街道を往く

信州百峠(才児(さいちご)峠、赤沢自然休養林)

思いがけず、本年最初の峠探訪が始まりました。
4月6日、同友会の総会が木曾の三岳にある釜沼温泉の大喜泉で行われました。
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ここの温泉は炭酸水素冷塩鉱泉、口に含むとわずかな炭酸が感じられます。またアトピーにも効くとか、夕方と朝に一回ずつ入浴しましたが、確かに痒みが収まった気がします。
夕食に派手さはありませんが、
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療養専一の宿らしく、地味な中にも真心が感じられました。
この宿は老夫婦で切り盛りしていましたが、旦那さんが死去、28歳の孫が昨年から入って、新たなチャレンジをしています。

翌7日、どうもこの宿の前を通る道、峠の雰囲気が感じられます。
上っていくと東大の木曾観測所があります。
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そこには名古屋大学が設置した、太陽から吹く風を見るパラボラアンテナ
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そして東大の105cmシュミット望遠鏡
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が設置してあります。
開館は10時からということで残念ながら入館できませんでしたが、御嶽山がきれいに見えます。
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なおも上るとありました! 才児(さいちご)峠、標高1125m。
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木曽町三岳と上松町の境です。
才児とは上松側の集落の名称ですね。
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上松側へ降りると三叉路が
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おっ! 赤沢自然休養林へ行けそうです。
大きな土場が出現、焼笹土場
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ヒノキが大量に集まっています。
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脇には史跡小谷狩の留堰跡、上流から伐採した木材を川へ流す仕組みです。
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そして五枚修羅の跡
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修羅も木材を流す昔の仕組みです。
麝香沢
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木曾のヒノキの中でも上質な木が採れたようです。
姫渕
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などを通り過ぎると赤沢自然休養林
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今の時期はまだ休業中で人っ子一人いませんが、清涼な大気を満喫できました。
帰りに目にした川床は大きな一枚岩
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ここの下流の寝覚ノ床と同じような岩質が見て取れます。

上松の町へ降ると中央アルプスの景観が、
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そして上松の町
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上松から直接帰るのももったいない、ということで木曽川の右岸県道508号線上松南木曽線を中津川方面へ、カーナビにも載っていない新しく快適な道路です。
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途中には新上松土場もあります。
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外材に押されて衰退の林業ですが、上松は流石の本場です。
立派な木曾ヒノキが積まれています。

須原で国道19号線に合流、
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ここからはおとなしく帰りましょう。

峠を走ると思わなかったので走行距離など不明、でも思わない収穫でした。

飛騨から木曽周遊,そして夜半の地震!

今年になってから初のブログアップです。
4か月にわたってアップしないと、新たにするのが億劫で、でもこのままにしてしまうと終わってしまう! それに春の息吹を感ずると信州百峠にも再挑戦し、150峠を目指してみたいという意欲も沸々とわいてきます。

ということで、3月10~12日に白骨温泉に連泊する、その中日の11日に、宿でゆっくり温泉と読書三昧を満喫するという奥さんを残して、白骨⇒安房を通って新穂高温泉⇒高山⇒長峰峠から開田⇒木曽町から木祖村⇒乗鞍高原⇒白骨へというルートで中部山岳を周遊しようと思い立ちました!

白骨からはスーパー林道が、国道とは別にありました。宿で確認すると「多分閉鎖されている」との答え、でも確認のため行ってみると
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やっぱりダメでした。

高速道路並みの安房トンネルを抜けても面白くないと安房峠へ、やっぱり冬季閉鎖中
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トンネルを抜けて平湯側の出口もこの残雪です。
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新穂高温泉で見たかったのがこれ! 新穂高ロープウエイからの光景です。
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穂高連峰の西側の壁、冬の雪壁と抜けるような青空が圧巻です。

ここから予定を変えて神岡周りで行くことに、遠回りにはなりますが、神岡⇒古川間を走ったことはありません。
去年高山⇒古川間は走ったので、ここは未知の道。
神岡と古川の間にあるすごう(数河)峠はまだ雪の中、
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高山では偶然のことに旨いそば屋を発見、
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「ざる蕎麦せと」バイパス沿いのそば屋ですが、こだわり満載
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岐阜県内の在来蕎麦4種類を食べ比べできます。それも半人前でオーダーできるので、私は3種をハーフで。
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最初に出たのが「飛騨そば」
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そして「桃源そば」と「寶そば」 私は飛騨そばが一等賞でした。
しかしどれも旨い! 蕎麦は信州が一番とは言えないですね。

高山からは乗鞍岳と御嶽山の間を抜けて開田高原から木曽へ出ます。
岐阜側から見る御嶽山、その左側を抜けていきます。
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長峰峠からは信州、開田高原からの御嶽山
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木曽町から木祖村へ、この頃になると運転も飽きてきます。
それではと乗鞍高原から白骨へ抜けることで飽きを一掃、
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西日に照らされた乗鞍、そこから白骨温泉へ、
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この日の旅程です、走行距離270km。
久しぶりに走れて爽快!

春になり、バイクで走れることが待ち遠しいですね。

ということで、夕食も美味しくいただいて、後は寝るだけ、という時間帯にグラグラときました。
昨年は上高地周辺で群発地震が多発、宿のマネージャーさんに朝聞いたところ、「昨年末からはほとんど揺れず安心しています」ということで安心していましたが、この期に及んで来ました!
その後も地震⁉ それとも上の階の人がお道化てる?
スマホの情報では震度2ということ、
私は何故か? 揺れに弱い体質化? その後も寝つけず、嫌になっちゃった。

菅江真澄の足跡(本洗馬釜井庵、小曽部川源流)

図書館で何気なく取った新刊本「日本の旅人 菅江真澄」
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菅江真澄とは江戸度中期に東北から蝦夷地を遊歴し、その時代の文物を後世に残した民俗学の先駆けになった人。
この本で菅江と信州の思いがけない縁を知りました。
東北へ旅立つ直前の天明3年(1783)から1年余りを、私の身近の塩尻の本洗馬を拠点として信濃各地に足を延ばしました。
本洗馬で住居としたのが釜井庵
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紅葉が見事でした。
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この釜井庵の左側の軒先を描いたのが
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この絵、七夕の風景らしいのですが、菅江と同じ風景を見ているというだけで充実感です。

本洗馬歴史の資料館が釜井庵に隣接してあります。
そこには菅江の信濃遊覧記
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そして興味深かったのがこの絵
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水戸天狗党の小説を読んだのはつい半月前、
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その和田峠での戦いを描いたものが!
みごとに描かれています。これを描いたのは菅江の60年ほど後に諏訪で生まれた俳人の岩波其残、
元治元年11月20日、この日其残は和田峠の藪の中に潜んで天狗党と松本藩、諏訪高島藩との戦闘を実際に見て描いていたといいます。  今でいえば戦場カメラマン! 

釜井庵の庭先から妙義山城という、武田氏に滅ぼされるまでこの地を支配した三村氏の城跡もあります。
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ここから登れますが
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塩尻ではこの頃熊の出没が相次いでいますので私も止めておきます。

釜井庵の近くには、洗馬焼和平の窯元や
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立派なお寺ですね
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長興寺などを巡ったのち

本洗馬から小曾部へ、観音路隧道を抜けます。
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今の時代には珍しい片側通行、車幅ギリギリ!結構気を使いながら抜けます。
後でわかったことですが、この隧道は心霊スポットらしい、そんな雰囲気を漂わせる不気味さがあります。

小曾部は塩尻の奥地の洗馬のもっと奥、小曽部川に沿って上流を目指します。
地図上に峠は見受けられないので峠越えは叶わないようですが、行けるところまで行こう!

集落を抜けてかなり突っ込みます。
落ち葉に覆われた林道を上っていくと
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白滝入り口、
小曽部川も渓流に姿を変えます。
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さらに行くと
からたきの峯登山口、腹もすいたのでここで引き返します。
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今日の腹は蕎麦気分、
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洗馬の芳香庵みのるにて昼食。
天然キノコそば(中盛)1800円也、コウタケも入っていて香ります。
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を食べて体を温めて帰路に着きました。








会津、三陸を行く④

10月18日、この日は八戸から松本まで約900kmを一気に帰る予定でしたが、疲労も蓄積、大丈夫?という心の声を聴き、高崎に今夜の宿を取ることにしました。

折角八戸に来たのだからどこか良いとこないかな? と昨晩探して見つけたのが「根城」
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南部氏の城館跡、何に興味をひかれたのか?
南部氏とは東北北部に権勢を誇った氏族だということは知っていましたが、そもそものルーツは知りませんでした。何と南部氏のルーツは甲斐の國、身延から駿河に抜ける県境にある南部町がルーツと知りました。

根城は南部氏の祖、南部師行が建武元年(1334年)、建武の中興でおなじみの南北朝時代に建てました。
甲斐の國南部町の御家人であった師行は北畠顕家に従い奥州における南朝方の中心的な存在として活躍したそうです。
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南部氏と言えば戦国時代に奥州で伊達氏などと覇権を競った豪族と思っていましたが、隣の山梨県出身ということで親しみを覚えます。
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根城南部氏は寛永4年に遠野へ領地替えになるまでここを中心に栄えました。
昭和16年に国指定史跡となり、平成6年に史跡公園として整備されました。

空堀
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主殿
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日本百名城として平成18年認定
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主殿における正月の儀式
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武器や武具を作る工房
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その内部
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弥生時代の竪穴式古墳のような納屋
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その内部
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根城は、安土桃山時代以降の近代的城郭とは違い、何となく奥州の素朴さと大らかさを漂わせる城郭です。
白にも個性や地域性が盛り込まれるものということが分かります。

八戸から高崎まで約600km、
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宮城の鶴巣PAで昼食、味炒飯味噌ーメンセット
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途中福島あたりから混み始め、宇都宮からは渋滞にはまり、やっぱり高崎に宿をとって正解。
高崎着は18時ころとなりました。

翌朝は一路信州松本へ、高崎弁当のとり飯を買って帰りました。
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もちろんお土産はかもめの玉子

4泊5日での走行距離は1765km。出雲行より100km程長いドライブでした。







会津、三陸を行く③

10月17日、大船渡に泊まった翌朝は地元の碁石海岸へ、
海岸沿いの松並木、信州の松林のような松枯れ被害にあっていません、見事な松です。
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宮古の道の駅に寄った際にも松茸が売られていましたが、結構お得になっていました。
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昨晩の夕食でもサービスとして松茸の唐揚げ(天ぷら?)が出てきました。
信州の松茸は今年も高根の花ですね。お土産に買って帰ればよかった⁉

碁石海岸の雷岩、波が打ち付けられるたびにドドーンと雷のように響きます。
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以前は黒碁石のような玉砂利が敷き詰められていた碁石浜、東日本大震災の津波でさらわれてしまったのでしょうか? 昔見た面影がありません。
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次に向かったのが宮古、宮古と言えば浄土ヶ浜、浄土ヶ浜周遊遊覧船に乗ります。
桟橋にはなぜか?土方歳三
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ここで思いがけなく彼の足跡をたどってきたことが判明。
彼が副長をしていた新選組が解体され、1868年大鳥圭介等旧幕軍に合流、宇都宮で負傷し、会津でその傷を癒したのが東山温泉。昨日その温泉に私も浸かったわけです。
東北を変転したのち舞台を函館に移した彼は翌年3月、新政府軍の甲鉄艦奪取のためにここ宮古湾海戦に参加、旧幕軍の回天で日本初の洋式海戦を演じるが敗退、函館に退いた。
という足跡の一端を確認できました。

浄土ヶ浜といえばウミネコ。
船が出航するとすぐに販売されたのがウミネコパン。
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アオサやアカモクなど海藻を練りこんだウミネコ仕様のパンです。地元の社会福祉法人が作っています。
これをちぎって船に群がってくるウミネコに与えるわけです。
浄土ヶ浜をバックに飛翔するウミネコ、
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パンをかざします。
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のけ反りながらも見事キャッチ!
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こんなアトラクションも人気の秘密、
ローソク岩や
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潮吹穴、(ウミネコの羽の先にかすかに見える)
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地質を知るうえで大切な古代地層が見られる日出島、ウミツバメの営巣地としても貴重です。
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そんな名所も見学しながらクルーズも終盤、
船長さんから新たなプレゼンが、
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船長さんのサイン入り写真集の販売です。
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この船長さん、東日本大震災の時には機転を利かせてこの船をいち早く外洋に出しました。
その時の体験談を聞きました。
「津波を乗り越えた時のショックは?」⇒「海全体がかさ上げされていたので、何のショックもなかった。海岸に着いた津波は海底が浅くなるにつれて盛り上がってくるが、外洋では影響が少ない」
「外洋から岸辺を見ていると、津波が白い帯のように海岸にぶち当たっている光景を見てショックだった」
「津波は桟橋の上まで(写真の部分は海没)達した、桟橋にあった事務所にあった器物が吸い出されてしまった」
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などと語ってくれました。
また今回乗った船「陸中丸」は来年1月で定年を迎え、この遊覧航海も終わるそうです。
ウミネコとの触れ合いも無くなり寂しいことですね。

その後、宮古湾海戦記念碑を確認
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そろそろお昼、海風で冷えた体をラーメン餃子で温めて、
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久慈へと向かいます。

三陸自動車道(E-45)、所によっては国道45号線を北へ、
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津波で流されてしまった地域、一面何もなし、そしてかさ上げ堤防
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久慈の市街地に近づくとダンプやクレーンなどの工事車両が多く目につきます。いたるところが未だに工事中です。
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あまちゃんで有名になった小袖海岸の夫婦岩
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などを見て、

今回の旅行で私が一番行きたかった種市海岸へ
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なぜ種市海岸か?
というと、昔鶏肉の産地視察で久慈に来た時、一人で八戸線の鈍行電車の乗って久慈から八戸に行った際、ここ種市のたおやかな海岸線に心を癒されました。
という思いでがあります。
が、その海岸線は頑丈巨大な堰堤で仕切られています。
砂浜はその当時の面影を留めていますが、何か違います。
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砂浜からは八戸線の電車の音も聞こえるので線路は遠くない、私が見た場所とは違うのか?

堰堤の頑丈な門扉、
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八戸線はこの堰堤の陸側です。津波の被害甚大なこの線路、震災後には全て堰堤に守られるようになったのか?
しかし門扉の建設は平成3年、
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震災よりず~っと前です。
よくわからないままで、日も暮れるので八戸へ、青森県に入ります。
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この日のお宿はドーミーイン本八戸、夕食付ではないので街に繰り出し、
八戸まで新幹線が延伸した際に作られたみろく横丁などをブラリブラリ、
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横丁前にあった「禄文銭」へ、信州上田=真田氏の六文銭と縁はあるのか?
八戸まで来たならせんべい汁
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汁専用南部せんべいを煮込んだご当地グルメ、さすが煮込んでも崩れない、歯ごたえのあるせんべいと野菜、鶏スープにホッコリ。
これも八戸名物〆銀さば、そして〆鰯、ひらめの刺身。
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このお店名物のトロトロたこ焼き
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などをいただき腹も満ちてホテルへ、
八戸は思った以上に賑やかですね、ゆっくり滞在しても見どころがたくさんありそうです。

明日は朝から「根城」へ行こう!















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