2012年05月
私は新撰組が大好きです。京都へ行ったら新撰組の足跡を訪ねたいと昔から思っていました。
今回の京都探訪では、昔の友人が京都のタクシーをやっているので、彼に案内をお願いして回りました。
朝、ホテルから散歩に出て、早速新撰組に関係する壬生という地名を発見。
東寺の北にあった交差点です。歴史小説を読んでいると壬生というのは田んぼの中の郊外立地とばかり思っていましたが、実際は京都駅から1kmくらいしか離れていません、意外でした。
新撰組がよく通った島原遊郭、
この大門を新撰組も通ったと思うと感無量です。
そして角屋(すみや)島原の揚屋=料亭です。
ここには新撰組の芹澤鴨が酒乱のうえで切りつけた刀傷の跡が残っているそうです。
角屋の近くには輪違屋、こちらは置屋、浅田次郎の小説『輪違屋糸里』で有名です。
そして壬生の次の屯所として新撰組が占拠した西本願寺の太鼓楼、
あまりに乱暴な新撰組だったため、西本願寺から追い出された新撰組の最後の屯所跡、
今のリーガロイヤルホテル京都の敷地内にありました。
そして今回どうしても行きたかった所、金戒光明寺
新撰組を操り、京都の治安維持に当った会津藩の京都所司代だった場所です。
ここに会津藩主=松平容保が駐屯し、苦悩しながらも幕府の命令を忠実に実行したと思うと感無量。
その庭を近藤勇や土方歳三が歩いていたのです。庭の中心にあるのが熊谷直実が血塗られた鎧を洗って干したといわれる松。
金戒光明時は残念ながら山門の修復中、春の桜、秋の紅葉が見事だというこの寺に今度は秋に訪ねたいです。
今回の京都探訪では、昔の友人が京都のタクシーをやっているので、彼に案内をお願いして回りました。
朝、ホテルから散歩に出て、早速新撰組に関係する壬生という地名を発見。
東寺の北にあった交差点です。歴史小説を読んでいると壬生というのは田んぼの中の郊外立地とばかり思っていましたが、実際は京都駅から1kmくらいしか離れていません、意外でした。
新撰組がよく通った島原遊郭、
この大門を新撰組も通ったと思うと感無量です。
そして角屋(すみや)島原の揚屋=料亭です。
ここには新撰組の芹澤鴨が酒乱のうえで切りつけた刀傷の跡が残っているそうです。
角屋の近くには輪違屋、こちらは置屋、浅田次郎の小説『輪違屋糸里』で有名です。
そして壬生の次の屯所として新撰組が占拠した西本願寺の太鼓楼、
あまりに乱暴な新撰組だったため、西本願寺から追い出された新撰組の最後の屯所跡、
今のリーガロイヤルホテル京都の敷地内にありました。
そして今回どうしても行きたかった所、金戒光明寺
新撰組を操り、京都の治安維持に当った会津藩の京都所司代だった場所です。
ここに会津藩主=松平容保が駐屯し、苦悩しながらも幕府の命令を忠実に実行したと思うと感無量。
その庭を近藤勇や土方歳三が歩いていたのです。庭の中心にあるのが熊谷直実が血塗られた鎧を洗って干したといわれる松。
金戒光明時は残念ながら山門の修復中、春の桜、秋の紅葉が見事だというこの寺に今度は秋に訪ねたいです。
今回初めて宇治の平等院へも行ってきました。
均整がとれた建物で美しいですね。
平等院はお金に縁があります。
10円には建物全体が、1万円札には屋根に飾られている鳳凰が印刷されています。平等院が別名鳳凰堂と言われる所以です。
と、ここまでは誰でも知っている知識ですが、今回私は新しい発見をしてしまいました。
見学したのは夕方近く、夕日をバックに写真を撮ると、
素晴らしい傑作でしょ?
この鳳凰、今までにどこかで見たことがあります。記憶をたどっていくと、
そう! わが社の社章と良く似ているではないですか!
細かいところに目をつぶると、全体の姿勢というかイメージが何となく似ていませんか?
社章に似ているだけでなく、お金つながりで1万円札にも大いに縁続きになれればうれしいですが。
最後にお詫び、夕日に鳳凰はお土産に買った絵葉書のコピーでした。
私が撮ったのはこちらです。
均整がとれた建物で美しいですね。
平等院はお金に縁があります。
10円には建物全体が、1万円札には屋根に飾られている鳳凰が印刷されています。平等院が別名鳳凰堂と言われる所以です。
と、ここまでは誰でも知っている知識ですが、今回私は新しい発見をしてしまいました。
見学したのは夕方近く、夕日をバックに写真を撮ると、
素晴らしい傑作でしょ?
この鳳凰、今までにどこかで見たことがあります。記憶をたどっていくと、
そう! わが社の社章と良く似ているではないですか!
細かいところに目をつぶると、全体の姿勢というかイメージが何となく似ていませんか?
社章に似ているだけでなく、お金つながりで1万円札にも大いに縁続きになれればうれしいですが。
最後にお詫び、夕日に鳳凰はお土産に買った絵葉書のコピーでした。
私が撮ったのはこちらです。
我が家には昔からお稲荷さんの祠がありました。
これは今の祠、昔、私が小さかった時には1m四方くらいの大きさの木製の祠が大きな石の上に鎮座していました。
毎年年末や、大音寺の住職さんがお祓いに来てくれる時だけちょっとだけ手をかけていましたが(私は殆んどやったこと無し)、商売の神様でもあるお稲荷さんを粗末にしては申し訳ないと思い、一層のことご本山にお返ししようと、思い切って京都の伏見稲荷へ行くことになりました。
祠からご本尊を取り出すと、蟻がうじゃうじゃと出てきます。そのうちゴキブリが出現です。一応奇麗に拭き清めましたが、お稲荷さんを粗末にしてまことに申し訳なく思います。
ご本尊には大正4年、6月5日と書いてあります。正確にはわかりませんが私の曾お爺さんが伏見から勧進したと思われます。それから100年近く我が家の安泰を見守ってくれていたと思うと感無量です。
長い間粗末にされながらも本当にありがとうございました。これからはご本山で悠々とお過ごしください。
それでは京都へ、お稲荷さんと一緒に旅立ちます。
これは今の祠、昔、私が小さかった時には1m四方くらいの大きさの木製の祠が大きな石の上に鎮座していました。
毎年年末や、大音寺の住職さんがお祓いに来てくれる時だけちょっとだけ手をかけていましたが(私は殆んどやったこと無し)、商売の神様でもあるお稲荷さんを粗末にしては申し訳ないと思い、一層のことご本山にお返ししようと、思い切って京都の伏見稲荷へ行くことになりました。
祠からご本尊を取り出すと、蟻がうじゃうじゃと出てきます。そのうちゴキブリが出現です。一応奇麗に拭き清めましたが、お稲荷さんを粗末にしてまことに申し訳なく思います。
ご本尊には大正4年、6月5日と書いてあります。正確にはわかりませんが私の曾お爺さんが伏見から勧進したと思われます。それから100年近く我が家の安泰を見守ってくれていたと思うと感無量です。
長い間粗末にされながらも本当にありがとうございました。これからはご本山で悠々とお過ごしください。
それでは京都へ、お稲荷さんと一緒に旅立ちます。
プロフィール
hongokeiniku
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード