7月4日から二泊三日で、再度山形県を巡ります。
6月に山形県の西部から北部そして中部を巡り、山形県にとって最上川の重要性が分かったので、今回は最上川の源流部から周り始めようと思った次第です。
6時前に家を出て、最初の休憩はやはり黒姫野尻湖PA。
ナウマンゾウに敬意を表し、
次の休憩は大積PA.
初めて立ち寄ったPAですが、シャワー設備があることに感激。
今回は常磐道を会津若松方面へ、
阿賀野川PAで小休止。
このまま高速で猪苗代湖まで行くのも芸がありません、どうせなら県境を一般道で越えてみたい。
ということで三川で下ります。
酷道49号線を会津方面へ、
阿賀野川を越えると、
何となく既視感のある風景が、
福島県境、
そうだった! 昨年9月の新潟北部を周った際にここまで来ました。
その時のその場所。
県境の先には車峠も。
道の駅にしあいづよりっせには何と「高遠そば」の幟が。
ちょうど昼時、「会津の馬刺し」がお土産用にチルドで売っているのには驚き!
会津やるなぁ~! 信州馬刺しはせいぜい冷凍販売ですが。
ジビエラーメンも魅力ですが、
何といっても会津の「高遠そば」を味わってみたくて、
う~ん、なかなかいけます。
味噌を溶き入れるのではなく、最初から大根汁に溶いてありますが、そばも手打ちで美味しかったです。
越後街道野澤宿
ここから再度磐越道に、
猪苗代磐梯高原で高速を下り、
道の駅猪苗代で情報収集、
会津民俗資料館は休館、
野口英世記念館は仰々しいのでパス。
猪苗代湖畔
湖畔から高台へ登ったところにある有栖川宮家別邸の天鏡閣へ、
球戯室、ビリヤードとか撞球と言われていますが球戯とも言うのですね。
明治30年の有栖川宮と伊藤博文、
12年後、明治42年のご両人。
この自動車はどこの何?
展望台へ登ってみましたが、猪苗代湖の展望はあまり望めませんでした。
天鏡閣から天鏡台へ、磐梯山の南面にある昭和の森。
クマ出没で閉鎖中、ここも猪苗代湖の眺望が望めませんでした。
亀ヶ城址、会津藩の支城であり戊辰戦争で焼失。
幼少の野口英世の遊び場だったとか。
国道459号線を裏磐梯へ、
既読の「国道の謎」には今現在、全国の現役国道は459本あるそうですが、ピッタリの数値ですね!
五色沼、
この先、ゴールドラインとスカイバレーに、
桧原湖の東岸を走り、湖の北端を県道64号線喜多方方面へ。
桧原歴史館、
この建物は昔の宿場におかれた検断屋敷、街道の流通取締りをしていました。
會津米澤街道檜原歴史館は建物の左半分、右半分は食堂でした。
入場料100円をボックスに入れて、
注目は、明治21年の磐梯山噴火、この建物も噴火後に建てられたものでした。
檜原宿もこの噴火で徐々に水位が上がり、今では桧原湖の下に沈んでいます。
檜原には金山もありました。
湖畔を南下すると奇怪な裏磐梯山。
表とは決定的に雰囲気が違います。
ズームしてみると、140年経っても崩落の爪痕が明らかです。
裏磐梯ビューパークへ、
山塩ソフトクリーム450円でヒヤッと!
これからは山形県、桧原から米山方面スカイバレーへ。
鉢山七曲り、奥には桧原湖そして磐梯山が。
明治の大噴火の時、磐梯山の崩落がここからは見えたのでしょう。
ヘヤピンカーブの連続が分かります。
山形県境、白布峠。
ここからは山形県の置賜地方、やまがた南部をこう呼ぶそうですが、江戸時代の上杉米沢藩の領地がこの地方です。
ここにあったのがひろすけ文学碑。
泣いた赤鬼や竜の目の涙の作者です。
いよいよ山形県、そして最上川の源流部に入りました。
右、天元台ロープウェーへ、
天元台ロープウェー湯元駅、
そこの奥のダートに入っていくと、
すごい傾斜です、1kmほどの距離で206mの高度差は激坂です。
名付けて昇竜坂、ローでも気を抜くとエンストしそうな坂道。
写真では実感できませんが、一度エンストするとそのあとタイヤばかりが砂利を跳ねて空転。
恥ずかしながら2度もエンスト空転を繰り返した挙句に到着した新高湯温泉吾妻屋旅館。
薪ストーブが置かれたロビーで説明を受けます。
食事は5時から、準備できた順番に部屋出し。風呂は4か所、こんな注意もありました。
屋内風呂、
源泉の貸切風呂は独り占め。標高1126mにちなんで「いいふろ」
栗の根っこ風呂、
眺望露天風呂、
夕食は5時から米沢牛の陶板焼きやタタキ、そして芋煮も。
部屋でゆっくり食べたていたら7時に片付けに来て慌てました。
そして吾妻連峰に沈む夕日。
移動距離は485km、
所用時間は11時間でした。
行程は
会津から置賜への道筋、
6月に山形県の西部から北部そして中部を巡り、山形県にとって最上川の重要性が分かったので、今回は最上川の源流部から周り始めようと思った次第です。
6時前に家を出て、最初の休憩はやはり黒姫野尻湖PA。
ナウマンゾウに敬意を表し、
次の休憩は大積PA.
初めて立ち寄ったPAですが、シャワー設備があることに感激。
今回は常磐道を会津若松方面へ、
阿賀野川PAで小休止。
このまま高速で猪苗代湖まで行くのも芸がありません、どうせなら県境を一般道で越えてみたい。
ということで三川で下ります。
酷道49号線を会津方面へ、
阿賀野川を越えると、
何となく既視感のある風景が、
福島県境、
そうだった! 昨年9月の新潟北部を周った際にここまで来ました。
その時のその場所。
県境の先には車峠も。
道の駅にしあいづよりっせには何と「高遠そば」の幟が。
ちょうど昼時、「会津の馬刺し」がお土産用にチルドで売っているのには驚き!
会津やるなぁ~! 信州馬刺しはせいぜい冷凍販売ですが。
ジビエラーメンも魅力ですが、
何といっても会津の「高遠そば」を味わってみたくて、
う~ん、なかなかいけます。
味噌を溶き入れるのではなく、最初から大根汁に溶いてありますが、そばも手打ちで美味しかったです。
越後街道野澤宿
ここから再度磐越道に、
猪苗代磐梯高原で高速を下り、
道の駅猪苗代で情報収集、
会津民俗資料館は休館、
野口英世記念館は仰々しいのでパス。
猪苗代湖畔
湖畔から高台へ登ったところにある有栖川宮家別邸の天鏡閣へ、
球戯室、ビリヤードとか撞球と言われていますが球戯とも言うのですね。
明治30年の有栖川宮と伊藤博文、
12年後、明治42年のご両人。
この自動車はどこの何?
展望台へ登ってみましたが、猪苗代湖の展望はあまり望めませんでした。
天鏡閣から天鏡台へ、磐梯山の南面にある昭和の森。
クマ出没で閉鎖中、ここも猪苗代湖の眺望が望めませんでした。
亀ヶ城址、会津藩の支城であり戊辰戦争で焼失。
幼少の野口英世の遊び場だったとか。
国道459号線を裏磐梯へ、
既読の「国道の謎」には今現在、全国の現役国道は459本あるそうですが、ピッタリの数値ですね!
五色沼、
この先、ゴールドラインとスカイバレーに、
桧原湖の東岸を走り、湖の北端を県道64号線喜多方方面へ。
桧原歴史館、
この建物は昔の宿場におかれた検断屋敷、街道の流通取締りをしていました。
會津米澤街道檜原歴史館は建物の左半分、右半分は食堂でした。
入場料100円をボックスに入れて、
注目は、明治21年の磐梯山噴火、この建物も噴火後に建てられたものでした。
檜原宿もこの噴火で徐々に水位が上がり、今では桧原湖の下に沈んでいます。
檜原には金山もありました。
湖畔を南下すると奇怪な裏磐梯山。
表とは決定的に雰囲気が違います。
ズームしてみると、140年経っても崩落の爪痕が明らかです。
裏磐梯ビューパークへ、
山塩ソフトクリーム450円でヒヤッと!
これからは山形県、桧原から米山方面スカイバレーへ。
鉢山七曲り、奥には桧原湖そして磐梯山が。
明治の大噴火の時、磐梯山の崩落がここからは見えたのでしょう。
ヘヤピンカーブの連続が分かります。
山形県境、白布峠。
ここからは山形県の置賜地方、やまがた南部をこう呼ぶそうですが、江戸時代の上杉米沢藩の領地がこの地方です。
ここにあったのがひろすけ文学碑。
泣いた赤鬼や竜の目の涙の作者です。
いよいよ山形県、そして最上川の源流部に入りました。
右、天元台ロープウェーへ、
天元台ロープウェー湯元駅、
そこの奥のダートに入っていくと、
すごい傾斜です、1kmほどの距離で206mの高度差は激坂です。
名付けて昇竜坂、ローでも気を抜くとエンストしそうな坂道。
写真では実感できませんが、一度エンストするとそのあとタイヤばかりが砂利を跳ねて空転。
恥ずかしながら2度もエンスト空転を繰り返した挙句に到着した新高湯温泉吾妻屋旅館。
薪ストーブが置かれたロビーで説明を受けます。
食事は5時から、準備できた順番に部屋出し。風呂は4か所、こんな注意もありました。
屋内風呂、
源泉の貸切風呂は独り占め。標高1126mにちなんで「いいふろ」
栗の根っこ風呂、
眺望露天風呂、
夕食は5時から米沢牛の陶板焼きやタタキ、そして芋煮も。
部屋でゆっくり食べたていたら7時に片付けに来て慌てました。
そして吾妻連峰に沈む夕日。
移動距離は485km、
所用時間は11時間でした。
行程は
会津から置賜への道筋、































































