2025年の新春を迎えました。
今年から「日本周遊の旅」を改題して「岬と峠紀行」とします。
日本周遊の旅では何となく物見遊山のイメージが強く、いまいち私の目的とはそぐわないのでは、と思ったからです。
日本列島の地図のイメージをたどるなら岬と海岸線を結んでいけば良いわけですが、日本には奥深い山々や内陸部もあるわけで、それらをたどっていくなら峠というわけです。また博物館や資料館見学も欠かせません。
また投稿日はいつも旅行日よりかなり遅れますので、これからはブログへのアップ日ではなく、実際に旅をした日に改めますのでよろしくお願いいたします。
というわけで岬と峠紀行の第1回目をはじめます。
1月14日、今回は天下分け目の関ケ原と、交通の要衝でもあり数々の合戦が行われた東近江を訪ねます。
中央道から名神高速道路を経て近江八幡を目指します。
関ケ原を通り越し、
伊吹PAで最後の休憩を取り、
八日市で高速を降りました。
目指すは安土、
安土城考古博物館で情報を仕入れようと思いましたが休館日。
1kmほど離れた安土城址へ、
ここの城なび館も休館、火曜日は全て休館なのか?
いざ安土城址へ、もともと安土城はこの南面だけが開かれていてそのほかは琵琶湖で囲われていたとか。
段差の大きな石段に苦労しながら登ります。
これは16日に岐阜城で見た安土城の想像図、石段のカーブや石垣の配置でそれとわかります。
信長も眺めただろう安土の城下、
石仏も石段の中に組み込まれ、
仏足石も単なる石材として使われていたとか
神をも恐れずというか無神論者の信長らしい仕様です。
本丸への道、
本丸から天守へ、
天守閣の礎石が明らかな天守跡、
天守を降りて總見寺方面へ、
總見寺跡から見た琵琶湖、
三重塔
大手道の左わきが羽柴秀吉邸、
右側が前田利家邸
急な石段で足が悲鳴を上げましたが、1時間ほどで周れて満足でした。
次に目指すが彦根城、
その前の腹ごしらえには近江ちゃんぽんを
近江ちゃんぽん、スープが澄んでいて美味しかった!
松林からの琵琶湖は海に見えます。
彦根城の前に遊覧船で竹生島へ行こうか?と思いましたが、
往復で3時間ほどかかるようなので今回はパス。
彦根城では駐車券が1000円、その上城の中は点検中で入れず。
どうしようかと迷いましたが、国宝六城の最後のピースがはまることを考えると行かないわけにいきません。
城への石段を登ります。
と、ここでスマホがフリーズ、何としてもリセットしてもスマホが動きません。
カメラがないのでスマホで写真を撮ってきましたが、これでは彦根城の天守も撮れません。
ということで散々な彦根城になってしまいました。
気を取り直して賤ケ岳へ、
その途次で急にスマホ復活、顔を出した伊吹山は雪景色。
伊吹山ドライブも考えていましたが、これでは上れません。
これも暖かくなったらのお楽しみに。
木之本へ、賤ケ岳の戦いでは、秀吉が大垣城とここ木ノ本の間を大急ぎで駆け回りましたが、明日行く大垣とここの間の距離感を体感するのも醍醐味です。
史跡賤ケ岳へ、
国道8号線の脇にある山道を行くと賤ケ岳合戦の地
ここからリフトに乗ると賤ケ岳へ行けそうです。
ここも冬季閉鎖、山道には雪も積もっています。
ここも暖かくなったら再訪です。
木之本の街に戻ると余呉湖への標識が、
余呉湖も賤ケ岳合戦の物語に出ていたので行ってみます。
もうすぐ日もくれます。
この後、福井県境まで行こうかとも思いましたが明日の楽しみに。
帰り際に寄った浅井氏の居城だった小谷城址もひっそり、
今日の宿はGRAND MERCURE 長浜の琵琶湖沿いのホテルです。
部屋からは琵琶湖が一望、
夕食はバイキングでした。
今年から「日本周遊の旅」を改題して「岬と峠紀行」とします。
日本周遊の旅では何となく物見遊山のイメージが強く、いまいち私の目的とはそぐわないのでは、と思ったからです。
日本列島の地図のイメージをたどるなら岬と海岸線を結んでいけば良いわけですが、日本には奥深い山々や内陸部もあるわけで、それらをたどっていくなら峠というわけです。また博物館や資料館見学も欠かせません。
また投稿日はいつも旅行日よりかなり遅れますので、これからはブログへのアップ日ではなく、実際に旅をした日に改めますのでよろしくお願いいたします。
というわけで岬と峠紀行の第1回目をはじめます。
1月14日、今回は天下分け目の関ケ原と、交通の要衝でもあり数々の合戦が行われた東近江を訪ねます。
中央道から名神高速道路を経て近江八幡を目指します。
関ケ原を通り越し、
伊吹PAで最後の休憩を取り、
八日市で高速を降りました。
目指すは安土、
安土城考古博物館で情報を仕入れようと思いましたが休館日。
1kmほど離れた安土城址へ、
ここの城なび館も休館、火曜日は全て休館なのか?
いざ安土城址へ、もともと安土城はこの南面だけが開かれていてそのほかは琵琶湖で囲われていたとか。
段差の大きな石段に苦労しながら登ります。
これは16日に岐阜城で見た安土城の想像図、石段のカーブや石垣の配置でそれとわかります。
信長も眺めただろう安土の城下、
石仏も石段の中に組み込まれ、
仏足石も単なる石材として使われていたとか
神をも恐れずというか無神論者の信長らしい仕様です。
本丸への道、
本丸から天守へ、
天守閣の礎石が明らかな天守跡、
天守を降りて總見寺方面へ、
總見寺跡から見た琵琶湖、
三重塔
大手道の左わきが羽柴秀吉邸、
右側が前田利家邸
急な石段で足が悲鳴を上げましたが、1時間ほどで周れて満足でした。
次に目指すが彦根城、
その前の腹ごしらえには近江ちゃんぽんを
近江ちゃんぽん、スープが澄んでいて美味しかった!
松林からの琵琶湖は海に見えます。
彦根城の前に遊覧船で竹生島へ行こうか?と思いましたが、
往復で3時間ほどかかるようなので今回はパス。
彦根城では駐車券が1000円、その上城の中は点検中で入れず。
どうしようかと迷いましたが、国宝六城の最後のピースがはまることを考えると行かないわけにいきません。
城への石段を登ります。
と、ここでスマホがフリーズ、何としてもリセットしてもスマホが動きません。
カメラがないのでスマホで写真を撮ってきましたが、これでは彦根城の天守も撮れません。
ということで散々な彦根城になってしまいました。
気を取り直して賤ケ岳へ、
その途次で急にスマホ復活、顔を出した伊吹山は雪景色。
伊吹山ドライブも考えていましたが、これでは上れません。
これも暖かくなったらのお楽しみに。
木之本へ、賤ケ岳の戦いでは、秀吉が大垣城とここ木ノ本の間を大急ぎで駆け回りましたが、明日行く大垣とここの間の距離感を体感するのも醍醐味です。
史跡賤ケ岳へ、
国道8号線の脇にある山道を行くと賤ケ岳合戦の地
ここからリフトに乗ると賤ケ岳へ行けそうです。
ここも冬季閉鎖、山道には雪も積もっています。
ここも暖かくなったら再訪です。
木之本の街に戻ると余呉湖への標識が、
余呉湖も賤ケ岳合戦の物語に出ていたので行ってみます。
もうすぐ日もくれます。
この後、福井県境まで行こうかとも思いましたが明日の楽しみに。
帰り際に寄った浅井氏の居城だった小谷城址もひっそり、
今日の宿はGRAND MERCURE 長浜の琵琶湖沿いのホテルです。
部屋からは琵琶湖が一望、
夕食はバイキングでした。