗装の分かれ目が分水嶺にもなっているんですね。

山梨県側へ下ると今までとは打って変わったスムーズな路面、
IMG_7833

快適です。 この下りなら非力な愛車でも負けません。マイカーなどは向こうから道を譲ってくれて感謝!

IMG_7836

あの山の向こうが山梨市や塩山方面か?

ということで林道終点に到着
IMG_7837

結構満足な走りができました。

途中にあった銘木、とちの木
IMG_7846


牧丘の道の駅で地図をしみじみ眺めると
IMG_7847

左上から現在地まで、
そしてこの日は雁坂トンネルの手前西沢渓谷まで行って、手前の三富温泉に泊まりました。

翌日は無理をしないで国道20号線で帰りました。
2日間の走行距離は340km、使ったガソリンが5,3ℓ!
1㍑で64kmも走行できました。これがスーパーカブの美点!
パフォーマンスはイマイチですが、時代に合ったバイクです。

私も最初は行けるかな??と、体力が心配で大分心配しましたが、結構できるじゃん!







宮本常一

「宮本常一」
この名前を初めて知ったのは、10年前の高知県檮原(ゆすはら)
高知の四万十川、源流に近い村でした。
千曲川流域学会という長野大学の大野先生主宰の見学ツアーで農家民宿に泊まり、地元の村職員の方が「この村は坂本竜馬が脱藩した時のルートです」ともう一つ「宮本常一さんがこの村へ調査に訪れた」ということを胸を張って語られたのですが、私は坂本竜馬脱藩のことは知っていたのに、宮本常一という名前は知りませんでした。
その後調べたところ、この方は、民俗学の世界では戦前の柳田国男に比肩しうる戦後の偉大な民俗学者です。
離島や山間へき地を踏破して失われつつある日本の民衆民俗史を綴ってきた人。

先日、松本の古本屋を訪れた際目にして早速買い求めたのが右の本。
IMG_7576


何と上高地付近を歩いていたのです。
読んでみると、上高地へ遡る梓川に奈川渡ダムや稲核ダムができつつある時に訪れていたのです。
そのころ私は小学生、母に連れられてダム建設の飯場を訪れ、超巨大な土木用ダンプに乗せてもらったという強烈な思い出があります。
ダム建設やその後の乗鞍スーパー林道工事で、梓川周辺や奈川から薮原への一帯は大きく変貌しましたが、その直前の風景や民俗を詳しく伝えている貴重な本でした。

この本に触発されて、この「私の日本地図」全15巻を買ってしまいました!
IMG_7575

昭和42年から51年にかけて出版された本の、全て初版本!
もちろん古本ですが、私には貴重なコレクションになりそうです。

これらの本を読むのはもちろん、この本を携えてそれぞれのご当地を訪問、昔と今の比較や、残っているかもしれない昔の姿を探訪するのも楽しみです。

とりあえず第1巻は天竜川、第2巻が上高地周辺なので、地元から民俗学的視点で歩いてみたいと思います。

昔牛首峠、今権兵衛峠

大きな台風が来るというので、15日に思い切ってバイクで林道廻りを決行!

以前辰野の横川渓谷へ行った際、頂いた地図に出ていた未知の林道、牛首峠が頭から離れず目的地に。

善知鳥峠を越えて小野駅を過ぎて300m程、
IMG_6838

こんな立て札に遭遇、そこから西へと登る道がどうやらそのようです。
IMG_6841


山と山の合間を登っていきます。右側の山の向こうが横川渓谷のようです。
IMG_6844

その後あっけなく峠に到着
IMG_6846

こんな案内板、そして
IMG_6847


峠の木曽側はこんな感じ、
IMG_6850

そこから枝分かれする林道もありましたが、
IMG_6849

ちょっとビビッて本道を進みます。
しばらく行くとあっけなく木曽路に合流
IMG_6851

贄川手前の朽ち果てたラブホの脇に出ました。

その正面に建っていたのがこの看板、
IMG_6854

意識もせずに通ってきた林道が初期中山道だったとは!
徳川初期に大久保長安の指図で作った道、1600~1615年の短期にここから小野へ抜ける道が中山道だったようです。

現在では権兵衛峠が拡幅されて木曽路と伊那路が便利に結び付けられましたが、江戸初期にはこの道がそんな役割を果たしていたとは!

そんな発見の後、木祖村へと向かいます。
目指すは奥木曽湖、ここから松本平の朝日村へ山を越える林道があるそうです。
森閑としてかつ雄大な奥木曽湖
IMG_6861

両側に道があるようですが、東側は通行禁止、西側の道を奥木曽大橋まで遡りますが、
IMG_6858

やっぱりそこからは通行禁止、反対側にある木曽川本流の道も、大型コンクリートミキサー車は入っていくのに我々一般人は通行禁止、残念!

時間はちょうどお昼時、奈川方面に向かい、境峠直前のそば屋で昼食。鄙にも稀というのは失礼だがとても美味しいそばを堪能。
IMG_6865

そば屋の庭からは木曽駒ケ岳が正面に見えます。
そしてそば屋「縁結び」のご主人から貴重な情報をもらいました。
ご主人は昔、奥木曽湖ではなく、もう一本東側の塩沢から朝日村へ抜けたことがあるそうな。

家に帰って25000分の1地図を見てみると確かに塩沢中流まで細い林道が書き込まれています。
次回はそこをチャレンジするぞ!




大阪城

生まれて初めて大阪城見学。
公園に足を踏み入れてみて、その規模の大きさに驚嘆、お濠のスケールだけでも松本城とは大違い!
IMG_5868

さすが天下の名城=大阪城です。
秀吉が天下に君臨する威勢を誇っただけの規模。

ボランティアで城内を案内してくれるお母さんから来歴を詳しく教わりました。

内堀に誰かが取り付いています!
IMG_5872

石垣の間から伸びた雑草を除去するにもロッククライミングの技がいります。

現在の大阪城はもちろん秀吉が建てたものではありません。

1615年大坂夏の陣で滅びた豊臣氏、その後徳川がこの跡地を10m程も埋めてしまい、その後1620年に秀忠が10年の歳月をかけて再建、また落雷などで焼失したが、幕府の西日本支配のかなめとして君臨。明治維新の動乱の中で多くが焼失、その後は陸軍が使っていました。
昭和6年に市民の熱意で天守閣が復興されたが、その姿は長い歴史があった江戸幕府の大阪城ではなく、豊臣時代の姿になったとか。
残念ながら鉄筋コンクリート造りではありますが、それは関東大震災後、木造建築では危ないという世論によって建てられたから。
IMG_5876


この丸い井戸
IMG_5882

この下30mに豊臣時代の石垣が眠っています。

そんなこんなで歴史的建造物が少ない大阪城ですが、
IMG_5883

この金蔵は重文です。
IMG_5884

天守閣からの風景
IMG_5889

秀吉もこんな風景を眺めたのでしょうか!

信州最南端の村

信州最南端の村=天龍村へ行ってきました。
あいにくの雨模様、飯田山本ICから一般道に降りて約1時間、阿南町からは天龍川のうねうねと蛇行する川沿いを行くので、自分で運転していても車酔いになりそうです。
天龍村役場に着いて案内のパンフレットをゲット、
IMG_4785

脇には村の憲章が、
IMG_4784

天龍村は村ができて60年だとか。わが社も設立60年、奇遇?を感じます。
村役場があるのが平岡、JRの飯田線がこの村を貫いていて、北から為栗、平岡、鶯巣、伊那小沢、中井侍と村内に5つのJR駅があるのも珍しいですね。
逆に言えば、蛇行する天龍川に阻まれて線路以外の交通手段が後回しになったのか!?
天龍村になる60年前は上記の駅名がそれぞれ村名で、孤立した共同体だったのか。

以前の信大ゼミで飯田線の全通が昭和初期、それまではそんな状態だったことが現地へ来て見て良くわかりました。
今度は絶対晴れた日に来てみよう!


今年も終盤、とぎれとぎれのブログに付き合っていただき有難うございました。来年はもっと頻繁にアップしたいと思います。また来年は酉年=わが社の年です。来年もよろしくお願いいたします。
プロフィール

hongokeiniku

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ