2020年06月

銘店の火がまた一つ

松本市浅間温泉にある「豆腐料理まるゐ」
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このお店が6月いっぱいで暖簾を下ろします。

戦前から浅間温泉に豆腐を製造して販売をしていたお店。
数年前までは1階で豆腐の製造、2階は豆腐料理まるゐとして営業を続けてきましたが、残念なことです。
まるゐの入り口にある象徴的なステンドグラスの看板
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料理の味を舌に刻み込んでおこうと29日にお邪魔しました。
やきとりを焼いているご主人をパチリ!
良い雰囲気でポーズしてもらいました。
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ご主人は、先代からやっている豆腐店にプラスして料理店を立ち上げました。
東京の鶯谷にある豆腐料理の老舗「笹乃雪」で修業をされてから「まるゐ」を立ち上げました。
このご主人は多くのエピソードの持ち主です。
子供時代に裏山で古墳を発見、桜ケ丘古墳といいますが、この時代の天冠を発見しました。この天冠は朝鮮半島の技術が導入されたものらしく、松本市に合併する前の旧本郷村の村章にもなりました。
また永らく山の会を主宰して、近隣の山はもちろん北アルプスからヒマラヤまでを踏破、自然をこよなく愛された方です。
私も山中で出会うと「山﨑さん、もっとゆっくり歩きましょう」と、歩く指導をしていただきました。

このお店で私がいつも頼む定番は
豆腐田楽
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田楽味噌が秀逸、私にとっては天下一の味です。

そしてつくね
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昔はわが社から廃鶏の肉を納入していました。今は他の肉屋さんから仕入れていますが、オーダーが上がってから練った肉をだんごに丸め、直火だけでじっくりと時間をかけて焼き上げます。そのうえでたれを二度漬けにして小まめに返しながら丁寧に焼き上げた味はVERYGOOD!
私も多くの焼鳥屋に出かけてつくねを食べていますが、ここに勝るつくねはありません。

そしてやきとり
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もも肉を、これも丁寧に返しながらたれは二度漬け、以前にはあったきも焼きもおいしかったな。
現在の焼鳥屋は、ほとんどが肉を焼いてから濃い目のたれを一度漬けてそれでおしまい、というパターンが多いのですが、二度もたれをつけると焼き機の痛みが早いし、煙も多いのでやりたがりません。
そんなことは無視して美味しさにこだわる姿勢も大好きです。

もう一つ食べた豆腐料理がとっくり蒸し
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一番下の器に海老や白身の魚、豆腐、きのこ、卵などを入れて蒸し上げ、上の徳利のたれと中の器の薬味を混ぜていただきます。
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揚げ出し豆腐やなめこ豆腐、卯の花も大好きでした。

松本でも古くからの銘店が姿を消していきます。
永らく続てきた店には必ず名物料理がありますが、その味の継承は容易ではありません。
そんな意味でも惜しいお店でした。

しかし「まるゐ」は一か月ほどの休業を経て、娘さんが業態を変えて再オープンするそうです。
私が好きな品々も再登場するそうなので、それを楽しみにしたいと思います。

また、東京鶯谷の「笹乃雪」にもぜひ行きたいものです。


松本の本

松本の本第2号が発刊されました。
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地元でも知っている人は少ないという本。
何しろ1年に1冊発刊、今年が2年目なので第2号です。
1冊660円(税込み)で市内の本屋さんで好評発売中。

編集はまつもと一箱古本市実行委員会
発行元は想雲堂    松本市の上土にある古本屋さんです。

今年の特集は映画館、現在はシネコンという新しい映画産業ができてしまい、昔からの映画館は全滅(塩尻には1館あります)しましたが、そんな時代からの推移を振りかえっています。
そのほかにも松本のディープで懐かしい情報が満載です。
そんな情報を実地に確かめるための地図も完備。
松本歩きには打ってつけの本⁉

なぜこの本を取り上げたのか?
実は私の文が掲載されました。
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p38~39 で、私たちがやってきた「鶏肉屋さん」を振り返りました。

この本の傑作なところは、執筆者に原稿料が払われないばかりか、5000円を徴収されます。
その代わりこの本を20冊いただきます。
20冊を売って、自分の原稿料にしてください、というのがミソです。
自分でも金を払った分、参画意識が高まりますね!

私も20冊いただきました、是非買ってください!

信州百峠(36)(檜峠、鎌倉街道)

6月21日、梅雨の晴れ間を縫って、昨年不消化に終わった檜峠へ行くことにしました。
檜峠へ入る明確な入り口のある沢渡を目指しましたが、その途上にある鎌倉街道を確認しつつ進みます。

島々の雑炊橋から入ります。
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上り道では地元の人に「この先はどう?」と確認したところ「稲核まで行けるよ!」と言う声に励まされ、急な登りを行くと、以前にも気になったお地蔵様軍団、
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前垂れも新しく、地元の人に愛されているお地蔵様というのが分かります。

舗装も途切れて
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結構ワイルドになってきました。
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最高地点、ここから左へ、昨年も確認した送電線の工事現場はここからさらに上へと向かっています。
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稲核に降りた地点にある水源?
IMG_4878 この脇に旧鎌倉街道か?
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少し上にある風穴の里に続く道か?

そして風穴の里から見た街道筋?
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今も使われている風穴の前を通て続いています。
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風穴の里に到着
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雑炊橋からここまでは何となくルートが分かりました。

奈川度ダムの高所に登って見た入山方面
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正面の山の向こう側を鎌倉街道が通ているはず。
この右手、奈川方面へちょっと入り、奈川を渡って祠峠、乗鞍の番場から檜峠、そして沢渡へと抜けているはずです。

奈川度から沢渡まで、旧道はバイクでは困難ということが分かっていました。
沢渡の「西村屋」
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今は営業していませんが、井上靖の小説「氷壁」に出てくるお店です。
かつての西村屋(小説では西岡屋)の情景を小説から引用します。
「二人はここでザックから弁当を取り出すと、朝食とも昼食ともつかない食事をとった。この店は、乾物も果物も駄菓子も、荒物も、雑貨もごちゃごちゃと並んでいる、よく田舎に見受けられるよろず屋であるが、木炭ストーブの傍らには粗末な卓と腰掛けが置かれてあって、飲食店といった格好でもある。実際にうどんとか蕎麦がきとかは、頼めばすぐ作ってくれる。」

西村屋の向かいから南へ上ると檜峠
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右へ行くと池尻湿原、左へ行けば檜峠です。
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前回はこの橋で断念しましたが
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こんな道を上っていくと
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沢渡の鳥観図
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今回は尚も上りますが
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だいぶわびしくなってきました。
この日の朝刊で、南木曽で人がクマに襲われ死亡、という記事が頭をよぎって、不甲斐ないことにここで断念。
熊が本気を出せば時速40kmということですが、上りのゴロゴロ道ではバイクも10~20kmしか出ません。
出会い頭に襲われたら?! とは妄想ということは分かっていますが、蚤の心臓にはきつい!

代わりに池尻湿原=鎌倉街道沿いへ少し入ってみました。
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この先は車が通れないというところまで行って引き返し。

沢渡の対岸で見つけた「トヨペットクラウン」
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クラウンの初代、1955年から発売された日本の高級車。
これは1960年発売の「1900デラックス」(RS310型)か⁉
この道を辿っていけば霞沢発電所へ行けそうですが、昼食タイム

食事処しもまきにて昼食
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コロナでお客様が少ないせいかメニューも限定
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もつ煮とライス、みそ汁を頼みました。
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お湯ポチャのもつ煮でしたが、お客様が来るあてがない中での営業で、一からもつ煮を作ることはリスクがあります。こんな時一人前ポーションの現代的食事形態が似合っているのかもしれません。

沢渡のバスターミナルで初夏のような空を見上げながらの昼休憩もさわやかです。
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この日の走行距離は98km、所要時間は4時間40分でした。

この季節、こんな服装で走っています。
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シャツとマスクはトータルコディネート、奥さんの手作りです。
寒がりな私ですが、さすがに上着なしでもオーケー。
良い季節になりました、これで腰痛と梅雨がなければもっとはかどるのですが。



信州百峠(35)(中馬街道)満蒙開拓平和記念館と武田信玄の終焉

6月19日、30年来の知己で伊那出身のS先生と下伊那の阿智から根羽へとディープな道中をしてきました。
目的は、満蒙開拓平和記念館の見学と、武田信玄の終焉の地を巡ること。

生憎の梅雨空でしたが、まずは満蒙開拓平和記念館から、昨年一度訪れていますが、今回はじっくりと。
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記念館の庭の蓮の葉にも雫がきれいに映えています。
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残念ながら記念館の中は撮影禁止、

記念館の概要
中国東北部に1932年からわずか13年間だけ存在した「満州国」がありました。
ここに日本から約27万人の開拓移民が渡っていきました。太平洋戦争が敗戦に終わり、移民を守ってくれるはずの関東軍に見放された移民のうち8万人が命を落としました。
また終戦後も祖国に帰ることができなく、残留孤児として悲惨な戦後を過ごした人も多数います。
この後に尋ねる長岳寺の住職山本慈昭氏は、自身も満州にわたって現地の教員を務め、戦後の逃避行の後、シベリヤ抑留を経て帰国、その後中国残留孤児の肉親捜しに奔走しました。
そのような経過に立って開館された施設です。

残留孤児の証言映像や、かつての満州移民の写真など、じっくり見れば戦争の悲惨さと愚かさがよくわかります。

記念館のすぐ上手に長岳寺があります。ここの元住職が故山本慈昭氏
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本堂です。
このお寺は武田信玄の終焉に由来しているとのこと。
信玄は三方ヶ原で徳川家康に快勝したあと、体調を崩し、甲府へ帰る途次、ここ駒場で亡くなったとの説があります。
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こちらの現住職は満蒙より武田信玄に一生懸命。
今回も熱を入れて案内していただきました。
このお寺には信玄が使ったという兜の前立てがあります。昔は兜そのものもあったそうですが、子供が遊んで壊してしまったとか。
信玄や息子の勝頼については大変詳しくお話しいただきました。
残念なことはここもお宝については撮影御法度。

そのかわり本堂の襖絵はオーケーが出ました。
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これらは阿智村在住の日本画家、吉川優氏が平成23年に奉納したもの。

お庭にも見ものが、
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武田信玄公灰塚供養塔、この地で没した信玄は裏山で火葬にされましたが、その火葬塚から灰を移して供養塔にしたものだそうです。
小説「武田信玄」を執筆した新田次郎の碑も。
小説中では「長岳寺には百騎ほどの部隊が居残った。二十人ほどが信玄の遺体を裏山に運んで荼毘に付した。黄色いたくましい煙が真っすぐに立ち昇った」と描写されています。

根羽村にも信玄塚があるので、県境に向かって進みます。
昼食タイム
お寺で案内されたそば処「三日庵」県内産のそば粉を使っているそうです。
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オーダーしたのは野武士そば
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土鍋の中には骨付きの鶏もも肉が!
ナイフ、フォークがついた日本そばを初めてみました。骨から肉をこそげとって汁にそばをつけて食べる方式です。
肉の骨離れは素晴らしいのですが、ちょっと煮過ぎが残念。でもおいしくいただきました。

根羽村にある信玄塚
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こちらも信玄終焉の地を標榜しています。
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駒場とここでは30kmほどは離れています。

信玄の死地にも諸説ありますが、長岳寺のご住職の説では、重態になった信玄が馬に乗っているはずはなく、中の見えない輿などで移動していたのだろう。外からは信玄が息を引き取ったことはすぐには分からず、駒場に着いた時には亡くなっていたのでは?
医者が検死をして死亡確定が駒場では? というような説を仰っていました。

私のようにバイクで走ることも面白いのですが、今回のように目的地を決めて、ゆっくりと見学やお話を聞く機会を持てた旅も充実していました。







信州百峠(34)(布川峠、乗越峠)

今年の峠探訪で張り切って山間路を走っていましたが、体にその付けが回ってきました。
半月ほど前、これからアップする大町市八坂地区の峠を訪ねて帰ってくると、右腰から鈍い痛みが。
それから現在まで、この痛みが続いています。ひどい時には右足が上がらないほど、現在は治療を受けたせいかだいぶ治まってきましたが、長引きそうです。
そんなこともあってブログアップを怠ってきました。

6月9、10日、二日続けて大町市の八坂方面(旧八坂村、美麻村)へ通いで行きました。
国道19号線を明科から長野方面へ、山清路で左折して八坂、大町方面、県道55号線を行きます。
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まず目に入ったのは八坂大滝
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50mの大滝のようですが、残念ながら通行止め
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矢下から分岐を右へ行くと舟場方面、国道19号線へ出そうです。その道筋には布川峠がありそう。
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こんな道を行きます。
旧八坂村役場や八坂中学校を経て、小菅から峠へ、
なんなく到着した布川峠
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山のかなたには後立山連峰が
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峠を下ると
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山姥の滝、大姥山への案内、
程なく国道19号線へと出ましたが、ここに鎮座する大姥神社
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大姥山は金太郎伝説の山だそうです。
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現在はトレッキングルートにもなっているようです。

国道を1kmほど松本方面へ引き返すと野平という地籍に、
そこの野平神社を右折、またまた山間へ入っていきます。
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こんな二叉路を右へ下り、
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上りり下りを繰り返しながら、地図でいうと城山か?
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あとで八坂支所でもらったガイドには、このあたりにはたくさんの城跡が、
地志原東山城跡、同じく西山城跡、雷電(城ケ峰山)城跡など。
城山の名称もここからついたのか?

この道を進むと、布川峠へ行く道筋と合流します。
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そこの変形十字路を左へ行けば、切久保、宮の尾方面
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こんな道を上ります。
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宮の尾
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そして切久保
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切久保にはこんな鐘が、
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平成25年度の元気づくり支援金で立てたようですが、熊避けの鐘!?
八坂地区のあちこちに立っていました、それだけ熊が多い?

大町市八坂支所へ寄って村の資料をいただきました。
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先ほどの金太郎伝説に加え、多くの城跡や神社、唐花見湿原そして摩崖仏まで。鷹狩山は北アルプスの大パノラマが望めるようです。

旧跡を見て回る時間はありませんが、鷹狩山のパノラマを見に行きます。
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鷹狩山展望公園の案内
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そして展望台
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ここからの眺めは恋人の聖地と言われているようです。
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ハートの間から後立山を望んで愛を誓う!
食堂があるようですが休業中。ここで昼寝をすれば気持ちよかったのに。

この山の北にはもう一つの峠、乗越峠があるはず。
昔は峠のことを乗越といったようです、ということは「とうげ、とうげ」という意味か?
霊松寺方面へ、
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霊松寺林道を通って
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スノーシェードに遭遇しました。
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このスノーシェードが長大
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どうやら大町市街から美麻へと抜けるみちか? 冬場雪が深いこの地方の交通路を確保するためには必要なのかと思います。
上っていくと美麻地区、
乗越峠の出口? ちょっと入る気がしませんでした。
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美麻から八坂へと戻ります。
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これが乗越峠? 地図上では間違っていませんが、どうにも自信がありません。
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その峠には矢田川摩崖仏の案内が
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ここから2kmほど、四駆でないと行けないと書かれています。
この日は昼食の時間が過ぎて、腹も心もとなくなってきたので行きませんでした。

この二日間の昼食はというと、
9日は、信州新町まで出て、私のなじみの「ろうかく荘」
私が一押しするのがここのジンギスカン
ランチサービスでラム肉ジンギス
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ラム肉を一皿追加して
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リンゴ主体のタレに醤油をたらしていただきました。
畳席なのでちょっぴり昼寝もさせてもらいました。

帰りに寄った大岡の道の駅には芦ノ尻道祖神のレプリカが
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大岡も訪ねてみたい候補地です。

10日の昼食は大町駅前に新装なった「俵屋」の中華、ここの餃子がお勧め。
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中華うま煮と餃子、ライス、スープ、漬物で600円。
この日も食べ終わってから写真を撮るのを忘れた不始末。

昼寝は大町駅前のベンチでそよ風に吹かれながら
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9日の走行距離は124km 所要時間は4時間50分
10日の走行距離は140km 所要時間は6時間30分でした。









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