本屋で見かけたこの本、
古地図で楽しむ信州、編者の笹本氏は長野県立歴史館の館長とあります。また記事中には明治時代の県内各村の地図が歴史館にあるという。
信州百峠を越えて二百峠を目指してはいるが、発見できる峠に限界を覚える時期になったこの頃。
古地図に峠の痕跡でもあるのでは? と思い長野県立歴史館へ。
どうせ行くなら峠道を通って、
四賀の会田から
花川原峠
麻績から聖湖へ
猿ヶ番場峠は聖湖畔
路肩を見ると旧道に行けそうです。
林道猿ヶ番場線
間違いなさそうです、北国街道脇往還 善光寺道
ここにも歴史が刻まれています、馬塚
江戸時代の領地や水争い、領民間の諍いの歴史です。
峠を抜けて桑原宿へ
千曲市稲荷山を経て長野県立歴史館へ
ちょうど昼時、近くの公園でおにぎりを食べて腹ごしらえ
展示を見て回ります。
仮面のビーナス(女神)
縄文の村
今日辿ってきた善光寺道
南信へ行った際に辿った中馬街道
県内の中馬数
そして中馬で運んだ物量や仕分け先
私が辿っている信州の峠もこれらの物資を運ぶ要になっていたのです。
たった5年間の筑摩県、1871年~76年の間だけ存在した筑摩県は長野県に比べても広大、松本が県庁所在地になった5年間でした。
初期の耕運機
など興味深い展示もたくさんありましたが、私の目的は明治時代の各村地図。
図書館に入り、係りの方に地図の見方を教わりました。
図書館内のパソコンで閲覧可能、膨大な地図はありましたが、地図毎に筆記のタッチや方角、詳しさが違います。また現在の市町村は何度もあった大合併のおかげで、旧町村と折り合いがつきません。
腰を据えて取り組まねば、現在の地図との照合もできないため今日はここまで。
インターネット上でも閲覧可能なため、時間をかけてやっていくつもりです。
帰りは麻績ではなく信州新町経由で。
県道390号線で信州新町へ
信更町を経て
県道12号線へ
牧乃島城跡を経て国道19号線へ
一路松本まで帰りました。
この日の走行距離は186km、所要時間は6時間35分でした。
古地図で楽しむ信州、編者の笹本氏は長野県立歴史館の館長とあります。また記事中には明治時代の県内各村の地図が歴史館にあるという。
信州百峠を越えて二百峠を目指してはいるが、発見できる峠に限界を覚える時期になったこの頃。
古地図に峠の痕跡でもあるのでは? と思い長野県立歴史館へ。
どうせ行くなら峠道を通って、
四賀の会田から
花川原峠
麻績から聖湖へ
猿ヶ番場峠は聖湖畔
路肩を見ると旧道に行けそうです。
林道猿ヶ番場線
間違いなさそうです、北国街道脇往還 善光寺道
ここにも歴史が刻まれています、馬塚
江戸時代の領地や水争い、領民間の諍いの歴史です。
峠を抜けて桑原宿へ
千曲市稲荷山を経て長野県立歴史館へ
ちょうど昼時、近くの公園でおにぎりを食べて腹ごしらえ
展示を見て回ります。
仮面のビーナス(女神)
縄文の村
今日辿ってきた善光寺道
南信へ行った際に辿った中馬街道
県内の中馬数
そして中馬で運んだ物量や仕分け先
私が辿っている信州の峠もこれらの物資を運ぶ要になっていたのです。
たった5年間の筑摩県、1871年~76年の間だけ存在した筑摩県は長野県に比べても広大、松本が県庁所在地になった5年間でした。
初期の耕運機
など興味深い展示もたくさんありましたが、私の目的は明治時代の各村地図。
図書館に入り、係りの方に地図の見方を教わりました。
図書館内のパソコンで閲覧可能、膨大な地図はありましたが、地図毎に筆記のタッチや方角、詳しさが違います。また現在の市町村は何度もあった大合併のおかげで、旧町村と折り合いがつきません。
腰を据えて取り組まねば、現在の地図との照合もできないため今日はここまで。
インターネット上でも閲覧可能なため、時間をかけてやっていくつもりです。
帰りは麻績ではなく信州新町経由で。
県道390号線で信州新町へ
信更町を経て
県道12号線へ
牧乃島城跡を経て国道19号線へ
一路松本まで帰りました。
この日の走行距離は186km、所要時間は6時間35分でした。