家の庭に紫露草が咲き始めました。いよいよ6月ですね。
6月2日、近隣にあって見逃していた大物の峠がありました。
今まで何度も通り抜けていましたが、信州百峠を目指してからは未踏破の和田峠、笠取峠です。
松本からは美ケ原、扉峠を経てビーナスラインで目指します。
三城牧場からアザレアライン
扉峠は昨年、扉温泉から入りましたが、途中の倒木などで通り抜けていません。
扉峠側からの入り口
ゲートは施錠していません。入れそうですが、標識を見るとビビります。
今日の目的はあくまで和田峠、ビーナスラインへ出ました。
和田峠は左ですが、和田から上がってくる県道178号線の出口を確かめるために左、美ケ原方面へ、
そして扉峠の1kmほど北にはもう一つの和田へと下る道、
これが旧扉峠道のようです。
和田手前の美ケ原台上
和田峠手前に発見した、旧中山道の和田峠
標高1600mは五街道の中で最も高い峠でした。
そして国道の和田峠
和田峠トンネル
信号があって交互通行です。新和田トンネルができるまでは交通の要衝でした、今でも大型のダンプやトラックがひっきりなしに通過します。有料でないせいでしょう。
昭和8年の和田峠トンネルの工事風景
峠の和田側=東餅屋の紹介
ここには中山道時代から茶屋がありました。その石垣の土台です。
和田宿本陣で出会った明治時代の東餅屋の写真、
石垣の形は今も変わりません。
和田へと下ります。
ここは接待、
案内にも書かれています。
国史跡永代人馬施行所、江戸の豪商かせや与兵衛が、冬場の和田峠越えに難儀した旅人を助けようと幕府に寄付したことからできました。
そして当地にコンコンと湧き出している黒曜水
この水を汲みに来る人が後を絶ちません、私も地元の人から空のペットボトルを1本いただきお土産に。
国道142号線へでます、新和田トンネルからの道と合流です。
そして和田宿
明治期の和田宿
和田宿本陣、ここで300円なりを払うと、この本陣、大黒屋、歴史の道資料館を見学できます。
上記の写真もここでゲット、詳しい資料もいただけて価値あり!
中山道六十九次
ここに泊まったお偉方
御降嫁された和宮様もここに泊まられたそうです。
奥が一の間
一の間
雪隠
御高貴な方のトイレは便槽がなく、木の入れ物に砂を引き詰め、その都度入れ替えたそうです。
御殿医が毎回観察して健康状態などを確かめたそうです。
湯殿
湯舟がありません。高貴な方々の湯舟は行列と一緒に運んで、毎回の宿所に設置したそうです。
曲者が湯舟の中に忍び込んでいたり、衛生上の問題もあったのでしょう。
大黒屋、旅籠でした。
国史跡歴史の道資料館かわちや、ここも旅籠でした。
笠取峠を目指す前に腹ごしらえ
ラーメンショップにて、ネギ味噌ラーメンと餃子、にんにく濃厚、家に帰ってから「臭い!」と鼻をつかまれました。(写真失念)
和田宿と国道の分岐にあった水明の里碑公園、目論見通り東屋とベンチがありました。
昼休憩、私はこの時間が最も必要です。
国道142号線を立科方面へ、
長久保宿を抜けて峠を上りだすと中山道、でも通行止め
笠取峠へは難なく到着
立科側にある松並木
旧中山道の雰囲気が出ています。
笠取峠の案内
もう一度和田宿へ戻り、扉峠へ右折、県道六十七号線を上ります。
こんな道で高度を稼ぎます。
ビーナスラインへ合流です
そして松本側の扉峠へ
美ケ原の王ヶ頭もクッキリ
この日の走行距離は127km、所要時間は5時間40分でした。
6月2日、近隣にあって見逃していた大物の峠がありました。
今まで何度も通り抜けていましたが、信州百峠を目指してからは未踏破の和田峠、笠取峠です。
松本からは美ケ原、扉峠を経てビーナスラインで目指します。
三城牧場からアザレアライン
扉峠は昨年、扉温泉から入りましたが、途中の倒木などで通り抜けていません。
扉峠側からの入り口
ゲートは施錠していません。入れそうですが、標識を見るとビビります。
今日の目的はあくまで和田峠、ビーナスラインへ出ました。
和田峠は左ですが、和田から上がってくる県道178号線の出口を確かめるために左、美ケ原方面へ、
そして扉峠の1kmほど北にはもう一つの和田へと下る道、
これが旧扉峠道のようです。
和田手前の美ケ原台上
和田峠手前に発見した、旧中山道の和田峠
標高1600mは五街道の中で最も高い峠でした。
そして国道の和田峠
和田峠トンネル
信号があって交互通行です。新和田トンネルができるまでは交通の要衝でした、今でも大型のダンプやトラックがひっきりなしに通過します。有料でないせいでしょう。
昭和8年の和田峠トンネルの工事風景
峠の和田側=東餅屋の紹介
ここには中山道時代から茶屋がありました。その石垣の土台です。
和田宿本陣で出会った明治時代の東餅屋の写真、
石垣の形は今も変わりません。
和田へと下ります。
ここは接待、
案内にも書かれています。
国史跡永代人馬施行所、江戸の豪商かせや与兵衛が、冬場の和田峠越えに難儀した旅人を助けようと幕府に寄付したことからできました。
そして当地にコンコンと湧き出している黒曜水
この水を汲みに来る人が後を絶ちません、私も地元の人から空のペットボトルを1本いただきお土産に。
国道142号線へでます、新和田トンネルからの道と合流です。
そして和田宿
明治期の和田宿
和田宿本陣、ここで300円なりを払うと、この本陣、大黒屋、歴史の道資料館を見学できます。
上記の写真もここでゲット、詳しい資料もいただけて価値あり!
中山道六十九次
ここに泊まったお偉方
御降嫁された和宮様もここに泊まられたそうです。
奥が一の間
一の間
雪隠
御高貴な方のトイレは便槽がなく、木の入れ物に砂を引き詰め、その都度入れ替えたそうです。
御殿医が毎回観察して健康状態などを確かめたそうです。
湯殿
湯舟がありません。高貴な方々の湯舟は行列と一緒に運んで、毎回の宿所に設置したそうです。
曲者が湯舟の中に忍び込んでいたり、衛生上の問題もあったのでしょう。
大黒屋、旅籠でした。
国史跡歴史の道資料館かわちや、ここも旅籠でした。
笠取峠を目指す前に腹ごしらえ
ラーメンショップにて、ネギ味噌ラーメンと餃子、にんにく濃厚、家に帰ってから「臭い!」と鼻をつかまれました。(写真失念)
和田宿と国道の分岐にあった水明の里碑公園、目論見通り東屋とベンチがありました。
昼休憩、私はこの時間が最も必要です。
国道142号線を立科方面へ、
長久保宿を抜けて峠を上りだすと中山道、でも通行止め
笠取峠へは難なく到着
立科側にある松並木
旧中山道の雰囲気が出ています。
笠取峠の案内
もう一度和田宿へ戻り、扉峠へ右折、県道六十七号線を上ります。
こんな道で高度を稼ぎます。
ビーナスラインへ合流です
そして松本側の扉峠へ
美ケ原の王ヶ頭もクッキリ
この日の走行距離は127km、所要時間は5時間40分でした。