新潟の村上市で鮭の遡上が始まったかをイヨボヤ会館に問い合わせたところ、去年ころから遡上時期が遅くなって、去年は11月の中旬から下旬ごろと教えてもらいました。
それでは今はどこへ行こう???
信州百峠では信州周辺の山脈のすそ野を走ってきましたが、他県にも大規模な山塊が存在することを村上へ行った際に実感しました。そこで今回は谷川岳周辺へ行こう、そこには清水峠という上州と越後を結ぶ国道291号線沿いの峠が寸断されながらも残存していることを知りました。
10月24日から26日まで、上州へ行くなら鳥居峠を越えて真田氏の城址を訪ねるのも一興、上田から沼田までは真田氏の勢力圏。
今日は良い天気ですが明日からは雨だとか、三才山トンネルを抜け、
何といっても最初は上田城。
この城は真田昌幸が天正11年に建てた平城、徳川の2度にわたる城攻めにも耐え抜いたことで名をはせた堅城です。
国道144号線を菅平鳥居峠方面へ、
途中で目にした砥石城址、信玄と村上氏の戦いで、上田原の戦いに次いで敗北を喫したという砥石くずれ。
その当時の経緯が記されています。
砥石くずれの翌天文20年、真田幸隆が計略をもってこの城を陥れています。
砥石米山城址
ここも熊が出てきそうなので登るのは諦めます。
真田郷に入って、真田氏歴史館は9時会館のため入れません。
真田氏本城址へ上ります。
真田氏本城址(松尾城址)は眺め抜群。
上田市方面を望む、真田氏一族も村上氏の支配するこの地が欲しいと切望して武田氏と組んで戦乱の時期を突っ走ったのでしょうか。
角間渓谷まで3km、この渓谷では真田幸村が猿飛佐助や霧隠才蔵らと修行を重ねたとか。
鳥居峠を越えて上州嬬恋村へ、真田氏の面々も何度この峠を越えたことでしょう。
道の駅あがつま峡、
国道145号線から原町へ、岩櫃城址へ行きます。
岩櫃城本丸へ行くには北側へ迂回します。
本丸城址の手前には立派な観光案内所が、
左上方へ行けば本丸跡へ行けますが、往復1時間はかかるので断念、
案内所で豊富な資料とカッコいい袋をいただきました。
麓の郷原駅からかの大河ドラマ「真田丸」の冒頭シーンでおなじみの岩櫃山をカメラに収め、
国道145号線を沼田方面へ、
赤根トンネルをくぐり、
国道17号線との交差点に名胡桃城址が、
当時の般若曲輪が駐車場になっています。
案内所、
地元の高校生が作った名胡桃城址のジオラマ、下の右から2番目が本丸跡、
この城址は東西と北側は河岸段丘になっていて防備が固いのですが、南は赤根峠側から容易に攻められそうです。案内の方からも、北条氏が南から攻めよって落城させたと言っていました。
コンパクトな城址なので散策しようと思いましたが、数日前に熊が出現したため現在は散策禁止になっていました。
本丸跡を望む、
ここの立地は北は清水峠を通って、北西は三国峠を通って越後からの街道が交わる地点です。
よって上杉氏も北条氏と執拗にこの地を攻略したのでしょう。
秀吉が盟約を破った北条氏に激怒して天下統一の発火点となった名胡桃城も、現地に立ってみると地形からもその重要性が分かってきます。
名胡桃城でも豊富な資料をいただきました。
単なる城址(群馬の方には失礼ですが)ながら、「真田丸」以来岩櫃や名胡桃を売り出そうという上州魂には敬意を覚えます。
いよいよ国道291号線に入って湯檜曽、そして谷川岳方面へ、
谷川岳の特徴的な双耳峰が見えてきました。
湯檜曽駅、
谷川岳登山の最寄り駅土合駅は日本一のモグラ駅。
上り線は右へ、下り線は左、
上り東京方面のホームはごく普通ですが、
下り線ホームへ行くには462段の階段をひたすら地下深くへ下らねばなりません。
もう1時過ぎ、昼飯前で腹ペコだったこともあり断念。
このあとさらに上り谷川岳インフォメーションセンターに駐車、昼食のあてはないかと探し回りましたが食べるとこ無し!幸いなことに駐車料は2時間まで無料でした。
諦めて土合駅前のOAND&CAFEまで戻って、
一番辛くないカレー、チキンカレー1600円也。
再度谷川岳インフォメーションセンターに駐車、
谷川岳ロープウェイのゴンドラを上に見ながら、
谷川岳山岳資料館へ
そこからは電気バスで一の倉沢まで楽に行けます。
が、14時のバスは満席、何せ12人しか乗れません。次は最終の14:55分。
最終ということは、その最終バスが折り返す便には山にいる多数の人が押し掛ける可能性があり席取り合戦になりそう。一の倉沢との距離は3,3km下りなら徒歩で下りることもできますが、そのあと三国峠へも行かねば。
ということで一の倉沢へは明日一番のバスで行くことに、返す返すも腹を満たすのもガソリンを満タンにするのも早めの判断が必要なことを思い知りました。
谷川岳山岳資料館には白夜の大岩壁に挑んだ孤高のクライマー山野井泰史のピッケル
北極圏縦断をした犬橇(植村直己の使ったものではないそうです)
植村直己の色紙なども、
水上まで下って仏岩トンネルを抜け、
国道17号線に出て猿ヶ京を通って、
三国街道
そして新三国トンネル1284m、標高1083mを抜け、
新潟県湯沢町へ
ビラ苗場クリスタルで折り返し、
トンネルの前後を覗うと、新潟側からは三国峠への上り道、
群馬側からの登り口はトンネルの側壁から伸びています。
今日の宿は水上温泉坐山みなかみ、
宿の部屋からも谷川岳が望めます。
今日のルートは(赤線です)
走行距離は266km
行動時間は10時間でした。
夕食は
飲み物すべてフリードリンク
風呂は3か所あって、
利根川のせせらぎが聞こえます。
それでは今はどこへ行こう???
信州百峠では信州周辺の山脈のすそ野を走ってきましたが、他県にも大規模な山塊が存在することを村上へ行った際に実感しました。そこで今回は谷川岳周辺へ行こう、そこには清水峠という上州と越後を結ぶ国道291号線沿いの峠が寸断されながらも残存していることを知りました。
10月24日から26日まで、上州へ行くなら鳥居峠を越えて真田氏の城址を訪ねるのも一興、上田から沼田までは真田氏の勢力圏。
今日は良い天気ですが明日からは雨だとか、三才山トンネルを抜け、
何といっても最初は上田城。
この城は真田昌幸が天正11年に建てた平城、徳川の2度にわたる城攻めにも耐え抜いたことで名をはせた堅城です。
国道144号線を菅平鳥居峠方面へ、
途中で目にした砥石城址、信玄と村上氏の戦いで、上田原の戦いに次いで敗北を喫したという砥石くずれ。
その当時の経緯が記されています。
砥石くずれの翌天文20年、真田幸隆が計略をもってこの城を陥れています。
砥石米山城址
ここも熊が出てきそうなので登るのは諦めます。
真田郷に入って、真田氏歴史館は9時会館のため入れません。
真田氏本城址へ上ります。
真田氏本城址(松尾城址)は眺め抜群。
上田市方面を望む、真田氏一族も村上氏の支配するこの地が欲しいと切望して武田氏と組んで戦乱の時期を突っ走ったのでしょうか。
角間渓谷まで3km、この渓谷では真田幸村が猿飛佐助や霧隠才蔵らと修行を重ねたとか。
鳥居峠を越えて上州嬬恋村へ、真田氏の面々も何度この峠を越えたことでしょう。
道の駅あがつま峡、
国道145号線から原町へ、岩櫃城址へ行きます。
岩櫃城本丸へ行くには北側へ迂回します。
本丸城址の手前には立派な観光案内所が、
左上方へ行けば本丸跡へ行けますが、往復1時間はかかるので断念、
案内所で豊富な資料とカッコいい袋をいただきました。
麓の郷原駅からかの大河ドラマ「真田丸」の冒頭シーンでおなじみの岩櫃山をカメラに収め、
国道145号線を沼田方面へ、
赤根トンネルをくぐり、
国道17号線との交差点に名胡桃城址が、
当時の般若曲輪が駐車場になっています。
案内所、
地元の高校生が作った名胡桃城址のジオラマ、下の右から2番目が本丸跡、
この城址は東西と北側は河岸段丘になっていて防備が固いのですが、南は赤根峠側から容易に攻められそうです。案内の方からも、北条氏が南から攻めよって落城させたと言っていました。
コンパクトな城址なので散策しようと思いましたが、数日前に熊が出現したため現在は散策禁止になっていました。
本丸跡を望む、
ここの立地は北は清水峠を通って、北西は三国峠を通って越後からの街道が交わる地点です。
よって上杉氏も北条氏と執拗にこの地を攻略したのでしょう。
秀吉が盟約を破った北条氏に激怒して天下統一の発火点となった名胡桃城も、現地に立ってみると地形からもその重要性が分かってきます。
名胡桃城でも豊富な資料をいただきました。
単なる城址(群馬の方には失礼ですが)ながら、「真田丸」以来岩櫃や名胡桃を売り出そうという上州魂には敬意を覚えます。
いよいよ国道291号線に入って湯檜曽、そして谷川岳方面へ、
谷川岳の特徴的な双耳峰が見えてきました。
湯檜曽駅、
谷川岳登山の最寄り駅土合駅は日本一のモグラ駅。
上り線は右へ、下り線は左、
上り東京方面のホームはごく普通ですが、
下り線ホームへ行くには462段の階段をひたすら地下深くへ下らねばなりません。
もう1時過ぎ、昼飯前で腹ペコだったこともあり断念。
このあとさらに上り谷川岳インフォメーションセンターに駐車、昼食のあてはないかと探し回りましたが食べるとこ無し!幸いなことに駐車料は2時間まで無料でした。
諦めて土合駅前のOAND&CAFEまで戻って、
一番辛くないカレー、チキンカレー1600円也。
再度谷川岳インフォメーションセンターに駐車、
谷川岳ロープウェイのゴンドラを上に見ながら、
谷川岳山岳資料館へ
そこからは電気バスで一の倉沢まで楽に行けます。
が、14時のバスは満席、何せ12人しか乗れません。次は最終の14:55分。
最終ということは、その最終バスが折り返す便には山にいる多数の人が押し掛ける可能性があり席取り合戦になりそう。一の倉沢との距離は3,3km下りなら徒歩で下りることもできますが、そのあと三国峠へも行かねば。
ということで一の倉沢へは明日一番のバスで行くことに、返す返すも腹を満たすのもガソリンを満タンにするのも早めの判断が必要なことを思い知りました。
谷川岳山岳資料館には白夜の大岩壁に挑んだ孤高のクライマー山野井泰史のピッケル
北極圏縦断をした犬橇(植村直己の使ったものではないそうです)
植村直己の色紙なども、
水上まで下って仏岩トンネルを抜け、
国道17号線に出て猿ヶ京を通って、
三国街道
そして新三国トンネル1284m、標高1083mを抜け、
新潟県湯沢町へ
ビラ苗場クリスタルで折り返し、
トンネルの前後を覗うと、新潟側からは三国峠への上り道、
群馬側からの登り口はトンネルの側壁から伸びています。
今日の宿は水上温泉坐山みなかみ、
宿の部屋からも谷川岳が望めます。
今日のルートは(赤線です)
走行距離は266km
行動時間は10時間でした。
夕食は
飲み物すべてフリードリンク
風呂は3か所あって、
利根川のせせらぎが聞こえます。















































































































































