梅雨の天候不順とその後の夏の高温にめげて1か月以上峠走破を怠っていました。
それではこのブログが続かないと、近間で宿題になっていた場所を狙って行動開始したのが8月12日。
松本市中山の埴原から分岐している林道宮ノ入線へ向かいます。

林道入り口の手前に設置されていた看板「埴原牧跡」
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奈良から平安にかけて東国に32牧置かれた官牧=御牧のうち半分の16牧が信州にあったそうです。そういえば信州には御牧村という地名もありますね。
ここは千石原とも言い、千石繋飼場跡とも言われます。
思い出しますが、わが社が30年以上前に売り出した地鶏がここ千石原で飼われていて、ブランド名を「千石原コーチン」と名乗っていました。

埴原の牧を過ぎてすぐを左折すると、
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林道宮ノ入線入り口、そこから少し行った右側に
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林道栗の木線のダートが、
ありました! 鳥獣防護柵、ここを通り抜けるときは緊張感と期待に胸が高鳴ります!
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思いがけない良質なダートです。
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開けたところに出ると、損保ジャパン日本興亜寿の森林、とあります。
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その左手に開道記念碑が、
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昭和54年3月と掘ってあります。

尚も行くと「通り抜けできません」の看板が!
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この林道栗の木線、以前ネットで調べたところ途中が土砂崩落で通り抜けができないと書いてありました。この道を行けば鉢伏山の稜線にたどり着くはずですが結果は如何に?
沢の橋を渡り、
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少々走り辛くなってきました。
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そして山の合間に松本平
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やっぱりありました!
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土砂崩落、その先を見てみると
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なんとか行けそうですが、バイクを担いでこの倒木は越せません。
鉢伏の稜線は近くに見えますがここで断念。
林道入り口から約5,5km、予想以上に快適な林道でしたが、峠制覇には至りませんでした。

振出しに戻って林道宮ノ入線に入ります。
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この道は舗装路、快適に飛ばせます。
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途中に魅惑的な分岐が
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林道水尾線、地図を取り出し調べたところ、宮ノ入線とほとんど平行に走って少し上で合流します。それでは意味がないので本線を行きます。

峠に出ました。右へ行くと5月17日に行った入山辺の大和合、左が今日の進路「林道高遠線」
大和合への道はお盆明けから年末まで工事のため通行できないと書いてありました。
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峠で昼食、今回もコンビニおにぎり。
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食べた後しばらく横にならないと行動できないのが私の宿命、この分岐のど真ん中で横になりましたが、アブがまとわりついて煩いこと! 5分ほどで起き上がって出発、

しばらくは栗の木線と同じく快適なダート、
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送電線の真下を通り
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尚も行くと、一見快適そうなダートですが、
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砂利の厚いところと薄いところが混然一体で車輪を取られます。注意しないとあらぬ方向へ!
そのうちに舗装路
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また悪路! そんなこんなの繰り返し、
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市街地を遠望
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千鹿頭公園への道を発見
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やっと防護柵にたどり着きました
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この谷間が「大嵩崎集落」、小笠原氏の居城林城、右の山が大城、左が小城
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左へ曲がると林道大嵩崎線、
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行きたかったのですが、昼の短い休憩と下りの長いダートの影響でお腹が変調!

大城、小城の案内看板
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ここも素通りして一路向かうはコンビニのトイレ

ホッとしてから來住方を遠望
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左の丸い山が大城、右が小城、そしてその間に聳えるのが高遠山、あの山の右稜線から降りてきたのです。
昼食の峠から麓までの林道鷹遠線が約9km、手入れはされているが下りはきつい! 今度は登りを楽しみたいと思いました。

ここで先程素通りした林城について
小笠原氏は、小笠原貞宗が建武元年(1334)信濃守護職に任命されて府中(松本)の井川に城館を築きます。その後1446年飯田の小笠原氏との家督争いの中で、より堅牢な現地に林城として移り、大城、小城を建設しましたが、天文19年(1550)に武田信玄の侵攻によって自落してしまいました。
現在林城は大城、小城共に国の史跡として認定され、市民のトレッキングルートとしても喜ばれている。
大城は別名金華山城、小城は福山城とも言われています。

朝10時20分に自宅を出て帰宅が13時20分、走行距離はたったの46kmでした。