1月15日、どうも空模様が良くありません。
事前の天気予報では三日間は大丈夫だと思って出かけてきたのに残念。
昨日行った余呉湖の先に越前との国境があり、その先は冬季通行止めだったことを思い出し、行けるところまで行ってみて、そこからUターンして関ケ原へ向かうつもりです。
まずは姉川の戦いの現場へ、
浅井、朝倉連合軍と、織田徳川連合軍がぶつかった現場です。
さほど広くない河川敷が舞台です。
木之本からさらに北へ、国道365号線を行くと県境から冬季閉鎖
昨日訪れた余呉湖も霧の中、あの霧の向こうに賤ケ岳があるはずです。
椿坂トンネルを抜けて、このトンネルの上が椿坂峠か、この辺で積雪1m程か。
中河内の集落では積雪1,5m位? 除雪のダンプカーが忙しい。
さらに上るとタイヤが空転して蛇行を始めます。
デフをロックして急坂を上ると正面が雪の壁、左が余呉高原スキー場。
ここが県境、Uターンします。
高月観音の里歴委民俗資料館、木ノ本と小谷城址の中間にあります。
湖北の観音様の所在図、多くの観音様が集中しています。
小谷城址、昨日行った場所とは違います。
ここから狭い車道が城址へと登っているので行ってみます。
望笙峠
車道はここまで、この先400mで天守跡へ行けますが、雪があるのと熊注意の看板で引き返します。
道の駅浅井三姉妹の里、
ここで昼食、とろろ汁と長いものかき揚げ+そば。
近江名物のふな寿し、
馬肉の燻製
とりむねの燻製、
お市の方や淀姫も食べた?小谷産和リンゴのジャム、
などお土産を購入。
道の駅近くには浅井歴史民俗資料館
小谷城址の構造がよくわかるジオラマ
長浜市街地近くには国友、国友といえば戦国末期に鉄砲鍛冶の里として有名ですが、ここも流れる姉川には国友河原の合戦跡
そして国友鉄砲ミュージアム
五十目玉大筒など火縄銃コレクションが数多。
しかし地元の人曰く「火縄銃のコレクションでは松本城にかなわない」とか。
目を引いたのは東洋のエジソン=国友一貫斎という名職人がいたこと。
一貫斎の反射望遠鏡
空気銃も作っています。
北近江から美濃の関ケ原へは30km程、
最初に行ったのは大谷吉継の墓所、ここから林の中を470m。怖くなって途中で引き返しました。
関ケ原ウォーランド、ちょっと感心しない観光施設。
石田三成陣所跡、ここは三成の家臣島左近の陣。
三成は関ケ原敗戦の後伊吹山へと逃れていますが、この陣所は伊吹山を背にしているのでその説に必然性はあります。
不破の関資料館、壬申の乱でもここが登場しています。
またここが関東と関西の境目、東西日本の雑煮の違い。
不破の関といえば中山道、この近くを旧中山道が通っているということなので行ってみます。
ここも旧中山道今須峠、
今須宿
中山道を東海道本線が貫いています。
そして「ブラタモリ」でも紹介された近江と美濃の境。
今日も又、ここでスマホがフリーズ。
この後は関ケ原の駅前観光交流館と岐阜関ケ原古戦場記念館へ行ったのですが、写真は無し。
交流館ではお土産として
みそ入りせんべい、関が原産ブルーベリージャム、そしてどん兵衛きつねうどん東西食べ比べ。
宿は大垣駅前のアパホテル、窓から見える大垣駅。
夕飯は駅前の屋台すし
お隣は新時代という居酒屋、寿司の後ちょっと寄ってみました。伝串という鶏皮を使った串が1本50円と格安。脂を絞った後の尻皮を刺しています。
駅ビルにあった美濃美匠では手作りおはぎをデザートに、
そしてお土産に美匠和菜
この三枚の写真は翌朝スマホが立ち直ってから撮ったもの。
この日の走行距離は175kmでした。
事前の天気予報では三日間は大丈夫だと思って出かけてきたのに残念。
昨日行った余呉湖の先に越前との国境があり、その先は冬季通行止めだったことを思い出し、行けるところまで行ってみて、そこからUターンして関ケ原へ向かうつもりです。
まずは姉川の戦いの現場へ、
浅井、朝倉連合軍と、織田徳川連合軍がぶつかった現場です。
さほど広くない河川敷が舞台です。
木之本からさらに北へ、国道365号線を行くと県境から冬季閉鎖
昨日訪れた余呉湖も霧の中、あの霧の向こうに賤ケ岳があるはずです。
椿坂トンネルを抜けて、このトンネルの上が椿坂峠か、この辺で積雪1m程か。
中河内の集落では積雪1,5m位? 除雪のダンプカーが忙しい。
さらに上るとタイヤが空転して蛇行を始めます。
デフをロックして急坂を上ると正面が雪の壁、左が余呉高原スキー場。
ここが県境、Uターンします。
高月観音の里歴委民俗資料館、木ノ本と小谷城址の中間にあります。
湖北の観音様の所在図、多くの観音様が集中しています。
小谷城址、昨日行った場所とは違います。
ここから狭い車道が城址へと登っているので行ってみます。
望笙峠
車道はここまで、この先400mで天守跡へ行けますが、雪があるのと熊注意の看板で引き返します。
道の駅浅井三姉妹の里、
ここで昼食、とろろ汁と長いものかき揚げ+そば。
近江名物のふな寿し、
馬肉の燻製
とりむねの燻製、
お市の方や淀姫も食べた?小谷産和リンゴのジャム、
などお土産を購入。
道の駅近くには浅井歴史民俗資料館
小谷城址の構造がよくわかるジオラマ
長浜市街地近くには国友、国友といえば戦国末期に鉄砲鍛冶の里として有名ですが、ここも流れる姉川には国友河原の合戦跡
そして国友鉄砲ミュージアム
五十目玉大筒など火縄銃コレクションが数多。
しかし地元の人曰く「火縄銃のコレクションでは松本城にかなわない」とか。
目を引いたのは東洋のエジソン=国友一貫斎という名職人がいたこと。
一貫斎の反射望遠鏡
空気銃も作っています。
北近江から美濃の関ケ原へは30km程、
最初に行ったのは大谷吉継の墓所、ここから林の中を470m。怖くなって途中で引き返しました。
関ケ原ウォーランド、ちょっと感心しない観光施設。
石田三成陣所跡、ここは三成の家臣島左近の陣。
三成は関ケ原敗戦の後伊吹山へと逃れていますが、この陣所は伊吹山を背にしているのでその説に必然性はあります。
不破の関資料館、壬申の乱でもここが登場しています。
またここが関東と関西の境目、東西日本の雑煮の違い。
不破の関といえば中山道、この近くを旧中山道が通っているということなので行ってみます。
ここも旧中山道今須峠、
今須宿
中山道を東海道本線が貫いています。
そして「ブラタモリ」でも紹介された近江と美濃の境。
今日も又、ここでスマホがフリーズ。
この後は関ケ原の駅前観光交流館と岐阜関ケ原古戦場記念館へ行ったのですが、写真は無し。
交流館ではお土産として
みそ入りせんべい、関が原産ブルーベリージャム、そしてどん兵衛きつねうどん東西食べ比べ。
宿は大垣駅前のアパホテル、窓から見える大垣駅。
夕飯は駅前の屋台すし
お隣は新時代という居酒屋、寿司の後ちょっと寄ってみました。伝串という鶏皮を使った串が1本50円と格安。脂を絞った後の尻皮を刺しています。
駅ビルにあった美濃美匠では手作りおはぎをデザートに、
そしてお土産に美匠和菜
この三枚の写真は翌朝スマホが立ち直ってから撮ったもの。
この日の走行距離は175kmでした。