4月26日。
平日ですが、今日、明日の予定がコロナの影響でキャンセルになったこと、天気予報が快適な旅を約束してくれたことが相まって、急遽信州百峠に予定を変えました! 連泊ができそうです。
未だに未踏の地は、北信五岳の周辺と志賀高原から浅間山までの東北信ですが、前回下見に行った渋温泉から上は通行止めの区間も多く、東北信の山々は雪の影響もあってもう少し暖かくなってからにしましょう。
今日の宿を戸隠に、明日は信州新町と決めて出発。
後立山連峰もくっきり見渡せる絶好のドライブ日和、長野道を信州最北端の信濃町ICまで、
黒姫野尻湖PAからは妙高山
ICを降りて国道18号線に合流、
野尻湖畔を左、古海へと向かいます。
最初に向かうのは古海峠、野尻坂峠です。
野尻湖畔を北に巻き左折します。
長範山を越すと古海、
右折して山中へ入り込み
上ったところが古海トンネル
私の教本にもこのトンネルが出ていました。
トンネルの上が古海峠(727m)、そこを抜けると野尻湖が一望に
同じ道(県道96号線)を逆へ進めば
かなりの急坂を下ると、新潟県妙高市。
不確かながらこの道が野尻坂峠のようです。
下ればすぐに妙高高原駅、駅の近くには先日も出会った第一スーパー。
駅前の観光案内所で情報収集、野尻坂峠の正確な位置を確定したい!
でも係りの方は???、 県境に「道の歴史情報館」というのがあるから、そこの館長さんに聞いてください。
という願ってもないアドバイスをいただきました、何といっても道の歴史ですから。
妙高山がそそり立つ妙高高原ICの手前を左折
「関川関所」を目指します。
関所前の橋が県境の橋、
本に出ていた橋そのままです。
そこにあるのが関川関所。
何で? 金さん銀さんの銅像?
館長さんに聞いたところ、ここにかかる橋が長寿橋、金さん銀さんがここの生まれではありませんが(愛知県生まれ)竣工時に長寿にあやかってここへ来ていただいたとか。
「道の歴史情報館」
入場料500円、ここ北国街道は越前の前田家が参勤交代に使ったほか、佐渡の金山から出る金塊などを江戸に輸送する重要な道だったとか。私が走った百峠とも大いに関係があります。
神坂峠から碓氷峠、そして松本市四賀がここへ来るための分岐点になっているのですね。
昭和初期の長寿橋
対岸から峠が立ち上がっていたのでしょう。
復元した関所
そして隣が本陣
本陣で昼食です。
観光案内所の情報では、お昼を食べられるところは駅前に一軒とここだけのようです。
Bランチ850円也、小盛蕎麦?普通盛ですよね、お腹いっぱいで残してしまいました。
道の歴史情報館の館長さんの情報では、ここの駐車場を出てしなの鉄道に沿って北へ行けば野尻坂峠に出るはず。
この道を左へ、しなの鉄道北しなの線に導かれます。
そして出たのは来た時の道、
熊坂です。
平安末期、ここと野尻湖を隔てる長範山=野尻坂峠のある山に熊坂長範という盗賊がいてこの界隈を荒らしまわり、源義経に討たれたといういわれています。
この伝説から野尻坂を熊坂と呼び地名としても残っているようです。
北しなの線を渡り
峠に上っていきます、そこそこの傾斜が付いています。
これが峠(666m)か⁉
信州と他国を分ける峠は、他国から来るときつい登りになっているが信州側が平坦なケースがあります。碓氷峠などがそのケース。信州の標高がいかに高いかを思い知る一時です。
もう一つ館長さんからの情報。
信州側に大本道、小本道という地名があるが、昔はそこを峠道が走っていたという。
小さな標識を頼りに入っていきます。
ありました「本道」
長範山の中腹のようです。地図上で見ても熊坂から来ることができそうな地形、今では熊坂へ通じる道は無さそうですが古道が通っていた名残のようです。
一茶のふるさと柏原から戸隠へ、
県道36号線、黒姫山や御巣鷹山、戸隠山の山すそを通って戸隠高原へ
戸隠奥社のそばに越水ヶ原への道標発見!
これが越水ヶ原峠(1230m)か⁉ 何となく峠の雰囲気。
越水ヶ原の案内発見
越水ヶ原峠との明記はありませんがここのようです。
戸隠神社の中社を経て
一の鳥居苑地
ここが一の鳥居峠(1150m)か⁉
一の鳥居は当初木造だったが、寛政年間に大規模な石の鳥居になりましたが、弘化4年の善光寺地震で倒れ、明治19年に木造の大鳥居に建て替えられたが、それも危険になり解体されたという。
戸隠バードラインを通り若槻へと下ります。
信濃町、飯綱へ向かいます。次は坂中峠。
この道は、前回走った北国街道=三本松峠、白坂峠、今日の野尻坂峠や古海峠に並行して西側を南北に走る道。
坂中の集落を抜けると
坂中トンネル、
トンネルをくぐって飯綱側へ、左へ登る道が見えます。坂中峠への道⁉
そのようです、長野への道標に沿って
長野との市境、
坂中峠(817m)のようです、少し行くと峠の案内が。
間違いなし、坂中峠も完登しました。
今日の宿は戸隠小舎、戸隠スキー場の近く、越水ヶ原峠を越えてきました。
戸隠も雪が解けて春の装い
夕食時に越水ヶ原峠の由来を尋ねたら、こんな本を出してくれました。
「峠を越えて ー 戸隠小舎の30年」 ここのご主人故佐々木徳雄、美津子さんご夫婦の共作です。
この本の題名は私にもぴったり、購入を希望しましたが絶版とのこと、残念です。
佐々木さんは1958年にこの小舎を開業、戸隠の越水ヶ原最初の小屋だったようです。
その後、1982年にはダウラギリⅠ峰(8167m)で隊長として登山もされた方です。
この本をお借りして読みましたが、軽いタッチで未だ開発される前の戸隠を描写しています。奥様執筆の小舎で出される料理のレシピも満載、夕食で出されたニョッキのレシピも出ていましたが、家に帰って作ってみようかな。
また越水ヶ原峠についてもあそこで間違いなし!
平日ですが、今日、明日の予定がコロナの影響でキャンセルになったこと、天気予報が快適な旅を約束してくれたことが相まって、急遽信州百峠に予定を変えました! 連泊ができそうです。
未だに未踏の地は、北信五岳の周辺と志賀高原から浅間山までの東北信ですが、前回下見に行った渋温泉から上は通行止めの区間も多く、東北信の山々は雪の影響もあってもう少し暖かくなってからにしましょう。
今日の宿を戸隠に、明日は信州新町と決めて出発。
後立山連峰もくっきり見渡せる絶好のドライブ日和、長野道を信州最北端の信濃町ICまで、
黒姫野尻湖PAからは妙高山
ICを降りて国道18号線に合流、
野尻湖畔を左、古海へと向かいます。
最初に向かうのは古海峠、野尻坂峠です。
野尻湖畔を北に巻き左折します。
長範山を越すと古海、
右折して山中へ入り込み
上ったところが古海トンネル
私の教本にもこのトンネルが出ていました。
トンネルの上が古海峠(727m)、そこを抜けると野尻湖が一望に
同じ道(県道96号線)を逆へ進めば
かなりの急坂を下ると、新潟県妙高市。
不確かながらこの道が野尻坂峠のようです。
下ればすぐに妙高高原駅、駅の近くには先日も出会った第一スーパー。
駅前の観光案内所で情報収集、野尻坂峠の正確な位置を確定したい!
でも係りの方は???、 県境に「道の歴史情報館」というのがあるから、そこの館長さんに聞いてください。
という願ってもないアドバイスをいただきました、何といっても道の歴史ですから。
妙高山がそそり立つ妙高高原ICの手前を左折
「関川関所」を目指します。
関所前の橋が県境の橋、
本に出ていた橋そのままです。
そこにあるのが関川関所。
何で? 金さん銀さんの銅像?
館長さんに聞いたところ、ここにかかる橋が長寿橋、金さん銀さんがここの生まれではありませんが(愛知県生まれ)竣工時に長寿にあやかってここへ来ていただいたとか。
「道の歴史情報館」
入場料500円、ここ北国街道は越前の前田家が参勤交代に使ったほか、佐渡の金山から出る金塊などを江戸に輸送する重要な道だったとか。私が走った百峠とも大いに関係があります。
神坂峠から碓氷峠、そして松本市四賀がここへ来るための分岐点になっているのですね。
昭和初期の長寿橋
対岸から峠が立ち上がっていたのでしょう。
復元した関所
そして隣が本陣
本陣で昼食です。
観光案内所の情報では、お昼を食べられるところは駅前に一軒とここだけのようです。
Bランチ850円也、小盛蕎麦?普通盛ですよね、お腹いっぱいで残してしまいました。
道の歴史情報館の館長さんの情報では、ここの駐車場を出てしなの鉄道に沿って北へ行けば野尻坂峠に出るはず。
この道を左へ、しなの鉄道北しなの線に導かれます。
そして出たのは来た時の道、
熊坂です。
平安末期、ここと野尻湖を隔てる長範山=野尻坂峠のある山に熊坂長範という盗賊がいてこの界隈を荒らしまわり、源義経に討たれたといういわれています。
この伝説から野尻坂を熊坂と呼び地名としても残っているようです。
北しなの線を渡り
峠に上っていきます、そこそこの傾斜が付いています。
これが峠(666m)か⁉
信州と他国を分ける峠は、他国から来るときつい登りになっているが信州側が平坦なケースがあります。碓氷峠などがそのケース。信州の標高がいかに高いかを思い知る一時です。
もう一つ館長さんからの情報。
信州側に大本道、小本道という地名があるが、昔はそこを峠道が走っていたという。
小さな標識を頼りに入っていきます。
ありました「本道」
長範山の中腹のようです。地図上で見ても熊坂から来ることができそうな地形、今では熊坂へ通じる道は無さそうですが古道が通っていた名残のようです。
一茶のふるさと柏原から戸隠へ、
県道36号線、黒姫山や御巣鷹山、戸隠山の山すそを通って戸隠高原へ
戸隠奥社のそばに越水ヶ原への道標発見!
これが越水ヶ原峠(1230m)か⁉ 何となく峠の雰囲気。
越水ヶ原の案内発見
越水ヶ原峠との明記はありませんがここのようです。
戸隠神社の中社を経て
一の鳥居苑地
ここが一の鳥居峠(1150m)か⁉
一の鳥居は当初木造だったが、寛政年間に大規模な石の鳥居になりましたが、弘化4年の善光寺地震で倒れ、明治19年に木造の大鳥居に建て替えられたが、それも危険になり解体されたという。
戸隠バードラインを通り若槻へと下ります。
信濃町、飯綱へ向かいます。次は坂中峠。
この道は、前回走った北国街道=三本松峠、白坂峠、今日の野尻坂峠や古海峠に並行して西側を南北に走る道。
坂中の集落を抜けると
坂中トンネル、
トンネルをくぐって飯綱側へ、左へ登る道が見えます。坂中峠への道⁉
そのようです、長野への道標に沿って
長野との市境、
坂中峠(817m)のようです、少し行くと峠の案内が。
間違いなし、坂中峠も完登しました。
今日の宿は戸隠小舎、戸隠スキー場の近く、越水ヶ原峠を越えてきました。
戸隠も雪が解けて春の装い
夕食時に越水ヶ原峠の由来を尋ねたら、こんな本を出してくれました。
「峠を越えて ー 戸隠小舎の30年」 ここのご主人故佐々木徳雄、美津子さんご夫婦の共作です。
この本の題名は私にもぴったり、購入を希望しましたが絶版とのこと、残念です。
佐々木さんは1958年にこの小舎を開業、戸隠の越水ヶ原最初の小屋だったようです。
その後、1982年にはダウラギリⅠ峰(8167m)で隊長として登山もされた方です。
この本をお借りして読みましたが、軽いタッチで未だ開発される前の戸隠を描写しています。奥様執筆の小舎で出される料理のレシピも満載、夕食で出されたニョッキのレシピも出ていましたが、家に帰って作ってみようかな。
また越水ヶ原峠についてもあそこで間違いなし!
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