10月4~6日、富山県に行ってきました。
なぜ富山か?
今年の夏にキャッチした情報によると、立山の室堂などの観光地の隣に、かなり痺れるスポットがありました。
立山カルデラ、常願寺川の最上流にある地質の安定しない崩落地。
そこをトロッコで見学するという催しを、立山カルデラ砂防博物館が行っています。
が、それは抽選によるのです。
残念ながら3度の抽選に漏れ、最後の機会は日程を抑えていましたが、これも空振り。
なので、この日程でトロッコに乗れないでも現地に行ってみよう、ということです。
4日、10時半に出発。出るのが遅くなったため、上越を回って高速道路で立山へ。
立山芦峅の立山権現芦峅中宮雄山神社を過ぎ
この先称名滝まで12km、
今日泊まる立山駅をチェックして
称名川を渡り、
右へ行くと立山有料道路を、直進すれば称名滝へ。
残念ながら立山有料はマイカー立ち入り禁止。
立山有料は、こんな急斜面のつづら折り。
称名滝まで1,2kmに駐車場、遊歩道に沿って
大日岳への登山口も過ぎ、
いよいよ日本最大落差の滝=称名滝
落差350mの称名滝です。中央右側の黒い帯は、春時だけ現れるハンノキ滝(落差500m)
圧倒の迫力、300m程も離れていても水しぶきに包まれます。
10万年前には、立山駅のあたりにあった滝が、称名川の力で15kも後退し、現在地に来たとか。
年間15cm程も両岸を削っているのです。
この遊歩道を歩けるのは17時まで、時間ギリギリでした。
今日の宿はグリーンビュー立山、
夕食は、アルコールも含めてフリードリンク!
我々長野県人も富山県民割を使えるので、とてもお得な一泊目ができました。
温泉もちょっとヌル~とした良い湯でした。
5日は氷見を目指しますが、その前に当初の目的地立山カルデラ砂防博物館へ、
隣は立山砂防事務所、
私が抽選に落ちた、立山カルデラ砂防体験学習会が出発するのと同時に入館、どさくさにまぎれれば一緒に行けたかも。
砂防事業の主力となるディーゼル機関車も展示、
立山の地質や成立ちの紹介は1階。
2階は、明治時代のお雇い外国人から「滝のような川だ!」と驚かれた常願寺川(称名川の本流)の崩壊との闘いの展示が面白い。一日いても飽きない展示と資料です。
芦峅にある立山博物館へも立ち寄ります。
観音寺の銅造地蔵半跏座像の足元には
信州松本町立山講中の刻印が、信州松本とのつながりも明らかです。
富山市内を通り抜けて氷見へ、
石川県との境まで行って、虻が島の背景には立山連峰。
九殿浜温泉、ひみのはなに泊まります。
この日も県民割でお得な宿泊ができました、感謝です。
最終日6日は、氷見界隈を見て歩こうか!
宿から氷見市街へ行く途中にある阿尾城跡、
一説によると前田慶次郎の居城だったという。
道の駅にも行きましたが、ほとんどの店が開店前、お土産としては鯛かまぼこ。
今週末の孫の誕生日(1歳)に出しました。
さて、時間はたっぷりあるからどうしよう?
道路地図を見ていると、氷見から続く高速道路?が。
能越自動車道から小矢部を過ぎ、東海北陸自動車道に続いています。
これなら高山⇒安房経由で帰ろうか?
それなら、白川は行ったこともあるので、五箇山へ寄って帰ろうとなりました。
東海北陸道は片側一車線、それもトンネルの連続で目が疲れます。
ただ走っているだけ、旅の風情も何もありません。
五箇山ICで降り、菅沼集落へ。
合掌造りの前で記念撮影
小腹が空いたので栃餅ぜんざいを
まず目指したのが塩硝の館、
私も以前から不思議に思っていた硝石の作り方。黒色火薬を作るには欠かせないですね。
日本では、古民家の床下の土を集め,ネズミなどの糞尿の化学変化から作るもの、としか知りませんでしたが、ここでは分かりやすく説明しています。
原料は土、草、稗がら、蚕の糞。家の床下に穴を掘って、それらを交互に入れ込み、年に数度切り返しして4年ほど経つと塩硝土ができる。
土中の断面図
次に塩硝土に水を加え、まずは30分の一に、次に2分の一、それをさらに煮詰めて硝石の結晶を取っていくという根気のいる仕事です。
塩硝土抽出の樽や釜
塩硝と火薬
その実物
作業風景のジオラマ
ここ越中の山奥から金沢までの塩硝街道は、いくつもの峠を越えた難路だった。
加賀藩御用の塩硝を作り、着実に加賀の殿さまへ納めるための仕組みも、村内に塩硝吟味人や上煮屋などを置いた組織的なものであった。
この日は中学校の修学旅行生で賑わっていた。
五箇山民俗資料館
生活民具や、養蚕に必要な用具などの展示があったが、目を引いたのは「籠の渡し」
菅沼集落の沿って庄川が流れているが、橋もなく急流であったため古典的ケーブルカーが用いられた。
籠の渡しの実物も川に架かっていました。
実際には乗れないでしょうが、ケーブルを保持する用具も堅牢です。
五箇山と言っても範囲は広く、菅沼から5km程離れた上梨には重要文化財村上家住宅
そこから6km程離れた相倉にも合掌造り集落があります。
菅沼、相倉共に世界遺産に指定されています。
余談ですが、八王子の高尾にある「うかい鳥山」には、ここ五箇山の民家が移築されていることを思い出しました。
帰りは雨になり、高山近郊の道の駅ななもり(七杜)にて昼食、飛騨牛きしめん、1000円也。
安房道路を越えて帰途につきました。
来年こそは、立山カルデラのトロッコ列車に乗るぞ!
3日間の走行距離は631kmでした。
なぜ富山か?
今年の夏にキャッチした情報によると、立山の室堂などの観光地の隣に、かなり痺れるスポットがありました。
立山カルデラ、常願寺川の最上流にある地質の安定しない崩落地。
そこをトロッコで見学するという催しを、立山カルデラ砂防博物館が行っています。
が、それは抽選によるのです。
残念ながら3度の抽選に漏れ、最後の機会は日程を抑えていましたが、これも空振り。
なので、この日程でトロッコに乗れないでも現地に行ってみよう、ということです。
4日、10時半に出発。出るのが遅くなったため、上越を回って高速道路で立山へ。
立山芦峅の立山権現芦峅中宮雄山神社を過ぎ
この先称名滝まで12km、
今日泊まる立山駅をチェックして
称名川を渡り、
右へ行くと立山有料道路を、直進すれば称名滝へ。
残念ながら立山有料はマイカー立ち入り禁止。
立山有料は、こんな急斜面のつづら折り。
称名滝まで1,2kmに駐車場、遊歩道に沿って
大日岳への登山口も過ぎ、
いよいよ日本最大落差の滝=称名滝
落差350mの称名滝です。中央右側の黒い帯は、春時だけ現れるハンノキ滝(落差500m)
圧倒の迫力、300m程も離れていても水しぶきに包まれます。
10万年前には、立山駅のあたりにあった滝が、称名川の力で15kも後退し、現在地に来たとか。
年間15cm程も両岸を削っているのです。
この遊歩道を歩けるのは17時まで、時間ギリギリでした。
今日の宿はグリーンビュー立山、
夕食は、アルコールも含めてフリードリンク!
我々長野県人も富山県民割を使えるので、とてもお得な一泊目ができました。
温泉もちょっとヌル~とした良い湯でした。
5日は氷見を目指しますが、その前に当初の目的地立山カルデラ砂防博物館へ、
隣は立山砂防事務所、
私が抽選に落ちた、立山カルデラ砂防体験学習会が出発するのと同時に入館、どさくさにまぎれれば一緒に行けたかも。
砂防事業の主力となるディーゼル機関車も展示、
立山の地質や成立ちの紹介は1階。
2階は、明治時代のお雇い外国人から「滝のような川だ!」と驚かれた常願寺川(称名川の本流)の崩壊との闘いの展示が面白い。一日いても飽きない展示と資料です。
芦峅にある立山博物館へも立ち寄ります。
観音寺の銅造地蔵半跏座像の足元には
信州松本町立山講中の刻印が、信州松本とのつながりも明らかです。
富山市内を通り抜けて氷見へ、
石川県との境まで行って、虻が島の背景には立山連峰。
九殿浜温泉、ひみのはなに泊まります。
この日も県民割でお得な宿泊ができました、感謝です。
最終日6日は、氷見界隈を見て歩こうか!
宿から氷見市街へ行く途中にある阿尾城跡、
一説によると前田慶次郎の居城だったという。
道の駅にも行きましたが、ほとんどの店が開店前、お土産としては鯛かまぼこ。
今週末の孫の誕生日(1歳)に出しました。
さて、時間はたっぷりあるからどうしよう?
道路地図を見ていると、氷見から続く高速道路?が。
能越自動車道から小矢部を過ぎ、東海北陸自動車道に続いています。
これなら高山⇒安房経由で帰ろうか?
それなら、白川は行ったこともあるので、五箇山へ寄って帰ろうとなりました。
東海北陸道は片側一車線、それもトンネルの連続で目が疲れます。
ただ走っているだけ、旅の風情も何もありません。
五箇山ICで降り、菅沼集落へ。
合掌造りの前で記念撮影
小腹が空いたので栃餅ぜんざいを
まず目指したのが塩硝の館、
私も以前から不思議に思っていた硝石の作り方。黒色火薬を作るには欠かせないですね。
日本では、古民家の床下の土を集め,ネズミなどの糞尿の化学変化から作るもの、としか知りませんでしたが、ここでは分かりやすく説明しています。
原料は土、草、稗がら、蚕の糞。家の床下に穴を掘って、それらを交互に入れ込み、年に数度切り返しして4年ほど経つと塩硝土ができる。
土中の断面図
次に塩硝土に水を加え、まずは30分の一に、次に2分の一、それをさらに煮詰めて硝石の結晶を取っていくという根気のいる仕事です。
塩硝土抽出の樽や釜
塩硝と火薬
その実物
作業風景のジオラマ
ここ越中の山奥から金沢までの塩硝街道は、いくつもの峠を越えた難路だった。
加賀藩御用の塩硝を作り、着実に加賀の殿さまへ納めるための仕組みも、村内に塩硝吟味人や上煮屋などを置いた組織的なものであった。
この日は中学校の修学旅行生で賑わっていた。
五箇山民俗資料館
生活民具や、養蚕に必要な用具などの展示があったが、目を引いたのは「籠の渡し」
菅沼集落の沿って庄川が流れているが、橋もなく急流であったため古典的ケーブルカーが用いられた。
籠の渡しの実物も川に架かっていました。
実際には乗れないでしょうが、ケーブルを保持する用具も堅牢です。
五箇山と言っても範囲は広く、菅沼から5km程離れた上梨には重要文化財村上家住宅
そこから6km程離れた相倉にも合掌造り集落があります。
菅沼、相倉共に世界遺産に指定されています。
余談ですが、八王子の高尾にある「うかい鳥山」には、ここ五箇山の民家が移築されていることを思い出しました。
帰りは雨になり、高山近郊の道の駅ななもり(七杜)にて昼食、飛騨牛きしめん、1000円也。
安房道路を越えて帰途につきました。
来年こそは、立山カルデラのトロッコ列車に乗るぞ!
3日間の走行距離は631kmでした。