7月13日 朝の礼文島香深
宿で読んだ新聞は日刊宗谷
フェリーから桜井旅館、そして岡の上の小学校が見えます。
稚内から宗谷岬へ向かう途中で宗谷丘陵の案内
宗谷丘陵へ、
強いオホーツクからの風によって高い木は育ちません。
牧草ロール作りに励んでいます。
昼は食堂最北端にて
私は味噌ラーメン1000円、
奥さんは塩バターラーメン950円。
日本最北端到着証明書を購入し、
宗谷岬からオホーツク海沿岸、国道238号線を南下します。
猿払村に入りました。
左がオホーツク海、雲があるものの青空も出ています。
日本最北端の村、猿払村の道の駅
ここで北海道猿払村道エサヌカ線通行証明書なる証明書を300円で発行してもらいました。
エサヌカ線に向かいます。
猿払パーキングシェルター? 冬の暴風雪に遭遇した場合、ここに一時避難するのでしょう。
エサヌカ線入口は左折。
青い空とまっすぐに続く道、
途中2か所のクランクがありますが、それ以外電柱も看板もない一直線の道が16㎞も続きます。
オホーツクを左に見ながら
クランク
トラクターが草を刈り、
牛が草をはむ、
気持ちの良い草原をひた走りました!
クッチャロ湖へ寄り道します、クッチャロ湖は浜頓別町。
クッチャロ湖、これは汽水湖で日本で三番目にラムサール条約で保護された湿地。
岬が見えました。
神威岬へ寄り道。
神威岬の灯台、
国道238号線上の北緯45度線、11日にこの線を北上しました。
枝幸町にあるオホーツクミュージアムえさしへ、
入口には巨大なシャチの骨格が、
デスモスチルスが発掘されたようです。
北国の足として活躍した馬そり、
大正期の暮らしを支えた澱粉。
そして薄荷や除虫菊栽培
神威岬近くで発掘された目梨泊遺跡の竪穴式住居の復原。
オホーツク沿岸との交流がありました。
雄武町に入ります。
下を向いている↓標識。北海道の道にはどこにもあります。
この標識、遠くから見ると縦形の信号機みえます。この標識に目を奪われて実際の信号機を見落とすことがあって怖い怖い!
雄武の道の駅
雄武はサケマスをはじめ海産物が売り、
皆雄武産、
日の出岬に立ち寄り、
やっと興部町に入りました。稚内から195kmを走りました。
今日はここで泊まり、宿とレストラン味来館へ泊まりますが、夕食は外で、
今回の旅の主目的の一つがこの町にある名代山賊焼、ここで夕食。
暖簾をくぐります。
カウンターには早速お持ち帰り用山賊焼が。
お品書き
飲み物は
カウンターには串物も、
北海道では定番のサッポロクラシックとともに頼んだ山賊焼の清酒、山形県の純米酒です。
ボリューミーなつくね、
店の奥からメロディーが流れてきたかと思ったら配膳用ロボットにびっくり!
一口餃子が運ばれてきました。
この店は二代目になる奥さんと旦那さんの二人で切り盛りしています。奥では宴会もあって忙しいのでこのロボットが大活躍。
お目当ての山賊焼はじっくり30分程かけて炭火で焼いています。
山賊焼完食、皿にも山賊焼の印字が、
はるばる長野から来た我々に奥さんがピザを焼いてくれました。
その生地の美味しいこと! 聞けば札幌のホテルで働いていた奥さんが考案したものだとか。
店の裏にある自家菜園も見せてくれました。
この奥さんのお母さんが創業者、そして創業70年になるといいますが、よくここまでやってきたと話してくれました。
宿で読んだ新聞は日刊宗谷
フェリーから桜井旅館、そして岡の上の小学校が見えます。
稚内から宗谷岬へ向かう途中で宗谷丘陵の案内
宗谷丘陵へ、
強いオホーツクからの風によって高い木は育ちません。
牧草ロール作りに励んでいます。
昼は食堂最北端にて
私は味噌ラーメン1000円、
奥さんは塩バターラーメン950円。
日本最北端到着証明書を購入し、
宗谷岬からオホーツク海沿岸、国道238号線を南下します。
猿払村に入りました。
左がオホーツク海、雲があるものの青空も出ています。
日本最北端の村、猿払村の道の駅
ここで北海道猿払村道エサヌカ線通行証明書なる証明書を300円で発行してもらいました。
エサヌカ線に向かいます。
猿払パーキングシェルター? 冬の暴風雪に遭遇した場合、ここに一時避難するのでしょう。
エサヌカ線入口は左折。
青い空とまっすぐに続く道、
途中2か所のクランクがありますが、それ以外電柱も看板もない一直線の道が16㎞も続きます。
オホーツクを左に見ながら
クランク
トラクターが草を刈り、
牛が草をはむ、
気持ちの良い草原をひた走りました!
クッチャロ湖へ寄り道します、クッチャロ湖は浜頓別町。
クッチャロ湖、これは汽水湖で日本で三番目にラムサール条約で保護された湿地。
岬が見えました。
神威岬へ寄り道。
神威岬の灯台、
国道238号線上の北緯45度線、11日にこの線を北上しました。
枝幸町にあるオホーツクミュージアムえさしへ、
入口には巨大なシャチの骨格が、
デスモスチルスが発掘されたようです。
北国の足として活躍した馬そり、
大正期の暮らしを支えた澱粉。
そして薄荷や除虫菊栽培
神威岬近くで発掘された目梨泊遺跡の竪穴式住居の復原。
オホーツク沿岸との交流がありました。
雄武町に入ります。
下を向いている↓標識。北海道の道にはどこにもあります。
この標識、遠くから見ると縦形の信号機みえます。この標識に目を奪われて実際の信号機を見落とすことがあって怖い怖い!
雄武の道の駅
雄武はサケマスをはじめ海産物が売り、
皆雄武産、
日の出岬に立ち寄り、
やっと興部町に入りました。稚内から195kmを走りました。
今日はここで泊まり、宿とレストラン味来館へ泊まりますが、夕食は外で、
今回の旅の主目的の一つがこの町にある名代山賊焼、ここで夕食。
暖簾をくぐります。
カウンターには早速お持ち帰り用山賊焼が。
お品書き
飲み物は
カウンターには串物も、
北海道では定番のサッポロクラシックとともに頼んだ山賊焼の清酒、山形県の純米酒です。
ボリューミーなつくね、
店の奥からメロディーが流れてきたかと思ったら配膳用ロボットにびっくり!
一口餃子が運ばれてきました。
この店は二代目になる奥さんと旦那さんの二人で切り盛りしています。奥では宴会もあって忙しいのでこのロボットが大活躍。
お目当ての山賊焼はじっくり30分程かけて炭火で焼いています。
山賊焼完食、皿にも山賊焼の印字が、
はるばる長野から来た我々に奥さんがピザを焼いてくれました。
その生地の美味しいこと! 聞けば札幌のホテルで働いていた奥さんが考案したものだとか。
店の裏にある自家菜園も見せてくれました。
この奥さんのお母さんが創業者、そして創業70年になるといいますが、よくここまでやってきたと話してくれました。