関西二日目の6月23日。
今日は明日香の里です。
レンタカーに乗り、カーナビの示すように左折します。
「あれ?」訳も分からないうちに高速に入ってしまいました。
泊まった奈良パークホテルは西ノ京にあります。そこは阪奈道路のインター入り口にもあたっていたのです。
ナビはそのまま行け! と示していますが、明らかに方向が違います。私は高速道に入る気などさらさらなく南へ行きたいのにナビは西へ誘導しています。
ナビは高速道へ入ったことを認識していて、生駒山を抜け、東大阪から松原、羽曳野を経由して葛城、そして橿原への大迂回路を示しています。
生駒山を抜けるまで降り口は無く、腹をくくってナビ通りに行くことにしました。
しかしそこは高速道、着時間は当初下道を行く際に想定した時間とそんなに変わりません。
ということで何とか橿原に着き、
明日香へ
明日香村雷(いかずち)このあたりが明日香(飛鳥)の里のようです。
明日香と呼ぶにふさわしいまったりとした日本的な風景です。
今日の出発点はここ、飛鳥資料館。
ここで情報を入手し、今日の順路を決めたいと思います。
橿原は藤原京、法隆寺は斑鳩、奈良は平城京、そして東大寺と位置関係が分かります。
照明に映えるしび、
昨日の東大寺にもありました。
ここから出土した富本銭、
私たちが習った日本最古の通貨は和同開珎(708年)でしたがこれは683年、日本最古の銅銭です。
キトラ古墳壁画の複製
など興味あるものが満載ですが、そろそろ昼時、明日香の里を回らないと時間がありません。
まずは資料館前の「天極堂」という吉野葛料理店で腹ごしらえ。
吉野葛を練りこんだ吉野うどん
そして葛ぜんざいをいただきました。
ちょうど腹に充分と思ったのですが、ぜんざいは余分でした、午後は腹が張ってたいへんでした。
午後のいちばんは山田寺、資料館からすぐです。
法隆寺より古いお寺がここにあったという。
蘇我倉山田石川麻呂が建立したとか、ここ明日香の地は蘇我氏の影響が強いところですね。
飛鳥寺への町並み
ここにも飛鳥寺があったようです。
次に行ったのが酒船石遺跡
酒船石は竹やぶに覆われた小高い丘の上、紫陽花が満開です。
酒船石は、昔読んだ手塚治虫の「三つ目が通る」の印象が強いです。
そして亀形石造物
どうやら祭祀に関わる物らしいです。
次が石舞台古墳、この頃になると暑さと湿気で動くのもやっと。
しかし石舞台はスケールが想定外、大きいです。
これは横穴式石室をもつ方形墳、
その様子が中に入るとよくわかります。
築造は7世紀の初め、古墳を覆う封土は無く、天井石が露出してこのようになりました。
そして蘇我氏の居城があった甘樫丘
この麓に豊浦宮がありましたが、蘇我氏は天皇を見下ろしていたのです。
そろそろ帰ろう、その前にお土産を、と甘樫丘近くの道の駅に寄りましたが、めぼしいものは無し、蘇が欲しいと問うと、教えてくれました蘇の製造元を。
道の駅からすぐの西井生乳加工販売所、
蘇を売っていました。
昨晩の情報では、明日香の蘇は白っぽくて柔らかい、
その通りでした。また裏書は
乳脂肪分18%以上、ということは生乳を5分の1以上に煮詰めているのですね。弱火で7~8時間煮詰めるようです。
明日香から1時間半ほどで奈良に、今日の宿は奈良ホテル
このホテルは明治42年に「関西の迎賓館」として建てられたそうです。
ここの夕食はフレンチらしく、今日の腹具合とはそぐわないので、夜は駅前に遠征。
様々物色していると、こんな小路に迷い込みました。雰囲気ありますね!
そしてしもた屋風の「たかま家」に入りました。
ここは「自家製麺、蕎麦酒場」と銘打っていましたが、
炙り京鴨や鱧の天ぷら
そして手打ちそばでした! とても満足。
今度奈良へ来てもこの横丁は良いですよ。一口餃子の店も繁盛していました。
こんなことも旅の醍醐味ですね。
というようなグルメ紀行はともかく、その後になって「アッ!」と気づいたのですが、今日の大阪廻りのコースも無駄じゃなかった! ということです。
この道、推古朝の時代に遣隋使として派遣された小野妹子たちが、堺から大阪湾、瀬戸内海を通って隋へ行き来した道ではないか!
今のように生駒山にトンネルが通っているわけは無し、難波に出るためにはこの道が最短ルートだったのです。
この日はレンタカーで巡ったせいか、かなり歩いたと思ったのですが9900歩でした。
今日は明日香の里です。
レンタカーに乗り、カーナビの示すように左折します。
「あれ?」訳も分からないうちに高速に入ってしまいました。
泊まった奈良パークホテルは西ノ京にあります。そこは阪奈道路のインター入り口にもあたっていたのです。
ナビはそのまま行け! と示していますが、明らかに方向が違います。私は高速道に入る気などさらさらなく南へ行きたいのにナビは西へ誘導しています。
ナビは高速道へ入ったことを認識していて、生駒山を抜け、東大阪から松原、羽曳野を経由して葛城、そして橿原への大迂回路を示しています。
生駒山を抜けるまで降り口は無く、腹をくくってナビ通りに行くことにしました。
しかしそこは高速道、着時間は当初下道を行く際に想定した時間とそんなに変わりません。
ということで何とか橿原に着き、
明日香へ
明日香村雷(いかずち)このあたりが明日香(飛鳥)の里のようです。
明日香と呼ぶにふさわしいまったりとした日本的な風景です。
今日の出発点はここ、飛鳥資料館。
ここで情報を入手し、今日の順路を決めたいと思います。
橿原は藤原京、法隆寺は斑鳩、奈良は平城京、そして東大寺と位置関係が分かります。
照明に映えるしび、
昨日の東大寺にもありました。
ここから出土した富本銭、
私たちが習った日本最古の通貨は和同開珎(708年)でしたがこれは683年、日本最古の銅銭です。
キトラ古墳壁画の複製
など興味あるものが満載ですが、そろそろ昼時、明日香の里を回らないと時間がありません。
まずは資料館前の「天極堂」という吉野葛料理店で腹ごしらえ。
吉野葛を練りこんだ吉野うどん
そして葛ぜんざいをいただきました。
ちょうど腹に充分と思ったのですが、ぜんざいは余分でした、午後は腹が張ってたいへんでした。
午後のいちばんは山田寺、資料館からすぐです。
法隆寺より古いお寺がここにあったという。
蘇我倉山田石川麻呂が建立したとか、ここ明日香の地は蘇我氏の影響が強いところですね。
飛鳥寺への町並み
ここにも飛鳥寺があったようです。
次に行ったのが酒船石遺跡
酒船石は竹やぶに覆われた小高い丘の上、紫陽花が満開です。
酒船石は、昔読んだ手塚治虫の「三つ目が通る」の印象が強いです。
そして亀形石造物
どうやら祭祀に関わる物らしいです。
次が石舞台古墳、この頃になると暑さと湿気で動くのもやっと。
しかし石舞台はスケールが想定外、大きいです。
これは横穴式石室をもつ方形墳、
その様子が中に入るとよくわかります。
築造は7世紀の初め、古墳を覆う封土は無く、天井石が露出してこのようになりました。
そして蘇我氏の居城があった甘樫丘
この麓に豊浦宮がありましたが、蘇我氏は天皇を見下ろしていたのです。
そろそろ帰ろう、その前にお土産を、と甘樫丘近くの道の駅に寄りましたが、めぼしいものは無し、蘇が欲しいと問うと、教えてくれました蘇の製造元を。
道の駅からすぐの西井生乳加工販売所、
蘇を売っていました。
昨晩の情報では、明日香の蘇は白っぽくて柔らかい、
その通りでした。また裏書は
乳脂肪分18%以上、ということは生乳を5分の1以上に煮詰めているのですね。弱火で7~8時間煮詰めるようです。
明日香から1時間半ほどで奈良に、今日の宿は奈良ホテル
このホテルは明治42年に「関西の迎賓館」として建てられたそうです。
ここの夕食はフレンチらしく、今日の腹具合とはそぐわないので、夜は駅前に遠征。
様々物色していると、こんな小路に迷い込みました。雰囲気ありますね!
そしてしもた屋風の「たかま家」に入りました。
ここは「自家製麺、蕎麦酒場」と銘打っていましたが、
炙り京鴨や鱧の天ぷら
そして手打ちそばでした! とても満足。
今度奈良へ来てもこの横丁は良いですよ。一口餃子の店も繁盛していました。
こんなことも旅の醍醐味ですね。
というようなグルメ紀行はともかく、その後になって「アッ!」と気づいたのですが、今日の大阪廻りのコースも無駄じゃなかった! ということです。
この道、推古朝の時代に遣隋使として派遣された小野妹子たちが、堺から大阪湾、瀬戸内海を通って隋へ行き来した道ではないか!
今のように生駒山にトンネルが通っているわけは無し、難波に出るためにはこの道が最短ルートだったのです。
この日はレンタカーで巡ったせいか、かなり歩いたと思ったのですが9900歩でした。