街道を往く

宮本常一

「宮本常一」
この名前を初めて知ったのは、10年前の高知県檮原(ゆすはら)
高知の四万十川、源流に近い村でした。
千曲川流域学会という長野大学の大野先生主宰の見学ツアーで農家民宿に泊まり、地元の村職員の方が「この村は坂本竜馬が脱藩した時のルートです」ともう一つ「宮本常一さんがこの村へ調査に訪れた」ということを胸を張って語られたのですが、私は坂本竜馬脱藩のことは知っていたのに、宮本常一という名前は知りませんでした。
その後調べたところ、この方は、民俗学の世界では戦前の柳田国男に比肩しうる戦後の偉大な民俗学者です。
離島や山間へき地を踏破して失われつつある日本の民衆民俗史を綴ってきた人。

先日、松本の古本屋を訪れた際目にして早速買い求めたのが右の本。
IMG_7576


何と上高地付近を歩いていたのです。
読んでみると、上高地へ遡る梓川に奈川渡ダムや稲核ダムができつつある時に訪れていたのです。
そのころ私は小学生、母に連れられてダム建設の飯場を訪れ、超巨大な土木用ダンプに乗せてもらったという強烈な思い出があります。
ダム建設やその後の乗鞍スーパー林道工事で、梓川周辺や奈川から薮原への一帯は大きく変貌しましたが、その直前の風景や民俗を詳しく伝えている貴重な本でした。

この本に触発されて、この「私の日本地図」全15巻を買ってしまいました!
IMG_7575

昭和42年から51年にかけて出版された本の、全て初版本!
もちろん古本ですが、私には貴重なコレクションになりそうです。

これらの本を読むのはもちろん、この本を携えてそれぞれのご当地を訪問、昔と今の比較や、残っているかもしれない昔の姿を探訪するのも楽しみです。

とりあえず第1巻は天竜川、第2巻が上高地周辺なので、地元から民俗学的視点で歩いてみたいと思います。

昔牛首峠、今権兵衛峠

大きな台風が来るというので、15日に思い切ってバイクで林道廻りを決行!

以前辰野の横川渓谷へ行った際、頂いた地図に出ていた未知の林道、牛首峠が頭から離れず目的地に。

善知鳥峠を越えて小野駅を過ぎて300m程、
IMG_6838

こんな立て札に遭遇、そこから西へと登る道がどうやらそのようです。
IMG_6841


山と山の合間を登っていきます。右側の山の向こうが横川渓谷のようです。
IMG_6844

その後あっけなく峠に到着
IMG_6846

こんな案内板、そして
IMG_6847


峠の木曽側はこんな感じ、
IMG_6850

そこから枝分かれする林道もありましたが、
IMG_6849

ちょっとビビッて本道を進みます。
しばらく行くとあっけなく木曽路に合流
IMG_6851

贄川手前の朽ち果てたラブホの脇に出ました。

その正面に建っていたのがこの看板、
IMG_6854

意識もせずに通ってきた林道が初期中山道だったとは!
徳川初期に大久保長安の指図で作った道、1600~1615年の短期にここから小野へ抜ける道が中山道だったようです。

現在では権兵衛峠が拡幅されて木曽路と伊那路が便利に結び付けられましたが、江戸初期にはこの道がそんな役割を果たしていたとは!

そんな発見の後、木祖村へと向かいます。
目指すは奥木曽湖、ここから松本平の朝日村へ山を越える林道があるそうです。
森閑としてかつ雄大な奥木曽湖
IMG_6861

両側に道があるようですが、東側は通行禁止、西側の道を奥木曽大橋まで遡りますが、
IMG_6858

やっぱりそこからは通行禁止、反対側にある木曽川本流の道も、大型コンクリートミキサー車は入っていくのに我々一般人は通行禁止、残念!

時間はちょうどお昼時、奈川方面に向かい、境峠直前のそば屋で昼食。鄙にも稀というのは失礼だがとても美味しいそばを堪能。
IMG_6865

そば屋の庭からは木曽駒ケ岳が正面に見えます。
そしてそば屋「縁結び」のご主人から貴重な情報をもらいました。
ご主人は昔、奥木曽湖ではなく、もう一本東側の塩沢から朝日村へ抜けたことがあるそうな。

家に帰って25000分の1地図を見てみると確かに塩沢中流まで細い林道が書き込まれています。
次回はそこをチャレンジするぞ!




大阪城

生まれて初めて大阪城見学。
公園に足を踏み入れてみて、その規模の大きさに驚嘆、お濠のスケールだけでも松本城とは大違い!
IMG_5868

さすが天下の名城=大阪城です。
秀吉が天下に君臨する威勢を誇っただけの規模。

ボランティアで城内を案内してくれるお母さんから来歴を詳しく教わりました。

内堀に誰かが取り付いています!
IMG_5872

石垣の間から伸びた雑草を除去するにもロッククライミングの技がいります。

現在の大阪城はもちろん秀吉が建てたものではありません。

1615年大坂夏の陣で滅びた豊臣氏、その後徳川がこの跡地を10m程も埋めてしまい、その後1620年に秀忠が10年の歳月をかけて再建、また落雷などで焼失したが、幕府の西日本支配のかなめとして君臨。明治維新の動乱の中で多くが焼失、その後は陸軍が使っていました。
昭和6年に市民の熱意で天守閣が復興されたが、その姿は長い歴史があった江戸幕府の大阪城ではなく、豊臣時代の姿になったとか。
残念ながら鉄筋コンクリート造りではありますが、それは関東大震災後、木造建築では危ないという世論によって建てられたから。
IMG_5876


この丸い井戸
IMG_5882

この下30mに豊臣時代の石垣が眠っています。

そんなこんなで歴史的建造物が少ない大阪城ですが、
IMG_5883

この金蔵は重文です。
IMG_5884

天守閣からの風景
IMG_5889

秀吉もこんな風景を眺めたのでしょうか!

信州最南端の村

信州最南端の村=天龍村へ行ってきました。
あいにくの雨模様、飯田山本ICから一般道に降りて約1時間、阿南町からは天龍川のうねうねと蛇行する川沿いを行くので、自分で運転していても車酔いになりそうです。
天龍村役場に着いて案内のパンフレットをゲット、
IMG_4785

脇には村の憲章が、
IMG_4784

天龍村は村ができて60年だとか。わが社も設立60年、奇遇?を感じます。
村役場があるのが平岡、JRの飯田線がこの村を貫いていて、北から為栗、平岡、鶯巣、伊那小沢、中井侍と村内に5つのJR駅があるのも珍しいですね。
逆に言えば、蛇行する天龍川に阻まれて線路以外の交通手段が後回しになったのか!?
天龍村になる60年前は上記の駅名がそれぞれ村名で、孤立した共同体だったのか。

以前の信大ゼミで飯田線の全通が昭和初期、それまではそんな状態だったことが現地へ来て見て良くわかりました。
今度は絶対晴れた日に来てみよう!


今年も終盤、とぎれとぎれのブログに付き合っていただき有難うございました。来年はもっと頻繁にアップしたいと思います。また来年は酉年=わが社の年です。来年もよろしくお願いいたします。

稲倉城址

松本市の北東、旧本郷村と四賀村を分ける山頂にあった稲倉(しなぐら)城址に初めて登りました。
岡田地区の有志が企画した「岡田ウオーク」です。旧岡田村、本郷村には四賀へ抜ける旧街道があります。
善光寺街道は刈谷原峠、江戸へ通じる江戸街道が稲倉峠です。その江戸街道を見張るのが稲倉峠の役割、そしてこの地を治めていたのが赤沢氏です。

赤沢氏の居館があった場所は稲倉城の麓、
IMG_2531


そこをさらに登っていくと稲倉城址の案内が、
IMG_2534

比高230mを登ります。
IMG_2535


かなりの急坂を登ると城址に到着、戦国時代の典型的な山城です。
IMG_2537

城址にある案内を見ても急峻な山城であることが分かります。
IMG_2539

郭の北側には深い空堀もあります。
IMG_2540

写真では分かりにくいのですが、ここを攻略するのはかなり大変だったと思います。
赤沢氏は最初小笠原氏に従属していましたが、武田信玄の勢いに呑まれて小笠原を見限って武田に付いたとか。

城址は赤松などが林立していて見晴らしは効きませんが、
IMG_2544

眼下には同じ赤沢氏が早々と見限ったことで名づけられた「早落城址」も望めます。
歴史を踏まえて歩くと見える景色にも格別なものがあります。

プロフィール

hongokeiniku

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ