2026年03月

上田城址、松山記念館

3月25日、あいにくの曇りのち雨。

以前から気になっていた馬犂(ばすき)の博物館が上田にあるということで出かけました。

ゆっくり上田城址を散策したことがなかったので、
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真田神社
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興味深かったのが本丸土塁の隅欠(すみおとし)
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城の北東(鬼門)を欠くことで魔除けを込めたもの。

戊辰の役には上田藩からも従軍したことを初めて知りました。
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赤松小三郎の記念館があるそうですが、
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幕末の海軍伝習所や国会設置の建白書を出した人が信州にいたとは! 佐久間象山にも比肩する人ですね。

丸子にある松山記念館、
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現在のNIPLO松山株式会社につながる勝山源造につながる馬犂の博物館です。
でも入り口には鍵が、そして電話をかけるようにと案内が。
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ちょうど館員の方が銀行へ行っていたみたいです。

旧型の馬犂、
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これは馬にひかせた犂で土を起こすだけでしたが、
松山はこれに改良を加えて、犂を左右に反転させることで
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起こした土で畝を作ることもできる優れもの。
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また引かせる角度も微妙に調整できたことで、簡単な操作でも操りやすく耕運機ができる以前には大きく普及したということです。
各社馬犂のコレクション、
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これら競合対策で、特許権を守るためにも苦労したことが偲ばれます。
また、このような私設の博物館を支える努力と苦労も大したものと言わずにはいられませんね。


お昼は上田名物あんかけ焼きそば、
日昌亭支店では開店と同時に行列が、
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やきそばとワンタンのセット(1190円)
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辛子酢をかけて美味しくいただきました。


岬と峠紀行(東美濃)岩村城址、苗木城址、中山道

3月20日、今日は日帰りでお隣の県岐阜の東美濃へ、

中央道を飯田山本で下りて、
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阿智から平谷村そして根羽村を経て愛知県境を豊田市へ、
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国道257号線へ右折して岐阜県は恵那市へ入りました。
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道の駅上矢作で一服、
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右折岩村城址の看板を、
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車がすれ違うのも困難な細い山道を登っていくと、
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想像に反して? 立派な石垣が!
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山の中且つ城址ということで、森に覆われ誰もいなくて熊でも出るのでは?と慄いていましたが、10人以上の参観者がいる開けた山頂です。

休憩所には歴代城主が、その中に森蘭丸を発見。
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わずか3か月だけ城主を務めたのでしょうか?
などと思いながら本丸へ、
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天守は最初から無く、櫓などが建っていたようですが明治の廃城令で競売に付され取り壊されたそうです。
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そしてここに興味深い案内板が、
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武田氏討伐でこの城に着陣した織田信長は、ここに滞在した時に武田勝頼の討ち死にを知り、そのわずか80日後、6月2日には本能寺で明智光秀の謀反によって自刀しましたが、森蘭丸も信長と共に本能寺で散っています。
ということで森蘭丸が3か月だけの城主ということも頷けます。
また女城主というのは遠山景任の妻ですが、この人は織田信長の叔母おつやの方だったそうです。

岩村城下へ下りてみます。
岩村歴史資料館、
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日本三大山城は、ここと備中松山城、大和の高取城だそうですが、1月に備中へ行ったとき見損なった城ですね。
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岩村城下は懐かしい風情が残っています。
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そこから一路恵那市外へ、そして国道19号線を中津川へ、
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国道沿いにあった東雲、釜飯と鶏ちゃんのお店で、
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奥美濃古地鶏の釜めし1780円。
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30分待つと、ふっくら釜めしが出来上がり。
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中津川を国道257号線で下呂方面へ、
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そこにあるのが苗木城址、
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ここも明治の廃城令でつぶされましたが、それ以前の雄姿。
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駐車場から10分ほど、大矢倉の脇を登ると
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本丸は巨岩の上に、
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天守はこの二つの大岩の上に建っていたそうです。
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眼下には木曽川が、そして現在リニア新幹線の橋脚工事の真っ最中。
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駐車場脇には苗木遠山資料館、
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ちょっと中山道散歩?
県道7号線を馬籠方面へ、
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中山道落合宿本陣、
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そして馬籠まで足を延ばしましたが、
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馬籠峠から長野県に入り木曽路を帰ろうか?とも思いましたが、神坂のスマートインターが目の前にあるので高速で帰る妥協。

岡谷で下りて、奥さんへのお土産は新鶴の塩羊羹。
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この日の走行距離は379km、
所用時間は9時間30分でした。

行程は
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岬と峠紀行(美濃、伊勢、甲賀、伊賀③)島津の退き口、神君伊賀越え

今日は美濃、伊勢、甲賀、伊賀の最終日、
写真データが無いので簡潔に、

鈴鹿へ来たならやっぱり鈴鹿サーキットへ、
半月後にはFー1の日本グランプリが開かれますが、まだ閑散としているサーキットの外周をちょっと半回りして、家康が伊賀越えの際三河へ向かって船出したという白子の浜へ、
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折角伊勢湾に来たのだからと国道23号線を南下し、
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昨年2月にはフエリーで鳥羽に上陸、その後紀伊半島を周りましたが、鳥羽以北は未踏の地なのでその道を鳥羽まで行きます。
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やはり未踏の地には何かある!
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松浦武四郎記念館を発見!
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松浦武四郎とは江戸時代の北海道以北を旅した探検者。
北海道では何度もこの名前に遭遇しましたが、ここ松坂が生誕地だったとは!

彼の生誕地の土蔵にはこのころの記録が大事に保存されていて、その資料が展示されていました。
ここなら1日かけても見ていたい、という感激の出会いでした。

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伊勢を通過して鳥羽のフエリーターミナルで折り返し、
 ↓
スシローで腹ごしらえ、伊勢自動車道から高速に乗って帰路につきました。

三日間の軌跡は
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でした。

岬と峠紀行(美濃、伊勢、甲賀、伊賀②)島津の退き口、神君伊賀越え

3月11日は美濃、伊勢、甲賀、伊賀の二日目。

ところがここでトラブル発生!
それもこの旅から無事帰還した後、1日目のブログ掲載をしたあと我がカメラのSDカードからあらゆるデータが消し飛んでしまいました。
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専門家にも見てもらいましたが、どこにも残っていないということ。

というわけで、この旅の2日目、3日目は頭の中のわずかな思い出だけの貧相な報告のみです。
水口から出発して
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信楽
 ↓
そこから多羅尾へ、
家康が伊賀越えの際泊まったという小川城址へ
 ↓
御斎峠を越えて
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 ↓
桜峠を目指したのですが、全く違う桜峠(多分三重県中部)へとだいぶ遠回りの迷走をしてしまいました。
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京都、奈良の県境を経て大阪の飯森山付近の伊賀越えルートの傍示越えから
 ↓
だいぶ日も傾いて、今晩の宿泊地の鈴鹿からは離れてしまったので、不本意ながら新名神高速道路で一路鈴鹿へ、
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亀山で新名神を下りて加太、そして伊賀の国境まで、
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鈴鹿のルートインホテルに投宿。

不本意な午後を過ごしてしまったのでヤケ酒のため平田町の街へ、
ふと見たお品書きには何と山賊焼?
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三重の地で山賊焼をメニューに出していると勘違いしてオーダーしたら、
何と山椒焼でした。
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こんなことなら、ここへ来る途中で見た大繁盛していたみさき屋のぼつ焼にするんだった。
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岬と峠紀行(美濃、伊勢、甲賀、伊賀①)島津の退き口、神君伊賀越え

3月10日から二泊三日。今回のテーマは二つの退路つまり逃げ口をたどる旅です。

①島津の退き口
 関ケ原の戦いで西軍に属した島津義弘が、敗戦が決定的になった戦場から正面の東軍総大将徳川家康本陣を突破し、伊勢街道から堺、大阪を目指し、瀬戸内から薩摩への逃避行の道。(そのうち伊勢から泉州まで)
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②神君伊賀越え
 本能寺で織田信長が明智に討たれた際、徳川家康は腹心少数と堺にいましたが、その一報を聞いて紀伊半島を横断。伊賀を越え、伊勢に出て海路三河までの逃避行の道。(そのうち泉州から伊勢まで)
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歴史的にも有名な二つの逃避行がほぼ同じ紀伊半島横断(目指す方向は真逆ですが)という判断を下した場所を見分することにワクワクして、10日の朝は6時前に出発。
松本は雪も舞っていましたが、
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神坂SAで小休止の上、
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関ケ原には8時50分着、この間走行距離は250km。ほぼ東京へ行くのと同じ距離です。
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左⇒関ケ原(古戦場)右⇒(四日市ということは島津が逃走した伊勢街道)

関ケ原駅前の観光交流館で情報収集と思いましたが残念ながら休業。
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でも町内には案内がいたるところにあるのでまずは開戦地へ。
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関ケ原古戦場を俯瞰した写真。
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開戦地の直近に島津の陣、左の笹尾山には石田三成陣、右奥の桃配山に徳川家康陣。
そして右から左へと北國街道が走っています。
ここからも石田三成陣の旗指物が遠望できます。
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開戦地の西には小西行長陣。
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そこから500mほどの林の中に島津義弘の陣がありました。
小池神明神社があります。
島津は会戦中ほとんどこの地点にとどまっていたので、ここが今回のスタート地点です。
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石田三成陣へ、重臣島左近と並んで布陣しています。
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戦いの帰趨が決まった決戦地、写真の奥500mほどには石田三成陣が見えます。
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ここで何と中日新聞の記者からインタビュー!
これから暖かくなる観光シーズンに向けて、決戦地の幟を新しく掲げなおしたところとか。
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当地を訪れた動機など聞かれました。もちろん得々と目的を語りましたが、掲載紙面を見れないのが残念。

家康本陣の桃配山は決戦地から2kmほどのガソリンスタンド脇です。
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会戦地を家康の気分で俯瞰します。
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開戦時の布陣、島津義弘は北國街道から井伊直政、松平忠吉や本多忠勝の陣を突破して伊勢街道へ逃走したことが分かります。
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逃走時に討ち死にした島津豊久が討たれたといわれる烏頭坂。
ここには島津、現在では鹿児島県との友好のベンチがあります。
〇に十字が島津の家紋と言われていますが、元々は十字だけだったようです。
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私も一路国道365号線伊勢街道へ、
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島津豊久の墓がありました。
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朝が早かったので腹がすきます、CAFEあめんぼで早めの昼食。
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自家製のシチリアーナ風里山ピザ、鮎のアヒージョが乗っていて美味しかった。
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デザートも甘いピザ。
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国道306号線、彦根、多賀方面へ。
一説ではこのルートで駒野峠や五僧峠を越えて琵琶湖畔へ出たという説もあります。
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ところが冬季閉鎖中、
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もとの国道365号線へ戻ると国道306号線と合体、津、亀山方面へ。
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そして国道1号線に入り大津、甲賀へ、ということは旧東海道か。
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東海道47番目の関宿、道の駅関宿へ。
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東北支援「希望の缶詰」昔懐かしい鯨の缶詰を買いました。
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ここからが鈴鹿越え、鈴鹿峠にナビをセットして置いたら違う鈴鹿峠へ来てしまいました。
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鈴鹿トンネルを抜けて
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滋賀県の甲賀市へ、
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道の駅あいの土山は休業。
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東海道49番目の土山宿、
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案内板に森白泉終焉の地、森鴎外の祖父で医者だった人が亡くなった井筒屋跡。
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島津氏は鈴鹿峠を越えてここ土山宿まで来ましたが、東軍の詮議が厳しいということを察知してもう一度鈴鹿峠へ引き返し迂回したということです。
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でも私は甲賀を探訪。伊賀、甲賀で有名な両地ですが伊賀は三重県、甲賀は滋賀県と別れていることを知りました。
甲賀市は広い! まずは旧甲賀町の甲賀駅へ、
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駅舎の天井から忍者が、
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甲賀流忍術屋敷も、
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私たちは甲賀を「こうが」と読みますがここでは「こうか」と発音するようです?
豊臣政権で五奉行の一人長束正家も統治した水口へ、
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水口城自体は徳川家光時代に出来たようです。
資料館は休館日、
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朝も早かったので疲れました、4時前にチェックイン。
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大浴場でひと風呂浴びて沿道の寿司屋へ、
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走行距離は387km、
所用時間は9時間
旅程は
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