11月7日は5時起きして朝風呂は大浴場。
日の出前に相差漁港へ、
日の出時にちょうど帰港した漁船。
高い岸壁に苦労しながらの荷揚げ、
網の中にうごめく伊勢海老を発見しました。
今日も大漁です!
朝食も盛りだくさん、
伊勢海老の味噌汁も付いてきました。
今朝の新聞を見るとトランプの返り咲き!
宿の女将さんは若いころ海女をしていたそうです。
そのころ獲った最大級のアワビを見せてくれました。
でかい!
朝の散策で発見しましたが、この港には鯨崎があるそうで旅の初めに行ってみました。
海女小屋「おぜごさん」、海中へもぐって冷えた体を温めるためにもこんな小屋が必要だったのでしょう。
ウバメガシの林を抜けていくと
鯨の供養塔
今日は太地町へ行く予定ですが、このあたりにも鯨が寄ってきたのでしょう。
恋路が浜
町内にある相差海女文化資料館へ、
早速海女さんの潜りが、
海女文化を世界遺産に!
磯めがね
これが発明されたのが明治10年ころ、それによってアワビの収穫量が大幅に増えて一時禁止されたこともあったとか、
収穫するアワビの大きさも10,6㎝以上のものに規制し、乱獲を抑えたそうです。
アワビを岩からはがすカギノミ、
この鯨崎沖では駆逐艦「春雨」が座礁しました。
資料館の庭には立派な枝ぶりの昇竜の松。
志摩半島の突端、大王崎を目指します。
岬へといざなう遊歩道には真珠などの宝石店が、
波切九鬼城址、海賊の九鬼氏の城だったのでしょう。
大王崎灯台
この灯台には入れます。
このレンズは現役、
灯台わきには資料館、
建設当時のレンズ、
このレンズはフレネルレンズといって遠くまで光を届けるため精妙な角度に作ってあります。
私が小さいころ流行った流行歌に灯台守を唄った「喜びも悲しみも幾歳月」というのがありました。
1917年にここで座礁した巡洋艦「音羽」
全国には登れる灯台が15基あるそうです。
周遊の旅に加えてみましょうか。
伊勢道から紀勢道へ
奥伊勢PAで昼食、
松坂牛うどん(1050円)と鯛むすび(210円)
一旦高速を降りて国道42号線を新宮へ
熊野古道松本峠、
世界遺産「花の窟」
今回は熊野はスルー、和歌山県との県境、新宮へ入ります。
那智勝浦新宮道で太地へ
太地町で再び国道42号線に合流、
立派な太地駅の内部、
道の駅たいじでくじら博物館の割引券をもらって
親子くじらのモニュメントを過ぎ、
太地町くじらの博物館
入館料は1800円、くじらやイルカのショーも見れます。
中へ入るとドドーンとセミクジラの骨格、
熊野太地捕鯨史
寄贈された鯨の生殖器のはく製、
広い空間では背美鯨が古式捕鯨で獲られています。
古式捕鯨の勢子船、
その舟板と水押、
昭和初期からはここ太地から南氷洋へ鯨獲りがたくさん出かけていました。
昭和13年に砲手として出漁、船団第2位の成績を上げた細野傅次郎の祝賀会の様子。
太地の捕鯨を題材にした吉村昭の「海の絵巻」
捕鯨砲の変遷
古式捕鯨の銛
銛を打った鯨に飛び乗りとどめをさした手形包丁
船同士で通信するためのささやき筒、今でいうスピーカーです。
3時半からはイルカショー、
カマイルカです。
大ジャンプ
博物館の向かいには捕鯨船第一京丸、
鯨を母船に引き込むクロー
太地町を周ります。
漁協スーパーでお買い物
冷凍の鯨各種
地酒ならぬ地酢「金蘭酢」
梶取崎へ
その間際にあった燈明崎、この名前にビビッーときました。
太地の古式捕鯨では鯨を発見するための山見台がここにあったはず、
この突端が岬です。
何と吉備真備もここで難破しています。
熊野灘は難破の名所と言われていますが、駆逐艦や巡洋艦そして遣唐使の吉備真備までが!
山見の狼煙台
鯨を発見するとここから狼煙で合図を港へ送ったそうです。
山見跡
ここに常駐して鯨を発見していました。
太地漁港、
今日の泊りは太地らしい白鯨
元は国民宿舎だったようです。
夕飯はもちろん鯨のフルコース料理
ドドーンとフルコースでした。
日の出前に相差漁港へ、
日の出時にちょうど帰港した漁船。
高い岸壁に苦労しながらの荷揚げ、
網の中にうごめく伊勢海老を発見しました。
今日も大漁です!
朝食も盛りだくさん、
伊勢海老の味噌汁も付いてきました。
今朝の新聞を見るとトランプの返り咲き!
宿の女将さんは若いころ海女をしていたそうです。
そのころ獲った最大級のアワビを見せてくれました。
でかい!
朝の散策で発見しましたが、この港には鯨崎があるそうで旅の初めに行ってみました。
海女小屋「おぜごさん」、海中へもぐって冷えた体を温めるためにもこんな小屋が必要だったのでしょう。
ウバメガシの林を抜けていくと
鯨の供養塔
今日は太地町へ行く予定ですが、このあたりにも鯨が寄ってきたのでしょう。
恋路が浜
町内にある相差海女文化資料館へ、
早速海女さんの潜りが、
海女文化を世界遺産に!
磯めがね
これが発明されたのが明治10年ころ、それによってアワビの収穫量が大幅に増えて一時禁止されたこともあったとか、
収穫するアワビの大きさも10,6㎝以上のものに規制し、乱獲を抑えたそうです。
アワビを岩からはがすカギノミ、
この鯨崎沖では駆逐艦「春雨」が座礁しました。
資料館の庭には立派な枝ぶりの昇竜の松。
志摩半島の突端、大王崎を目指します。
岬へといざなう遊歩道には真珠などの宝石店が、
波切九鬼城址、海賊の九鬼氏の城だったのでしょう。
大王崎灯台
この灯台には入れます。
このレンズは現役、
灯台わきには資料館、
建設当時のレンズ、
このレンズはフレネルレンズといって遠くまで光を届けるため精妙な角度に作ってあります。
私が小さいころ流行った流行歌に灯台守を唄った「喜びも悲しみも幾歳月」というのがありました。
1917年にここで座礁した巡洋艦「音羽」
全国には登れる灯台が15基あるそうです。
周遊の旅に加えてみましょうか。
伊勢道から紀勢道へ
奥伊勢PAで昼食、
松坂牛うどん(1050円)と鯛むすび(210円)
一旦高速を降りて国道42号線を新宮へ
熊野古道松本峠、
世界遺産「花の窟」
今回は熊野はスルー、和歌山県との県境、新宮へ入ります。
那智勝浦新宮道で太地へ
太地町で再び国道42号線に合流、
立派な太地駅の内部、
道の駅たいじでくじら博物館の割引券をもらって
親子くじらのモニュメントを過ぎ、
太地町くじらの博物館
入館料は1800円、くじらやイルカのショーも見れます。
中へ入るとドドーンとセミクジラの骨格、
熊野太地捕鯨史
寄贈された鯨の生殖器のはく製、
広い空間では背美鯨が古式捕鯨で獲られています。
古式捕鯨の勢子船、
その舟板と水押、
昭和初期からはここ太地から南氷洋へ鯨獲りがたくさん出かけていました。
昭和13年に砲手として出漁、船団第2位の成績を上げた細野傅次郎の祝賀会の様子。
太地の捕鯨を題材にした吉村昭の「海の絵巻」
捕鯨砲の変遷
古式捕鯨の銛
銛を打った鯨に飛び乗りとどめをさした手形包丁
船同士で通信するためのささやき筒、今でいうスピーカーです。
3時半からはイルカショー、
カマイルカです。
大ジャンプ
博物館の向かいには捕鯨船第一京丸、
鯨を母船に引き込むクロー
太地町を周ります。
漁協スーパーでお買い物
冷凍の鯨各種
地酒ならぬ地酢「金蘭酢」
梶取崎へ
その間際にあった燈明崎、この名前にビビッーときました。
太地の古式捕鯨では鯨を発見するための山見台がここにあったはず、
この突端が岬です。
何と吉備真備もここで難破しています。
熊野灘は難破の名所と言われていますが、駆逐艦や巡洋艦そして遣唐使の吉備真備までが!
山見の狼煙台
鯨を発見するとここから狼煙で合図を港へ送ったそうです。
山見跡
ここに常駐して鯨を発見していました。
太地漁港、
今日の泊りは太地らしい白鯨
元は国民宿舎だったようです。
夕飯はもちろん鯨のフルコース料理
ドドーンとフルコースでした。