7月5日も晴れました。
宿の張り紙は「最上川源流一番搾り」
宿の裏、堰堤を流れ下る水も源流の一滴。
写真では実感できませんが、今朝はこの急傾斜を下ります。
米沢市内へ、
旧米沢高等工業学校本館。
近くに上杉神社があるはずですが、大きく迂回して、
上杉神社へ。
伊達政宗もここで生まれたのですね。
上杉鷹山、言わずと知れた米沢上杉氏中興の祖。
小高い高みの上には招魂碑。
戊辰、西南、日清日露の戦没者を祀っているのですね。
その前ここには上杉謙信の遺骸を祀った御堂がありました。
上越春日山で没した謙信の遺骸を壺に入れ、漆で密閉して会津へ、そしてここ米澤まで、謙信に対する崇拝とこだわりを感じます。
宝物殿稽照殿、
私はここで、直江兼続の「愛」の前立てを起した兜が見られると思いましたが、残念ながらありませんでした。また撮影禁止にはがっかり。
米沢市上杉博物館へ、
入場すると面前に能舞台が。
ここにありました、直江兼続の「愛」の前立てのレプリカ。
博物館前の土産や飲食街で、私が見たかったウコギの垣根。
米澤は寒冷で米も十分に取れず、上越から会津そして米澤と大きく領地を減らされた上杉氏。
士分の屋敷でも土塀も賄えず、春先には食用にも供すことができるウコギを垣根として植えたそうです。窮余の救荒作物だったのですね。
お土産屋さんに聞いたところ、食用に出来るウコギを見るには2か月ほど遅かった由。
このあと、YAMAZAWAに行って野菜売り場で聞いたところ「スーパーにウコギが出るのは4月ごろ、山菜と同じ時期ですよ」との回答をいただきました。
春先に来てウコギ飯を食べるのも旅の目的になります。
東北中央道、何回か最上川を渡ります。
山形市から山寺(立石寺)へ、
山寺に着いたのは昼前、そして対面石と対面堂。
山寺を開山した慈覚大師が、この地方を支配していた狩人磐司磐三郎とこの大岩の上で対峙し、仏道を諭した場所。
その脇の同じ名前の対面石というそば屋で昼食。
芋煮そば1200円と芭蕉焼団子500円。
立石寺、
松尾芭蕉の「閑さや巌にしみ入蝉の聲」はここで生まれました。
山寺の上まで登りたかったのですが、
米澤の街でも感じましたが、肌にまとわりつくような湿気と高温に登れる気がしません。
ここからが入山500円、立石寺の肝ですが諦めます。
しかし良いですね、深山幽谷の雰囲気。
次は天童を経て河北町へ、サクランボ農園があちこちに。
紅花資料館、たいがい資料館というのは簡素なところが多いので見くびって?いましたが、駐車場は満車! 離れたところの役場からシャトルバスが出ているからそっちへ行って、と言われているうちに1台分が空きました。
武者蔵、立派な土蔵です。
大筒用台車、江戸末期に考案されたもの。
二階へ上る階段にはこれも立派な階段箪笥、実際に引き出せました。
銭升、昔は弊社でも硬貨を数えるのにこんなものを使っていました。
きれいな回遊できる庭園の右には紅の館。
紅花は黄色から真紅まで微妙な色調の変化が楽しめますね。
紅餅、紅花の花弁を水につけたり発酵させて作る染料の原型。
隣接する直売店で買ってきました正真正銘の紅花。
買ってから一週間ほどはつぼみの開花が楽しめました。
またここが河北町だったことを忘れていましたが、この町こそ冷たい肉そばの原点。
そうしたら直売店にありました!
冷たい肉そば、乾麺付きのキット1620円と、だし(肉入り)の缶詰4缶で1550円。
家に帰ってから缶詰を使って作ってみました。
そのつゆの旨い事! 名物に旨い物なしと言われますが、心から美味しかったといえる逸品で感激。
この日は暑さと湿気にやられてヘロヘロ。
時間はありましたが、宿の赤倉温泉へ直行することに。
その道すがらありました。
肉そば「いろは」、山寺で芋煮そばも良かったですが、ここを外したのは痛かった。
尾花沢と最上の境には、山刀伐(なたがり)峠が、
芭蕉も奥の細道でこの峠の難儀さを記しています。
尾花沢側の峠口はその難儀さを表しています。
赤倉温泉へ、
昔は盛ったであろう温泉郷ですが、現在はひっそり。
今日の宿はわらべの宿湯之原。
ぐったりした体を小国川沿いの露天で癒し、
夕食は3人だけでしたが、
山形牛や焼鮎、馬刺しなど美味しくいただきました。
この日の走行距離は185㎞
所用時間は7時間
行程は
宿の張り紙は「最上川源流一番搾り」
宿の裏、堰堤を流れ下る水も源流の一滴。
写真では実感できませんが、今朝はこの急傾斜を下ります。
米沢市内へ、
旧米沢高等工業学校本館。
近くに上杉神社があるはずですが、大きく迂回して、
上杉神社へ。
伊達政宗もここで生まれたのですね。
上杉鷹山、言わずと知れた米沢上杉氏中興の祖。
小高い高みの上には招魂碑。
戊辰、西南、日清日露の戦没者を祀っているのですね。
その前ここには上杉謙信の遺骸を祀った御堂がありました。
上越春日山で没した謙信の遺骸を壺に入れ、漆で密閉して会津へ、そしてここ米澤まで、謙信に対する崇拝とこだわりを感じます。
宝物殿稽照殿、
私はここで、直江兼続の「愛」の前立てを起した兜が見られると思いましたが、残念ながらありませんでした。また撮影禁止にはがっかり。
米沢市上杉博物館へ、
入場すると面前に能舞台が。
ここにありました、直江兼続の「愛」の前立てのレプリカ。
博物館前の土産や飲食街で、私が見たかったウコギの垣根。
米澤は寒冷で米も十分に取れず、上越から会津そして米澤と大きく領地を減らされた上杉氏。
士分の屋敷でも土塀も賄えず、春先には食用にも供すことができるウコギを垣根として植えたそうです。窮余の救荒作物だったのですね。
お土産屋さんに聞いたところ、食用に出来るウコギを見るには2か月ほど遅かった由。
このあと、YAMAZAWAに行って野菜売り場で聞いたところ「スーパーにウコギが出るのは4月ごろ、山菜と同じ時期ですよ」との回答をいただきました。
春先に来てウコギ飯を食べるのも旅の目的になります。
東北中央道、何回か最上川を渡ります。
山形市から山寺(立石寺)へ、
山寺に着いたのは昼前、そして対面石と対面堂。
山寺を開山した慈覚大師が、この地方を支配していた狩人磐司磐三郎とこの大岩の上で対峙し、仏道を諭した場所。
その脇の同じ名前の対面石というそば屋で昼食。
芋煮そば1200円と芭蕉焼団子500円。
立石寺、
松尾芭蕉の「閑さや巌にしみ入蝉の聲」はここで生まれました。
山寺の上まで登りたかったのですが、
米澤の街でも感じましたが、肌にまとわりつくような湿気と高温に登れる気がしません。
ここからが入山500円、立石寺の肝ですが諦めます。
しかし良いですね、深山幽谷の雰囲気。
次は天童を経て河北町へ、サクランボ農園があちこちに。
紅花資料館、たいがい資料館というのは簡素なところが多いので見くびって?いましたが、駐車場は満車! 離れたところの役場からシャトルバスが出ているからそっちへ行って、と言われているうちに1台分が空きました。
武者蔵、立派な土蔵です。
大筒用台車、江戸末期に考案されたもの。
二階へ上る階段にはこれも立派な階段箪笥、実際に引き出せました。
銭升、昔は弊社でも硬貨を数えるのにこんなものを使っていました。
きれいな回遊できる庭園の右には紅の館。
紅花は黄色から真紅まで微妙な色調の変化が楽しめますね。
紅餅、紅花の花弁を水につけたり発酵させて作る染料の原型。
隣接する直売店で買ってきました正真正銘の紅花。
買ってから一週間ほどはつぼみの開花が楽しめました。
またここが河北町だったことを忘れていましたが、この町こそ冷たい肉そばの原点。
そうしたら直売店にありました!
冷たい肉そば、乾麺付きのキット1620円と、だし(肉入り)の缶詰4缶で1550円。
家に帰ってから缶詰を使って作ってみました。
そのつゆの旨い事! 名物に旨い物なしと言われますが、心から美味しかったといえる逸品で感激。
この日は暑さと湿気にやられてヘロヘロ。
時間はありましたが、宿の赤倉温泉へ直行することに。
その道すがらありました。
肉そば「いろは」、山寺で芋煮そばも良かったですが、ここを外したのは痛かった。
尾花沢と最上の境には、山刀伐(なたがり)峠が、
芭蕉も奥の細道でこの峠の難儀さを記しています。
尾花沢側の峠口はその難儀さを表しています。
赤倉温泉へ、
昔は盛ったであろう温泉郷ですが、現在はひっそり。
今日の宿はわらべの宿湯之原。
ぐったりした体を小国川沿いの露天で癒し、
夕食は3人だけでしたが、
山形牛や焼鮎、馬刺しなど美味しくいただきました。
この日の走行距離は185㎞
所用時間は7時間
行程は












































