2011年10月

山賊焼とケーちゃん焼、そして

今、私たちの会社では『信州名物、山賊焼』の普及を一生懸命に取り組んでいるところです。
信州名物、山賊焼とは
骨付山賊


山賊焼は、戦前に塩尻の『山賊』と言うお店の高見さんが開発したものです。戦後それが大ヒットして塩尻はもちろん松本や安曇野にも広がりました。7年程前から先のブログでも取り上げた『松本食堂事業協同組合青年部』の方々が地元の名物として再チャレンジ、現在のブームになっています。
山賊焼とは鶏肉を大きく開いて、醤油、ニンニクなどで味付けをし、片栗粉をまぶして豪快に揚げたものです。
ネーミングの山賊は、元祖の高見さんが山賊顔だったことから付けられましたが、山賊は人から物をとりあげる=とり(鶏)あげる(揚げる)⇒山賊焼になったという説、山賊のように豪快に野蛮に鶏肉を頬張るところから名づけられたという説もあります。
揚げるのになぜ焼なの、という疑問には、戦後は油が貴重品で鍋に浅く油を張り、揚げ焼にしたからという説が有力です。

今まで山賊焼は地元の飲食店で食べるか、当社が以前からやっていた、スーパーなどの惣菜売場で揚げたものを買うしか出来ませんでした。そこで当社は昨年からおみやげ用の山賊焼を考案、販売し、新たな販売ルートを開拓しています。
おみやげ用冷凍山賊焼がこれです。
冷凍山賊BOX

現在、高速のサービスエリアや地元の観光施設で販売を開始しています。

先日、当社の取引先の鶏肉問屋さんに同行して来られた方が、岐阜県の飛騨地方の名物『ケーちゃん焼』を作っている会社の社長さんでした。名刺交換をしただけですが、その後ケーちゃん焼を送ってくれました。
ケーちゃん焼

ケーちゃん焼はフライパンなどで野菜と一緒に焼く料理です。飛騨地方ではごく一般的な庶民的な味だそうです。
ケーちゃん焼パンフ

そこで考えました。明治時代、松本と飛騨地方は『筑摩県』という一緒の県内に存在していました。北アルプスをはさんで交流もたくさんあったそうです。そんな因縁の中から『山賊焼』と『ケーちゃん焼』を結びつけ、一層活性化させる秘策はないものか? どなたか良いアイデアを教えてください。

そしてまたまた美味しいものを頂きました。
スモークチキン

手作りのスモークチキンです。丸鶏と砂肝、肝の3種類、絶品でした。作った方はプロではなく、趣味で燻製を作っています。ここまで完成度が高ければプロも裸足で逃げ出します。

いつも美味しいものを頂いて幸せ一杯です。

善光寺街道を往く

善光寺街道とは、中山道の塩尻洗馬宿から松本を通り、筑北を経由して北国街道篠ノ井から長野の善光寺までの約80kmにわたる街道です。
現在では国道19号線や中央道、JRの篠ノ井線がごく当たり前のルートになっていますが、昔(とは言っても篠ノ井線ができるまで、そんな昔の話ではありません)は善光寺参りなどで人馬が頻繁にこの街道を利用していましたし、武田信玄も川中島の戦いに臨むために往来していた歴史の道でもあります。

そんな歴史の道を松本から善光寺まで我が愛車スーパーカブで踏破しようとチャレンジを開始しました。これから寒くなるので完全踏破は来春になるかもしれませんが、いけるところまで細切れに行ってみたいと思います。

まずは出発点、松本の安原の木戸跡です。ここには江戸時代松本城下から外へ出るための木戸があったと言うことです。付近には下級武士の住まいもありました。
安原

左奥へ行くのが善光寺街道、右手の建物は徳若という老舗のお菓子屋さんです。

萩町、信州大学付属小、中学校の前を抜けます。左の建物は老舗の砂糖問屋。
萩町

その先の五差路を北西(左の小路)へ、
付属北の岐路

少年刑務所の手前で県道を横切り、右上の道へ。
少年刑務所の岐路

女鳥羽中学校の前を通り、
女鳥羽中

岡田神社参堂前に抜けます。
岡田神社入口

ここには刈谷原峠への案内板がコスモスの陰に控えていました。
コスモスと案内板

そして岡田宿
岡田町

ここには、地元の方々が設置した善光寺街道に関る案内や公園が整備されています。まずは岡田宿本陣跡、大名行列のお殿様が泊まりました。
岡田宿本陣跡

地蔵堂
地蔵堂

岡田宿公園ではこの地の歴史が分かります。
岡田宿公園

岡田宿の先で善光寺街道(至刈谷原峠)と江戸海道(至稲倉峠)が分岐。
江戸海道分岐

ここを左へ進むと伊深地区、その中頃には安原の木戸からの一里塚の案内が、これが我が愛車スーパーカブ。
伊深の一里塚

国道254号線の下をくぐっていよいよ坂道。でもちょっと寄り道、ここの近くには昔伊深城がありました。
伊深城案内

刈谷原峠と馬飼峠の分岐点。
峠入口

ここで助平根性を出し、左の馬飼峠へ行ってみよう! この峠は明治以降に作られた刈谷原峠の脇道です。峠頂上から常念岳や槍ヶ岳がの眺望が見えるので行って見たくなりました。
馬飼峠の道

しかし草ぼうぼう、登っていくと何と! 軽トラックが悪路にはまり込んで動けません、おじさん2人が呆然としています。『携帯電話持ってる?』と聞かれたのでお貸ししました。地元の人だったので家に助けを求めています、『トラクターで助けに来てくれ!』と。車を押すのを手伝おうとしましたが人力では動きそうにありません。健闘を祈ってさらに登りますが、
馬飼峠悪路

こちらもギブアップ、大きな石や折れた木が道をふさぎ、わだちは10~20cmも掘られています。先の台風で荒れ果てたようです。バイクの車輪も空転するだけで登れません。すごすごと来た道を引き返す羽目になりました。
おじさんたちの脇を下って分岐点へ、そこで救助のトラクターとすれ違いました。
本来の目的地=刈谷原峠へ登り直します。こちらも舗装路は途中で途切れますが整備された道です。坂はかなりきつくローギヤーでゆっくりと登ります。途中には昔からの馬頭観音が行儀良く並んでいました。
馬頭観音

もっとドラマがあると思いましたが、あっけなく峠へ出ました。
刈谷原峠

峠では地元の人が1人、翌日に予定されている峠ウオーキングの準備のために仮設トイレを作っていました。穴を掘って周りをブルーシートで囲っています。ご苦労様です。
この峠には昔の茶屋跡があるということで聞いてみました。
峠の茶屋跡

樹間には石垣も見えます、茶屋跡の左隅には井戸も、
茶屋の井戸

今でも透明な水を湛えていました。
おじさんに別れを告げて四賀側=刈谷原宿へと降りていきます。
刈谷原峠四賀側入口

これが降り口(登り口)この山の向こうは松本市岡田方面です。

刈谷原宿です。岡田宿の次の宿場町になります。
刈谷原宿


今日はここまで、今来た道を登り返し、峠を越えて家路につきます。
最後に刈谷原峠のショットを。
刈谷原峠2
  • コメント( 3 )

信州黄金シヤモ

長野県では5年ほど前から信州の地鶏=信州黄金シャモの振興を図っています。
8日には長野市のMウエーブで長野市農業祭があり、そこに黄金シャモの生産者の方々が普及、販促のために出店していました。
私も『信州黄金シヤモ振興協議会』の会員なので陣中見舞いに行ってきました。

会場はMウエーブ(長野オリンピックのスピードスケート会場)の屋外、晴天ですがすがしく気持ちの良い日でした。
入口には『信州新町のジンギスカン』。先日アップした遠山郷のジンギスカンと双璧を成す長野県の2大ジンギスカンです。
ジンギスカンも


その隣に信州黄金シャモのブースがありました。
黄金しゃものブース

信州黄金シャモとは、父親がシャモ(軍鶏)、母親が名古屋種という日本でも最も優れた在来鶏をかけ合せた美味しさ、歯ごたえとコクのある地鶏です。地鶏とは在来鶏の血が50%以上入っていれば名乗れます(日本の殆どの地鶏は50%です)が、信州黄金シャモは100%在来鶏の血筋です。また、飼育日数はブロイラーが50日程なのに対して120日以上飼育します。
黄金しゃも


生産者の皆さんも張り切ってやきとりを焼いています。笑顔が良いですね。
黄金軍鶏の生産者

今日はやきとり以外に信州黄金シャモで作ったスモークチキンなども販売していました。
しゃもの加工品

普通のやきとりに比べると少々お高いのですが、お客様が列を作っていました。この頃は信州の人たちにこの鶏の美味しさが分かってきたようです。

Mウエーブの室内では何をやっているか? と思って覗いてみると、何と全日本スケート連盟が合宿をしていました。全日本スケート合宿

10月に氷を張りつめているのに驚きましたが、とてつもないスピードで走り去る選手にも度肝を抜かれました。


山賊焼と信州松本そば祭り

10月8~10日にかけて松本城公園で『信州松本そば祭り』が開かれています。毎年10万人を超す人が集まる松本の一大イベントです。

8日朝の準備風景、松本城を背景に。
朝の準備

そして昼間の人出、午後3時頃なので人出はいまいち。
昼間の人出


そば祭りは8回目なのでこんなもんだろう! と思いましたが、今年目に付いたのは山賊焼があちらこちらに出店。
こんなのや
山賊1

こんなの山賊2

こんなのも山賊3
出ています。

でも本命はこれ!松本山賊焼

なんといっても『松本山賊焼』
食堂組合揃い踏み
松本食堂事業協同組合青年部の揃い踏み。
今日の予定数量も残り僅か、売れ行き順調のようです。
彼らが7年前から頑張って『山賊焼』を広めてきたのが現在の山賊焼ブームに火を付けたのです。

そばの話題も入れなくては、これは木曾谷名物『すんきそば』 塩を使わず、乳酸発酵だけで作ったお葉漬けをそばの上に乗せたもの、すんきの酸っぱさとそばつゆが見事にハーモニーしていました。
すんきそば


また、今年はBGMで『信州そば打ち音頭』が会場に流れていましたが、その仕掛け人の山崎さん
そばうち音頭
今回はなぜかそばではなく、スペイン物産のブースでスペイン産のそばビールを売っていました。

松本城
おまけは緑の中の松本城の天守閣です。

肉のスズキヤ

先日、南信濃の遠山郷へ行ったときに『肉のスズキヤ』さんへお邪魔してきました。
それも偶然に宿泊した遠山郷和田地区の旅館の斜め前に肉のスズキヤさんがありました。
スズキヤさんとは以前に長野東急百貨店で信州物産展に出店した時、隣どうしのブースで若社長さんと名刺交換をしたことがありました。
お訪ねすると若社長さんがちょうど応対に出てこられて良かったです。
スズキヤ店舗

スズキヤさんは和田地区の秋葉街道沿いにあります。お父さんの代から遠山郷の山肉(今で言うジビエ=熊、鹿、猪など)を猟師さんから集め、販売をしていたそうです。また遠山郷は信州新町と並んでジンギスカンが名物、『遠山のジンギスカン』として南信地区のスーパーには必ず並んでいる定番商品も作っています。スズキヤさんでは羊のジンギスカンはもちろん、『ブタジン』=豚肉、『トリジン』=鶏肉、『シカジン』=鹿肉など幅広いジンギスカンも作っています。
そのジンギスカンを作っている工場も見せていただきました。スズキヤ工場1

とても立派な工場です。リーマンショックの前に作ったので今はたいへんと言われていましたが、ドックシェルターも備えた衛生的な工場です。
衛生面にはとても気を使っているということで、同じ肉でも家畜(牛、豚、羊、鶏)の処理と山肉の処理は完全に分離しているそうです。
現在、長野県では鹿の食害が深刻であちこちで鹿肉の処理場設置が話題になっていますが、スズキヤさんのように衛生面に気を配ってはいないようです。安心して市場に山肉を流通させるにはスズキヤさんのような本格的な取り組みが必要だと感じました。

おみやげに『鹿肉カレー』を頂いちゃいました。
スズキヤ鹿肉かれー

突然訪問したのに快くお会いいただきありがとうございました。

記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

hongokeiniku

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ