コロナ禍の最中、そのうえ猛暑と天候不順が繰り返す今夏は思うように探訪の旅に出られません。
また信州の峠も主だったところは回ってしまい、これからは細かく調べないと発見できません。
特に信州中部は回りつくしたか⁉ と思っていましたが、我が家にも近い東信の塩田平の峠を発見。

砂原峠です。地図で見たところ周辺に人家もあり、標高もさほど高くない目立たない峠です。
9月7日、三才山トンネルから鹿教湯へ、そして塩田平へ向かいます。
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平井寺トンネルを抜け
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塩田平への下りが左カーブを描いた先を右へ、
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あの鞍部が峠らしい!
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地元の案内には砂原池、そして砂原峠が。
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さすが塩田平、史跡がたくさんありそうです。旧鎌倉街道がここを貫いているではありませんか!

旧鎌倉街道といえば上高地への入り口の稲核でも出会いました、点と点が線となってつながる快感がたまりません。
ということは、松本と上田の線を越えるのは三才山峠?保福寺峠?稲倉峠?

という詮索は後回し、先に向かいます。
砂原池
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この池の由来、池ができる前ここを旧鎌倉街道が走っていたようです。
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そして天然記念物マダラヤンマの生息地だそうです。オスは腹部に瑠璃色の美しい斑紋があります。
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あっけなく砂原峠(標高607m)へ
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峠制覇の感慨もあまりなく、でも路傍を見ると旧鎌倉街道の碑。
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そして案内をよく見ると、この峠の北側に未知の峠発見!
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地図で確かめると1km程北側に県道が東西に走っています。しかしそこに峠の表記はありません。
でも地形的には間違いなし! ここを東へ下った後で確かめてみましょう。

そして下った先で新たな驚きが!
「木曾義仲挙兵の地」
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史跡依田神社
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峠から依田神社の間には史跡がいっぱい詰まっていました。
正海清水
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ここに清水が滾々と湧き出していたのでしょう。
同じく史跡の高築地館跡
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そして小鍋立の湯
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砂原峠を上り返して塩田平へ、今度は県道82号線をまたまた東へ、
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この道にも史跡が多そうです。
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ここが二ツ木峠、地図に表記が無かったので二ツ木峠跡か⁉
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国土地理院地図で標高を当たった所(546m)。

後でわかったことですが、この峠の下には上田丸子電鉄西丸子線の二ツ木隧道が通っていたようです。
現在は上田電鉄として別所温泉に通じる路線があるのみですが、塩田の下之郷からトンネルを経て丸子への路線があったことを再発見。
峠の丸子側、長野計器の敷地内にその電車が保存されていました。
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モハ525型丸窓電車。

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あまり期待を抱いていなかった砂原峠ですが、ここだけでも多くの史跡や人々の足跡が詰まっています。実際に歩いてみるといろいろなことが発見できて興味が尽きないですね。

という満足感を抱いて帰路へ。
でもどうせなら平井寺峠も越えられるか⁉
平井寺トンネルの塩田側から入ってみましょう。
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右折して側道を行きます。
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こんな道になってきます。
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残念、この先入山禁止。
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秋の季節になって、その上松茸の名産地のこのあたりで入山禁止の禁を破って突破しても良いことはありません。撤退!
どうも実際の峠道とは違った方向へ来てしまったようですが、この日はこれで終了です。

所要時間の計測は怠りましたが、走行距離はそれでも131kmでした。