2月17日からは茨城県へ、鹿島灘の海岸線を踏破したいと思いました。
右回りで行くか、左回りで行くか思案しましたが、ちょうどその期間中、千葉の幕張メッセで弊社も参加するスーパーマーケットトレードショーがあるので、最後にその会場をのぞこうと右回りにしました。
朝6時過ぎに出発、東部湯の丸ICで上信越道に。
横川で一服し、
北関東道へ、
最初は足利で下りて、
史跡足利学校へ、
足利尊氏、八幡太郎義家を祖とするこの地を治めていた領主でした。
足利氏宅跡に建つ国宝鑁阿寺の本堂。
その並びに足利学校がありました。
ここで一番印象に残ったのが宥座の器、
器が空の時は傾き、ちょうどよい時はまっすぐに立ち、満杯になるとひっくり返ってしまうというもの。
水を注いでいくと程よい加減で直立しましたが、その後も注ぐとひっくり返ってしまいました。
足りなくてもだめ、入れすぎてもダメ、ちょうどよい加減を保つ「中庸」という孔子の考えを教えるものでした。
東北道へ、
矢板で下りて、
県道74号線、塩谷喜連川線を行きます。
喜連川市内を抜け、
那珂川町の道の駅ばとう、この町で那須与一が生まれたようです。
ここで注目が馬頭高校が開発した鮎の魚醤、繊細な風味が特徴とか。
1本お土産に。
馬頭広重美術館は残念ながら休館中。
茨城県大子町に入ります。
常陸大子駅で情報収集
ちょうど昼時、道の駅奥久慈大子
奥久慈と言えば奥久慈しゃも、全国の地鶏の中でも品質が良いと有名店も御用達の鶏肉です。
冷凍は何種も並んでいましたが旅の途中では買えません。
レストランも奥久慈しゃもを一押し!
もちろん昼食は奥久慈しゃもの親子丼1900円也。
さすがです、美味しかった。
次に行くのは袋田の滝、トンネルに入り、
その内部、
3か所のの展望台から滝の景観が見えます。
ここから高萩を目指し、
茨城県最北端の北茨城へ。
茨城県の海岸沿いは今回ですべて周りたいもの、ただ足跡を残すだけではもったいないので目標を探したところ見つけたのが模擬原爆着弾地の碑。
広島や長崎に原爆を投下する前に、米軍が予行演習として実施したのが模擬原爆の投下。
ここ北茨城への投下が昭和20年7月20日。それから終戦の前日8月14日まで52個の模擬原爆が日本各地に投下されたそうです。
裏面には投下場所やその被害が明記されています。
私が先日読んでショックを受けた「ブラック・スノウ」
アメリカの陸軍、海軍から独立した空軍を創設しようとする動きと、第二次世界大戦の趨勢の中でドレスデンなどドイツ空爆で成果を上げた米軍が、頑なに終戦を拒んだ日本軍に対して重爆撃機Bー29を開発し東京大空襲から原爆投下へと進む経過を、指導部の考えと実際に爆撃をする第一線の操縦士の回想や恐怖を織り交ぜ、更に空襲された日本国民の恐怖の証言も対比した書です。
戦争とは、始める前の大義名分と実際に始まってしまうと止めどなくなる現実が胸をえぐりました。
そんな流れの中にこの模擬原爆もあったのです。
それが広島などの悲劇を生みだしたとは!
(2023,5,31 広島原爆資料館に展示されていた被爆直後の被災した人々)
ここから福島県境まではわずかです。
県境の平潟トンネルを抜けいわき市に。
ここで折り返し、今日の宿へ。
ここにも津波避難タワーが、
永谷園の工場もありました。
さっき来た道を戻り大子町方面へ、横川温泉中野屋旅館。
何と!ここの湯は八幡太郎義家ゆかりの湯だとか。
泉質は単純硫黄泉ですがぬるぬるしていて時間がたっても肌はすべすべ。
良いお湯でした。
今日は八幡太郎義家にも縁があります。
季節になれば中庭も見事になるでしょう。
夕食はここも奥久慈しゃも鍋と常陸牛の陶板焼きと豪華、
そのうえ旅館としては手間のかかる部屋食でゆったりできました。
今日の走行距離は434km、
所用時間は10時間程でした。
行程は
右回りで行くか、左回りで行くか思案しましたが、ちょうどその期間中、千葉の幕張メッセで弊社も参加するスーパーマーケットトレードショーがあるので、最後にその会場をのぞこうと右回りにしました。
朝6時過ぎに出発、東部湯の丸ICで上信越道に。
横川で一服し、
北関東道へ、
最初は足利で下りて、
史跡足利学校へ、
足利尊氏、八幡太郎義家を祖とするこの地を治めていた領主でした。
足利氏宅跡に建つ国宝鑁阿寺の本堂。
その並びに足利学校がありました。
ここで一番印象に残ったのが宥座の器、
器が空の時は傾き、ちょうどよい時はまっすぐに立ち、満杯になるとひっくり返ってしまうというもの。
水を注いでいくと程よい加減で直立しましたが、その後も注ぐとひっくり返ってしまいました。
足りなくてもだめ、入れすぎてもダメ、ちょうどよい加減を保つ「中庸」という孔子の考えを教えるものでした。
東北道へ、
矢板で下りて、
県道74号線、塩谷喜連川線を行きます。
喜連川市内を抜け、
那珂川町の道の駅ばとう、この町で那須与一が生まれたようです。
ここで注目が馬頭高校が開発した鮎の魚醤、繊細な風味が特徴とか。
1本お土産に。
馬頭広重美術館は残念ながら休館中。
茨城県大子町に入ります。
常陸大子駅で情報収集
ちょうど昼時、道の駅奥久慈大子
奥久慈と言えば奥久慈しゃも、全国の地鶏の中でも品質が良いと有名店も御用達の鶏肉です。
冷凍は何種も並んでいましたが旅の途中では買えません。
レストランも奥久慈しゃもを一押し!
もちろん昼食は奥久慈しゃもの親子丼1900円也。
さすがです、美味しかった。
次に行くのは袋田の滝、トンネルに入り、
その内部、
3か所のの展望台から滝の景観が見えます。
ここから高萩を目指し、
茨城県最北端の北茨城へ。
茨城県の海岸沿いは今回ですべて周りたいもの、ただ足跡を残すだけではもったいないので目標を探したところ見つけたのが模擬原爆着弾地の碑。
広島や長崎に原爆を投下する前に、米軍が予行演習として実施したのが模擬原爆の投下。
ここ北茨城への投下が昭和20年7月20日。それから終戦の前日8月14日まで52個の模擬原爆が日本各地に投下されたそうです。
裏面には投下場所やその被害が明記されています。
私が先日読んでショックを受けた「ブラック・スノウ」
アメリカの陸軍、海軍から独立した空軍を創設しようとする動きと、第二次世界大戦の趨勢の中でドレスデンなどドイツ空爆で成果を上げた米軍が、頑なに終戦を拒んだ日本軍に対して重爆撃機Bー29を開発し東京大空襲から原爆投下へと進む経過を、指導部の考えと実際に爆撃をする第一線の操縦士の回想や恐怖を織り交ぜ、更に空襲された日本国民の恐怖の証言も対比した書です。
戦争とは、始める前の大義名分と実際に始まってしまうと止めどなくなる現実が胸をえぐりました。
そんな流れの中にこの模擬原爆もあったのです。
それが広島などの悲劇を生みだしたとは!
(2023,5,31 広島原爆資料館に展示されていた被爆直後の被災した人々)
ここから福島県境まではわずかです。
県境の平潟トンネルを抜けいわき市に。
ここで折り返し、今日の宿へ。
ここにも津波避難タワーが、
永谷園の工場もありました。
さっき来た道を戻り大子町方面へ、横川温泉中野屋旅館。
何と!ここの湯は八幡太郎義家ゆかりの湯だとか。
泉質は単純硫黄泉ですがぬるぬるしていて時間がたっても肌はすべすべ。
良いお湯でした。
今日は八幡太郎義家にも縁があります。
季節になれば中庭も見事になるでしょう。
夕食はここも奥久慈しゃも鍋と常陸牛の陶板焼きと豪華、
そのうえ旅館としては手間のかかる部屋食でゆったりできました。
今日の走行距離は434km、
所用時間は10時間程でした。
行程は









































