2022年07月

寺井尚子来る!

7月23日、待ちに待ったジャズバイオリニストの寺井尚子が松本にやってきました!
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私は音楽などの興味はあまりありませんが、寺井尚子はユーミンと並んで特別な存在。

そのコンサートがキッセイ文化ホールであり、奥さんと聞きに行きました。
やはりリアルの圧倒的な迫力、寺井尚子の情熱的なバイオリン、酔いしれました。
熱演の中で2度もバイオリンの弦が切れるというハプニングもあり、最後はスタンディングオベーションで幕を閉じました。
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演奏曲は
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そして帰りには3枚のCDも
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ゆっくりと聞きほれるつもりです。





国立民族学博物館(千里万博公園)

6月25日、この日はいよいよ国立民族学博物館(みんぱく)です。
今日が2回目の訪問、千里中央駅からモノレールで万博記念公園駅へ、
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高速道路の跨線橋を渡って公園へ、太陽の塔
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この日も朝からじっとりと暑い! その中を10分ほどで民族学博物館到着
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館内
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2F中央ホールから左へ、その後時計回りで回りました。
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左のAブロックはオセアニアから始まります。
オセアニア⇒南北アメリカ⇒ヨーロッパ⇒アフリカ⇒西アジア⇒南アジア⇒東南アジア⇒中央、北アジア⇒中国⇒東アジア⇒朝鮮⇒アイヌ⇒日本の文化の順番です。
ここを一回りするだけで世界一周文化の旅ができます。

前回はオセアニアを見ただけでしたが、今回はじっくり見ましょう。
ミクロネシア、カロリン諸島のサタワル島から、6名の乗員によって3000kmの航海をして日本に来た遠洋航海用のカヌー。「チェチェメニ号」、1975年沖縄海洋博の企画として渡来したものです。シングルアウトリガー式カヌーです。
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全てが木材由来でできていて、釘やカスガイは用いていない。
帆も帆布ではなく、植物繊維を編んで作っている。
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六分儀もナビもない時代、遠洋航海をするために編み出された航海法
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マーシャル諸島の海図。


ニューギニアの捕人具
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捕人の様子
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中南米は私たちが現在食べているものの発祥地
トウモロコシは中米で栽培化
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ジャガイモはアンデス、右上は凍結乾燥されたジャガイモ
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と、詳しく見ていくときりがないし、興味が尽きない。
今回はザーッと紹介。

不鮮明でいけませんが、コロンブス以前の新旧両大陸主要作物と家畜
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ヨーロッパ、パンの多様性
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東南アジア、移民エスニックのインスタントラーメン
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奴隷貿易と使用されていた足かせ
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一周するのに2時間半、それも駆け足で。展示品をじっくり見るだけで何回来なければいけないだろう、ここで昼食時。

みんぱくの前にあるピザハウスで食べたのは、
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万博公園の間伐材で焼いたマルゲリータ。

ここで暑熱と疲れを癒し、後半戦へ。
午後はビデオテーク、世界の様々な地域で暮らす人々の生活や儀礼、芸能などを記録したビデオを自由に視聴できます。
館内にはそのためのブースが十か所ほど設置されています。
そこでも2時間ほどを過ごしましたが、これも興味が尽きません。

午前中はよく歩きましたが、午後はビデオ鑑賞?だったので、この日の歩数は12000歩弱、これからも何回も訪れたいものです。







興福寺、JT生命誌研究館(高槻)

6月24日朝食時、レストランの窓からフッと目をやると、尖塔が目に入りました。
そうか、興福寺が指呼の間にありました。朝のうちに行っておこう!
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ちなみに朝食は最も軽めのメニュー フレンチトースト、
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興福寺を散策します。しかし今日も朝から暑い!
猿沢の池、中学の修学旅行での思い出は何故かこの池でした。
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五重塔
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目立たないところに建っていた三重塔、これも国宝
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その脇には放水銃、文化財を守る砦ですね。
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そしてこれも国宝、北円堂
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奈良から京都、そこでJRに乗り換え高槻へ。
奥さんは暑いので駅ビルの喫茶店で涼むそうです。
高槻の商店街を通って
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JT医薬総合研究所へ、徒歩10分ほど。
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ここから入ります。
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研究所の一画にJT生命誌研究館はありました。
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研究館はここの1階と2階です。
何が生命誌? 38億年前に誕生した生命が進化、多様化して現在に至る生命誌の歴史を一挙に体感できる施設です。胸ワクワク!

入館料は無料、時間があれば何時間でも、熱い最中はクールダウンするためにもありがたい。
残念ながらお客さんは数名、でも静かな中でじっくり見て回れます。

膨大な展示を全てアップしたいところですが、そうもいきません。
印象に残ったものだけにします。

骨の進化、進化の順にあげます。
ナメクジウオからカワヤツメへ
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ホシザメ(軟骨魚類)からコイ(硬骨魚類)へ
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ミナミアメリカハイギョ(魚に肺ができます)
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ウシガエル(両生類)からクサガメ(爬虫類)へ
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ニホンザル(哺乳類、霊長類)とニワトリ(鳥類)
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骨を見るだけでも進化の模様が分かります。

細胞の模型
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裏から見ると
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単細胞とか言いますが、一つの細胞の複雑なこと!

そして世界のオサムシ
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オサムシを漢字表記で「治虫」、読み名の通りですが、鉄腕アトムでおなじみの手塚治虫はご存じですね!
手塚治虫は幼少時からの昆虫少年、漫画家としてデビューするときから「てずかおさむし」とよむことを強く希望していたが、周囲からの違和感が大きく「てずかおさむ」となったらしいです。
オサムシは世界の分布していて、飛ぶことができない。
そこで世界のオサムシの分布を調べることで、大陸の移動とその中での生命の分布などが分かるらしい⁉ 私にはよくわからないが?
ということで、養老孟子先生が熱中しているゾウムシなどと同じように、生命の進化が分かるらしい。

出口(入り口?)の間際でこの本を発見!
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ここ、JT生命誌研究館に来たかった目的はこの人に会いたかったから。
それを志向したのが3年前、2020年までこの方はここの館長さんだったのです。
ここに来たら会えるとはもちろん思っていませんでしたが、2代目館長をしていた時に来たかった。
もちろん3代目館長の永田和宏さんもすごい人だと思います。
でも、ときめいたときにすぐに来られないコロナ禍が忌まわしいですね。

それにしても「老いを愛づる」、今の私にピッタリです。
もちろん速攻で購買。

ところで中村桂子さん、この名前を知ったのはこの本、
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大田堯さんは東大教育学部の名誉教授、同友会に大きな影響を与えた教育者です。
私も「共に育つ」という本にあった「猿が2本足で立つようになったのはその気になったから!」というフレーズから社員教育を深く考えるようになりました。
その先生は教育学ばかりでなく、生物学人間の進化にも造詣が深く、2018年100歳で亡くなる前に中村桂子さんとの対談本が出たということに感銘を受けました。
そんな経緯でJT生命誌研究館をいつかは訪れたいと思っていたのです。

この日は暑くて蒸す中12000歩歩きました。













明日香の里漫遊

関西二日目の6月23日。

今日は明日香の里です。
レンタカーに乗り、カーナビの示すように左折します。
「あれ?」訳も分からないうちに高速に入ってしまいました。
泊まった奈良パークホテルは西ノ京にあります。そこは阪奈道路のインター入り口にもあたっていたのです。
ナビはそのまま行け! と示していますが、明らかに方向が違います。私は高速道に入る気などさらさらなく南へ行きたいのにナビは西へ誘導しています。
ナビは高速道へ入ったことを認識していて、生駒山を抜け、東大阪から松原、羽曳野を経由して葛城、そして橿原への大迂回路を示しています。
生駒山を抜けるまで降り口は無く、腹をくくってナビ通りに行くことにしました。
しかしそこは高速道、着時間は当初下道を行く際に想定した時間とそんなに変わりません。

ということで何とか橿原に着き、
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明日香へ
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明日香村雷(いかずち)このあたりが明日香(飛鳥)の里のようです。
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明日香と呼ぶにふさわしいまったりとした日本的な風景です。

今日の出発点はここ、飛鳥資料館。
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ここで情報を入手し、今日の順路を決めたいと思います。

橿原は藤原京、法隆寺は斑鳩、奈良は平城京、そして東大寺と位置関係が分かります。
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照明に映えるしび、
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昨日の東大寺にもありました。
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ここから出土した富本銭、
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私たちが習った日本最古の通貨は和同開珎(708年)でしたがこれは683年、日本最古の銅銭です。
キトラ古墳壁画の複製
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など興味あるものが満載ですが、そろそろ昼時、明日香の里を回らないと時間がありません。

まずは資料館前の「天極堂」という吉野葛料理店で腹ごしらえ。
吉野葛を練りこんだ吉野うどん
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そして葛ぜんざいをいただきました。
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ちょうど腹に充分と思ったのですが、ぜんざいは余分でした、午後は腹が張ってたいへんでした。


午後のいちばんは山田寺、資料館からすぐです。
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法隆寺より古いお寺がここにあったという。
蘇我倉山田石川麻呂が建立したとか、ここ明日香の地は蘇我氏の影響が強いところですね。

飛鳥寺への町並み
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ここにも飛鳥寺があったようです。
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次に行ったのが酒船石遺跡
酒船石は竹やぶに覆われた小高い丘の上、紫陽花が満開です。
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酒船石は、昔読んだ手塚治虫の「三つ目が通る」の印象が強いです。
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そして亀形石造物
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どうやら祭祀に関わる物らしいです。

次が石舞台古墳、この頃になると暑さと湿気で動くのもやっと。
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しかし石舞台はスケールが想定外、大きいです。
これは横穴式石室をもつ方形墳、
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その様子が中に入るとよくわかります。
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築造は7世紀の初め、古墳を覆う封土は無く、天井石が露出してこのようになりました。

そして蘇我氏の居城があった甘樫丘
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この麓に豊浦宮がありましたが、蘇我氏は天皇を見下ろしていたのです。

そろそろ帰ろう、その前にお土産を、と甘樫丘近くの道の駅に寄りましたが、めぼしいものは無し、蘇が欲しいと問うと、教えてくれました蘇の製造元を。
道の駅からすぐの西井生乳加工販売所、
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蘇を売っていました。
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昨晩の情報では、明日香の蘇は白っぽくて柔らかい、
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その通りでした。また裏書は
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乳脂肪分18%以上、ということは生乳を5分の1以上に煮詰めているのですね。弱火で7~8時間煮詰めるようです。

明日香から1時間半ほどで奈良に、今日の宿は奈良ホテル
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このホテルは明治42年に「関西の迎賓館」として建てられたそうです。
ここの夕食はフレンチらしく、今日の腹具合とはそぐわないので、夜は駅前に遠征。

様々物色していると、こんな小路に迷い込みました。雰囲気ありますね!
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そしてしもた屋風の「たかま家」に入りました。
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ここは「自家製麺、蕎麦酒場」と銘打っていましたが、
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炙り京鴨や鱧の天ぷら
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そして手打ちそばでした! とても満足。
今度奈良へ来てもこの横丁は良いですよ。一口餃子の店も繁盛していました。
こんなことも旅の醍醐味ですね。


というようなグルメ紀行はともかく、その後になって「アッ!」と気づいたのですが、今日の大阪廻りのコースも無駄じゃなかった! ということです。
この道、推古朝の時代に遣隋使として派遣された小野妹子たちが、堺から大阪湾、瀬戸内海を通って隋へ行き来した道ではないか!
今のように生駒山にトンネルが通っているわけは無し、難波に出るためにはこの道が最短ルートだったのです。

この日はレンタカーで巡ったせいか、かなり歩いたと思ったのですが9900歩でした。









東大寺周辺

6月22日、今日から4泊5日で奈良、大阪周辺を回ってきます。
1日目は東大寺
2日目は明日香
3日目は高槻のJT生命誌研究館
4日目が吹田の国立民族学博物館 の予定です。
特に後半の二日の予定は、コロナで我慢していたのですが、2年前から計画していたこと、とても楽しみです。

京都までは新幹線、京都からは近鉄の特急で奈良へ入りました。
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奈良駅前でレンタカーを借り東大寺へ。

しかし東大寺周辺に駐車場が見当たりません。
さまよった挙句入った駐車場の近くにあったのが転害門、東大寺北西の門です。
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その交差点の案内板に目が行きます。
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多聞城まで0,5kmとあります。
聖武天皇陵まで0,6km  ともあります。

多聞城! 戦国の梟雄と言われた松永弾正久秀の持城じゃないですか!
久秀と言えば東大寺の焼き討ちで有名、その東大寺と多聞城がほんの指呼の間にあるとは!
実地に見なければ想像も出来ないことです。
それは行かずば!
西へ歩き右折すると小高い丘が見えてきました。
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これか! 丘のふもとにある公民館が案内所になっているようです。
公民館の職員が詳しく案内してくれます。また地元の大和、多聞城研究会編著の小冊子を如何ですか?と差し出します。お代として500円を出すと、「100円で十分です」良心的です。
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しかし、この小冊子その他に寄れば、松永久秀がそんなに悪人ではないという一面も窺えます。
東大寺打ち焼きも、東大寺に立てこもった三好三人衆を攻撃するために、やむを得ず実行したという説や、キリシタンが仏教に打撃を与えるために放火したという説もあるそうです。

多聞城跡は現在若草中学校になっています。
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説明文は
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上空からの写真では、
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若草中学校の校舎とグラウンドの間に見える橋の下が掘割になっていたようです。
また、山すそを左へ行くと聖武天皇陵になります。

聖武天皇陵
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いかにも御陵(みささぎ)の佇まいです。隣には光明皇后陵もあります。
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それにしても東大寺大仏を建立したいと発願したのが聖武天皇、その大仏殿を焼いてしまったという松永久秀の多聞城が隣り合っているとは何という皮肉でしょう!


先ほどの転害門から東大寺へ、この小学校、鼓坂(つざか)小学校は明石家さんまの母校ということです。
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奈良に来たことを感じさせる鹿の親子とも出会い、それと道を歩くとき、鹿の糞を踏まないように歩くことも奈良ならでは?
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正倉院へ、
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6月4日には松本で「正倉院宝物、再現模造にみる天平の技」展がありました。
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ここの御物を、その頃の技を探り当てて再現した見事な品々がありましたが、御物や香木蘭奢待が収まっていた蔵ということも興味津々です。
幻の城 多聞城の中に 蘭奢待の写真が載っていました。
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蘭奢待は、信長がそれを所望したあとでは、明治天皇がその香りを楽しんだのみ、ということです。



東大寺境内は広い! 梅雨が明けたかと感じるほどの高温高湿の中を大仏殿に向かいます。
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木立の中に屋根は見えても、やっと全貌を目にしました。
境内は修学旅行生で一杯、引率の先生も大変です。
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廬舎那仏
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そして心柱に目をやると、何本もの木材をまとめ、鉄の輪で締め付けてあります。
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これだけの太さの巨木は無かったのか? 2度にわたって焼失した大仏殿が今の状態の再建されたのが1709年、飛鳥時代と江戸宝永年間の巨木の調達具合に事情があったのか?
2年前に法隆寺へ行ったとき目にした柱は一本ものでした。
法隆寺の柱
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また法隆寺の時に倣って瓦の奉納、商売繁盛としたためました。
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廬舎那仏を背景に記念撮影できるとは! 
この瓦、次回大仏殿の葺き替えの時に役に立つでしょうか。

もう一か所、お水取りで有名な二月堂へ行きたいのですが、登りです。
ふうふう言いながらも、途中の茶屋でソフトクリームで涼をとりながら目指します。
二月堂
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かなりな傾斜地に建っています。
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鶏の絵馬
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奈良市中の眺望も良いですね!
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京都の東山からの景色のようです。
護摩壇
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東大寺ミュージアムで日光,月光菩薩像などを参拝して、私の狙いは奈良奥山ドライブウェイ。
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東大寺の境内から若草山、春日山にかけて登る道です。
先ほど駐車場を見つける際に迷い込みそうになった面白そうな道。
快適な木立の中を曲がりくねりながら登っていきます。
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若草山頂上からの絶景
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そこには鶯塚古墳という前方後円墳もありました。
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この古墳、清少納言の枕草子に「うぐいすの陵(みささぎ)」と記されているそうです。

この日の万歩計は16000歩、転害門の前、多聞城へと行く道を真っすぐ行くと平城京、そして今日の宿=奈良パークホテルへと続いています。
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後で調べたところ、この道は平城京の一条大路、平城京を東西に貫くの一条目の道だったのか。

ホテルの夕食は
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真ん中の皿は前菜(古代食万葉文化味物料理)
その中の左の小皿の下にあるのが蘇。
日本古代のチーズです。ここ奈良の蘇は黒っぽくて硬い、明日香地方の蘇は白っぽくて柔らかいそうです。
陶板焼きの肉は大和牛でした、見かけに反して柔らかく美味しい肉です。
仲居さんに奈良の旨いものは? と聞くと首をかしげますが、それを探ることも楽しみの一部です。
明日の明日香も楽しみです。































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