6月16~17日は南信から奥三河、遠州、そして奥駿河を周ります。
テーマは二つ。
①武田信玄の最後の遠征である三方ヶ原までの道筋(信州以降)をたどること。
②奥駿河、大井川の源流を車で行けるところまで行くこと。
その前に三遠南信道路の進捗状況をわが目で確かめたいと思います。
今日は快晴!
出発は5時47分、今までになく早く旅立ったのは、今日の行程が400㎞を越え、下道走りがかなり多く見込まれるためです。
岡谷ジャンクションは、朝早いこともあってスムーズに通過。
座光寺スマートインターで下りて南信濃へ。
県道251号線を上村へ、
矢筈の巨大なインターで三遠南信道路へ、
南信濃に入り、国道152号線を
遠山郷を抜け、
兵越峠を上ります。
兵越峠、信玄はここを通ったのか、はたまた青崩峠を通ったのか?
ここからは静岡県浜松市天竜区に入ります。
ここからの下りでは三遠南信道路の建設中で交通規制、交互通行がしきりです。
水窪駅
水窪の街は駅の対岸、細いつり橋を渡っていくようです。
河原ではアユ釣り?
駅前でアユ釣りができる場所は全国を探してもそうは無いでしょう!
国道152号線を天竜方面へ、
右に折れて国道473号線を設楽へ、ここからは狭隘路が続きそうです。
目を対岸に移すと山肌に農家や茶畑が、さすが天竜川河岸の風景です。
歴史と民話の里会館の標識に立ち止まりました。
立派な建物ですが、現在は浜松市の支所として使われているだけでした。これも市町村の合併で無駄になった遺産のようです。
佐久間河合から東栄へは三遠南信道路が部分開通。
それを降りてからは国道151号線から国道473号線へ、飯田方面へ戻る感じです。
国道473号線はここも狭い!
設楽の街を抜け、
道の駅したらを過ぎて、そういえば長篠城跡や設楽が原に行った戻りでここに立ち寄ったことを思い出します。
田峯十一面観音方面へ、
田峯城跡はたおやかな丘の上。
城跡の縄張り
本丸のあった場所には歴史の里田峯、入館料220円。
物見台は
急な階段、上り下りには細心の注意が必要です。
歴史の里での展示。
長篠(設楽が原)の戦いでの敗戦、敗走。
ここの城主菅沼定忠は勝頼と共にここへ落ち延びたが、留守居の定直はこれを拒み、止む無く定忠は勝頼主従を伴って武節城まで落ち延びたということです。
(これは前回、武節城跡にあった長篠⇒田峯⇒武節への敗走路)
かろうじて勝頼と共に甲州へ逃れた定忠は、その1年後田峯城を急襲し定直を打ち取った。
そしてここ田峯にも、田峯田楽があります。
菅沼一族の墓もありました。
今回の目的は信玄の西上でしたが、趣旨を一部修正して勝頼の敗走路、田峯⇒武節間がどんなものなのか?体験したくなりました。
国道257号線を稲武へ、
距離は40kmほど、その間には峠が2つほどあり、敗残の身では厳しい逃避行だったのでしょう。
懐かしい?武節城跡。
これもお馴染み?になった道の駅で、ころそば大盛900円(ころそばとはぶっかけそばのこと)
午後になって小腹がすくといけないので五平餅400円も。
さっき来た道国道257号線を逆に浜松方面へ、
勝頼の敗走路から信玄の進撃路へ舵を切り返しますが、時間が足りない!
浜松城や高天神城跡を周る時間が無さそうなので三方ヶ原古戦場へ、
浜松市三方ヶ原墓苑?
その一角に古戦場の碑がありました。
武田VS徳川の図、
どうも今回の旅、信玄と勝頼各々の進撃路と敗走路を絡めたことで田峯⇔武節に2時間を費やしたことが裏目に出ました。
これから大井川の上流寸又峡まで行かねばなりません。
東名高速を島田金谷で下りて、またまた国道473号線に出会いました。
今日は国道473号線の日です。
ここにもありました地蔵峠、
川根本町の桜のトンネルを抜け、
県道77号線を寸又峡へ、
今日の宿は3年前の5月にも泊まった翠紅苑。
前回は二人、今回は私一人だったためか、部屋は裏手でちょっと暗かった。
でも相変わらず温泉は最高!
露天風呂で徳島から来た方と一緒になりましたが、それぞれのお国自慢に花が咲き夕食の時間に遅れそうになったほどです。
料理も簡素ながら美味しくいただきました。
特にあまごの塩焼きは炭火で丁寧に焼いてあり美味しかった!
骨まで美味しい。(食いかけですみません)
移動距離は426km
所用時間は11時間程でした。
行程は
テーマは二つ。
①武田信玄の最後の遠征である三方ヶ原までの道筋(信州以降)をたどること。
②奥駿河、大井川の源流を車で行けるところまで行くこと。
その前に三遠南信道路の進捗状況をわが目で確かめたいと思います。
今日は快晴!
出発は5時47分、今までになく早く旅立ったのは、今日の行程が400㎞を越え、下道走りがかなり多く見込まれるためです。
岡谷ジャンクションは、朝早いこともあってスムーズに通過。
座光寺スマートインターで下りて南信濃へ。
県道251号線を上村へ、
矢筈の巨大なインターで三遠南信道路へ、
南信濃に入り、国道152号線を
遠山郷を抜け、
兵越峠を上ります。
兵越峠、信玄はここを通ったのか、はたまた青崩峠を通ったのか?
ここからは静岡県浜松市天竜区に入ります。
ここからの下りでは三遠南信道路の建設中で交通規制、交互通行がしきりです。
水窪駅
水窪の街は駅の対岸、細いつり橋を渡っていくようです。
河原ではアユ釣り?
駅前でアユ釣りができる場所は全国を探してもそうは無いでしょう!
国道152号線を天竜方面へ、
右に折れて国道473号線を設楽へ、ここからは狭隘路が続きそうです。
目を対岸に移すと山肌に農家や茶畑が、さすが天竜川河岸の風景です。
歴史と民話の里会館の標識に立ち止まりました。
立派な建物ですが、現在は浜松市の支所として使われているだけでした。これも市町村の合併で無駄になった遺産のようです。
佐久間河合から東栄へは三遠南信道路が部分開通。
それを降りてからは国道151号線から国道473号線へ、飯田方面へ戻る感じです。
国道473号線はここも狭い!
設楽の街を抜け、
道の駅したらを過ぎて、そういえば長篠城跡や設楽が原に行った戻りでここに立ち寄ったことを思い出します。
田峯十一面観音方面へ、
田峯城跡はたおやかな丘の上。
城跡の縄張り
本丸のあった場所には歴史の里田峯、入館料220円。
物見台は
急な階段、上り下りには細心の注意が必要です。
歴史の里での展示。
長篠(設楽が原)の戦いでの敗戦、敗走。
ここの城主菅沼定忠は勝頼と共にここへ落ち延びたが、留守居の定直はこれを拒み、止む無く定忠は勝頼主従を伴って武節城まで落ち延びたということです。
(これは前回、武節城跡にあった長篠⇒田峯⇒武節への敗走路)
かろうじて勝頼と共に甲州へ逃れた定忠は、その1年後田峯城を急襲し定直を打ち取った。
そしてここ田峯にも、田峯田楽があります。
菅沼一族の墓もありました。
今回の目的は信玄の西上でしたが、趣旨を一部修正して勝頼の敗走路、田峯⇒武節間がどんなものなのか?体験したくなりました。
国道257号線を稲武へ、
距離は40kmほど、その間には峠が2つほどあり、敗残の身では厳しい逃避行だったのでしょう。
懐かしい?武節城跡。
これもお馴染み?になった道の駅で、ころそば大盛900円(ころそばとはぶっかけそばのこと)
午後になって小腹がすくといけないので五平餅400円も。
さっき来た道国道257号線を逆に浜松方面へ、
勝頼の敗走路から信玄の進撃路へ舵を切り返しますが、時間が足りない!
浜松城や高天神城跡を周る時間が無さそうなので三方ヶ原古戦場へ、
浜松市三方ヶ原墓苑?
その一角に古戦場の碑がありました。
武田VS徳川の図、
どうも今回の旅、信玄と勝頼各々の進撃路と敗走路を絡めたことで田峯⇔武節に2時間を費やしたことが裏目に出ました。
これから大井川の上流寸又峡まで行かねばなりません。
東名高速を島田金谷で下りて、またまた国道473号線に出会いました。
今日は国道473号線の日です。
ここにもありました地蔵峠、
川根本町の桜のトンネルを抜け、
県道77号線を寸又峡へ、
今日の宿は3年前の5月にも泊まった翠紅苑。
前回は二人、今回は私一人だったためか、部屋は裏手でちょっと暗かった。
でも相変わらず温泉は最高!
露天風呂で徳島から来た方と一緒になりましたが、それぞれのお国自慢に花が咲き夕食の時間に遅れそうになったほどです。
料理も簡素ながら美味しくいただきました。
特にあまごの塩焼きは炭火で丁寧に焼いてあり美味しかった!
骨まで美味しい。(食いかけですみません)
移動距離は426km
所用時間は11時間程でした。
行程は


















































