前回のブログで、4月から6月まで貯めておいたネタが払拭されました。溜まっていたものがアップできてスッキリ!

これからは取材後数日以内でアップすることを目指します、ということで7月26日の紀行です。
前回の奈川方面への走りでは課題を多く残す結果となりました。そこでその課題を少しずつ解明したいと思います。

ここ1か月程は梅雨空が続いてバイクはお手上げ、今日はすっきりとした青空です。
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松本から波田、そして島々を目指します。島々のバスターミナルから島々集落へ
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宮本常一の「私の日本地図」ではここの風景の変わりようを「山から出てきて野に対するにも、野から来て山に入ろうとするにも、いかにも突然という感じのするところである。」と記しています。
ギューッと両岸が狭まるかと思うと
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左下に雑炊橋の橋柱が見えてきます。
その雑炊橋、後で知ったのですが「雑司橋」とも書くようです。
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この後で訪問した「松本市安曇資料館」で収集したネタから紐解くと、
この橋が古の鎌倉街道、飛騨道、野麦街道の松本側の要衝になります。
橋の手前が島々、向こう側が橋場という集落で、飛騨方面からの物資を取り締まる番所がありました。この両集落は目と鼻の先にありながら同一支配ではなく、橋場はここから4km程奥の稲核に属していた。
展示してあった資料によると、この橋は江戸時代
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このような形態であった。
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橋の基礎部分を見てみると、甲州の猿橋や岩国の錦帯橋のような造りをしている。
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明治25年の写真では
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それが明治44年になると釣り橋になり
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昭和34年
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へと形を変えて現在に至っている。
ここからだけ見ても如何に重要な役割を持った橋だということがわかる。

ここから旧道へとスタート、
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今の国道の南斜面を行く、
橋場の町角を左折
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急傾斜を登ると道祖神
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尚も高度差100m?
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島々が眼下に消えていく。そして道はこんな感じ、
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木の間越しに稲核ダムが
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道が良くなったと思ったらこんな場所に
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今までの悪路と比べると夢のよう、稲核方面からの道は均された平坦なダート、そしてここから上方にコンクリート舗装の2車線路が伸びています。
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そこを登って行くとモノレール?HP?
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山の上に広大な仮設ヘリポート出現!
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そしてこれがモノレール基地?
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巨大送電鉄塔の工事でしょうか?
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先ほどの道まで下って稲核方面へ、
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林道としてはA級品のダートです。
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稲核の町に出ました。橋場からここ稲核まで約7km、古代の道を肌で感じました。橋場からの急登、曲がりくねった細い道、そこは馬に荷を積むとへばってしまい、専ら牛の背に荷を積んでゆっくりと運んだそうです。そのような役牛を育んだのがこの奥の奈川地区ということです。現代の国道を行くと約4km、ものの10分ほどの間、私のバイクで40分かかりました。
「私の日本地図」には昭和40年代の道を広げる工事の様子が
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そこから1km程行くと道の駅風穴の里、風穴まで入るのは今回が初めて、
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案内には風穴や旧街道の様子が
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風穴は明治以降蚕の卵を保存するために大活躍したそうです。
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このあたりでは一家にい棟風穴がありました。
ひるがえって現在の活用事例
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地元の酒蔵、大信州、笹の誉、アルプス正宗の低温熟成庫になっています。
この風穴庫の前の道が鎌倉古道、西へ行く道
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東へ下る道
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先ほどの稲核から繋がっていたのでしょう。

風穴の前には松本市安曇資料館、今回貴重な情報をいただきました。
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入り口にあるのが
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上高地の清水屋旅館の水力自家発電装置、明治から活躍していたそうです。
内部の展示にも興味を惹かれます。
杣の村安曇、奈川の主産業は材木の切り出し、シュラという伐採した材木を滑り落とす仕掛けです。
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なぜか日露戦争時の騎兵制服、「坂の上の雲」の主人公秋山好古を彷彿とさせます。
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また蚕道具一式、
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木こりの道具
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炭焼きの道具など
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山間の街道を行き来する牛追いの必需品牛鞍
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昔の経済が良くわかります。

明治の古地図にも遭遇、
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これから向かう入山
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その先祠峠(奈川⇒乗鞍)
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檜峠(乗鞍⇒沢渡)
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にも出会いました!

明治末期の安曇村は
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現在と比較はできません、ほんの100年ほどの時間の経過で人々の暮らしが如何に変わるものなのか!考えさせられました。

さらに入山方面へ、
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国道の急な右カーブを左へ
入山方面2,3km
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T字路の左は
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大白川林道、前回「ダメ!」と言われて断念した林道の出口に遭遇!
多分風穴の里で出会った古道の延長線では?
そのT字路を右へ
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橋を渡りしばらく行くとまたしても進入禁止!
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そこには風変わりなものが、先ほど出会ったモノレールとはこれか!?
急傾斜の山肌をレールが上方へ
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こんな許可証が
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何と! 積載量3t
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突破を断念し、国道に引き返し、前回と同じく奈川ダムの先から入山へ
入山集落の消防団倉庫のT字路から左へ、先ほどの道に通じないか?
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しかしこんな悪路で断念!

入山では交通整理のガードマンさんが、この先で工事をしていてユニックが下ってくるのでストップ、ちょうど昼時、消防倉庫前でまたしてもコンビニおにぎり。
ガードマンさんに何の工事?と尋ねると、山の上部に聳え立つ鉄塔を案内してくれました。
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今までのヘリポートやモノレールの謎が解けました!
野麦峠方面から松本方面へ巨大送電線を山の上に建設する工事でした。前回も工事車両に出くわしましたが、もう数年もやっている巨大プロジェクだそうです。山の頂上に鉄塔を建てるため、そこに資材や人員を運ぶため森林を伐採し、道路を築き、鉄材やコンクリートを運び、鉄塔が建ったらヘリコプターで電線を張るという大掛かりな工事です。
巨大電線網が最優先なエネルギー政策ですが、地域地域で小規模電力網を賄えばこんな大げさな工事も無いのに、先ほど見たように上高地では小規模な水力発電を明治期からやっていたのに。
奈川渡ダムを眼下に見下ろす場所でそんなことを考えました。

ガードマンさんがこんなものもあるよ、
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その碑文では
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やはり大白川林道はここ入山へと繋がっていたのです。
ということでユニックも通り過ぎました。
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この日の目標はここまで、そのあと余禄として奈川の村を縦断、野麦峠の入り口川浦まで行って、月夜沢峠の入り口を確かめました。
その後奈川の山彩館に寄ると、知り合いの長野県農政部の人にばったり。
今農政部は豚コレラ騒ぎで大忙し、「猪の死体がある」と通報が入ると即行動だそうです。この日も木曽から四賀まで行く途中とのこと。「優雅でうらやましいな!」と言われてしまいました。

帰りに奈川渡ダムから下る大カーブ(入山への入り口)へ差し掛かると、
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正面にトンネル掘削?
またしても大きなプロジェクト?
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稲核ダムの左岸では普通ここまでのアングルですが
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この日は通行止めの入り口が開いていました! 早速進入、
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ダムもここまで近寄ると迫力があります。
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この先へ行ってみましたが、途中で大型ダンプとご対面、小さなバイクですが道に余裕がありません。引き返して空間を探しスルー、そんなことを3回ほど繰り返しましたが運転手さんは待っていてくれます。こちらのわがままにも寛容対応、昔のダンプトラックは凶器などと言われましたが今は安全運航に徹しているのですね。
運転手さんありがとうございました。

ということで走行距離が125km 所要時間が7時間、制覇した峠は皆無でしたが、鎌倉古道、野麦街道の輪郭を突き止められたことは収穫です。
祠峠も乗鞍側からは可能性があるか? 月夜沢峠入り口への見当もつきました。