2023年06月

信州百峠(91)沢渡峠、真弓峠そしてカモシカ

24日は奥さんも姉妹の会で諏訪に出かけ、私もまったくのフリー。
天気も持ちそうなので、思い切って木曽路へ。

北アルプスも雲をかぶっています。
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国道19号線で木曽町を通過した際、相撲場(木曽町民相撲場)に多くの幟が林立しています。
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そういえば出羽の海部屋が木曽で合宿しているとニュースで言っていたな。
と思い立ち寄りました。
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時刻は9時半ころ、多くの力士がぶつかりげいこをしています。
いました御嶽海!
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やはり周囲の力士とは貫禄が違います。
前頭まで陥落してしまったけど、前場所は勝ち越し、来場所も10勝以上して大関復帰を目指してもらいたいものです。

木曽町を過ぎ、三岳王滝方面へ、道の駅を過ぎ赤いアーチ橋の手前で県道256号線をはずれて左へ、
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県道473号線、
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森林鉄道の橋脚を過ぎ、
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知人である釜沼温泉大喜泉のご主人から情報収集、
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旧御嶽街道、合戸峠から続く沢渡峠について聞きました。
彼も途中までしか行ったことがない、とのこと。かえって詳しい情報が分かったら教えて?
と言われてしまいました。

大喜泉へ行く途中を右上へ、
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ここが沢渡の集落のようですが、ここの名前が峠の由来ですね。
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民家が尽きると道は細く、草も繁茂しています。
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林道沢渡線、わずかな踏み跡はありますが、心細さ満点です。
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その先500m程、倒木が道をふさぎます。
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細い木なのでどかそうとしますが、非力な私には無理!
ここからのアプローチはこれで断念。

沢渡には今まで住まわれていた何代にもわたる墓標がありました。
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私が見たところでは現在も住まわれている家は1軒限り、先ほどの県道からも1km程、木曽町までも2~3kmの場所ですが、住むには不便でつらい場所なのかもしれません。

県道256号線、王滝方面へ、
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日野百草丸を過ぎてすぐ、
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正面に牧野ダムを見る位置に御岳湖を巻く道が、そこを左、
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そこから20m程をまた左へ、
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直角に曲がる道がそうか? 登っていきます。
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ちょっとした広場に、左右に通じる道がありますが、
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地図を見ると左ですが、草生す先に道路は見当たりません。
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どうしよう? ちょっと踏み込んでみましたが、バイクでは無理。
一応両サイドからアプローチしたのでここで敗退。

今日の目的とした峠はここだけ、でも王滝まで来たのだから真弓峠も可能性を探ってみましょう。
その前に、前回気になっていた林道瀬戸川線、
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1km程で砕石場に
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その先を地図で確認すると真弓峠とは別の山塊のようです。 これも引き返します。

本来なら真弓峠に直登できるはずの鯎(うぐい)川合流点の氷ヶ瀬橋も中部森林管理局によって通行止め。
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橋の先の道路は整備され、荒れてはいないようですが恨めしい。
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ここまで来たのなら滝越まで行って、白巣峠へ行く途中から分岐する林道に期待を託してみます。
何度見ても心を洗われる滝越、左の鞍部が白巣峠方面、右の鞍部が三浦貯水池方面でしょう。
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ちょうど昼時、前回昼食を喫した水交園は休業中。
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食事ができるところは他にありません、持参のインジェリーで補給するだけで出発。

白川付知併用林道を行きます。
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一度来たところは様子もわかっているためか、熊の恐怖もあまりありません。

直進が白巣峠、そこを左へ
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水ヶ瀬小俣林道へ
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ところが100m程でシャットダウン。
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またもや中部森林管理局です。
先の道路もきちんと整備されているところを見ると行けそうです。残念!
真弓峠へのアプローチは、飛騨側から付知渓谷を入るルート、そして今回のルートと両側からアプローチしましたが全敗。
でもちょっとホッとしたことも事実です。
このまま順調に道が続いていたら峠に着くのは何時になるか?
おかげで昼食に早くありつけそうです。

帰りにもドラマが。
滝越へと下る途中で、左わきから突如灰色の物体が飛び出してきました。バイクの前を肉付きの良いお尻を振り振り走っていきます。
カモシカです! およそ30m程バイクで追いかけっこしたあげく茂みに飛び込みました。
あ~、こんなことならヘルメットにビデオを取り付けておけばよかった、とつくづく思いました。
でも熊でなくてよかった。ホッ~

私がカモシカに遭遇したのはこれで5回目?(6回目?)
最初は、浅間温泉東奥の大正山。東斜面から下ってきたカモシカに出会い、こちらの動きを止めたらあちらはジーッと私を見ながら、それでも悠々と西斜面へ登っていきました。
2度目は、同じく浅間温泉東の山田沢。私が鳥獣除けのゲートを開けた途端彼と鉢合わせ。その間隙2m、一瞬見つめあいましたが、角で突っつかれる! と恐れた私が後ずさり。そのたじろいだ隙にいなくなりました。
三度目、(四度目?)はいずれも松本のアルプス公園周囲。確か彼は足の傷を負ってびっこを引いていました。
その次が島々谷。険路の曲がり角を曲がったとたん、向こうから彼が走ってきました。私はパニックを起こし、踵を返して走り下りました。ところがその後カモシカは私を追ってこず、アレッ?と感じましたが、この時は彼の後から釣り人が帰ってきたのでそのためと感じてホッとしたものです。
そして今回は彼と駆けっこ。隆々とした彼の背中からお尻への躍動を直接観察できて大満足!


王滝トンネルは幻想的
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左へ行けば治山工事施工地、濁川保安林管理道とあります。ここも行ってみよう。
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しかし、ここも50m程で終わり。
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案内板に記されていたのは、
昭和59年9月14日に、王滝村を震源とした長野県西部大地震が発生、ここ濁川上流では高さ600mにわたって大崩落、崩落土は名古屋ドーム29杯分、それによって荒廃地が600haとなりました。
上流にあった濁川温泉の従業員をはじめ15名が犠牲になったとのことです。
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濁川、名前のごとく険相の川。
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下流側には慰霊碑が
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三岳に戻り合戸峠三岳側をのぞいてみますが、やはり躊躇してしまいました。
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いや腹がすき過ぎたためか?

1時半過ぎ、やっと昼食を摂ることができました。
そば処一竹、先日聞いたところでは木曽の車屋の分かれだそうです、期待が持てます。
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天ざる1800円也、
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そば、つゆ、天ぷらとも上出来でした。またボリュームも十分。
食べた感も味もGOOD!

浅間温泉に戻ると野球場駐車場でなにやら、明日はツールド美ヶ原ですね。
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この日の走行距離218km、行動時間は8時間でした。
松本から信州の最西端王滝村まで、同じ信州とはいっても100km以上あるんですね。















日本周遊の旅(芸予)5日目は丸亀へ、瀬戸大橋を大阪へ向かう

3日は快晴の朝を迎えました。
青空にくっきり宇和島城。
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松山自動車道を丸亀へ向かいます。
石鎚山PA
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今治名物焼豚玉子飯も冷凍品が出ています。
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丸亀市内へ
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丸亀の中心部、市役所と隣接した丸亀城。
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堀や石垣も立派なものです、城郭全体は松本城の規模を上回ります。
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緩やかなスロープを登ります。
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高石垣、スロープのラインが優美です。
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その基部には四国らしく高浜虚子の句碑
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三の丸までくると讃岐富士(飯野山422m)
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丸亀城天守
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宇和島城の天守閣と同規模でしょうか。

やはり階段は急、
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城主は生駒氏➡山崎氏➡京極氏へと変遷していますが、山崎の名前が出てくるとは!
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天守から瀬戸大橋方面
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城内にある丸亀市立資料館
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山崎家家紋
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檜扇に四ツ目結紋、我が家の紋は井桁に木瓜ですから出自は別ですね。
山崎氏の展示コーナー
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瀬戸中央道へ
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瀬戸大橋を通り
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与島PAで昼食、讃岐うどんを食べたかったので、地元のチェーン店へ。
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山陽道白鳥PAで休息、新名神高速を箕面で降り、娘の家に着いたのが4時半。

娘の手料理で一夜を過ごし、4日には一路松本へ帰りました。
5泊6日で走行距離1952km 使用したガソリンが122,9ℓ
ガソリン消費量はℓ/15,88km でした。

今回のお土産
香川名物骨付鳥と鶏の炭火焼
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ゆずすだちポンズ、各種ミカンジュース
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シトラスチップス
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広島レモンステックケーキ
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そして宇和島じゃこ天、あげ巻き等。
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日本周遊の旅(芸予)4日目は何と!宇和島停滞、鞆の今昔

6月1日の夜は更けて、宇和島城のライトアップ。
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そして2日、
朝5時に緊急避難警報が宇和島市内に鳴り響きます! それで安眠が破られました。
朝のテレビでは台風2号の急接近 !
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宇和島から高知へかけて直撃です。

この日の予定では、宇和島から足摺岬を経て中津渓谷の宿へ行くことになっていましたが、急遽中津渓谷の「ゆの森」へ電話を入れたら「お客様来ない方が良いですよ」。
宿の人の口調にも切迫感が感じられます。 ということで今日1日、宇和島第一ホテルに連泊を決めました。

ホテルの方のお話。
2018年7月の豪雨で宇和島市吉田町では、斜面のミカン畑が崩落し、11名が亡くなるという惨事がおきました。

とはいっても、宇和島市内に慌てた雰囲気は感じられません。私も時間を持て余しそう、それならば目と鼻の先の宇和島城へ登ってみよう。

市内へ出てみます。 津波避難ビルの表示、ここの海抜も低いのでしょう。
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宇和島城の入り口、人っ子一人いません。
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雨で滑るので、推薦ルートはスロープで30分、
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しかし石段でもなんとか行けそうです。石段ルートは15分。
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井戸丸跡
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木立の中から明るさが見えてきました。
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本丸石垣。
左上の石垣はきちっつと積まれています、幕末の切り込み積み、右下は17世紀の野面積み。
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ここまでくると靴はびっしょり、カッパのズボンを穿いてきて良かった。
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二の丸跡
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そして本丸天守
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昨晩聞いたことですが、松本へ行ったことがある宇和島の人が「松本城は立派でいいですね、それに比べると宇和島城は砦程度です」と言っていました。
私は謙遜だと思っていましたが、確かに小規模。宇和島人は謙虚です。

城内に入り目が行ったのは、何といっても幕末の英傑伊達宗城。
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そして伊達宗紀
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階段も急傾斜
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天守から市内を眺める、視界もおぼろです。
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5角形の武者窓
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敵を打つ場合に、これなら広角の敵を狙えます。

城を出て帰りはスロープで、城山郷土館。
紹介ビデオを見せてもらいました。
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ここで目を引いたのは日本初の女医、失本(しいもと)イネ、フォンシーボルトの娘。
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その娘の高子(左)
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イネは長崎で生まれ、医術修行のため宇和島近郊に住む二宮敬作のもとで世話になります。伊達宗城もそれを援助。

そして細工師嘉蔵こと前原巧山
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日本初の蒸気船を完成させた技術者です。
午後に立ち寄った伊達博物館にその模型が。
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昼飯はきさいや広場で郷土料理を。
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奥さんが宇和島鯛めし+じゃこ天
鯛めしとは、新鮮な鯛の刺身をご飯に乗せ、たれと卵で和えていただくもの。
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私は宇和島さつまめし+じゃこ天
さつまめしとは、焼鯛の身をほぐし、地元のみそとすり合わせ、ご飯にかけるもの。
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昼飯が終わり、でも半日が余ります。
雨も小康状態、今日の予定地土佐の四万十方面へ
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インター一つ南の津島へ、道の駅津島やすらぎの里
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周辺の耕地を眺めると、
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道が冠水していたり、田んぼに水が入っていたり、
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市内では気にならなかった台風の爪痕が随所で確認できます。

帰りには伊達博物館へ、
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私が興味を持ったのは嘉蔵の蒸気船のみでした。

この日の夜もほづみ亭で夕食、あらかたの郷土料理は口にしたので、から揚げをオーダー。
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骨付きぶつ切りのから揚げ、これが美味しかったこと!
またかつおのたたきの生きの良さにも感激、本場の藁焼きでした。


この日は話題も少ないので鞆の復習。
持参した宮本常一の「私の日本地図、瀬戸内Ⅱ 芸予の海」
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昭和40年代の芸予
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現在の芸予
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鞆の風景の今昔も。
常夜灯と保命酒倉庫
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その現在、角度は違いますがそのものの倉庫です。
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蔵を兼ねた店舗
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現在の正面
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対潮楼
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現在の対潮楼
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遊郭の小路
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現在
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などなど、明日は台風一過、晴天が見込めそうです。








日本周遊の旅(芸予)3日目はしまなみ海道から松山自動車道を宇和島へ

6月1日、鞆の浦の夜明けは5時11分。
仙酔島の彼方から朝日が。
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今日はしまなみ海道から松山自動車を経て宇和島へ。
時間があれば途中で佐田岬の先端まで行ってみたい。
旅館を出て、鞆の街を走ると町工場が軒を連ねています。
よく見るとどれも造船関連企業、錨を作る工場もあるのですね。
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しまなみ海道へ、
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いよいよ海の道です。
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因島大浜PAから向島を望む、空はいつの間にかどんより曇り、台風2号の影響が出てきました。

車道の下は自転車道、人や125cc以下のバイクも走れるようです。
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生口島瀬戸田PA,この先は愛媛県。
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大三島、伯方島を経て大島へ、ここで村上海賊ミュージアムを訪ねます。
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村上海賊ミュージアム、立派な博物館です。
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エントランス脇には実物の小早船武吉丸。
平成2年に復元されたようです。
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繋船石、船をつなぐ木柱を立てる石。
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能島と鯛崎島、能島村上海賊の本拠地復元図。
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安宅船、戦国から江戸時代の軍船
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関船、海の関所破りをした船を追跡、拿捕するための船。
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海賊の七つ道具、敵船を引き寄せたり、乗組員を海へ叩き落したりするのでしょう。
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村上海賊の娘展示コーナー、
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私もこの小説のおかげで、能島海賊のあらましが理解できました。

ミュージアムから見た能島と鯛崎島。
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もう少し近づいてみました。
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海流の動きが速そうです。
この海流に守られた島の環境が敵を寄せ付けない防御となっています。
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四国に到着、小松から松山自動車に乗ります。
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伊予灘SA,じゃこ天うどんの昼食
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SAに駐車していた「ちぬや」のトラック、そういえば四国は冷凍食品メーカーが多々あります。
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大洲からは一般道に下ります。
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が、同乗の奥さんが疲れ気味、片道50kmにもなる佐田岬往復はあきらめて、一路宇和島へ。
鳥坂隧道、トンネルの暗闇の中から現れたお遍路さんに肝を冷やします。
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お遍路旅も命がけですね。

毎日の美食?に胃も疲れ気味、地元のドラッグ、ツルハグループのくすりのレディで胃薬ゲット、
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宇和島市内に入りました。
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宇和島で一番に行きたかったところが闘牛場。
宇和島市営闘牛場、市の西側にある丸山にあります。
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宇和島闘牛の開催時期は盆暮れなので、当然閑散としています。
闘牛は北は岩手の久慈、新潟の小地谷や山古志、隠岐や徳之島など各地にあります。
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闘牛場
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平成3年の闘牛。
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係員の方が闘牛の模様や技を収録したビデオを見せてくれました。
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そして闘牛場の隣は大学、廃校?になった環太平洋大学。
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草生す廃墟は虚しいものです。
丸山から見た宇和島城。
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そして今日の宿、宇和島第一ホテル。
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佐田岬に行かなかったため時間があります。
市内散策、寂しいアーケード街、
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駅前通りはヤシの並木
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その近くにはスーパーFUJI
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久々のスーパーマーケットMR

ホテルの窓からは宇和島城が指呼の間。
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夕食は街に出ます。
今日の目当ては「ほずみ亭」
メニューには宇和島の名物が並んでいます。
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宇和島名物太刀魚の竹巻き、
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かじりつくのでなく、箸で上下を突っつくとこのようにはずれます。
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明日の天候はどうなるか?
台風2号の進路と影響が心配です。








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日本周遊の旅(芸予)2日目は広島原爆資料館、本郷そして鞆の浦

台風2号がますます接近してきた5月31日、わずかですが雨も降り続いています。

今日のメインは広島原爆資料館。
午前中いっぱいはここで過ごすつもり。
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最初に目に飛び込んだのは戦前の広島中心部、ビルの陰に現在の呼び名で原爆ドーム、戦前には広島県物産陳列館と呼ばれたドーム部分も見えています。
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そして被爆直後の広島、奥に原爆ドームがかろうじて立っています。
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まさに地獄! 被爆直後の被災した人々。
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ひしゃげた自転車。
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などなど。
被災者やその親族の涙なくしては読めない証言も丁寧に読んでいくと、時間はアッという間に経っていきます。
先日の広島サミットではゼレンスキー大統領の来日が注目されましたが、この惨禍への各国首脳の反応は芳しいものとは言えませんでした。一番共感を示したのがゼレンスキー大統領。
「原爆ノー」ではなく「核の傘の下」が既成事実として固定化されてしまいました。
原爆の悲惨さを描いた「はだしのゲン」も学校教育から排除されようとしています。
誠に残念、情けない。我々だけでもこの現実から目を背けてはいけない、と心底思います。
広島平和都市記念碑から原爆ドームを望む
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午前中いっぱいを原爆資料館で過ごし、昼食は奥静でご一緒だったS先生ご推薦の店。
とんかつ料理さち、口の中を切りそうなパン粉で揚げ、特製のたれに浸して食べるとんかつです。
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出てきました、ロースかつ
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奥さんはエビとミルフィーユかつです。
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私はお腹を切ってからとんかつが苦手に、でもカラっと揚がったかつはあっさり、それを浸すたれでよりあっさり食べられます。  久しぶりのとんかつ完食でした、感謝です。

午後は鞆の浦へと向かいますが、昨日高速道で見かけた本郷インターチェンジはその中間にあります。
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本郷鶏肉と同じ名前というだけでなく、このインターを見た際にビビッと頭を走ったのが、ここは大田堯先生の生地だ! ということ。大田先生は偉大な教育学者です。
先生には同友会を通じて大変お世話になりました。長野で先生の講演会を開いたり、埼玉にあった先生のご自宅での学習会にも20回程は通っていました。ある意味私の人生観を確立してくれた大恩人ともいえるでしょう。
その先生が私財を投じて作られた「ほんごうこども図書館」があることを思い出したのです。
今では竹原市に組み込まれた本郷の街に入り、JR本郷駅を目指します。
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本郷駅前に佇むほんごうこども図書館。
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大田先生は本郷町名誉市民にもなっています。
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館の方に聞いたところ、この場所は先生の奥様の生家。他人の手に渡ってタクシー会社になっていたところを、先生が買い戻されて図書館にしたという場所です。
館内は広くはないですが、やわらかい雰囲気が漂っています。親子もくつろいでいます。
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目の前にある本郷駅
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大田先生が100歳で亡くなってから5年、思わぬところで先生の足跡に出会い感無量でした。
少しですが運営費の足しに、ということで寄付もしてきました。

福山市の鞆の浦温泉に向かいます。
いかにも瀬戸内、たゆたう波の向こうには仙酔島
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今日の宿景勝館漣亭に着いたのは5時前。
早速鞆の浦の散策に出かけます。
宿の隣は、何と「龍馬の隠れ部屋」
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幕末に「いろは丸事件」というものが起こりました。
伊予の大洲藩から龍馬ら海援隊が借用したいろは丸が、瀬戸内で紀州藩の明光丸にぶつけられ沈没。
その賠償交渉の中で、龍馬がここを利用したそうです。

保命酒通り? 江戸期には鞆の浦名物であった「保命酒」という薬膳酒の店が軒を接する通りです。
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保命酒のいわれは以下に、信州の養命酒のようなものですね。
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高台にある鞆の浦歴史民俗資料館へ、
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歴史小説でも鞆の浦はしばしば出てくる地名ですが、そのなぜか?がわかる展示。
鞆の浦の立地は、ちょうど瀬戸内海の中間地点。
そのため東西からの満ち潮が出会い、引き潮が分かれる「潮待ち」に最も恵まれた立地にあり、湾も円形に囲われ、仙酔島などの島々が自然の防波堤にもなっているため理想的な良港でした。
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江戸時代の回船航路の中心に位置しています。
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頻繁に行き来した北前船
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また盲目の箏奏者で有名な宮城道雄は、ここからの瀬戸内海をイメージして「春の海」を作曲したそうです。
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資料館から見た鞆の浦の港、いかにも平穏、旅の安寧を予感してくれそうな眺めです。
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そしてこの高台にはもう一つの意味がありました。
鞆城跡、毛利氏が築城し、福島正則が修築した城跡だそうです。
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福島正則、この方の最期は信州高山村、小布施の岩松院にお墓があるそうです。


鞆の浦とのご縁は、龍馬や福島正則に留まりません。
戦国時代には、足利幕府?が一時ここにあった? 足利義昭が自分の天下を夢見て、ここで勅を乱発し、天下をうかがうという時期もありました。鞆の浦幕府か?

そして鞆の浦の象徴である、江戸時代からあった常夜灯。
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そして国の史跡対潮楼。江戸時代まで朝鮮通信使の定宿となったお寺です。
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確か浅野内匠頭は、朝鮮通信使の接待役を仰せつかった際、吉良上野介の嫌がらせに立腹して刃傷に至ったのでは? そんな朝鮮通信使もここをよく使ったようです。


宿の露天風呂から瀬戸内海の眺望
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夕食のメインはさすが瀬戸内、鯛しゃぶでした。
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それに和牛のステーキ付!
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でした。










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