街道を往く

日本周遊の旅(越後妻有)松之山温泉、十日町市(縄文散歩)

松之山温泉凌雲閣に1泊、凌雲閣は温泉街からちょっと離れたところにある一軒宿なので、温泉街を訪ねました。
昨日は信州百峠の旅、そして今日7月21日はプチ日本周遊の旅として信濃川流域を周ります。
IMG_1256

噴き出す泉温は90度以上、全国的にも高温な温泉です。
IMG_1257

源泉、川から蒸気が立ち上っています。日本でも珍しい「ジオプレッシャー型化石海水の温泉」
宿のおかみさんの言うには塩分濃度1,7%。南信濃の大鹿村鹿塩温泉も塩水で、そこから山の塩を取っていました。が、この温泉は塩を取るには化合物が多くて美味しい塩はとれないそうです。
IMG_1259

温泉番付、草津、道後に続いて小結=第三位。
IMG_1262

ちなみに浅間温泉は下段の前頭。

不動の滝
IMG_1266

その脇にある薬師堂では
IMG_1269

むこ投げという面白い奇祭があります。
IMG_1267 (2)

毎年1月15日、前年に結婚したお婿さんをこの薬師堂から投げ下ろすというもの。
由来は略奪婚の名残、村の娘を取られた腹いせが形を変えて残ったものと言われています。
また墨塗りとはどんど焼き、(松本では三九郎)そこで燃やした墨を顔に塗りつけるもので、これは松本も同じです。

お昼はへぎそばを食べる予定なので十日町へ向かいます。
情報ではへぎそばは十日町の小嶋屋が元祖。信州のそば粉と日本海の海藻ふのりが合体した十日町発祥のソウルフード。文化庁の100年フードにも選ばれました。

そばを食べるだけでは芸がないので十日町市博物館へ立ち寄ります。
20230721_104735

あまり期待していなかったのですが、ここが面白い!
「縄文時代と火焔型土器のクニ」「織物の歴史」「雪と信濃川」の3つのテーマに分かれています。
圧巻は縄文型土器
20230721_105945

日本の縄文型土器の大多数はここ信濃川流域から出土しているのです。
国宝火焔型土器(縄文雪炎)
20230721_110040

町の小さな博物館に国宝があることに驚き。国宝は中央の国立博物館に収められていると思っていました。
国宝?にタッチ
20230721_110542

縄文時代に生きていたら私はこんな感じ?
20230721_110319


信濃川回船や
20230721_111706

雪深い地方ならではの民具も興味深いです。
20230721_111755


お昼はへぎそば。
20230721_113449

元祖の小嶋屋は市の郊外にあるようですが、ショッピングセンターの一角の小嶋屋和亭へ入りました。
玉子焼きはとろみのあるたれがかかっています。
20230721_114410

そしてへぎそば
20230721_114636

へぎそばはボリュームがあります。信州そばはボリュームが難点、そこへいくとこれは満腹メニューです。

帰りに国道沿いの直売所で、甘くておいしいトウモロコシを買って家路につきました。





日本周遊の旅(芸予)5日目は丸亀へ、瀬戸大橋を大阪へ向かう

3日は快晴の朝を迎えました。
青空にくっきり宇和島城。
IMG_0901


松山自動車道を丸亀へ向かいます。
石鎚山PA
IMG_0902

今治名物焼豚玉子飯も冷凍品が出ています。
IMG_0903


丸亀市内へ
IMG_0906 (2)

丸亀の中心部、市役所と隣接した丸亀城。
IMG_0911

堀や石垣も立派なものです、城郭全体は松本城の規模を上回ります。
IMG_0912


緩やかなスロープを登ります。
IMG_0919

高石垣、スロープのラインが優美です。
IMG_0922

その基部には四国らしく高浜虚子の句碑
IMG_0923

三の丸までくると讃岐富士(飯野山422m)
IMG_0930

丸亀城天守
IMG_0937

宇和島城の天守閣と同規模でしょうか。

やはり階段は急、
IMG_0941

城主は生駒氏➡山崎氏➡京極氏へと変遷していますが、山崎の名前が出てくるとは!
IMG_0943

天守から瀬戸大橋方面
IMG_0958


城内にある丸亀市立資料館
IMG_0962

山崎家家紋
IMG_0965

檜扇に四ツ目結紋、我が家の紋は井桁に木瓜ですから出自は別ですね。
山崎氏の展示コーナー
IMG_0973

IMG_0972


瀬戸中央道へ
IMG_0985

瀬戸大橋を通り
IMG_0986

与島PAで昼食、讃岐うどんを食べたかったので、地元のチェーン店へ。
IMG_0990

山陽道白鳥PAで休息、新名神高速を箕面で降り、娘の家に着いたのが4時半。

娘の手料理で一夜を過ごし、4日には一路松本へ帰りました。
5泊6日で走行距離1952km 使用したガソリンが122,9ℓ
ガソリン消費量はℓ/15,88km でした。

今回のお土産
香川名物骨付鳥と鶏の炭火焼
IMG_0994

ゆずすだちポンズ、各種ミカンジュース
IMG_0998

シトラスチップス
IMG_1000

広島レモンステックケーキ
IMG_1001

そして宇和島じゃこ天、あげ巻き等。
IMG_1003


日本周遊の旅(芸予)4日目は何と!宇和島停滞、鞆の今昔

6月1日の夜は更けて、宇和島城のライトアップ。
IMG_0781


そして2日、
朝5時に緊急避難警報が宇和島市内に鳴り響きます! それで安眠が破られました。
朝のテレビでは台風2号の急接近 !
1685664455853

宇和島から高知へかけて直撃です。

この日の予定では、宇和島から足摺岬を経て中津渓谷の宿へ行くことになっていましたが、急遽中津渓谷の「ゆの森」へ電話を入れたら「お客様来ない方が良いですよ」。
宿の人の口調にも切迫感が感じられます。 ということで今日1日、宇和島第一ホテルに連泊を決めました。

ホテルの方のお話。
2018年7月の豪雨で宇和島市吉田町では、斜面のミカン畑が崩落し、11名が亡くなるという惨事がおきました。

とはいっても、宇和島市内に慌てた雰囲気は感じられません。私も時間を持て余しそう、それならば目と鼻の先の宇和島城へ登ってみよう。

市内へ出てみます。 津波避難ビルの表示、ここの海抜も低いのでしょう。
IMG_0785

宇和島城の入り口、人っ子一人いません。
IMG_0786

雨で滑るので、推薦ルートはスロープで30分、
IMG_0791

しかし石段でもなんとか行けそうです。石段ルートは15分。
IMG_0793

井戸丸跡
IMG_0794

木立の中から明るさが見えてきました。
IMG_0800


本丸石垣。
左上の石垣はきちっつと積まれています、幕末の切り込み積み、右下は17世紀の野面積み。
IMG_0805

ここまでくると靴はびっしょり、カッパのズボンを穿いてきて良かった。
IMG_0806


二の丸跡
IMG_0854

そして本丸天守
IMG_0815

昨晩聞いたことですが、松本へ行ったことがある宇和島の人が「松本城は立派でいいですね、それに比べると宇和島城は砦程度です」と言っていました。
私は謙遜だと思っていましたが、確かに小規模。宇和島人は謙虚です。

城内に入り目が行ったのは、何といっても幕末の英傑伊達宗城。
IMG_0822

そして伊達宗紀
IMG_0823

階段も急傾斜
IMG_0825


天守から市内を眺める、視界もおぼろです。
IMG_0834

5角形の武者窓
IMG_0842

敵を打つ場合に、これなら広角の敵を狙えます。

城を出て帰りはスロープで、城山郷土館。
紹介ビデオを見せてもらいました。
IMG_0856

ここで目を引いたのは日本初の女医、失本(しいもと)イネ、フォンシーボルトの娘。
IMG_0861

その娘の高子(左)
IMG_0862

イネは長崎で生まれ、医術修行のため宇和島近郊に住む二宮敬作のもとで世話になります。伊達宗城もそれを援助。

そして細工師嘉蔵こと前原巧山
IMG_0863

日本初の蒸気船を完成させた技術者です。
午後に立ち寄った伊達博物館にその模型が。
IMG_0898


昼飯はきさいや広場で郷土料理を。
IMG_0875

奥さんが宇和島鯛めし+じゃこ天
鯛めしとは、新鮮な鯛の刺身をご飯に乗せ、たれと卵で和えていただくもの。
IMG_0872

私は宇和島さつまめし+じゃこ天
さつまめしとは、焼鯛の身をほぐし、地元のみそとすり合わせ、ご飯にかけるもの。
IMG_0873


昼飯が終わり、でも半日が余ります。
雨も小康状態、今日の予定地土佐の四万十方面へ
IMG_0878

インター一つ南の津島へ、道の駅津島やすらぎの里
IMG_0881

周辺の耕地を眺めると、
IMG_0888

道が冠水していたり、田んぼに水が入っていたり、
IMG_0893

市内では気にならなかった台風の爪痕が随所で確認できます。

帰りには伊達博物館へ、
IMG_0897

私が興味を持ったのは嘉蔵の蒸気船のみでした。

この日の夜もほづみ亭で夕食、あらかたの郷土料理は口にしたので、から揚げをオーダー。
2023-06-02 18.45.08

骨付きぶつ切りのから揚げ、これが美味しかったこと!
またかつおのたたきの生きの良さにも感激、本場の藁焼きでした。


この日は話題も少ないので鞆の復習。
持参した宮本常一の「私の日本地図、瀬戸内Ⅱ 芸予の海」
IMG_1006

昭和40年代の芸予
IMG_1004

現在の芸予
IMG_1005


鞆の風景の今昔も。
常夜灯と保命酒倉庫
IMG_1007

その現在、角度は違いますがそのものの倉庫です。
IMG_0665


蔵を兼ねた店舗
IMG_1008

現在の正面
IMG_0663


対潮楼
IMG_1009

現在の対潮楼
IMG_0672


遊郭の小路
IMG_1010

現在
IMG_0669


などなど、明日は台風一過、晴天が見込めそうです。








日本周遊の旅(芸予)3日目はしまなみ海道から松山自動車道を宇和島へ

6月1日、鞆の浦の夜明けは5時11分。
仙酔島の彼方から朝日が。
2023-06-01 05.11.03


今日はしまなみ海道から松山自動車を経て宇和島へ。
時間があれば途中で佐田岬の先端まで行ってみたい。
旅館を出て、鞆の街を走ると町工場が軒を連ねています。
よく見るとどれも造船関連企業、錨を作る工場もあるのですね。
IMG_0674 (2)


しまなみ海道へ、
IMG_0678

いよいよ海の道です。
IMG_0681

因島大浜PAから向島を望む、空はいつの間にかどんより曇り、台風2号の影響が出てきました。

車道の下は自転車道、人や125cc以下のバイクも走れるようです。
IMG_0691

生口島瀬戸田PA,この先は愛媛県。
IMG_0695


大三島、伯方島を経て大島へ、ここで村上海賊ミュージアムを訪ねます。
IMG_0697

村上海賊ミュージアム、立派な博物館です。
IMG_0698

エントランス脇には実物の小早船武吉丸。
平成2年に復元されたようです。
IMG_0701

繋船石、船をつなぐ木柱を立てる石。
IMG_0704


能島と鯛崎島、能島村上海賊の本拠地復元図。
IMG_0706

安宅船、戦国から江戸時代の軍船
IMG_0709

関船、海の関所破りをした船を追跡、拿捕するための船。
IMG_0710

海賊の七つ道具、敵船を引き寄せたり、乗組員を海へ叩き落したりするのでしょう。
IMG_0712

村上海賊の娘展示コーナー、
IMG_0714

私もこの小説のおかげで、能島海賊のあらましが理解できました。

ミュージアムから見た能島と鯛崎島。
IMG_0718

もう少し近づいてみました。
IMG_0721

海流の動きが速そうです。
この海流に守られた島の環境が敵を寄せ付けない防御となっています。
IMG_0721


四国に到着、小松から松山自動車に乗ります。
IMG_0723

伊予灘SA,じゃこ天うどんの昼食
IMG_0724

SAに駐車していた「ちぬや」のトラック、そういえば四国は冷凍食品メーカーが多々あります。
IMG_0727


大洲からは一般道に下ります。
IMG_0728

が、同乗の奥さんが疲れ気味、片道50kmにもなる佐田岬往復はあきらめて、一路宇和島へ。
鳥坂隧道、トンネルの暗闇の中から現れたお遍路さんに肝を冷やします。
IMG_0729

お遍路旅も命がけですね。

毎日の美食?に胃も疲れ気味、地元のドラッグ、ツルハグループのくすりのレディで胃薬ゲット、
IMG_0731


宇和島市内に入りました。
IMG_0734

宇和島で一番に行きたかったところが闘牛場。
宇和島市営闘牛場、市の西側にある丸山にあります。
IMG_0737

宇和島闘牛の開催時期は盆暮れなので、当然閑散としています。
闘牛は北は岩手の久慈、新潟の小地谷や山古志、隠岐や徳之島など各地にあります。
IMG_0738

闘牛場
IMG_0743

平成3年の闘牛。
IMG_0740

係員の方が闘牛の模様や技を収録したビデオを見せてくれました。
IMG_0746


そして闘牛場の隣は大学、廃校?になった環太平洋大学。
IMG_0748

草生す廃墟は虚しいものです。
丸山から見た宇和島城。
IMG_0749


そして今日の宿、宇和島第一ホテル。
IMG_0782


佐田岬に行かなかったため時間があります。
市内散策、寂しいアーケード街、
IMG_0754

駅前通りはヤシの並木
IMG_0774

その近くにはスーパーFUJI
IMG_0757

久々のスーパーマーケットMR

ホテルの窓からは宇和島城が指呼の間。
IMG_0778


夕食は街に出ます。
今日の目当ては「ほずみ亭」
メニューには宇和島の名物が並んでいます。
2023-06-01 18.29.29

宇和島名物太刀魚の竹巻き、
2023-06-01 18.00.27

かじりつくのでなく、箸で上下を突っつくとこのようにはずれます。
2023-06-01 18.01.32


明日の天候はどうなるか?
台風2号の進路と影響が心配です。








続きを読む

日本周遊の旅(芸予)2日目は広島原爆資料館、本郷そして鞆の浦

台風2号がますます接近してきた5月31日、わずかですが雨も降り続いています。

今日のメインは広島原爆資料館。
午前中いっぱいはここで過ごすつもり。
IMG_0578

最初に目に飛び込んだのは戦前の広島中心部、ビルの陰に現在の呼び名で原爆ドーム、戦前には広島県物産陳列館と呼ばれたドーム部分も見えています。
IMG_0580

そして被爆直後の広島、奥に原爆ドームがかろうじて立っています。
IMG_0582

まさに地獄! 被爆直後の被災した人々。
IMG_0585

ひしゃげた自転車。
IMG_0586

などなど。
被災者やその親族の涙なくしては読めない証言も丁寧に読んでいくと、時間はアッという間に経っていきます。
先日の広島サミットではゼレンスキー大統領の来日が注目されましたが、この惨禍への各国首脳の反応は芳しいものとは言えませんでした。一番共感を示したのがゼレンスキー大統領。
「原爆ノー」ではなく「核の傘の下」が既成事実として固定化されてしまいました。
原爆の悲惨さを描いた「はだしのゲン」も学校教育から排除されようとしています。
誠に残念、情けない。我々だけでもこの現実から目を背けてはいけない、と心底思います。
広島平和都市記念碑から原爆ドームを望む
IMG_0593


午前中いっぱいを原爆資料館で過ごし、昼食は奥静でご一緒だったS先生ご推薦の店。
とんかつ料理さち、口の中を切りそうなパン粉で揚げ、特製のたれに浸して食べるとんかつです。
2023-05-31 11.37.06

出てきました、ロースかつ
2023-05-31 11.58.31

奥さんはエビとミルフィーユかつです。
2023-05-31 11.58.47

私はお腹を切ってからとんかつが苦手に、でもカラっと揚がったかつはあっさり、それを浸すたれでよりあっさり食べられます。  久しぶりのとんかつ完食でした、感謝です。

午後は鞆の浦へと向かいますが、昨日高速道で見かけた本郷インターチェンジはその中間にあります。
IMG_0599

本郷鶏肉と同じ名前というだけでなく、このインターを見た際にビビッと頭を走ったのが、ここは大田堯先生の生地だ! ということ。大田先生は偉大な教育学者です。
先生には同友会を通じて大変お世話になりました。長野で先生の講演会を開いたり、埼玉にあった先生のご自宅での学習会にも20回程は通っていました。ある意味私の人生観を確立してくれた大恩人ともいえるでしょう。
その先生が私財を投じて作られた「ほんごうこども図書館」があることを思い出したのです。
今では竹原市に組み込まれた本郷の街に入り、JR本郷駅を目指します。
IMG_0601


本郷駅前に佇むほんごうこども図書館。
IMG_0603

大田先生は本郷町名誉市民にもなっています。
IMG_0606

館の方に聞いたところ、この場所は先生の奥様の生家。他人の手に渡ってタクシー会社になっていたところを、先生が買い戻されて図書館にしたという場所です。
館内は広くはないですが、やわらかい雰囲気が漂っています。親子もくつろいでいます。
IMG_0608

目の前にある本郷駅
IMG_0614

大田先生が100歳で亡くなってから5年、思わぬところで先生の足跡に出会い感無量でした。
少しですが運営費の足しに、ということで寄付もしてきました。

福山市の鞆の浦温泉に向かいます。
いかにも瀬戸内、たゆたう波の向こうには仙酔島
IMG_0616

今日の宿景勝館漣亭に着いたのは5時前。
早速鞆の浦の散策に出かけます。
宿の隣は、何と「龍馬の隠れ部屋」
IMG_0621

幕末に「いろは丸事件」というものが起こりました。
伊予の大洲藩から龍馬ら海援隊が借用したいろは丸が、瀬戸内で紀州藩の明光丸にぶつけられ沈没。
その賠償交渉の中で、龍馬がここを利用したそうです。

保命酒通り? 江戸期には鞆の浦名物であった「保命酒」という薬膳酒の店が軒を接する通りです。
IMG_0628

保命酒のいわれは以下に、信州の養命酒のようなものですね。
IMG_0629


高台にある鞆の浦歴史民俗資料館へ、
IMG_0633

歴史小説でも鞆の浦はしばしば出てくる地名ですが、そのなぜか?がわかる展示。
鞆の浦の立地は、ちょうど瀬戸内海の中間地点。
そのため東西からの満ち潮が出会い、引き潮が分かれる「潮待ち」に最も恵まれた立地にあり、湾も円形に囲われ、仙酔島などの島々が自然の防波堤にもなっているため理想的な良港でした。
IMG_0636

江戸時代の回船航路の中心に位置しています。
IMG_0645

頻繁に行き来した北前船
IMG_0653

また盲目の箏奏者で有名な宮城道雄は、ここからの瀬戸内海をイメージして「春の海」を作曲したそうです。
IMG_0634


資料館から見た鞆の浦の港、いかにも平穏、旅の安寧を予感してくれそうな眺めです。
IMG_0656

そしてこの高台にはもう一つの意味がありました。
鞆城跡、毛利氏が築城し、福島正則が修築した城跡だそうです。
IMG_0659

福島正則、この方の最期は信州高山村、小布施の岩松院にお墓があるそうです。


鞆の浦とのご縁は、龍馬や福島正則に留まりません。
戦国時代には、足利幕府?が一時ここにあった? 足利義昭が自分の天下を夢見て、ここで勅を乱発し、天下をうかがうという時期もありました。鞆の浦幕府か?

そして鞆の浦の象徴である、江戸時代からあった常夜灯。
IMG_0666

そして国の史跡対潮楼。江戸時代まで朝鮮通信使の定宿となったお寺です。
IMG_0672

確か浅野内匠頭は、朝鮮通信使の接待役を仰せつかった際、吉良上野介の嫌がらせに立腹して刃傷に至ったのでは? そんな朝鮮通信使もここをよく使ったようです。


宿の露天風呂から瀬戸内海の眺望
2023-05-31 17.43.39

夕食のメインはさすが瀬戸内、鯛しゃぶでした。
2023-05-31 18.03.56

それに和牛のステーキ付!
2023-05-31 18.47.16

でした。










記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

hongokeiniku

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ