1月22~23日にかけて伊豆旅行です。
会社のある卸売団地組合の3回目の団体旅行。大型バスに17名と添乗員さん。ゆったりと朝から缶ビールを飲みながら向かいます。

昼に着いたのが世界遺産(明治日本の産業革命遺産)韮山反射炉。
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反射炉の手前、立像が韮山代官、江川太郎左衛門英龍(担庵)、幕末を代表する行政官です。

ここが昼食場所、牛、豚、鶏そして鰺の開きのバーべキューと地ビールで腹を満たしただけで時間いっぱい。
反射炉や江川太郎左衛門を深堀したかった私にはちょっと惜しかった。

ということで復習です。

1840年の中国アヘン戦争、そして1853年にペリー来航を受けて、幕府もついに海防体制の強化に乗り出さざるを得なくなりました。
そこで、以前から様々な進言をしてきた江川を責任者として、大砲製造に不可欠な反射炉や品川台場の建設が始まりました。
反射炉は当初、海に近い下田に建造され始めました。しかし1854年にペリーが下田に再訪し、そこで取り決められた下田条約で、外国人が下田から7里の範囲なら国内に立ち入ることが承認されたことで、海兵などが建設現場に立ち寄るなどのトラブルが起きたため、内陸の韮山へ移ることとなりました。

1850年以降の国内8エリア、23資産が、西洋から非西洋への産業化の波及を顕わし代表する「明治日本の産業革命遺産」として2015年に世界遺産に登録されました。
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なぜ反射炉というのか?
反射炉とは、17~18世紀にかけてヨーロッパで発達した金属を融かす溶解炉で、内部の天井がドーム状になった炉本体と煉瓦積みの高い煙突からなっています。
石炭などを燃料にして、炉内の天井で熱を反射し、一点に集中させることで千数百度の高温を発し、金属を融かすものでしたので、反射炉と言われました。
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江川太郎左衛門英龍
江川は江戸幕府の韮山代官、韮山代官は伊豆、駿河、相模、甲斐、武蔵にある幕府直轄地の支配をする行政官です。
かれは早くから蘭学を学び、外国からの海防を唱え、幕府に対しても様々な進言をしていました。
信州松代藩の佐久間象山にも影響を与えています。
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幕末の英雄というと薩長土肥の人々が挙げられますが、幕府側にも先を見越した英才がいたのです。