2019年09月

信州百峠(20)(東(ひがし)峠)

9月28日の午前中は予定なし!
地図に納得のいかない峠が記入されていたので探索に向かいました。
その峠が東峠、なぜ納得がいかないかというと、この峠道は北アルプスの中に消えていきます。
普通峠というものは山を越えてどこかへ通じているものです。なぜそうなっているのか?

三郷の北小倉が出発点
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この方面に峠がありそうです。
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何と、峠に続く道は県道です。
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納得がいかないままで進むと道路が真っ白!
豚コレラの対策で猪から病気がうつらないようにしています。三郷には養豚の業者もいて大変です。
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左へ折れると三郷スカイラインと出ています。展望台まで8km

最初はこんな道が
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半分程度の幅に
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地図の感じからするとこの辺が峠のようですが?
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尚登っていくとこんな駐車場へ
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冷(つめた)沢登山口
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大滝山登山口
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大きな送電線を過ぎて
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二又に
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そして展望台からの大パノラマ
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晴れていれば安曇野から松本平、そして美ヶ原あたりまでの眺望が凄いでしょう!

駐車場の保守をしていたお母さんに聞いたり、後で地図を確かめて確信したこと。
先程アップした「この方面に峠がありそうです」という写真の稜線中央にかすかに写っている鉄塔が先の送電線。ということは展望台からの大パノラマ扇状地の起点が北小倉。

お母さん曰く、この道は林道のようだけど県道なんだよ、そして30年ほど前には大糸線の一日市場の駅からこの駐車場まで路線バスが運行していた。
また先の二又を右へ行く道が冷沢、左へ行くと徳本峠へ出るんだそうです!
旧三郷村の村長さんがこの峠から徳本峠へロープウエイを通して、行きは島々から上高地へ、そして帰りはそのロープウエイで小倉まで観光客を誘導して、ここを一大観光地にするという壮大な計画を立てたらしいです。
なぜ林道規模の道が県道なのか?
それでこの峠の謎が解けました。

その昔にはこの道を通り、徳本峠から上高地へ降り、中尾峠を通て飛騨に抜けるという道が交易にも利用されたという本を読んだことがあります。  これで合点!
北アルプスを信州から飛騨側へ抜ける道は安房峠と針ノ木峠だけだと思っていましたが、三郷から通じる道があることが確認できたことは大収穫でした。

北小倉から真っすぐ一日市場へ伸びる道が
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県道319号線、これが北アルプスを縦断して上高地へと延びていたらこのあたりの風景もだいぶ変わっていたでしょう。

この日の走行距離は72km、所要時間は3時間15分でした。




信州百峠(19)(牛首峠、小野(三沢)峠)

9月17日、午後に岡谷で会議があるのでそちら方面の峠を回ってみよう!
塩尻から木曽に抜ける手前から入って、日出塩⇒牛首峠⇒小野⇒小野(三沢)峠⇒岡谷へ行くと決めました。
小野⇔三沢峠とは、小野の人から見て小野峠、岡谷の人から見て三沢峠ということ。
牛首峠から小野峠への道筋は初期中山道、幕府の勘定奉行で金座や銀座を設置した大久保長安によって1601年に開かれたといいます。しかし木曽⇒諏訪間で二つの峠(牛首、小野)を越えなければならなかったことで1615年に現在も知られている洗馬⇒塩尻⇒塩尻峠への道に変わったようです。もしかしたら大久保長安の失脚とも関係するのかも?
できれば上記以外に善知鳥(うとう)峠や勝弦(かっつる)峠も走ってみたい。

前回の木曽行きで通った「ここより南木曽路」の碑
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の手前200m程のところに「初期中山道」の案内があります。
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国道から左へ入ります。
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塩尻市日出塩地籍
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桜沢沿いの林道を
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登っていくと右へ折れる脇道が、ここは桑崎林道
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しばらく遡ってみますが
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断念! 次回の楽しみに回しましょう。

あっけなく牛首峠に、3km程の道のりでした。
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峠にまつわる言い伝えとコースガイド
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牛首林道の入り口が峠の脇に
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牛首峠の切り通し
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この峠に訪れるのは2度目ですが、道脇に「初期中山道と一里塚」の案内が、
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ありました、草生した斜面に江戸より60里の一里塚
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そのあたりから遠望する小野方面
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山口、中村、下村などを過ぎて
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59里の一里塚
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そして小野の町へでます。右へ曲がると牛首峠
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小野は塩尻を起点に南へ伸びる三州街道の最初の宿場町でした。
今に残る問屋址や
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ジャパンシルクを世界に広げた小野親子の居宅
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が街道筋に残っています。

ちょうど正午、この日の隠れた目的がここ御料理タイガー
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出発前からここのラーメン大盛を食べようと目論んでいましたが
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この日は麺類が品切れ! 焼き肉丼ご飯少な目に変更
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料理が来るまでメニューを見ていたら、
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信濃雪鱒やぎたろう軍鶏の料理ができるようです。ラーメンのスープもこの軍鶏のガラを使っているということ。
夜の営業で予約したら出してくれるそうですが一度味わってみたい。
ここのラーメンも逸品でしたが、焼き肉丼も豚のバラ肉を使ってきちんとした味付けに仕上げてあります。腕は確かと推測できます。
もう一つのエピソードが、ここの創業者が貼り絵作家で有名な山下清を1か月にわたって宿泊させたというもの、
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小野の名店ですね。

満腹の後は小野峠を越えて岡谷まで
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しだれ栗公園の向こうに小野峠がありそうです。
中山道の旧道へ入れば58里の一里塚があるそうですが
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残念ながらチェーンが行く手をふさぎ残念

枝垂栗自生地
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これがしだれ栗、日本でもこれだけまとまったしだれ栗が自生しているところはありません。ただ栗とはいっても小粒すぎて食用にはならないみたいですが。
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公園を高巻いて行くと展望台
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ここが峠? でも展望台に昇ってみます。
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諏訪方面、これからこの方面へ降りていくのか
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今来た牛首峠方面
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そして以前に走った鉢伏山や東山、
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ここから塩尻峠までは直線で5km程、その間に勝弦峠も稜線上に存在します。勝弦峠は武田と小笠原が戦った塩尻峠の戦いの古戦場ということです。それで小笠原氏は中信の領地を失ってしまいました。
松本の林城址は以前に行きましたが小笠原氏の居城跡でした。
もと来た道を少し遡ると小野峠の入り口が
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峠には碑が、右が「をの」左が「みさは」と刻んでいます。
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峠です。
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少し下がると三郡の辻、伊那、諏訪、筑摩の三郡でしょう。
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この道は林道高尾山線
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流水で穿たれた道はハンドルを取られます、注意しないとこけそうです。
やっと舗装路に出て
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峠を抜けました。
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急こう配をしばらく下ると岡谷市街地に
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初期中山道を走ってみて、牛首峠はまだしも小野峠との二峠を越えた初期中山道より、洗馬を通って塩尻峠を越えた後期中山道のほうが楽なことが分かります。
大久保長安の失脚というよりは、より楽な道を選ぶ旅人の気持ちが分かった峠越えでした。

走行距離を測ることを忘れました。所要時間は三時間半でした。











信州百峠(18)(関谷峠、西野峠、月夜沢峠)

9月10日、開田の宿から送り出されてこの日は開田の関谷峠、西野峠、そして信州百峠の中で最も行きたかった峠の一つである月夜沢峠へ行きましょう!
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国道361号線沿いの九蔵峠、長峰峠は昨日走破済み、しかし旧飛騨街道の峠は国道をショートカットした山間に伸びています。

最初は峠狙いではなく尾ノ島の滝と開田側の御嶽山登山口へ
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宿から出て覚明堂を左折、林間の快適な道を行くと
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こちらが登山口、反対側に尾ノ島の滝へ
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登山口入り口
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林道を降りて関谷へ、これが関谷峠
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しかし電柵でストップ、
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国道361号線を回り込んで土橋へ、その奥栗尾から見た関谷峠
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入ってみますがここで断念、
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農作業をしていたおばさんと会話「昔は関谷の子供たちがこの峠を越えて通学、峠道を毎日歩いてきた関谷の子の足は強かった」と言っていました。
私の友人も関谷の出身、確かにスタミナもバイタリティーも抜群の人です。

県宝山下家住宅も土橋にあります。
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ここは小学生時代に、叔父が開田中学校の校長をしていた時の宿舎、私も夏休みに1週間ほど滞在したことがあります。その時木曽福島からここまでのバスの道中、昨日越えた地蔵峠越えなど長時間の山道で完全に参った記憶があります。新地蔵トンネルなど無かった時代は人里離れた不便な地区だったのです。
西野川の流れの上流に西野峠があるという地図のもとに遡っていきます。
開田白菜やトウモロコシがここの名物、以前に訪れた川上村のレタス畑に似た大規模単一栽培をしています。
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最上流の高坪集落を抜けるとやっぱり電柵
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松本周辺では鹿の害が多いので背丈のある金網の柵が多いのですが、木曽地域は猪のほうが多いので、高さ1m以下の電柵を多用しているようです。

西野川上流の西野峠以外にもあった西野峠、別名城山と言われているようです。
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馬頭観音、木曽馬の産地開田高原では馬への愛着も一入です。
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しかし西野峠への入り口が分かりません、30分ほど放浪します。
ありました城山への案内板、
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しかしやっぱり電柵に阻まれます。
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今回も国道361号線を九蔵峠を経て回り込み把之沢へ、
ここに木曽町役場の開田支所があります。私は今までここが末川だと思い込んでいました。
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ここも電柵、今回の旅はスムーズに峠までたどり着けません。
一応関谷峠、西野峠の所在を確かめたことで納得しようではありませんか。

今回の最大目的地月夜沢峠へ入るため末川へ、
その途中にも馬頭観音
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太平洋戦争中、体格の劣る木曽馬は馬格向上のために淘汰されかかった歴史があったそうです。木曽馬を絶やさないために開田の人々の苦労があったことを刻んでいました。

新地蔵トンネルの手前を左、小野原方面へ、
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目指す月夜沢峠はあの方向
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ありました!月夜沢林道
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快適な道を末川上流へ遡ります。
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分岐をいくつか過ぎて、舗装路からグラベルへ
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まだまだ分岐の林道がありますが
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タラノ沢で林業作業中の人と出会います。
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この先1km程で通行止めになっているようです。この人は昨日も熊に遭遇、落ち着いて引き下がれば怖くはないよと言ってくれましたが背筋がゾッ~とします。
通行止めの先は道が300m程にわたって崩落、無理しないほうが良いと言われて納得。
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やっぱりありました、ここでUターンですが何とも惜しい!
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二股に分かれた林道を右へたどれば月夜沢峠ですが、、、、、、
片道7km程の林道でしたが、南から北へと延びるこの道は正午ごろという時間でもあって日差しの快適な気持ち良い林道でした。また来たい! の思いを胸に引き返します。

今回の峠探訪は全ての目標を一応クリア、寝覚ノ床で昼食をとるために木曽福島へ、
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新地蔵トンネルを抜けて、福島から上松へ
寝覚ノ床を見物して
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ねざめ亭で昼食
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ここではわが社の山賊焼きを頑張って広めてくれています。感謝!

ここからは松本へ帰るのみ、塩尻の郷原でバイクのトリップメーターを見ると
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ちょうど3000km、今年の信州百峠も今日で30峠を越えました。今年中に100は無理でも50峠くらいは走破できる見込みが立ちました。
バイクも3000kmのオイル交換をして新たな旅に出る準備をしなくては。

今日の走行距離は170km、所要時間は7時間20分でした。

信州百峠(17)(鳥居峠、神谷峠、姥神峠、権兵衛峠、地蔵峠、九蔵峠、長峰峠)

台風が関東上陸、長野県にも影響が出るか?! と思いきや雨が少し降っただけで通り過ぎてくれました。
9月9日、台風一過の後は晴天になるだろう、ということで一泊ツーリングで木曽路を目指すことに。
宿泊は開田高原に決めスタート!
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木曽にはたくさんの峠が存在、走りがいがあります。
まずは塩尻、木祖村境の峠、
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鳥居峠、神谷峠、姥神(うばがみ)峠、権兵衛峠、そして
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木曽町の地蔵峠、開田高原の九蔵(くぞう)峠、長峰峠へ

行きに立ち寄ったファミマ、トイレに書かれた注意書きにショック!
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男は立ちションが当たり前と思っていました。犬だってオスは足を上げてションするのに、現在の男性が女性化するのもうなずけます。

塩尻から本山を過ぎて木曽路へ、峠の連続のような風景、
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「ここより南が木曽路」
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注意しないと通り過ぎてしまう路傍にはここより木曽路の碑が、
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ここから東、塩尻方面は中山道の旧道(牛首峠、小野経由)と新道(洗馬経由)が分かれています。
牛首峠はまたのチャンスということで奈良井宿へ
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駅から宿場へは交通規制中、住民の車両しか入れません。
奈良井宿から鳥居峠へ登ろうか、というプランは中止、
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新鳥居トンネルを抜けて木祖村薮原へ、
薮原からの鳥居峠アタック、
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やはり車両通行禁止です。
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私の辞書に車(バイク)を置いて足で登る峠という選択肢はありません。そこで敗退です。

薮原宿で目に入った蕎麦屋さん?
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食彩工房そば実、お総菜屋さんでした。
ランチも用意できるということでおにぎりと手作り総菜各種、メインは煮込みハンバーグ、無理を言って味噌汁も作っていただきました。
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優しい味で穏やかなランチタイムが終了、
お店の前の「笑ん館」のベンチで食休み、ここは以前経営指針の勉強会で来たところ、そういえばその時のお弁当はそば実で作ってもらったものでした。
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神谷峠に向かいます。
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薮原の道の駅の向かい側に入り口を発見、
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登っていくとゲートが、その脇を右へ登る道が神谷峠か
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こんな道を登っていくと
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残念ながら500m程でシャットアウト
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山吹トンネルを抜け
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木曽町へ、左折すれば権兵衛街道
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急こう配のループ橋の手前に道しるべを発見、
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神谷峠の木曽側入り口、登っていくと
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やはり通行禁止、両側の入り口を確かめただけで諦めます。

続いてはその上流に位置する姥神峠、ループ橋の下を旧権兵衛街道へ
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ここも道が草むらの中へと消えていきます。
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新しく快適な姥神トンネルを抜けて羽渕へ
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ここで旧道に入り右折して登っていくと
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羽渕集落
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細い道の先には入山禁止
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ここが羽渕側の姥神峠入り口か?  ここも敗退。

三つ続けて峠敗退、それでは権兵衛峠へチャレンジしよう!
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伊那方面へ、途中にはゲートが、幸いなことにオープンでした。
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権兵衛峠到着です
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ここから伊那側へ行こう、しかし
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深い藪の向こうは固く守られたゲートが、土砂崩落で伊那へは降れません。
峠まではたどり着けたものの通り抜けは叶わず。
その昔はバスも通っていたようですが、栄枯盛衰、立派なトンネルを通り抜けて木曽⇔伊那間を30分で結んでしまう新権兵衛街道の開通によって古の主要街道も草にうずもれることに。

神谷の路傍に佇む開道記念碑
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そこには木曽の人々の思いが凝縮しています。
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権兵衛街道は木曽の人、古畑権兵衛等が1696年、姥神、権兵衛峠を開削して開通した峠道、その後伊那から木曽へ米などが運ばれ(米街道)ともいわれ、木曽の人々にとっては命の糧である米を手に入れる重要な道になりました。今も木曽から峠への道は通行可能(冬季閉鎖)に保たれていますが、峠から伊那へ降る道は閉ざされてしまいました。ここにも木曽の人々の思いのほうが伊那側の人の思いより強いことをうかがい知れます。

木曽町から国道361号線を開田高原へ
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そして左へ折れて地蔵峠
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二本木の湯を経て
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唐沢の滝
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そして峠へ
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ここにも峠を守ろうとした人々の物語が、安政の大地震(1859)で崩れた峠道を復旧させようと開田各村が協力して力を合わせたことが覗えます。
峠の由来の地蔵尊
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そして御嶽山を望む大パノラマ、
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末川で新しい国道361号線に戻り
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ガソリン補給、そして長野、岐阜の県境へと向かいます。
九蔵峠、山間のくねくね道ですが高低差はあまり感じられません。
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ここも御嶽山の遠望が利くロケーション、

そして西野、関谷を経て県境へ、そこにあったのが長峰峠
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峠の茶屋は閉鎖され
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侘しい県境からUターン、

今日の宿の「ペンションのらくろ」
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ここは開田出身の友人の級友が経営、この後、3,5kmほど離れた村の温泉やまゆり荘で汗を流して
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宿のご主人がビールをサービス、友人の友人というのはありがたいもの、木曽ワインも堪能しぐっすり眠りました。

この日の走行は151km、所要時間は7時間でした。



信州百峠(16)(五本峠)

先日走った立峠、花川原峠、風越峠の間は1km程と書きましたが、その立峠の西2km程のところに新たな峠を発見!
その「五本峠」を目指して9月8日に出かけました。
地図の上では下図の通り
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四賀、会田の西方のこのあたりにありそうです。
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立峠に行く際と同じく会田宿の急こう配を登ります、石垣の積み方で傾斜が分かります。
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善行寺街道として活躍していた時代に建てた常夜燈
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地図で行くとこの辺か? 岩井堂公民館前を左折し
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先の分岐を右へ行くと
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林道小屋沢線
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中央道の立峠トンネルの上に出ました
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側道沿いに走ると立峠トンネル
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その先は行き止まりに
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元来た道をたどり直し、
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菅ノ田に、マレットゴルフ場、大会をしているようです、コーンという爽やかな音がする池のほとりを回り込むと
林道菅ノ田線
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右へ行く林道が
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入っていくと
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暗くて湿った道を行くと細い倒木が塞ぎます。
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この倒木をどけようとウンコラショ!
後ろでバイクがこけました。不気味なシュチエーションに気がたじろぎます。ここでUターン

戻って別の道を探すとありました!
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こちらが本命
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しばらくは快適なグラベルロード、そして分岐が
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五本峠とは五差路のことか? 実際には変則四差路、そこを斜め右へ
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木立の間に北アルプスが垣間見えます。見晴は良さそうな峠道、
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またまた交差点
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ここを北へ降りていくと
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住居がありました。
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家宅も農地も荒れていませんが人が住んでいる雰囲気が感じられません、数年前までは人が住んでいたのか、今でも通いで農業をしているのか? 一軒家の先の道はありません、引き返します。

今度は最初の分岐を別の方向へ降ります
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すると別の住居跡に遭遇、こちらは先の住居より古い時代に無住になったようです。
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先の農家とこの家は山の北側尾根の向こうとこっち、夫々に営んでいた生活に区切りをつけて撤退したのかもしれません。
多分峠までは行けているようです。残念ながら筑北方面には抜けられませんでしたが五本峠探索はここで打ち切り。

地図上には細原(ほそばら)という地区があり行ってみました。
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山の合間に北アルプスを望めるロケーション、以前にお邪魔した手打ちそばが名物の農家「そば処ほそばら」
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近くに住んでいても知らないことがいっぱいの郷土です。尾根や沢の合間に生きてきた人々の痕跡を胸に今日の探訪を終了。

走行距離46km、所要時間2時間15分でした。






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