善光寺街道とは、中山道の塩尻洗馬宿から松本を通り、筑北を経由して北国街道篠ノ井から長野の善光寺までの約80kmにわたる街道です。
現在では国道19号線や中央道、JRの篠ノ井線がごく当たり前のルートになっていますが、昔(とは言っても篠ノ井線ができるまで、そんな昔の話ではありません)は善光寺参りなどで人馬が頻繁にこの街道を利用していましたし、武田信玄も川中島の戦いに臨むために往来していた歴史の道でもあります。

そんな歴史の道を松本から善光寺まで我が愛車スーパーカブで踏破しようとチャレンジを開始しました。これから寒くなるので完全踏破は来春になるかもしれませんが、いけるところまで細切れに行ってみたいと思います。

まずは出発点、松本の安原の木戸跡です。ここには江戸時代松本城下から外へ出るための木戸があったと言うことです。付近には下級武士の住まいもありました。
安原

左奥へ行くのが善光寺街道、右手の建物は徳若という老舗のお菓子屋さんです。

萩町、信州大学付属小、中学校の前を抜けます。左の建物は老舗の砂糖問屋。
萩町

その先の五差路を北西(左の小路)へ、
付属北の岐路

少年刑務所の手前で県道を横切り、右上の道へ。
少年刑務所の岐路

女鳥羽中学校の前を通り、
女鳥羽中

岡田神社参堂前に抜けます。
岡田神社入口

ここには刈谷原峠への案内板がコスモスの陰に控えていました。
コスモスと案内板

そして岡田宿
岡田町

ここには、地元の方々が設置した善光寺街道に関る案内や公園が整備されています。まずは岡田宿本陣跡、大名行列のお殿様が泊まりました。
岡田宿本陣跡

地蔵堂
地蔵堂

岡田宿公園ではこの地の歴史が分かります。
岡田宿公園

岡田宿の先で善光寺街道(至刈谷原峠)と江戸海道(至稲倉峠)が分岐。
江戸海道分岐

ここを左へ進むと伊深地区、その中頃には安原の木戸からの一里塚の案内が、これが我が愛車スーパーカブ。
伊深の一里塚

国道254号線の下をくぐっていよいよ坂道。でもちょっと寄り道、ここの近くには昔伊深城がありました。
伊深城案内

刈谷原峠と馬飼峠の分岐点。
峠入口

ここで助平根性を出し、左の馬飼峠へ行ってみよう! この峠は明治以降に作られた刈谷原峠の脇道です。峠頂上から常念岳や槍ヶ岳がの眺望が見えるので行って見たくなりました。
馬飼峠の道

しかし草ぼうぼう、登っていくと何と! 軽トラックが悪路にはまり込んで動けません、おじさん2人が呆然としています。『携帯電話持ってる?』と聞かれたのでお貸ししました。地元の人だったので家に助けを求めています、『トラクターで助けに来てくれ!』と。車を押すのを手伝おうとしましたが人力では動きそうにありません。健闘を祈ってさらに登りますが、
馬飼峠悪路

こちらもギブアップ、大きな石や折れた木が道をふさぎ、わだちは10~20cmも掘られています。先の台風で荒れ果てたようです。バイクの車輪も空転するだけで登れません。すごすごと来た道を引き返す羽目になりました。
おじさんたちの脇を下って分岐点へ、そこで救助のトラクターとすれ違いました。
本来の目的地=刈谷原峠へ登り直します。こちらも舗装路は途中で途切れますが整備された道です。坂はかなりきつくローギヤーでゆっくりと登ります。途中には昔からの馬頭観音が行儀良く並んでいました。
馬頭観音

もっとドラマがあると思いましたが、あっけなく峠へ出ました。
刈谷原峠

峠では地元の人が1人、翌日に予定されている峠ウオーキングの準備のために仮設トイレを作っていました。穴を掘って周りをブルーシートで囲っています。ご苦労様です。
この峠には昔の茶屋跡があるということで聞いてみました。
峠の茶屋跡

樹間には石垣も見えます、茶屋跡の左隅には井戸も、
茶屋の井戸

今でも透明な水を湛えていました。
おじさんに別れを告げて四賀側=刈谷原宿へと降りていきます。
刈谷原峠四賀側入口

これが降り口(登り口)この山の向こうは松本市岡田方面です。

刈谷原宿です。岡田宿の次の宿場町になります。
刈谷原宿


今日はここまで、今来た道を登り返し、峠を越えて家路につきます。
最後に刈谷原峠のショットを。
刈谷原峠2