4月27日、戸隠の朝は爽やか、空には一片の雲もありません。
戸隠は7年に一度の式年大祭、令和最初の岩戸開きということで、混雑を覚悟していましたが、宿の泊り客は私一人、そのうえ「清明(さやけ)クーポン」=式年大祭協賛クーポンなるものまでいただいて計1000円分=飲み物代が助かってしまいました。
宿近くのスキー場から戸隠連峰を見渡します
奥宮も朝ということもありますが、コロナの影響でしょう一人も目に入りません。
祭りのしめ縄が寂しそうです。
鏡池からの戸隠
今日は鬼無里から小川村、中条あたりを徹底的に回る予定です。
式年大祭の飾りつけも華やかな宝光社、
戸隠神社信仰遺跡です。
いざ鬼無里へ、
県道36号線を行きます。
戸隠と鬼無里の境大望峠、
パノラマ図には今日行きたい大洞峠も、
名前の通り大望が望めます。
鬼無里に降りて
松厳禅寺、鬼女の伝説に関係があるそうです。
鬼無里ふるさと資料館に入ります。
鬼無里に伝わる神社の屋台、盛んな時には7台あったそうですが、現存は4台、
見事な一木彫りのすかし彫り、
北村喜代松という彫師とその弟子が遺した遺産です。
また鬼無里は麻の栽培と生産が村を支えていました。
我々がイメージする鬼無里とは、山の奥の更に山奥、信州の最果てと思いますが、近代にいたるまでは祭りの屋台といえ経済力といえ相当なものがあったようです。
現在鬼無里と言えば「いろは堂」のおやき、今日は休業でした。
鬼無里から白馬へ抜ける国道406号線を進みます。
田乃頭という集落で、峠があるという情報はありましたが、かなり前に廃道になり無理だろう、と思っていた柳沢峠の表示を発見、
これは行かなくちゃ! と進みますが、
500mほどで通行止めでした。
次に向かう夫婦越が鬼無里と白馬の境界と思っていたら小川村?
そして白馬村?
そして白沢洞門、この上が夫婦越です。
この写真は洞門の上から撮ったものか?
そして洞門を抜けると素晴らしい景観が、
トンネルの壁が額縁のようです。
正面には五竜岳、そして武田菱の雪形が鮮明に浮き出ています。
白馬側へ少し降りたところでUターン、鬼無里へ戻り県道36号線を小川村へ、
結構な急坂です、勾配11%。
小川村境
ここが大洞峠? もう少し行くと景観が広がります。
小川アルプスライン頂上、ここが大洞峠のようです。
左中条方面、地図上では岩井堂峠はこっちの方角、
その前に高山寺の三重塔を参拝
三重塔は本と同じ
また中条方面へ、県道401号線(小川長野線)を行き、薬師洞窟の案内
を過ぎたところで「腹減った! 気づいたら12時半」 まだ11時頃の感覚でいましたから「昼飯はどうしよう?」
この先で飲食店は望めません、コンビニも山を下りなければありそうもない、アルプスライン頂上周辺も泊り客以外はダメ。
鬼無里まで戻らないと、残念、しかし鬼無里への下り道では戸隠連峰がそそり立って景観です。
ふるさと資料館の隣、ホワイトタイムにて味噌ラーメンの昼食。
食後にルートを再検討、岩井堂峠から地蔵峠へ回る予定でしたが、地図で見ると地蔵峠への道は県道表示です。ということはまず地蔵峠を越えて岩井堂峠へアプローチするほうがスムーズか⁉
ということで国道406号線を戸隠祖山まで、
国道をV字に上がっていくのが県道86号線(戸隠篠ノ井線)、平出の集落を過ぎ、
地蔵峠の表示が、
ありました地蔵峠、右へ降りれば中条です。
峠の上にある石碑に目が行きます。
「官有地払戻記念碑」 中世以来、このあたりは住民の入会地(共有地)だったが、明治になり地租改正の際、時の戸長が誤って官有地と誤記してしまったため入会権を失ってしまいました。その後地元民の粘り強い運動で明治36年に再び入会地として認められた記念碑です。
地元民の心情を思うと、碑を建てて後世に伝えたいという気持ちが理解できます。
地蔵峠から岩井堂峠周辺の地図
昔の岩井堂峠への道
ここまでは県道でしたから何とか来れましたが、この後が面倒そうです。
細い道が錯綜、地形も複雑、集落の名前を手掛かりに右往左往しましょうか。
市場?
県道401号線?
橋詰?
大久保?
大平風穴?
風穴です。
遠見?
大崩?
梅木?
古屋敷、どうやらここを上れば良さそうか?
ここを右へ
あった! 岩井堂峠
その先にあった岩井堂観音
私は峠にたどり着くに精一杯、その後下ってくる車があって「ホッ」、この先も峠までは行けますが、鬼無里側へは降りれないそうです。 目途が立って勇気百倍で上っていくと
峠に着きました。 ここは虫倉山、鬼無里との境です。
やっと今日のノルマを果たし、麓へ降ります、しかしここの道は再訪しようにも無理!
複雑すぎます、中条から東の七二会にかけては道が錯綜し、その上地形も傾斜も半端ない!
今までの峠訪問で一番複雑怪奇な地域でした。
しかし、山の南面に面し、小さな集落が点在しているということは、それだけ物なりの良い豊かな土地でしょう。
中条から小川村、国道19号線が信州新町で工事中のため、県道を今日の宿へ大回り。
そうしたらここも峠か?
峰街道、越道とあります。
峠にはカウントしませんが、数多くの峠を見てくると、峠の風情が分かってきますね。
今日の宿「さぎり荘」、ジンギスカンが有名な宿ですが、
松本清張の小説「乱雲」にも取り上げられているそうです。
戸隠は7年に一度の式年大祭、令和最初の岩戸開きということで、混雑を覚悟していましたが、宿の泊り客は私一人、そのうえ「清明(さやけ)クーポン」=式年大祭協賛クーポンなるものまでいただいて計1000円分=飲み物代が助かってしまいました。
宿近くのスキー場から戸隠連峰を見渡します
奥宮も朝ということもありますが、コロナの影響でしょう一人も目に入りません。
祭りのしめ縄が寂しそうです。
鏡池からの戸隠
今日は鬼無里から小川村、中条あたりを徹底的に回る予定です。
式年大祭の飾りつけも華やかな宝光社、
戸隠神社信仰遺跡です。
いざ鬼無里へ、
県道36号線を行きます。
戸隠と鬼無里の境大望峠、
パノラマ図には今日行きたい大洞峠も、
名前の通り大望が望めます。
鬼無里に降りて
松厳禅寺、鬼女の伝説に関係があるそうです。
鬼無里ふるさと資料館に入ります。
鬼無里に伝わる神社の屋台、盛んな時には7台あったそうですが、現存は4台、
見事な一木彫りのすかし彫り、
北村喜代松という彫師とその弟子が遺した遺産です。
また鬼無里は麻の栽培と生産が村を支えていました。
我々がイメージする鬼無里とは、山の奥の更に山奥、信州の最果てと思いますが、近代にいたるまでは祭りの屋台といえ経済力といえ相当なものがあったようです。
現在鬼無里と言えば「いろは堂」のおやき、今日は休業でした。
鬼無里から白馬へ抜ける国道406号線を進みます。
田乃頭という集落で、峠があるという情報はありましたが、かなり前に廃道になり無理だろう、と思っていた柳沢峠の表示を発見、
これは行かなくちゃ! と進みますが、
500mほどで通行止めでした。
次に向かう夫婦越が鬼無里と白馬の境界と思っていたら小川村?
そして白馬村?
そして白沢洞門、この上が夫婦越です。
この写真は洞門の上から撮ったものか?
そして洞門を抜けると素晴らしい景観が、
トンネルの壁が額縁のようです。
正面には五竜岳、そして武田菱の雪形が鮮明に浮き出ています。
白馬側へ少し降りたところでUターン、鬼無里へ戻り県道36号線を小川村へ、
結構な急坂です、勾配11%。
小川村境
ここが大洞峠? もう少し行くと景観が広がります。
小川アルプスライン頂上、ここが大洞峠のようです。
左中条方面、地図上では岩井堂峠はこっちの方角、
その前に高山寺の三重塔を参拝
三重塔は本と同じ
また中条方面へ、県道401号線(小川長野線)を行き、薬師洞窟の案内
を過ぎたところで「腹減った! 気づいたら12時半」 まだ11時頃の感覚でいましたから「昼飯はどうしよう?」
この先で飲食店は望めません、コンビニも山を下りなければありそうもない、アルプスライン頂上周辺も泊り客以外はダメ。
鬼無里まで戻らないと、残念、しかし鬼無里への下り道では戸隠連峰がそそり立って景観です。
ふるさと資料館の隣、ホワイトタイムにて味噌ラーメンの昼食。
食後にルートを再検討、岩井堂峠から地蔵峠へ回る予定でしたが、地図で見ると地蔵峠への道は県道表示です。ということはまず地蔵峠を越えて岩井堂峠へアプローチするほうがスムーズか⁉
ということで国道406号線を戸隠祖山まで、
国道をV字に上がっていくのが県道86号線(戸隠篠ノ井線)、平出の集落を過ぎ、
地蔵峠の表示が、
ありました地蔵峠、右へ降りれば中条です。
峠の上にある石碑に目が行きます。
「官有地払戻記念碑」 中世以来、このあたりは住民の入会地(共有地)だったが、明治になり地租改正の際、時の戸長が誤って官有地と誤記してしまったため入会権を失ってしまいました。その後地元民の粘り強い運動で明治36年に再び入会地として認められた記念碑です。
地元民の心情を思うと、碑を建てて後世に伝えたいという気持ちが理解できます。
地蔵峠から岩井堂峠周辺の地図
昔の岩井堂峠への道
ここまでは県道でしたから何とか来れましたが、この後が面倒そうです。
細い道が錯綜、地形も複雑、集落の名前を手掛かりに右往左往しましょうか。
市場?
県道401号線?
橋詰?
大久保?
大平風穴?
風穴です。
遠見?
大崩?
梅木?
古屋敷、どうやらここを上れば良さそうか?
ここを右へ
あった! 岩井堂峠
その先にあった岩井堂観音
私は峠にたどり着くに精一杯、その後下ってくる車があって「ホッ」、この先も峠までは行けますが、鬼無里側へは降りれないそうです。 目途が立って勇気百倍で上っていくと
峠に着きました。 ここは虫倉山、鬼無里との境です。
やっと今日のノルマを果たし、麓へ降ります、しかしここの道は再訪しようにも無理!
複雑すぎます、中条から東の七二会にかけては道が錯綜し、その上地形も傾斜も半端ない!
今までの峠訪問で一番複雑怪奇な地域でした。
しかし、山の南面に面し、小さな集落が点在しているということは、それだけ物なりの良い豊かな土地でしょう。
中条から小川村、国道19号線が信州新町で工事中のため、県道を今日の宿へ大回り。
そうしたらここも峠か?
峰街道、越道とあります。
峠にはカウントしませんが、数多くの峠を見てくると、峠の風情が分かってきますね。
今日の宿「さぎり荘」、ジンギスカンが有名な宿ですが、
松本清張の小説「乱雲」にも取り上げられているそうです。
手書きの手紙も好感が持てました。。
ただ、指定日と違う日に配達されたので、留守にしていて、再発送してもらったので、運送業者さんに申し訳なかっったです。
エルメス 横浜店 https://www.bbagok.com/watch/franckmuller/master/f22091b6057d8441.html