台風2号がますます接近してきた5月31日、わずかですが雨も降り続いています。
今日のメインは広島原爆資料館。
午前中いっぱいはここで過ごすつもり。
最初に目に飛び込んだのは戦前の広島中心部、ビルの陰に現在の呼び名で原爆ドーム、戦前には広島県物産陳列館と呼ばれたドーム部分も見えています。
そして被爆直後の広島、奥に原爆ドームがかろうじて立っています。
まさに地獄! 被爆直後の被災した人々。
ひしゃげた自転車。
などなど。
被災者やその親族の涙なくしては読めない証言も丁寧に読んでいくと、時間はアッという間に経っていきます。
先日の広島サミットではゼレンスキー大統領の来日が注目されましたが、この惨禍への各国首脳の反応は芳しいものとは言えませんでした。一番共感を示したのがゼレンスキー大統領。
「原爆ノー」ではなく「核の傘の下」が既成事実として固定化されてしまいました。
原爆の悲惨さを描いた「はだしのゲン」も学校教育から排除されようとしています。
誠に残念、情けない。我々だけでもこの現実から目を背けてはいけない、と心底思います。
広島平和都市記念碑から原爆ドームを望む
午前中いっぱいを原爆資料館で過ごし、昼食は奥静でご一緒だったS先生ご推薦の店。
とんかつ料理さち、口の中を切りそうなパン粉で揚げ、特製のたれに浸して食べるとんかつです。
出てきました、ロースかつ
奥さんはエビとミルフィーユかつです。
私はお腹を切ってからとんかつが苦手に、でもカラっと揚がったかつはあっさり、それを浸すたれでよりあっさり食べられます。 久しぶりのとんかつ完食でした、感謝です。
午後は鞆の浦へと向かいますが、昨日高速道で見かけた本郷インターチェンジはその中間にあります。
本郷鶏肉と同じ名前というだけでなく、このインターを見た際にビビッと頭を走ったのが、ここは大田堯先生の生地だ! ということ。大田先生は偉大な教育学者です。
先生には同友会を通じて大変お世話になりました。長野で先生の講演会を開いたり、埼玉にあった先生のご自宅での学習会にも20回程は通っていました。ある意味私の人生観を確立してくれた大恩人ともいえるでしょう。
その先生が私財を投じて作られた「ほんごうこども図書館」があることを思い出したのです。
今では竹原市に組み込まれた本郷の街に入り、JR本郷駅を目指します。
本郷駅前に佇むほんごうこども図書館。
大田先生は本郷町名誉市民にもなっています。
館の方に聞いたところ、この場所は先生の奥様の生家。他人の手に渡ってタクシー会社になっていたところを、先生が買い戻されて図書館にしたという場所です。
館内は広くはないですが、やわらかい雰囲気が漂っています。親子もくつろいでいます。
目の前にある本郷駅
大田先生が100歳で亡くなってから5年、思わぬところで先生の足跡に出会い感無量でした。
少しですが運営費の足しに、ということで寄付もしてきました。
福山市の鞆の浦温泉に向かいます。
いかにも瀬戸内、たゆたう波の向こうには仙酔島
今日の宿景勝館漣亭に着いたのは5時前。
早速鞆の浦の散策に出かけます。
宿の隣は、何と「龍馬の隠れ部屋」
幕末に「いろは丸事件」というものが起こりました。
伊予の大洲藩から龍馬ら海援隊が借用したいろは丸が、瀬戸内で紀州藩の明光丸にぶつけられ沈没。
その賠償交渉の中で、龍馬がここを利用したそうです。
保命酒通り? 江戸期には鞆の浦名物であった「保命酒」という薬膳酒の店が軒を接する通りです。
保命酒のいわれは以下に、信州の養命酒のようなものですね。
高台にある鞆の浦歴史民俗資料館へ、
歴史小説でも鞆の浦はしばしば出てくる地名ですが、そのなぜか?がわかる展示。
鞆の浦の立地は、ちょうど瀬戸内海の中間地点。
そのため東西からの満ち潮が出会い、引き潮が分かれる「潮待ち」に最も恵まれた立地にあり、湾も円形に囲われ、仙酔島などの島々が自然の防波堤にもなっているため理想的な良港でした。
江戸時代の回船航路の中心に位置しています。
頻繁に行き来した北前船
また盲目の箏奏者で有名な宮城道雄は、ここからの瀬戸内海をイメージして「春の海」を作曲したそうです。
資料館から見た鞆の浦の港、いかにも平穏、旅の安寧を予感してくれそうな眺めです。
そしてこの高台にはもう一つの意味がありました。
鞆城跡、毛利氏が築城し、福島正則が修築した城跡だそうです。
福島正則、この方の最期は信州高山村、小布施の岩松院にお墓があるそうです。
鞆の浦とのご縁は、龍馬や福島正則に留まりません。
戦国時代には、足利幕府?が一時ここにあった? 足利義昭が自分の天下を夢見て、ここで勅を乱発し、天下をうかがうという時期もありました。鞆の浦幕府か?
そして鞆の浦の象徴である、江戸時代からあった常夜灯。
そして国の史跡対潮楼。江戸時代まで朝鮮通信使の定宿となったお寺です。
確か浅野内匠頭は、朝鮮通信使の接待役を仰せつかった際、吉良上野介の嫌がらせに立腹して刃傷に至ったのでは? そんな朝鮮通信使もここをよく使ったようです。
宿の露天風呂から瀬戸内海の眺望
夕食のメインはさすが瀬戸内、鯛しゃぶでした。
それに和牛のステーキ付!
でした。
今日のメインは広島原爆資料館。
午前中いっぱいはここで過ごすつもり。
最初に目に飛び込んだのは戦前の広島中心部、ビルの陰に現在の呼び名で原爆ドーム、戦前には広島県物産陳列館と呼ばれたドーム部分も見えています。
そして被爆直後の広島、奥に原爆ドームがかろうじて立っています。
まさに地獄! 被爆直後の被災した人々。
ひしゃげた自転車。
などなど。
被災者やその親族の涙なくしては読めない証言も丁寧に読んでいくと、時間はアッという間に経っていきます。
先日の広島サミットではゼレンスキー大統領の来日が注目されましたが、この惨禍への各国首脳の反応は芳しいものとは言えませんでした。一番共感を示したのがゼレンスキー大統領。
「原爆ノー」ではなく「核の傘の下」が既成事実として固定化されてしまいました。
原爆の悲惨さを描いた「はだしのゲン」も学校教育から排除されようとしています。
誠に残念、情けない。我々だけでもこの現実から目を背けてはいけない、と心底思います。
広島平和都市記念碑から原爆ドームを望む
午前中いっぱいを原爆資料館で過ごし、昼食は奥静でご一緒だったS先生ご推薦の店。
とんかつ料理さち、口の中を切りそうなパン粉で揚げ、特製のたれに浸して食べるとんかつです。
出てきました、ロースかつ
奥さんはエビとミルフィーユかつです。
私はお腹を切ってからとんかつが苦手に、でもカラっと揚がったかつはあっさり、それを浸すたれでよりあっさり食べられます。 久しぶりのとんかつ完食でした、感謝です。
午後は鞆の浦へと向かいますが、昨日高速道で見かけた本郷インターチェンジはその中間にあります。
本郷鶏肉と同じ名前というだけでなく、このインターを見た際にビビッと頭を走ったのが、ここは大田堯先生の生地だ! ということ。大田先生は偉大な教育学者です。
先生には同友会を通じて大変お世話になりました。長野で先生の講演会を開いたり、埼玉にあった先生のご自宅での学習会にも20回程は通っていました。ある意味私の人生観を確立してくれた大恩人ともいえるでしょう。
その先生が私財を投じて作られた「ほんごうこども図書館」があることを思い出したのです。
今では竹原市に組み込まれた本郷の街に入り、JR本郷駅を目指します。
本郷駅前に佇むほんごうこども図書館。
大田先生は本郷町名誉市民にもなっています。
館の方に聞いたところ、この場所は先生の奥様の生家。他人の手に渡ってタクシー会社になっていたところを、先生が買い戻されて図書館にしたという場所です。
館内は広くはないですが、やわらかい雰囲気が漂っています。親子もくつろいでいます。
目の前にある本郷駅
大田先生が100歳で亡くなってから5年、思わぬところで先生の足跡に出会い感無量でした。
少しですが運営費の足しに、ということで寄付もしてきました。
福山市の鞆の浦温泉に向かいます。
いかにも瀬戸内、たゆたう波の向こうには仙酔島
今日の宿景勝館漣亭に着いたのは5時前。
早速鞆の浦の散策に出かけます。
宿の隣は、何と「龍馬の隠れ部屋」
幕末に「いろは丸事件」というものが起こりました。
伊予の大洲藩から龍馬ら海援隊が借用したいろは丸が、瀬戸内で紀州藩の明光丸にぶつけられ沈没。
その賠償交渉の中で、龍馬がここを利用したそうです。
保命酒通り? 江戸期には鞆の浦名物であった「保命酒」という薬膳酒の店が軒を接する通りです。
保命酒のいわれは以下に、信州の養命酒のようなものですね。
高台にある鞆の浦歴史民俗資料館へ、
歴史小説でも鞆の浦はしばしば出てくる地名ですが、そのなぜか?がわかる展示。
鞆の浦の立地は、ちょうど瀬戸内海の中間地点。
そのため東西からの満ち潮が出会い、引き潮が分かれる「潮待ち」に最も恵まれた立地にあり、湾も円形に囲われ、仙酔島などの島々が自然の防波堤にもなっているため理想的な良港でした。
江戸時代の回船航路の中心に位置しています。
頻繁に行き来した北前船
また盲目の箏奏者で有名な宮城道雄は、ここからの瀬戸内海をイメージして「春の海」を作曲したそうです。
資料館から見た鞆の浦の港、いかにも平穏、旅の安寧を予感してくれそうな眺めです。
そしてこの高台にはもう一つの意味がありました。
鞆城跡、毛利氏が築城し、福島正則が修築した城跡だそうです。
福島正則、この方の最期は信州高山村、小布施の岩松院にお墓があるそうです。
鞆の浦とのご縁は、龍馬や福島正則に留まりません。
戦国時代には、足利幕府?が一時ここにあった? 足利義昭が自分の天下を夢見て、ここで勅を乱発し、天下をうかがうという時期もありました。鞆の浦幕府か?
そして鞆の浦の象徴である、江戸時代からあった常夜灯。
そして国の史跡対潮楼。江戸時代まで朝鮮通信使の定宿となったお寺です。
確か浅野内匠頭は、朝鮮通信使の接待役を仰せつかった際、吉良上野介の嫌がらせに立腹して刃傷に至ったのでは? そんな朝鮮通信使もここをよく使ったようです。
宿の露天風呂から瀬戸内海の眺望
夕食のメインはさすが瀬戸内、鯛しゃぶでした。
それに和牛のステーキ付!
でした。
































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