2020年02月

法隆寺に足跡を残す

2月12日は京都から足を延ばして奈良へ。
折角の奈良、奥さんのリクエストに応えて斑鳩探訪となりました。
奈良駅からレンタカーを借りて20数キロ、

斑鳩の里と言えば法隆寺、
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南大門から五重塔が垣間見れました。
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西院伽藍へ足を踏み入れると
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誰も写らない写真、意外です! 参拝客がいません。
コロナウイルスの影響でしょうか!? 人が少ない、こんな写真が撮れるのは稀でしょう。
修学旅行の女学生や個人の参拝者はありますが、観光絵葉書のシーンのようです。

中門を隔てて五重塔
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そして五重塔と金堂
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金堂の柱には精巧な龍の彫り物が
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中学の修学旅行でも来た覚えはありますが、駆け足で通り過ぎ、細部にわたって観察する意識も知識も持ち合わせていなかったことをつくづく実感しました。

大講堂の前に鎮座する燈篭をよく見ると元禄7年、徳川綱吉の寄進とわかります。
「太平武運長久身寿強健」を願っています。
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大講堂に入ると新しい瓦を並べた一角が、平瓦1000円、丸瓦2000円などが並んでいます。
参拝者がこの瓦を寄進すると、今後瓦をふき替える際にその瓦が法隆寺の屋根に葺かれ、100年以上にわたって法隆寺を風雨から守ります。
筆で自分の名前を書くこともできます、ということで、
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何時になるか分かりませんが、この瓦が法隆寺の屋根に上ることを楽しみに、そしてここに足跡を残すこともできました。

回り終えて回廊の詰め所で職員さんのお話を聞きました。

法隆寺は世界最古の木造建築で有名ですが、もう一つ私の記憶に残った特徴がエンタシス、
巨大建築の場合、柱の真ん中を膨らませ、上下を細くすると安定して見えるとか、
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この柱は飛鳥時代のもの、その肌目は
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古代ギリシアのエンタシスが法隆寺に受け継がれたという説もありましたが、それは現在否定されているそうです。

そして明治時代の修理で付け替えられたもの
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その肌目は
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明治からでも100年以上、しかし1400年の風雪に耐えてきた柱の風格とは歴然と違います。
今ではこの太さの木材を探すのも至難の業ですが、建立当時の柱は1本の木を4つに分割したそうです。
芯の部分が狂いを生じやすいから、といいますが、それだけの巨木を探すことは現在では不可能です。
ましてや飛鳥時代の柱は、その前1000年ほどは経っているでしょう。ということは紀元前の木ということ。

そして柱の台座部分、風雨で朽ちてきたものを接木で補修してあります。
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こんなところにも歴史的文化財を後世に残す苦労が分かります。

聖霊院、聖徳太子をご本尊としています。
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大宝蔵院、百済観音や玉虫の厨子が見られます。
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ここは平成10年に建てられました。それまで百済観音を安置する場所がなかったそうです。

そこから東院伽藍へ、ここには夢殿や中宮寺がまとまっています。
夢殿、
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現在、夢殿を参拝するための礼堂が修繕中でした。
夢殿の裏手には中宮寺
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ここだけは法隆寺の参拝料に含まれていません。別途参拝料を払って入場、
中宮寺本堂には有名な如意輪観音安置されています。
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観音様の前で謂れを説明していただきましたが、観音様のお顔が何となくわが社のS女史に似ているような。

奈良駅を発ったのが10時半、それから昼食をはさんで約4時間。
斑鳩から奈良公園へ
鹿の群れと糞とを避けながら奈良国立博物館へ、
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ここではまず特別展示の東大寺お水取りを見ました。
燃え盛るたいまつを振りかざす僧が着る紙子=和紙で作った装束が印象的。実際に着たのでしょう、大きく裂け、煤で黒ずんだ紙子が修行の激しさを語っています。

なら仏像館、多くの国宝や重要文化財の仏像に囲まれて圧巻でしたが、しばらく仏像は食傷気味か。

レンタカーは6時間契約。奈良から京都に帰り、京都駅ビルで夕食。
京都に来たら鯖寿司を食べたいという奥様のリクエストに応えて
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古都を巡る旅を終えました。

改めて奈良を巡り、静かな法隆寺を堪能し、足跡(瓦)も残せて満足でしたが、ここにはまだ数多な見どころがあることが判明しました。
きりがないとは思いますが、これからも何度も足を運びたくなる古都でした。









山科散歩

2月11日から京都へ行きました。
13,14日に中小企業家同友会の全国研究集会があるため、前倒しで京都と奈良を堪能。

京都市内のホテルは混みそうなので、生まれて初めて山科に宿をとりました。
山科駅
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その目の前のホテル山楽
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女性目線のホテルです。
併設のレストランではウエルカムドリンクならぬウエルカムケーキ。飲み物とセットでケーキ3種が出てきます。
大浴場も女性専用だけがあります。男は部屋のバスタブで窮屈を強いられます。
またバイキングの朝食、別料金ですがバイキングランチも人気です。
特に朝食は京都府内で1番を獲得したとか。

山科は京都駅から一つ目、少ししか離れていないのにその雰囲気はだいぶ違います。その昔、赤穂浪士の大石内蔵助が幕府の目をごまかすために隠棲した場所らしい風情も残っています。

山科は東海道線の線路が東西に走り、その北側と南側では全く雰囲気が違います。
ホテルの横には旧東海道も
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11日午後は山科の散策です。歩いて行ける距離に毘沙門堂や琵琶湖疎水があります。
山科駅の下を潜り抜けると、南口の賑わいが嘘のよう、閑静な住宅街を北へ登ると毘沙門堂に突き当たります。
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その石段を登ると、天台宗の門跡寺院毘沙門堂。創建は大宝3年(703年)僧行基によって開かれました。
様々な変遷を経て寛文5年(1665年)に当地に再建。
後西天皇の皇子公弁法親王が入寺して門跡寺院になりました。
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北側にある池も若葉のころなら見事でしょう。この池は「心」の形をしているそうです。
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丸山応挙をはじめ一流の画家の襖絵も面白いです。

駅と毘沙門堂の間を流れるのが琵琶湖疎水
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明治時代に開かれた、琵琶湖と京都、伏見などへの運河です。
京都の飲み水や水力発電、舟の航行にも使われました。京都の蹴上にはインクラインの遺構もあります。
疎水に沿っての散歩道、
朝の滋賀方面です。
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疎水の高台から眺める山科駅方面
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少し下ると諸羽神社
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創建は貞観4年(862年)ということですが詳細は不明だそうです。
そして旧東海道沿いにある古民家
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派手さはありませんが山科も渋く面白い!
やはり旧東海道沿いに佇む和菓子屋さん
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ここの最中が秀逸! 山科の散策にはぴったりの和菓子でした。
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夕食に訪れた「和いなせ」、寿司から焼き鳥、おでん、京料理あれこれとメニューの幅が広い! 普通この手の料理屋さんに美味しいものがない、と思いましたが、出るもの出るもの素晴らしい!
その一例がしめ鯖
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関東のように切り身だけ、というのではありません、京らしくひと手間がかかっています。

お金があれば別荘を構えたい、と思わせる山科でした。







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