4月に信州北部山ノ内温泉に泊まった際、山ノ内町と中野市の境に峠がいくつもあることを発見。
その時は車で来たため、箱山峠の下を通る箱山トンネルをくぐりぬけただけで帰ってきましたが、車道が未整備らしいほかの峠を巡ってみたいと考えていました。
夏の酷暑や台風によって伸ばし伸ばしにした計画を実行に移せそうな晴天に恵まれたことで、思い切ってバイクでの遠出となりました。
9月19日、普段なら中野市へは長野道を行くのですが、110ccのバイクでは下道を行くしかありません。
どうせなら行く途中にも峠は無いか? と探したところ生坂村に横尾峠を発見! 国道19号線を長野方面へ、
生坂村に入って
池沢隧道を抜けたところに入り口があるようです。
トンネル出口を左へ降りて、
トンネル開削前の道は通行止め、そこを左へ、
国道の下を東へくぐりぬける道がありました。
面白い案内が次々と現れます。
池沢明ばん工場跡
江戸時代から昭和10年まで操業していたらしいです。
池沢の赤滝、右の穴には摩利支天像が
こんな道ですが、午前中は日陰で薄暗い谷です。
池沢炭鉱跡、信州にも炭鉱⁉
明治20年代から昭和33年まで採鉱、昭和24年には130人余が働いていたというから驚きです。
そして私にとっての大発見! かやの峠口。
地図にも資料にも載っていなかった峠発見です。
生坂から西条、上田方面へと抜ける重要な峠だったようです。明治35年に篠ノ井線が開通してから衰えたらしいです。
この付近の地図を掲載します。
国土地理院の地図がそのまま掲載できました。
横尾峠の東に萱野という地名があります。この道から東へ延びる沢沿いに峠道があったのでしょう。
尚も行くとどんどん悪路に、
どうやら横尾峠(755m)にたどり着いたようです。
この峠は生坂村根峯と生坂村丸山の間の峠、地図上では丸山まで細い道がありますが、実際は峠でストップ。
引き返します。
途中で登ってきたおじさんから怪しげな目で見られました。どうやらキノコ泥棒に間違われたのかもしれません。
国道19号で長野へ、初めて走る五輪大橋有料道路
125cc以下は20円でした。
小布施は連休とあって大混雑、昼食は中野まで我慢。
中野市内の三宝亭にて、名物⁉の五目うま煮めん+餃子
松本市内の三宝亭が撤退したので久々の五目うま煮めんです。
箱山峠が見渡せる
お稲荷さんの境内で昼寝をさせていただきます。
まずは市内探訪、上杉氏の配下である高梨氏の館は見ておかねば。
高梨氏は平安末期から中野市周辺に蟠踞、川中島の戦いでは上杉氏について戦い、1598年に上杉氏が会津へ移封される際、一緒に会津へ去ったそうです。
箱山峠や更科峠のある東山へ、
まずは更科峠、右へと上ります。
最初はコンクリート打ちの道でしたが
草の生い茂る細道に
やがて、何だか峠の雰囲気
更科峠(652m)に到着、
ここも市町村境、中野側は砂利道ですが、山ノ内町側は一応コンクリートです。
山ノ内の風景
次に行くのは菅(すげ)峠、菅の高札を発見、
しかし峠の入り口が分かりません、地元の人に聞いてみます。
どうやらこの道を突き進めば行けそうですが、通り抜けられるかな? 菅峠はともかく小池峠は高山村へ行けないようだという返事です。
ついでに、昔は小池峠を通て高山村の温泉まで修学旅行をしたそうです。
道の分岐
真っすぐ行けば菅峠、左へ行くと小池峠
菅峠へと向かいます
ところがやっぱり通行止め、中野市側へは行けませんが真っすぐ行くとどうなるか?
こんな道、バイクでもかなりハードです。
開けたところへ出ましたが、地図と照合すると小池峠への道らしい。
しかしここで通行止め、引き返します。
山ノ内町佐野の史跡佐野遺跡、縄文時代晩期の遺跡です。
今日の最後、箱山峠はトンネルの上、
中野市側へ抜けて、右側の柵をくぐって登れそうです。
高い峠ではありませんが、雰囲気がやばそう。熊が出ないか⁉ と鈴をジャラジャラさせて登りますが気持ちが萎えて敗退しました。
今日の宿山ノ内温泉郷へ、
角間温泉滝の湯
共同浴場のようです。
そして角間温泉街
今日の宿は民宿みやま、
内湯は工事中、渡り廊下の先の日帰り温泉に入るということです。
20日は一路帰る予定ですが、地図上に新たな峠を発見!
その名も大熊峠、あまり行きたくない名前です。
中野市に出て長野電鉄沿いに桜沢駅を目指します。
その先の山を登れば大熊峠、
かなりな勾配を登ります。
地図では経路が曖昧なので地元の人に聞きました。
「この先は熊もイノシシも猿も出るよ、捕獲用の檻もあるから気を付けて!」という言葉に文句なく敗退を決めました。
後で情報を確認すると高山村側からなら行けそうです。再チャレンジ計画に入れておきましょう。
その後は長野から篠ノ井へ、国道19号線が工事中だったため山間を信州新町へ抜け、19号に入り家路に着きました。
2日間の走行距離は260kmでした。
その時は車で来たため、箱山峠の下を通る箱山トンネルをくぐりぬけただけで帰ってきましたが、車道が未整備らしいほかの峠を巡ってみたいと考えていました。
夏の酷暑や台風によって伸ばし伸ばしにした計画を実行に移せそうな晴天に恵まれたことで、思い切ってバイクでの遠出となりました。
9月19日、普段なら中野市へは長野道を行くのですが、110ccのバイクでは下道を行くしかありません。
どうせなら行く途中にも峠は無いか? と探したところ生坂村に横尾峠を発見! 国道19号線を長野方面へ、
生坂村に入って
池沢隧道を抜けたところに入り口があるようです。
トンネル出口を左へ降りて、
トンネル開削前の道は通行止め、そこを左へ、
国道の下を東へくぐりぬける道がありました。
面白い案内が次々と現れます。
池沢明ばん工場跡
江戸時代から昭和10年まで操業していたらしいです。
池沢の赤滝、右の穴には摩利支天像が
こんな道ですが、午前中は日陰で薄暗い谷です。
池沢炭鉱跡、信州にも炭鉱⁉
明治20年代から昭和33年まで採鉱、昭和24年には130人余が働いていたというから驚きです。
そして私にとっての大発見! かやの峠口。
地図にも資料にも載っていなかった峠発見です。
生坂から西条、上田方面へと抜ける重要な峠だったようです。明治35年に篠ノ井線が開通してから衰えたらしいです。
この付近の地図を掲載します。
国土地理院の地図がそのまま掲載できました。
横尾峠の東に萱野という地名があります。この道から東へ延びる沢沿いに峠道があったのでしょう。
尚も行くとどんどん悪路に、
どうやら横尾峠(755m)にたどり着いたようです。
この峠は生坂村根峯と生坂村丸山の間の峠、地図上では丸山まで細い道がありますが、実際は峠でストップ。
引き返します。
途中で登ってきたおじさんから怪しげな目で見られました。どうやらキノコ泥棒に間違われたのかもしれません。
国道19号で長野へ、初めて走る五輪大橋有料道路
125cc以下は20円でした。
小布施は連休とあって大混雑、昼食は中野まで我慢。
中野市内の三宝亭にて、名物⁉の五目うま煮めん+餃子
松本市内の三宝亭が撤退したので久々の五目うま煮めんです。
箱山峠が見渡せる
お稲荷さんの境内で昼寝をさせていただきます。
まずは市内探訪、上杉氏の配下である高梨氏の館は見ておかねば。
高梨氏は平安末期から中野市周辺に蟠踞、川中島の戦いでは上杉氏について戦い、1598年に上杉氏が会津へ移封される際、一緒に会津へ去ったそうです。
箱山峠や更科峠のある東山へ、
まずは更科峠、右へと上ります。
最初はコンクリート打ちの道でしたが
草の生い茂る細道に
やがて、何だか峠の雰囲気
更科峠(652m)に到着、
ここも市町村境、中野側は砂利道ですが、山ノ内町側は一応コンクリートです。
山ノ内の風景
次に行くのは菅(すげ)峠、菅の高札を発見、
しかし峠の入り口が分かりません、地元の人に聞いてみます。
どうやらこの道を突き進めば行けそうですが、通り抜けられるかな? 菅峠はともかく小池峠は高山村へ行けないようだという返事です。
ついでに、昔は小池峠を通て高山村の温泉まで修学旅行をしたそうです。
道の分岐
真っすぐ行けば菅峠、左へ行くと小池峠
菅峠へと向かいます
ところがやっぱり通行止め、中野市側へは行けませんが真っすぐ行くとどうなるか?
こんな道、バイクでもかなりハードです。
開けたところへ出ましたが、地図と照合すると小池峠への道らしい。
しかしここで通行止め、引き返します。
山ノ内町佐野の史跡佐野遺跡、縄文時代晩期の遺跡です。
今日の最後、箱山峠はトンネルの上、
中野市側へ抜けて、右側の柵をくぐって登れそうです。
高い峠ではありませんが、雰囲気がやばそう。熊が出ないか⁉ と鈴をジャラジャラさせて登りますが気持ちが萎えて敗退しました。
今日の宿山ノ内温泉郷へ、
角間温泉滝の湯
共同浴場のようです。
そして角間温泉街
今日の宿は民宿みやま、
内湯は工事中、渡り廊下の先の日帰り温泉に入るということです。
20日は一路帰る予定ですが、地図上に新たな峠を発見!
その名も大熊峠、あまり行きたくない名前です。
中野市に出て長野電鉄沿いに桜沢駅を目指します。
その先の山を登れば大熊峠、
かなりな勾配を登ります。
地図では経路が曖昧なので地元の人に聞きました。
「この先は熊もイノシシも猿も出るよ、捕獲用の檻もあるから気を付けて!」という言葉に文句なく敗退を決めました。
後で情報を確認すると高山村側からなら行けそうです。再チャレンジ計画に入れておきましょう。
その後は長野から篠ノ井へ、国道19号線が工事中だったため山間を信州新町へ抜け、19号に入り家路に着きました。
2日間の走行距離は260kmでした。