2019年07月

信州百峠(11)(雑炊橋から奈川へ)

前回のブログで、4月から6月まで貯めておいたネタが払拭されました。溜まっていたものがアップできてスッキリ!

これからは取材後数日以内でアップすることを目指します、ということで7月26日の紀行です。
前回の奈川方面への走りでは課題を多く残す結果となりました。そこでその課題を少しずつ解明したいと思います。

ここ1か月程は梅雨空が続いてバイクはお手上げ、今日はすっきりとした青空です。
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松本から波田、そして島々を目指します。島々のバスターミナルから島々集落へ
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宮本常一の「私の日本地図」ではここの風景の変わりようを「山から出てきて野に対するにも、野から来て山に入ろうとするにも、いかにも突然という感じのするところである。」と記しています。
ギューッと両岸が狭まるかと思うと
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左下に雑炊橋の橋柱が見えてきます。
その雑炊橋、後で知ったのですが「雑司橋」とも書くようです。
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この後で訪問した「松本市安曇資料館」で収集したネタから紐解くと、
この橋が古の鎌倉街道、飛騨道、野麦街道の松本側の要衝になります。
橋の手前が島々、向こう側が橋場という集落で、飛騨方面からの物資を取り締まる番所がありました。この両集落は目と鼻の先にありながら同一支配ではなく、橋場はここから4km程奥の稲核に属していた。
展示してあった資料によると、この橋は江戸時代
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このような形態であった。
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橋の基礎部分を見てみると、甲州の猿橋や岩国の錦帯橋のような造りをしている。
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明治25年の写真では
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それが明治44年になると釣り橋になり
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昭和34年
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へと形を変えて現在に至っている。
ここからだけ見ても如何に重要な役割を持った橋だということがわかる。

ここから旧道へとスタート、
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今の国道の南斜面を行く、
橋場の町角を左折
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急傾斜を登ると道祖神
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尚も高度差100m?
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島々が眼下に消えていく。そして道はこんな感じ、
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木の間越しに稲核ダムが
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道が良くなったと思ったらこんな場所に
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今までの悪路と比べると夢のよう、稲核方面からの道は均された平坦なダート、そしてここから上方にコンクリート舗装の2車線路が伸びています。
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そこを登って行くとモノレール?HP?
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山の上に広大な仮設ヘリポート出現!
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そしてこれがモノレール基地?
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巨大送電鉄塔の工事でしょうか?
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先ほどの道まで下って稲核方面へ、
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林道としてはA級品のダートです。
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稲核の町に出ました。橋場からここ稲核まで約7km、古代の道を肌で感じました。橋場からの急登、曲がりくねった細い道、そこは馬に荷を積むとへばってしまい、専ら牛の背に荷を積んでゆっくりと運んだそうです。そのような役牛を育んだのがこの奥の奈川地区ということです。現代の国道を行くと約4km、ものの10分ほどの間、私のバイクで40分かかりました。
「私の日本地図」には昭和40年代の道を広げる工事の様子が
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そこから1km程行くと道の駅風穴の里、風穴まで入るのは今回が初めて、
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案内には風穴や旧街道の様子が
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風穴は明治以降蚕の卵を保存するために大活躍したそうです。
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このあたりでは一家にい棟風穴がありました。
ひるがえって現在の活用事例
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地元の酒蔵、大信州、笹の誉、アルプス正宗の低温熟成庫になっています。
この風穴庫の前の道が鎌倉古道、西へ行く道
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東へ下る道
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先ほどの稲核から繋がっていたのでしょう。

風穴の前には松本市安曇資料館、今回貴重な情報をいただきました。
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入り口にあるのが
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上高地の清水屋旅館の水力自家発電装置、明治から活躍していたそうです。
内部の展示にも興味を惹かれます。
杣の村安曇、奈川の主産業は材木の切り出し、シュラという伐採した材木を滑り落とす仕掛けです。
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なぜか日露戦争時の騎兵制服、「坂の上の雲」の主人公秋山好古を彷彿とさせます。
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また蚕道具一式、
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木こりの道具
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炭焼きの道具など
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山間の街道を行き来する牛追いの必需品牛鞍
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昔の経済が良くわかります。

明治の古地図にも遭遇、
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これから向かう入山
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その先祠峠(奈川⇒乗鞍)
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檜峠(乗鞍⇒沢渡)
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にも出会いました!

明治末期の安曇村は
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現在と比較はできません、ほんの100年ほどの時間の経過で人々の暮らしが如何に変わるものなのか!考えさせられました。

さらに入山方面へ、
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国道の急な右カーブを左へ
入山方面2,3km
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T字路の左は
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大白川林道、前回「ダメ!」と言われて断念した林道の出口に遭遇!
多分風穴の里で出会った古道の延長線では?
そのT字路を右へ
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橋を渡りしばらく行くとまたしても進入禁止!
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そこには風変わりなものが、先ほど出会ったモノレールとはこれか!?
急傾斜の山肌をレールが上方へ
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こんな許可証が
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何と! 積載量3t
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突破を断念し、国道に引き返し、前回と同じく奈川ダムの先から入山へ
入山集落の消防団倉庫のT字路から左へ、先ほどの道に通じないか?
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しかしこんな悪路で断念!

入山では交通整理のガードマンさんが、この先で工事をしていてユニックが下ってくるのでストップ、ちょうど昼時、消防倉庫前でまたしてもコンビニおにぎり。
ガードマンさんに何の工事?と尋ねると、山の上部に聳え立つ鉄塔を案内してくれました。
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今までのヘリポートやモノレールの謎が解けました!
野麦峠方面から松本方面へ巨大送電線を山の上に建設する工事でした。前回も工事車両に出くわしましたが、もう数年もやっている巨大プロジェクだそうです。山の頂上に鉄塔を建てるため、そこに資材や人員を運ぶため森林を伐採し、道路を築き、鉄材やコンクリートを運び、鉄塔が建ったらヘリコプターで電線を張るという大掛かりな工事です。
巨大電線網が最優先なエネルギー政策ですが、地域地域で小規模電力網を賄えばこんな大げさな工事も無いのに、先ほど見たように上高地では小規模な水力発電を明治期からやっていたのに。
奈川渡ダムを眼下に見下ろす場所でそんなことを考えました。

ガードマンさんがこんなものもあるよ、
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その碑文では
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やはり大白川林道はここ入山へと繋がっていたのです。
ということでユニックも通り過ぎました。
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この日の目標はここまで、そのあと余禄として奈川の村を縦断、野麦峠の入り口川浦まで行って、月夜沢峠の入り口を確かめました。
その後奈川の山彩館に寄ると、知り合いの長野県農政部の人にばったり。
今農政部は豚コレラ騒ぎで大忙し、「猪の死体がある」と通報が入ると即行動だそうです。この日も木曽から四賀まで行く途中とのこと。「優雅でうらやましいな!」と言われてしまいました。

帰りに奈川渡ダムから下る大カーブ(入山への入り口)へ差し掛かると、
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正面にトンネル掘削?
またしても大きなプロジェクト?
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稲核ダムの左岸では普通ここまでのアングルですが
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この日は通行止めの入り口が開いていました! 早速進入、
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ダムもここまで近寄ると迫力があります。
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この先へ行ってみましたが、途中で大型ダンプとご対面、小さなバイクですが道に余裕がありません。引き返して空間を探しスルー、そんなことを3回ほど繰り返しましたが運転手さんは待っていてくれます。こちらのわがままにも寛容対応、昔のダンプトラックは凶器などと言われましたが今は安全運航に徹しているのですね。
運転手さんありがとうございました。

ということで走行距離が125km 所要時間が7時間、制覇した峠は皆無でしたが、鎌倉古道、野麦街道の輪郭を突き止められたことは収穫です。
祠峠も乗鞍側からは可能性があるか? 月夜沢峠入り口への見当もつきました。














信州百峠(10)(大白川林道、入山、白樺峠)

6月17日、私の思いとしてはこの日が「信州百峠」スタートです。
なぜかというと、それは古本屋で手に入れたこの本
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宮本常一という民間の民俗学者が全国の山間地など、世間の表面に出なくとも営々と営みを続けている地域を回った記録です。
そこに上高地付近という一冊がありました。宮本常一はかねてから尊敬していた人、この本を目にしたうえで全15巻を購入しました。
彼が歩いたのは昭和20~40年代、私が生まれてから青春になる過程であり、私の原風景ともリンクするのでは、また高度経済成長の影響が都会から地方へと広がりつつある時代でした。
現在上高地へ行く道筋には当たり前のように稲核ダムや奈川渡ダムを通ります。彼が歩いたのはちょうどダム建設真っただ中、変わりゆく風景と共に、それまで生活に根差し日々往来のあった旧街道筋を踏破しています。
現在では廃道になっているかもしれないこれらの道を訪ね、この本と比較することも狙いです。

今日走るのは島々から稲核、奈川渡、入山、田ノ萱、黒川渡、そして乗鞍方面、この本の地図には未だダムの表記はありません。
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松本から梓川の出て、梓川の左岸を島々までいけるか? と思いましたが、3年ほど前の土砂崩落による通行止めはまだ解除されていませんでした。
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引き返して、波田から島々へ、島々からは島々谷を通って徳本峠があります。バイクでは無理と思いましたが、その通り、登山者と熊専用です。
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島々谷と国道を挟んだ反対にあるのが雑炊橋、鎌倉街道や野麦街道へ入る要衝です。
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ここへ深入りするのは次回の宿題。

稲核を過ぎ、風穴の里の少し先、脇道に入り込んで見つけました。
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大白川林道、残念通行止め、中から出てきた営林署の方に許可を求めましたが「ダメ」

奈川渡ダムを左へ、そして最初のトンネルの右手に道が、
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彼の本にも出ていた入山がありました!
かなりの急こう配を登っていくと入山集落、
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数件の民家と消防倉庫、生活の匂いがあまりしない空間です。このT字路を右へ折れます。
この道が野麦街道のようですが、現在の道路より50mは高いところを通っています。
100m程行くと分岐が、とりあえず上へ行きます。
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御殿桜とあります。
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実際の桜がこれ、案内板の30m程上部にありましたが、新緑の中で他の木々と見分けがつきません。
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クラインガルテン
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を過ぎてもどんどん道が続いていますが途中で工事中、
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元の道に戻りしばらく行くと入山宿の案内
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復元された旅籠松田屋
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しばらく下っていくと元の道に合流、その正面に設置されていたのが
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水没記念碑、奈川渡ダムができるにあたり角ガ平、田ノ萱集落が水没した記念碑のようです。元来祠峠に行く道は角ガ平から伸びていましたが、現在はダム湖の下です。

角ガ平トンネルを抜け田ノ萱集落で祠峠への道を聞きますが、「行けないよ」とつれない返事。
尚も探すと軽自動車までは渡れる吊り橋が、
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おっかなびっくり渡ります。この辺の奈川は川幅もだいぶ狭くなってきました。
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渡ったところにあった祠
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ここが祠峠への入り口か? 少し上りますが時間が心配(本当は熊?)になって戻り、さっきの祠で昼食。
きっと程よい時間に飲食店を見つけられないと思って買っておいたコンビニおにぎりとお茶のみ、しかし涼やかな空気と程よい日差し、川のせせらぎを聞きながらの中で食べる食事は最高!
ここも次回の宿題に取っておきます。

黒川渡を右折してスーパー林道へ、
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宮本常一は、この林道開設の効果を書き記した「パイロット林道開設の効果を追求する調査報告書ー開発に伴う地域の社会的、経済的な影響に関する調査(長野県、奈川安曇地域)」(昭和41年11月刊、林野庁林道課)という長い題名の報告書をまとめている。

この林道に入った目的は「白樺峠」、そして乗鞍、白骨を目指します。
白樺峠
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ここは鷹の渡りが見られる場所としても有名、野鳥好きのメッカです。
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しばらく行くと乗鞍が一望のもとに!
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こんな山容です。
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しばらく下ると、橋を渡れば乗鞍高原、左へ行けば池の沢林道ですがやはり通行止め。
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乗鞍高原に出ます。
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ここから白骨へ行くには蛭窪隧道を抜けます。
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この隧道の1km程西には見晴峠があるはずです。しかし乗鞍温泉郷の中を見つけてみましたが、取りつきの入り口が分からず敗退、ここも宿題です。
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白骨温泉郷を抜け、スーパー林道を安房へ抜けたいと思いましたが、
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ここも工事中で通行止め、しょうがなく乗鞍へ戻ります。

乗鞍からは沢渡へ抜ける檜峠、そして先ほど諦めた祠峠への乗鞍側の入り口があるはず、と思い様々分け行ってみました。
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しかし確証が得られず、時間切れとなった今日の走りでした。

走行距離167km、所要時間7時間30分、
信州百峠として実際に越えたのは白樺峠のみ、徳本峠は無理とあきらめ、祠峠、檜峠、見晴峠は宿題となりました。





信州百峠(9)(菖蒲沢林道、林道桧沢線、扉峠)

今日は7月も24日、いよいよ梅雨明けの宣言も出るのか? ここしばらくは暑い日が続きそうでいよいよ夏到来を予感させます。
今までのブログは、撮りためた峠紀行を梅雨空のため足止めを食らった間の余興にアップしていましたが、そろそろ夏の峠チャレンジを、新たに再開できそうな雲行きとなってきました。

ということで、今までのストックをまずご披露します。

6月5日には、先日駒越林道行の際目にした「菖蒲沢林道」を走ることにしました。
里山辺から彼の林道方面、そして扉峠を望みます。
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駒越の集落を過ぎて、先日目にした林道入り口、
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背後へ登ると駒越林道、そして美ヶ原です。

期待に胸膨らせて林道に突入、ところが「アレッ?」あっという間に林道出口に出てしまいました。
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その間1,5km あっけない幕切れとなりました。
そして目の前を見ると、
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左へ行くと三城方面、何のことはない、桜清水から三城へ行く道に出てしまいました。

気を取り直して三城方面へ、面白そうな分岐が出てきました。
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左へ行ってみよう! しかし500mも行くと
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二股が通行止め、またまた引き返します。

三城の分岐です。
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真っすぐ行けばビーナスライン、そこを右折し、松本方面へ、
途中にあった分岐を左折、
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林道桧沢線、何度も走った、走り心地の良い林道です。
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その小峠を越えれば扉温泉の桧の湯
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ここが扉峠の入り口のなっています。
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昔(30年以上前)ここから扉峠に向かって自動車で行った覚えがあります。
今でもいけるかな?
しかし現状は、
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もう少し突っ込んでみましたが、
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ここで敗退、
桧の湯のおばさんに聞いたところ、扉峠に行くには新しくよもぎこば林道ができたので、この道は放置されて通行止めだよ、ということでした。残念!

帰りは入山辺の徳運寺に寄って帰りました。
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この間、時間にして約2時間、走行距離は42kmでした。




信州百峠(8)(駒越林道、武石峠、蝶ヶ原林道、三才山峠、稲倉峠)

6月3日
地元にありながら未だに未制覇! 気になっていた林道があります。
その名は「駒越林道」 浅間温泉から美ヶ原に行く林道美ヶ原線、美ヶ原頂上の駐車場へと行く2km程手前右側に麓から上がってくるダートがあります。そこはその昔、松本から美ヶ原頂上へバス路線が通っていた道と知りました。また冬季にはこの林道が閉鎖され、山頂の「美ヶ原高原荘」へ旅客を運ぶ唯一の補給路にもなっているそうです。
そこを走ってみたい!ということで出かけました。

松本の山辺から美ヶ原に行く道筋、入山辺に入ってすぐにその看板が出てきます。
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右へ行くと美ヶ原に行く道、案内の左側はテープで隠してあります。
その看板の根元に設置されているのが
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左へ行くと駒越の集落へ、 そうですその名は「駒越林道」、左へ登っていきます。

駒越の集落を過ぎるとゲートが現れます。
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道の彼方に美ヶ原の一部が垣間見れます。
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尚も登っていくと分岐に出ます。
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右へ行くと菖蒲沢林道、そこを左へ舵を切ります。

気持ちの良いつづら折りの道が登っていきます。
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大きな石がごろごろしているダートになってくると、そろそろ標高2000m、駒越から1200m程は登ってきたか!?
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林道美ヶ原線と合流、今来た道を振り返るとこんな感じ。林道美ヶ原線を登ってくるとき気になっていた分岐です。
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そこからは放牧されている牛さんを眺めながら
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頂上の駐車場に到着。
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今度は林道美ヶ原線を浅間温泉方面に引き返します。
そして武石峠
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左へ行くと浅間温泉、右へ行くと武石、上田方面。そこを上田方面へ1km程
そうすると左側に
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こんな分岐が、 4月の終わりに出かけたときはこんな感じで断念しましたが、
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その後山菜取の人たちも多数行き来したのか、走りやすい道をスイスイ、

遠くに見えるのは三才山トンネルから料金所への陸橋か!?
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そのうちに古びた案内標識が、
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左が保福寺、右へ行くと鹿教湯や丸子方面。

そしてその分岐が現れます。
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右はガッチリとゲートで閉ざされ今日は断念。でもいつかは行ってみたい!
左の道を行くと蝶ヶ原林道、
私の大好きな烏帽子岩が現れます。旧本郷村に生まれた私にとって本郷の象徴と憧れる風景です。そして女鳥羽川の源流でもあります。
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案内看板、
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そこを尚も北へ向かうと、三才山トンネルの真上を通り、古の峠に到着、
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三才山峠、鎌倉街道の道筋として古くは頻繁な行き来があった峠だそうです。
今の蝶ヶ原林道は写真の右手へ行きますが、ここを真っすぐ下ると三才山の一ノ瀬集落、伊那の長谷、そこにも市野瀬という集落がありました。私にとっては神秘的な地名です。
そして林道を四賀の側に出ると蝶ヶ原林道の終点
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そこを数百メートル登れば保福寺峠、先だってご紹介したウェストンが北アルプスを命名したという峠です。

四賀を下って錦辺集落の郵便局を左折して
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登ったところが稲倉峠の入り口、
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江戸時代までの江戸街道、松本城主も参勤交代の折に行き来したという稲倉峠に行きつきます。
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稲倉峠の案内、
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そこを松本方面(現在は四賀も松本ですが)に下ると、稲倉城
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そしてそのころの城主赤沢氏の居宅跡、
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稲倉の集落の入り口には
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峠口の道標もあります。
この間、駒越への分岐からここまで65km、この間武石峠、三才山峠、保福寺峠、と信州百峠を三つ、駒越林道、蝶ヶ原稲倉峠をつなぐ道で走破、その上百峠には入っていないものの稲倉峠も走りました。
結構満足!









信州百峠(7)(女沢峠、新山峠、中沢峠、金沢峠)

5月26日です。前日長谷の黒河内の農家民宿に泊まり25000分の1地図を手掛かりに付近の情報を集めます。
いざ出発となりましたが、飲料と軽食が欲しくコンビニを探しますが長谷にはありません。高遠まで戻って調達。

今日の道程を地図で確認
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「信濃溝口」の地図の長谷黒河内が宿泊場所、そこから美和湖の南端を渡ると女沢の入り口⇒女沢峠(上の地図の目印)⇒新山峠⇒「市野瀬」の地図の古屋敷⇒駒ヶ根、そこから折り返して中沢峠(下の地図の目印)⇒市野瀬⇒美和湖に戻り⇒中非持⇒山室川⇒金沢峠⇒茅野方面へ抜ける計画です。

コンビニ調達が済んで、美和ダムからスタート、
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美和湖の真ん中神田橋が渡れるか?
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と思いましたが残念ななら通行止め、
美和湖南端、分杭峠方面へ渡る橋を渡ると分岐がありました。
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ここから、案内図では下方向駒ヶ根方面へ女沢を遡ります。
女沢峠への案内がやっと出てきました。
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グラベルロードが続きます、でも難易度は中程度、途中1台のバイクとすれ違っただけ、そして峠と思しき地点、
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突然舗装路に代わります。グラベルが長谷(伊那市)舗装路からは駒ヶ根市か!?
ここも新山峠?と思しき分岐、
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そこから古屋敷を経て
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駒ヶ根から中央アルプスへの展望が開けます。昔はこれらの峠を通て長谷と駒ヶ根の交流を図ったのでしょう。一旦駒ヶ根のガソリンスタンドで給油と思いましたが、日曜のためかすべて休業、国道まで出ざるを得ません。こんなところにも人口減少、過疎の影響が出ています。
山襞を縫って登り降りを繰り返した過去の道は、遠回りでも一直線の現代の道に淘汰されている現実を肌身で感じます。

リフレッシュしてきびすを返します。いざ中沢峠へ、
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右大鹿村(分杭峠)左が長谷です。
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中沢峠に到着
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市野瀬から杉島へ、右折していきましょう。
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市野瀬という地名ですが、松本にも三才山に一ノ瀬という集落があります。以前読んだ本には、この市や一とは「市場」という現在の解釈ではなく、同じく人が集まるという意味がありますが、物品の集積地としての市ではなく、信仰の対象があって人が集まるという意味があるそうです。
多分松本の一ノ瀬は女鳥羽川の源流にある烏帽子岩を信仰の対象としての一ノ瀬、ここ市野瀬は分杭峠を信仰の対象として地名が付いたのでは? などと想像してしまいます。
地形から見ても両者の共通点がうかがえます。
一度は泊まってみたい「ざんざ亭」を横に見て東方へ、
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しかし2km程で通行止め
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テレビでも紹介されたドーナツ万十、
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残念ながら休み。この頃は南信のスーパー「ニシザワ」でも買えるようになりました。

ちょうど昼時、日帰り温泉「入野谷」で入浴と馬刺し丼で休憩を取ります。
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午後は美和湖を北上し、中非持から山室川方面へ。
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入笠山の案内標識に導かれます。
途中にある遠照寺、牡丹で有名、ちょうど見ごろなのかお客さんが入っていますが私はパス。
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入笠山への登山口「法華道」、次回のチャレンジにします。
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林道を登って
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分岐に出ますが、青柳方面へ道を取ります。
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すると「金鶏金山」武田氏の金山跡らしいです。道のあちこちに金山の坑道跡があるようです。
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やっと見つけた金沢峠
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帰宅時間との兼ね合いと、ラフロードになりそうな懸念から今回はパス、しかし残念。
杖突峠へ出て
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諏訪へと下り
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今回の二日間にわたる峠訪問を閉じました。









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