2020年08月

日本周遊の旅 松江城

松江城、
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松本城と同じく国宝5城の一つですが、松本城の国宝指定が1936年、それに比べて松江城の国宝指定は2017年と大幅に遅れます。
松江城が国宝として認定されたのは、筑城時の祈祷札が松江神社で2016年に発見されて確定しました。

というような情報が、旅から帰ってくる前日の「市民タイムス」に載っていました。
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のみならず、松本城と松江城の意外な縁もありました。
松本城は、その縄張りを確定したのが小笠原氏、築城したのが石川氏、そして現在のような複合連結構造にしたのが松平直政でした。
直政の在城期間は5年ほどでしたが、その直政が次に赴いたのが松江でした。

また松江城も松本城と同じく、明治になって壊される運命を救った保存運動がありました。
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天守の中で興味を引いたものは
後藤又兵衛のものとされる甲冑と槍、
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又兵衛自身は大阪夏の陣で亡くなっていますが、その縁戚の人が松江藩にいて伝わったものらしいです。

また松本城と同じく急な階段
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この両城は築城年代も設計思想も似ていますね。合戦を意図した実践的な平城の様相です。

しかし縄張りも城壁も松本城を圧倒的に凌駕しています。
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そして松江城の初代城主、堀尾吉晴(茂助)。
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私の好きな戦国武将の一人、信長から秀吉へと臣従し、秀吉元では忠実な中堅として活躍、秀吉晩年には三中老の一人となりました。秀吉の死後は家康に従った人です。

日本周遊の旅 宍道湖のしじみ漁

松江しんじ湖温泉すいてんかくの夜景
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幸いなことに宍道湖畔の湖側の部屋、

朝起きると湖面には多くの小舟が、
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よく見るとしじみ漁をしているみたい。
腰を据えて5m程はある柄を引き寄せています。
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そして柄を引上げ
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水中にあった籠を上げて舟内に中身をあけます。しじみゲット!

また水中に投入、湖底を引きずり
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また引き寄せるの連続です。
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よく見ると柄には直角に取っ手がついています。
この取っ手で水中を探りながらしじみを採っているのですね。

松江の2日間、毎回必ずしじみ料理が出てきました。
その日食べるものを採る風景を見られることはめったにありません。
貴重な風物詩でした。

日本周遊の旅 山陰そば談義

今回出雲へ行く目的の一つに、本格的な出雲そばを食べたい!ということもありました。
有名ホテルの総料理長をされていたHさんに出雲の蒲鉾屋さんを紹介していただき、その方から情報をゲット。

とその前に、城崎のある豊岡市を走っていると出石という案内が出ています。
そういえば出石そばというものがなかったっけ⁉
事前に出石川も目にしています。

コウノトリ文化館の学芸員の方に聞いてみたらこのパンフレットをくれました。
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ありました出石皿そば。早速車で30分ほどの出石へ。

時間は11時過ぎ、観光客も多そうなのでまずはそば屋へ。
出石そば山下
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出石そばの歴史
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そうして食し方
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出石皿そばのルーツは、宝永3年(1706)に信州上田藩主の仙石氏がお国替えで当地へ赴任。その際に仙石氏とともに信州から来たそば職人の技法が在来のそば打ち技術に加えられ出石そばが誕生。
その後、出石焼が始まり白地の小皿に盛る様式が確立されたそうです。

ここでも信州との結びつきを発見しました。それも信州のそば文化が当地へ伝わったということは誇らしいことです。

そばが出てきました。
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小皿一皿が一口分。
ここの面白い食べ方が生卵つゆ。もったいなかったですが、黄身だけをつゆに入れて食します。
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おお! そばが濃厚になります。
一人前5皿ですがお代わりを追加。良い経験ができました。

出石城は明治元年に取り壊されましたが、隅櫓や登城橋、登城門が新たに建築されました。
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商店街も風情があります。
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それからの出雲入り、信州→出石→出雲と、そばの縁が繋がってきそうです。
蒲鉾屋さんから聞いた地元民一押しの出雲そばは「平和そば」
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このお店は昭和25年に創業。初代店主が終戦後間もないことから「世の中の平和」を心から願い「平和そば」と名付けたそうです。
安倍首相も絶賛したそばだということ。
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もちろん手打ちです。

出雲そばとは⁉
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出雲そばの特色は割子そばと釜揚げそば、

割子そばの食べ方
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信州のようにそば猪口につゆを入れるのではなく、割子の中に少量のつゆをいれて攪拌するもの。食した後に割子に残ったつゆは次の割子そばに移して食べるので、つゆの使用量が少なくが経済的です。

メニュー
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このお店ではセット物がありました。皆さんセットを頼んでいます。

私は親子丼とのセット、親子丼と割子そば2段です。
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奥さんは三色割子そば
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そばの香りが鼻腔を刺激します。
普段の私はのど越しを重視しますが、このそばはのど越しも良いし香りが優れもの。
思わず称賛の声を上げたら店員さんが記念撮影してくれました。
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ということで、満足な昼食になりました。

出雲そばと信州そばの関連は聞けませんでしたが、そばが取り持つ縁でした。
そしてお土産に買った干そば
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残念ながら平和そば謹製ではありませんでしたが、日本の三大そばは「出雲そば」「信州戸隠そば」「岩手のわんこそば」だそうです。





日本周遊の旅 豊岡のコウノトリと自然

憧れていた城崎温泉は兵庫県豊岡市にあります。
豊岡と言えばコウノトリで有名、コウノトリとの共生を掲げています。
城崎の語源は黄沼前海(きぬさきうみ)と言われ、昔から低海抜の沼沢が広がっていたそうです。

城崎が豊岡市にあることを知って、豊岡市立コウノトリ文化館へ行ってきました。
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屋根の上にとまっているコウノトリが分かりますか⁉
ここはこの文化館をはじめ、大学院や検疫棟もあり、飼育ゾーンや自然ゾーンも含めた広大なコウノトリの郷公園の一画にあります。
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パンフレットをいただき、
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公開ゲージへ
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いますね!こんなにいるとは。
佐渡の朱鷺保護センターでは遠目に少しだけ垣間見れたのとは違います。
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入り口の垂れ幕に200羽達成と書いてありましたが実感できます。
公開ゲージ脇の祥雲寺巣塔では野生のコウノトリが営巣していました。
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昭和30年代の出石川では人と牛とコウノトリが共生していました。
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昭和31年に特別天然記念物に指定されましたが、昭和61年には最後の一羽が死亡し、日本のコウノトリは絶滅してしまいました。

平成1年に旧ソ連のハバロフスクから受贈されたコウノトリにより飼育下繁殖に成功、以後毎年繁殖し平成11年にコウノトリ郷公園ができたそうです。
つい半年ぐらい前にはこのコウノトリが長野県にも飛来して新聞に載りました。
コウノトリが飛来した各地の図。
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長野県にも飛来したことを告げると、初耳らしく「資料を送ってください」と言われました。

この豊岡市に来て水田や沼沢が多く、緑が豊かなことが気になっていました。
出石川河畔にはオオサンショウウオの碑
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出石川も緑に覆われていました。
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町を挙げての保護が実感できました。またコウノトリブランドの米なども有名です。

日本周遊の旅 山陰、出雲、若狭路を行く(5日目)

26日、いよいよ最終日です。今晩は信州へ帰着、よく5日間のドライブに耐えられた?
今日のスケジュールは小浜市内の散策と、朝倉氏の拠点だった一乗谷。
宿での情報から、最初に訪ねたのは小浜西組、
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伝統的な建造物が保存されている地区。
京極高次が小浜城を築城した際に、中世の町を整備し、町人地を東、西、中の3組に分けた町づくりをしたものが今に残っています。
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格子戸の間から三味線の音が聞こえてくるようです。

それから若狭フィッシャーマンズワーフ=魚市場へ。
空弁で有名になった焼き鯖すしの「若廣」
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焼き鯖はジェットオーブンで焼いているようです。
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焼き鯖はノルウェー産、通常の鯖寿司は五島列島産だそうです。
昔は小浜の名産だった鯖も水揚げが減ってしまい、地産地消は難しいようです。
衛生的な店内では製造真っ盛り。
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こんな工程で作っているようです。今日の夕食にピッタリ、ということで穴子すしも含めて購入。
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目の前には魚市場や直売場が
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鯖街道ミュージアムを探します。
鯖街道の起点、いずみ町は道路工事真っ最中、その中にありました。
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うっかりすると通り過ぎてしまうような狭い間口の奥にありました。
「京は遠ても18里」小浜から京都へは70km程なのですね。
この距離なら塩をした鯖を京都まで運び、ちょうど良い塩梅になった鯖を鯖寿司などにして京都の人たちが愛好した道筋が分かります。

小浜を出て、鯖街道第一の宿場町遠敷(おにゅう)へ、
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ここからが鯖街道(針畑越え)、道に沿っていけるところまで、
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残念ながらここからは通れませんでした。
いつか鯖街道を京都まで行ってみたいものです。

次の目的地一乗谷までは約100km、福井インターで降りて向かいました。
一乗谷朝倉氏遺跡跡資料館
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一乗谷は細い谷筋にあるのですね。
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遺跡から出てきた土器や井戸の枠などのほか朝倉氏の遺物がたくさんありました。

一乗谷の深部にあるのが一条滝、
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ここで佐々木小次郎がつばめ返しの技を編み出したとか。
佐々木小次郎の像もあります。
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遺構には朝倉氏の時代の町が再現されていました。
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このあたりが朝倉氏の屋敷跡
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資料館にあった模型と対照してみるのも一興。
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福井からはひたすら北陸道を北上、上越まわりで長野へ行っても良かったのですが、ショートカットをして富山で降り、安房峠を越えて帰りました。
安房の前後では先の水害で通行止めや片側通行が多く難儀しましたが、どうにか松本へ帰れました。
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全1600kmよく走ったものです。



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