八重山諸島から帰って半月以上になります。
その間、原因不明の喘息?、コロナやインフルではなさそうでしたが、咳をし過ぎたのか痔も出てしまいました。 自分ではさほど感じなかったものの、寄る年波にはかなわないといったところです。
活動できなかったひと時ではありますが、良いものを見つけました。
「わお!マップ」。
愛媛の英公社という会社が発行している全国の地図ですが、奥三河の旅で見つけた地図が使い良いので調べて見つけたものです。
1~3日くらいの旅では、一つの県を全て回るには範囲が広すぎますが、その県の一部分を特集して観光からグルメ、旧跡、温泉まで網羅した地図は重宝します。
今回は静岡県の中から伊豆半島とそれに付随した沼津、三島をターゲットに周ってみます。
3月16日、翌日まで快晴が続きそうなので出かけました。
東山山麓線には残雪が、
中央道を大月で折れて河口湖から東富士五湖道路へ、
富士山を右に見て
須走から
御殿場、
函南へ
最初に目指したのが丹那断層公園。
わお!マップで見つけた丹那断層公園をナビに頼ったら函南町文化センターへ導かれました。
ここに断層公園があると思って職員さんに聞いたところ誰も知りません???
他部署の職員さんに聞いてもらってやっと判明。公園までは5km程もあるそうです。
パンフレットも備えてありました。
また、なぜこんな地味な場所へ行きたいか?
丹那断層公園と聞いてビビッと走ったのが以前読んだ小説。
吉村昭著「闇を裂く道」
大正から昭和にかけて15年ほどもかかった、当時日本最長のトンネル工事にまつわる小説です。
当時の東海道線は現在の御殿場線を走っていました。急坂が多く蒸気機関車を2台連結しなければ登れない難路でした。
それを小田原から熱海を経由して丹那盆地の下を掘って沼津に抜けるという路線ですが、トンネル掘削で、当時穀倉地帯だった丹那盆地の水が抜けてしまい一揆のような騒動が勃発。それに加えて昭和5年には北伊豆地震がトンネルも直撃。その際トンネル内に断層のずれが起こったというものです。
現在も静岡県知事がリニア新幹線に反対していますが、静岡にはそんな昭和の記憶があるのでしょうか?
複雑な県道をたどって行きました。
断層まで300m
やっと出会えた丹那断層公園
備え付けの地図では断層と東海道線のトンネルの位置関係が良くわかります。
公園の地面には断層の食い違いが、そして奥にあるのは断層地下観察室。
実際の断層面
地形の立体模型も備わっています。
ちょうど昼時、断層公園のほど近くにあった丹那そば亮月。自家栽培、自家製麺のようです。
頼んだのがかけそば+自然薯揚げ+季節の炊き込みご飯+そばようかん=1650円
腹にぴったりの量でした。
帰りがけに目にした箱根峠! 箱根峠とは天下の名峠。
知ったからには行かねばなるめー。
県道11号線、熱海函南線の旧道を行く。丹那トンネルの渇水期、農民が陳情に行き来した道でもありそうです。
途中には熱海峠や
十国峠も
丹那盆地から箱根峠までは20km程、やっとたどり着きました。
峠を左右に走るのが国道1号線。ここを左折して三嶋方面へ。
北条氏と秀吉の戦いで落とされた山中城跡を過ぎ、
三島の松並木を通り抜け、
左折していよいよ伊豆半島へ、伊豆の国市。
韮山反射炉へ行くついでに江川太郎左衛門邸も
最初に着いたのが江川太郎左衛門英龍邸
広大な土間口から入ります。
幕末幕府の英達江川太郎左衛門、韮山反射炉を作った男です。
この人が日本で初めてパンの製造にも着手しました。
パン製造の目的は兵糧としてでした。
パン焼き窯と鉄鍋
庭には菜の花が満開、雪が積もっている信州とは別世界です。
韮山反射炉は江川邸から直線で2km程か。馬に乗って通勤するには快適な距離です。
反射炉で作られた大砲各種。
口径20ドイム(cm)モルチール砲(臼砲)
世界遺産、明治日本の産業革命遺産。反射炉の補修や保護には地元の運動が実を結んだようです。
反射炉の構造。
国道136号線を南伊豆、下田方面へ。
浄蓮の滝を過ぎ、
道の駅天城越え
ここで手に入れたパンフレット「天城越え」には天城山隧道(旧天城トンネル)の模様が。
現在の国道から旧道に入り、トンネルまでは車で行けそうです。
旧道入り口には道路案内が、トンネルの先は全面通行止め。
踊り子歩道、18,5kmもあるそうです。
すれ違いが難しそうな砂利道は深い轍が刻まれています。
天城山隧道全長446m、右わきを登ると天城峠。
重要文化財天城山隧道
ここに来たからには川端康成の「伊豆の踊子」も読まねば。
重要文化財で且つ登録有形文化財天城山隧道は造りも堅牢です。
パンフレットの図案のように?撮影。
反対側まで行きます。内部は水滴も落ち寒い寒い。
河津側
ここで通行止めです。
現在の国道に戻って、現在の天城山トンネル
河津七滝ループ橋を下って。
河津から下田へ
以前に行った下田はスルーして、今日の泊りは急登の先、古民家の宿山海。
こんな部屋でした。
また風呂が4か所もあり、すべて20~40分の予約貸し切り制とは驚きでした。
今日は所期の目的地以外にも箱根峠、十国峠、熱海峠、天城峠と、有名な峠も踏破でき、満足のいく旅ができました。
また旅と小説(文学?)を絡めることも興味深いですね。
その間、原因不明の喘息?、コロナやインフルではなさそうでしたが、咳をし過ぎたのか痔も出てしまいました。 自分ではさほど感じなかったものの、寄る年波にはかなわないといったところです。
活動できなかったひと時ではありますが、良いものを見つけました。
「わお!マップ」。
愛媛の英公社という会社が発行している全国の地図ですが、奥三河の旅で見つけた地図が使い良いので調べて見つけたものです。
1~3日くらいの旅では、一つの県を全て回るには範囲が広すぎますが、その県の一部分を特集して観光からグルメ、旧跡、温泉まで網羅した地図は重宝します。
今回は静岡県の中から伊豆半島とそれに付随した沼津、三島をターゲットに周ってみます。
3月16日、翌日まで快晴が続きそうなので出かけました。
東山山麓線には残雪が、
中央道を大月で折れて河口湖から東富士五湖道路へ、
富士山を右に見て
須走から
御殿場、
函南へ
最初に目指したのが丹那断層公園。
わお!マップで見つけた丹那断層公園をナビに頼ったら函南町文化センターへ導かれました。
ここに断層公園があると思って職員さんに聞いたところ誰も知りません???
他部署の職員さんに聞いてもらってやっと判明。公園までは5km程もあるそうです。
パンフレットも備えてありました。
また、なぜこんな地味な場所へ行きたいか?
丹那断層公園と聞いてビビッと走ったのが以前読んだ小説。
吉村昭著「闇を裂く道」
大正から昭和にかけて15年ほどもかかった、当時日本最長のトンネル工事にまつわる小説です。
当時の東海道線は現在の御殿場線を走っていました。急坂が多く蒸気機関車を2台連結しなければ登れない難路でした。
それを小田原から熱海を経由して丹那盆地の下を掘って沼津に抜けるという路線ですが、トンネル掘削で、当時穀倉地帯だった丹那盆地の水が抜けてしまい一揆のような騒動が勃発。それに加えて昭和5年には北伊豆地震がトンネルも直撃。その際トンネル内に断層のずれが起こったというものです。
現在も静岡県知事がリニア新幹線に反対していますが、静岡にはそんな昭和の記憶があるのでしょうか?
複雑な県道をたどって行きました。
断層まで300m
やっと出会えた丹那断層公園
備え付けの地図では断層と東海道線のトンネルの位置関係が良くわかります。
公園の地面には断層の食い違いが、そして奥にあるのは断層地下観察室。
実際の断層面
地形の立体模型も備わっています。
ちょうど昼時、断層公園のほど近くにあった丹那そば亮月。自家栽培、自家製麺のようです。
頼んだのがかけそば+自然薯揚げ+季節の炊き込みご飯+そばようかん=1650円
腹にぴったりの量でした。
帰りがけに目にした箱根峠! 箱根峠とは天下の名峠。
知ったからには行かねばなるめー。
県道11号線、熱海函南線の旧道を行く。丹那トンネルの渇水期、農民が陳情に行き来した道でもありそうです。
途中には熱海峠や
十国峠も
丹那盆地から箱根峠までは20km程、やっとたどり着きました。
峠を左右に走るのが国道1号線。ここを左折して三嶋方面へ。
北条氏と秀吉の戦いで落とされた山中城跡を過ぎ、
三島の松並木を通り抜け、
左折していよいよ伊豆半島へ、伊豆の国市。
韮山反射炉へ行くついでに江川太郎左衛門邸も
最初に着いたのが江川太郎左衛門英龍邸
広大な土間口から入ります。
幕末幕府の英達江川太郎左衛門、韮山反射炉を作った男です。
この人が日本で初めてパンの製造にも着手しました。
パン製造の目的は兵糧としてでした。
パン焼き窯と鉄鍋
庭には菜の花が満開、雪が積もっている信州とは別世界です。
韮山反射炉は江川邸から直線で2km程か。馬に乗って通勤するには快適な距離です。
反射炉で作られた大砲各種。
口径20ドイム(cm)モルチール砲(臼砲)
世界遺産、明治日本の産業革命遺産。反射炉の補修や保護には地元の運動が実を結んだようです。
反射炉の構造。
国道136号線を南伊豆、下田方面へ。
浄蓮の滝を過ぎ、
道の駅天城越え
ここで手に入れたパンフレット「天城越え」には天城山隧道(旧天城トンネル)の模様が。
現在の国道から旧道に入り、トンネルまでは車で行けそうです。
旧道入り口には道路案内が、トンネルの先は全面通行止め。
踊り子歩道、18,5kmもあるそうです。
すれ違いが難しそうな砂利道は深い轍が刻まれています。
天城山隧道全長446m、右わきを登ると天城峠。
重要文化財天城山隧道
ここに来たからには川端康成の「伊豆の踊子」も読まねば。
重要文化財で且つ登録有形文化財天城山隧道は造りも堅牢です。
パンフレットの図案のように?撮影。
反対側まで行きます。内部は水滴も落ち寒い寒い。
河津側
ここで通行止めです。
現在の国道に戻って、現在の天城山トンネル
河津七滝ループ橋を下って。
河津から下田へ
以前に行った下田はスルーして、今日の泊りは急登の先、古民家の宿山海。
こんな部屋でした。
また風呂が4か所もあり、すべて20~40分の予約貸し切り制とは驚きでした。
今日は所期の目的地以外にも箱根峠、十国峠、熱海峠、天城峠と、有名な峠も踏破でき、満足のいく旅ができました。
また旅と小説(文学?)を絡めることも興味深いですね。