6月22日、今日から4泊5日で奈良、大阪周辺を回ってきます。
1日目は東大寺
2日目は明日香
3日目は高槻のJT生命誌研究館
4日目が吹田の国立民族学博物館 の予定です。
特に後半の二日の予定は、コロナで我慢していたのですが、2年前から計画していたこと、とても楽しみです。
京都までは新幹線、京都からは近鉄の特急で奈良へ入りました。
奈良駅前でレンタカーを借り東大寺へ。
しかし東大寺周辺に駐車場が見当たりません。
さまよった挙句入った駐車場の近くにあったのが転害門、東大寺北西の門です。
その交差点の案内板に目が行きます。
多聞城まで0,5kmとあります。
聖武天皇陵まで0,6km ともあります。
多聞城! 戦国の梟雄と言われた松永弾正久秀の持城じゃないですか!
久秀と言えば東大寺の焼き討ちで有名、その東大寺と多聞城がほんの指呼の間にあるとは!
実地に見なければ想像も出来ないことです。
それは行かずば!
西へ歩き右折すると小高い丘が見えてきました。
これか! 丘のふもとにある公民館が案内所になっているようです。
公民館の職員が詳しく案内してくれます。また地元の大和、多聞城研究会編著の小冊子を如何ですか?と差し出します。お代として500円を出すと、「100円で十分です」良心的です。
しかし、この小冊子その他に寄れば、松永久秀がそんなに悪人ではないという一面も窺えます。
東大寺打ち焼きも、東大寺に立てこもった三好三人衆を攻撃するために、やむを得ず実行したという説や、キリシタンが仏教に打撃を与えるために放火したという説もあるそうです。
多聞城跡は現在若草中学校になっています。
説明文は
上空からの写真では、
若草中学校の校舎とグラウンドの間に見える橋の下が掘割になっていたようです。
また、山すそを左へ行くと聖武天皇陵になります。
聖武天皇陵
いかにも御陵(みささぎ)の佇まいです。隣には光明皇后陵もあります。
それにしても東大寺大仏を建立したいと発願したのが聖武天皇、その大仏殿を焼いてしまったという松永久秀の多聞城が隣り合っているとは何という皮肉でしょう!
先ほどの転害門から東大寺へ、この小学校、鼓坂(つざか)小学校は明石家さんまの母校ということです。
奈良に来たことを感じさせる鹿の親子とも出会い、それと道を歩くとき、鹿の糞を踏まないように歩くことも奈良ならでは?
正倉院へ、
6月4日には松本で「正倉院宝物、再現模造にみる天平の技」展がありました。
ここの御物を、その頃の技を探り当てて再現した見事な品々がありましたが、御物や香木蘭奢待が収まっていた蔵ということも興味津々です。
幻の城 多聞城の中に 蘭奢待の写真が載っていました。
蘭奢待は、信長がそれを所望したあとでは、明治天皇がその香りを楽しんだのみ、ということです。
東大寺境内は広い! 梅雨が明けたかと感じるほどの高温高湿の中を大仏殿に向かいます。
木立の中に屋根は見えても、やっと全貌を目にしました。
境内は修学旅行生で一杯、引率の先生も大変です。
廬舎那仏
そして心柱に目をやると、何本もの木材をまとめ、鉄の輪で締め付けてあります。
これだけの太さの巨木は無かったのか? 2度にわたって焼失した大仏殿が今の状態の再建されたのが1709年、飛鳥時代と江戸宝永年間の巨木の調達具合に事情があったのか?
2年前に法隆寺へ行ったとき目にした柱は一本ものでした。
法隆寺の柱
また法隆寺の時に倣って瓦の奉納、商売繁盛としたためました。
廬舎那仏を背景に記念撮影できるとは!
この瓦、次回大仏殿の葺き替えの時に役に立つでしょうか。
もう一か所、お水取りで有名な二月堂へ行きたいのですが、登りです。
ふうふう言いながらも、途中の茶屋でソフトクリームで涼をとりながら目指します。
二月堂
かなりな傾斜地に建っています。
鶏の絵馬
奈良市中の眺望も良いですね!
京都の東山からの景色のようです。
護摩壇
東大寺ミュージアムで日光,月光菩薩像などを参拝して、私の狙いは奈良奥山ドライブウェイ。
東大寺の境内から若草山、春日山にかけて登る道です。
先ほど駐車場を見つける際に迷い込みそうになった面白そうな道。
快適な木立の中を曲がりくねりながら登っていきます。
若草山頂上からの絶景
そこには鶯塚古墳という前方後円墳もありました。
この古墳、清少納言の枕草子に「うぐいすの陵(みささぎ)」と記されているそうです。
この日の万歩計は16000歩、転害門の前、多聞城へと行く道を真っすぐ行くと平城京、そして今日の宿=奈良パークホテルへと続いています。
後で調べたところ、この道は平城京の一条大路、平城京を東西に貫くの一条目の道だったのか。
ホテルの夕食は
真ん中の皿は前菜(古代食万葉文化味物料理)
その中の左の小皿の下にあるのが蘇。
日本古代のチーズです。ここ奈良の蘇は黒っぽくて硬い、明日香地方の蘇は白っぽくて柔らかいそうです。
陶板焼きの肉は大和牛でした、見かけに反して柔らかく美味しい肉です。
仲居さんに奈良の旨いものは? と聞くと首をかしげますが、それを探ることも楽しみの一部です。
明日の明日香も楽しみです。
1日目は東大寺
2日目は明日香
3日目は高槻のJT生命誌研究館
4日目が吹田の国立民族学博物館 の予定です。
特に後半の二日の予定は、コロナで我慢していたのですが、2年前から計画していたこと、とても楽しみです。
京都までは新幹線、京都からは近鉄の特急で奈良へ入りました。
奈良駅前でレンタカーを借り東大寺へ。
しかし東大寺周辺に駐車場が見当たりません。
さまよった挙句入った駐車場の近くにあったのが転害門、東大寺北西の門です。
その交差点の案内板に目が行きます。
多聞城まで0,5kmとあります。
聖武天皇陵まで0,6km ともあります。
多聞城! 戦国の梟雄と言われた松永弾正久秀の持城じゃないですか!
久秀と言えば東大寺の焼き討ちで有名、その東大寺と多聞城がほんの指呼の間にあるとは!
実地に見なければ想像も出来ないことです。
それは行かずば!
西へ歩き右折すると小高い丘が見えてきました。
これか! 丘のふもとにある公民館が案内所になっているようです。
公民館の職員が詳しく案内してくれます。また地元の大和、多聞城研究会編著の小冊子を如何ですか?と差し出します。お代として500円を出すと、「100円で十分です」良心的です。
しかし、この小冊子その他に寄れば、松永久秀がそんなに悪人ではないという一面も窺えます。
東大寺打ち焼きも、東大寺に立てこもった三好三人衆を攻撃するために、やむを得ず実行したという説や、キリシタンが仏教に打撃を与えるために放火したという説もあるそうです。
多聞城跡は現在若草中学校になっています。
説明文は
上空からの写真では、
若草中学校の校舎とグラウンドの間に見える橋の下が掘割になっていたようです。
また、山すそを左へ行くと聖武天皇陵になります。
聖武天皇陵
いかにも御陵(みささぎ)の佇まいです。隣には光明皇后陵もあります。
それにしても東大寺大仏を建立したいと発願したのが聖武天皇、その大仏殿を焼いてしまったという松永久秀の多聞城が隣り合っているとは何という皮肉でしょう!
先ほどの転害門から東大寺へ、この小学校、鼓坂(つざか)小学校は明石家さんまの母校ということです。
奈良に来たことを感じさせる鹿の親子とも出会い、それと道を歩くとき、鹿の糞を踏まないように歩くことも奈良ならでは?
正倉院へ、
6月4日には松本で「正倉院宝物、再現模造にみる天平の技」展がありました。
ここの御物を、その頃の技を探り当てて再現した見事な品々がありましたが、御物や香木蘭奢待が収まっていた蔵ということも興味津々です。
幻の城 多聞城の中に 蘭奢待の写真が載っていました。
蘭奢待は、信長がそれを所望したあとでは、明治天皇がその香りを楽しんだのみ、ということです。
東大寺境内は広い! 梅雨が明けたかと感じるほどの高温高湿の中を大仏殿に向かいます。
木立の中に屋根は見えても、やっと全貌を目にしました。
境内は修学旅行生で一杯、引率の先生も大変です。
廬舎那仏
そして心柱に目をやると、何本もの木材をまとめ、鉄の輪で締め付けてあります。
これだけの太さの巨木は無かったのか? 2度にわたって焼失した大仏殿が今の状態の再建されたのが1709年、飛鳥時代と江戸宝永年間の巨木の調達具合に事情があったのか?
2年前に法隆寺へ行ったとき目にした柱は一本ものでした。
法隆寺の柱
また法隆寺の時に倣って瓦の奉納、商売繁盛としたためました。
廬舎那仏を背景に記念撮影できるとは!
この瓦、次回大仏殿の葺き替えの時に役に立つでしょうか。
もう一か所、お水取りで有名な二月堂へ行きたいのですが、登りです。
ふうふう言いながらも、途中の茶屋でソフトクリームで涼をとりながら目指します。
二月堂
かなりな傾斜地に建っています。
鶏の絵馬
奈良市中の眺望も良いですね!
京都の東山からの景色のようです。
護摩壇
東大寺ミュージアムで日光,月光菩薩像などを参拝して、私の狙いは奈良奥山ドライブウェイ。
東大寺の境内から若草山、春日山にかけて登る道です。
先ほど駐車場を見つける際に迷い込みそうになった面白そうな道。
快適な木立の中を曲がりくねりながら登っていきます。
若草山頂上からの絶景
そこには鶯塚古墳という前方後円墳もありました。
この古墳、清少納言の枕草子に「うぐいすの陵(みささぎ)」と記されているそうです。
この日の万歩計は16000歩、転害門の前、多聞城へと行く道を真っすぐ行くと平城京、そして今日の宿=奈良パークホテルへと続いています。
後で調べたところ、この道は平城京の一条大路、平城京を東西に貫くの一条目の道だったのか。
ホテルの夕食は
真ん中の皿は前菜(古代食万葉文化味物料理)
その中の左の小皿の下にあるのが蘇。
日本古代のチーズです。ここ奈良の蘇は黒っぽくて硬い、明日香地方の蘇は白っぽくて柔らかいそうです。
陶板焼きの肉は大和牛でした、見かけに反して柔らかく美味しい肉です。
仲居さんに奈良の旨いものは? と聞くと首をかしげますが、それを探ることも楽しみの一部です。
明日の明日香も楽しみです。