9月17日、午後に岡谷で会議があるのでそちら方面の峠を回ってみよう!
塩尻から木曽に抜ける手前から入って、日出塩⇒牛首峠⇒小野⇒小野(三沢)峠⇒岡谷へ行くと決めました。
小野⇔三沢峠とは、小野の人から見て小野峠、岡谷の人から見て三沢峠ということ。
牛首峠から小野峠への道筋は初期中山道、幕府の勘定奉行で金座や銀座を設置した大久保長安によって1601年に開かれたといいます。しかし木曽⇒諏訪間で二つの峠(牛首、小野)を越えなければならなかったことで1615年に現在も知られている洗馬⇒塩尻⇒塩尻峠への道に変わったようです。もしかしたら大久保長安の失脚とも関係するのかも?
できれば上記以外に善知鳥(うとう)峠や勝弦(かっつる)峠も走ってみたい。

前回の木曽行きで通った「ここより南木曽路」の碑
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の手前200m程のところに「初期中山道」の案内があります。
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国道から左へ入ります。
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塩尻市日出塩地籍
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桜沢沿いの林道を
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登っていくと右へ折れる脇道が、ここは桑崎林道
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しばらく遡ってみますが
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断念! 次回の楽しみに回しましょう。

あっけなく牛首峠に、3km程の道のりでした。
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峠にまつわる言い伝えとコースガイド
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牛首林道の入り口が峠の脇に
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牛首峠の切り通し
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この峠に訪れるのは2度目ですが、道脇に「初期中山道と一里塚」の案内が、
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ありました、草生した斜面に江戸より60里の一里塚
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そのあたりから遠望する小野方面
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山口、中村、下村などを過ぎて
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59里の一里塚
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そして小野の町へでます。右へ曲がると牛首峠
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小野は塩尻を起点に南へ伸びる三州街道の最初の宿場町でした。
今に残る問屋址や
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ジャパンシルクを世界に広げた小野親子の居宅
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が街道筋に残っています。

ちょうど正午、この日の隠れた目的がここ御料理タイガー
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出発前からここのラーメン大盛を食べようと目論んでいましたが
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この日は麺類が品切れ! 焼き肉丼ご飯少な目に変更
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料理が来るまでメニューを見ていたら、
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信濃雪鱒やぎたろう軍鶏の料理ができるようです。ラーメンのスープもこの軍鶏のガラを使っているということ。
夜の営業で予約したら出してくれるそうですが一度味わってみたい。
ここのラーメンも逸品でしたが、焼き肉丼も豚のバラ肉を使ってきちんとした味付けに仕上げてあります。腕は確かと推測できます。
もう一つのエピソードが、ここの創業者が貼り絵作家で有名な山下清を1か月にわたって宿泊させたというもの、
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小野の名店ですね。

満腹の後は小野峠を越えて岡谷まで
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しだれ栗公園の向こうに小野峠がありそうです。
中山道の旧道へ入れば58里の一里塚があるそうですが
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残念ながらチェーンが行く手をふさぎ残念

枝垂栗自生地
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これがしだれ栗、日本でもこれだけまとまったしだれ栗が自生しているところはありません。ただ栗とはいっても小粒すぎて食用にはならないみたいですが。
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公園を高巻いて行くと展望台
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ここが峠? でも展望台に昇ってみます。
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諏訪方面、これからこの方面へ降りていくのか
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今来た牛首峠方面
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そして以前に走った鉢伏山や東山、
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ここから塩尻峠までは直線で5km程、その間に勝弦峠も稜線上に存在します。勝弦峠は武田と小笠原が戦った塩尻峠の戦いの古戦場ということです。それで小笠原氏は中信の領地を失ってしまいました。
松本の林城址は以前に行きましたが小笠原氏の居城跡でした。
もと来た道を少し遡ると小野峠の入り口が
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峠には碑が、右が「をの」左が「みさは」と刻んでいます。
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峠です。
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少し下がると三郡の辻、伊那、諏訪、筑摩の三郡でしょう。
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この道は林道高尾山線
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流水で穿たれた道はハンドルを取られます、注意しないとこけそうです。
やっと舗装路に出て
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峠を抜けました。
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急こう配をしばらく下ると岡谷市街地に
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初期中山道を走ってみて、牛首峠はまだしも小野峠との二峠を越えた初期中山道より、洗馬を通って塩尻峠を越えた後期中山道のほうが楽なことが分かります。
大久保長安の失脚というよりは、より楽な道を選ぶ旅人の気持ちが分かった峠越えでした。

走行距離を測ることを忘れました。所要時間は三時間半でした。