日本周遊の旅(奥三河②)武田氏滅亡への道、野田城、設楽町、伊那街道 2024年02月19日20:07 

2月11日、この日は新城隣の駅=野田城駅を探すことから始めます。
野田の信号を発見
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そこから隘路をぐるぐる回りやっと野田城駅を発見!
ナビの案内で探すのは簡単ですが、旅の醍醐味はやはり紙の地図と首っ引きで取り組むことですね。
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駅の公衆便所に地図は出ています。
野田城跡、大野田城跡と駅の位置関係は地図で分かりますが、方角が分からない、どちらへ行こうか?
駅のホームの向こう側はヨコハマタイヤの大きな工場です。それを目印に探しましょう。
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踏切に案内が、
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どうやらあれが大野田城跡のようです。
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ということは飯田線をはさんだ反対側に野田城跡はあるはず、あそこのようです。
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ここを右折して上っていきます。
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路傍にあっけなく案内が出現。
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その歴史
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ここから入れそうです。
昨日の設楽城のほうが整備が行き届いていますね。
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伊那街道の文字が。
昨晩調べたところ、昨日たどってきた県道10号線が伊那街道と判明しました、何たる偶然の一致。
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本丸跡
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野だ城址碑
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ありました!
信玄公狙撃場所。
三方ヶ原の合戦の後、武田軍はこの野田城を包囲しました。
その折、場内から流れて来る笛の音に誘われて信玄が出てきたところをここから狙撃、それが原因で信玄は伊那駒場で没したという伝説です。
昨日の設楽原歴史資料館にあった信玄砲というのがそれか?
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井戸の跡、信玄は甲斐の金山の金堀人夫を動員して野田城の水の手を切ろうとしたということです。
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三の曲輪跡
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二の曲輪跡
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堀切
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三日月堀跡
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など往時の特徴が分かって面白い。

立札に案内パンフレットが欲しい方は近くの新城モータースへ、とありました。
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アジャ~! 日曜日で休み? 10分後、幸いなことにそこの社員の方がちょうど出社。
めでたくパンフレットいただきました。
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残念だったのは、あとでパンフレットを読んで分かったことですが、城外西側に信玄被弾の地があったこと。探してみればよかった!
位置からしても距離にしてもうなずける場所です。

その後設楽ヶ原を再見分、国道257号線を設楽町へ、
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しかしここで通行止め、しかたなく鳳来寺山麓を迂回して
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道の駅したら、奥三河郷土館が併設されています。
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ここにも森林鉄道の歴史がありました、森林鉄道段戸山線。
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田口鉄道という立派な鉄道もあったようです。
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そしてここにも鳥屋場の伝統も!
そのジオラマ。山の尾根沿いに切り開き、
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カスミ網を張り巡らし、囮の小鳥をさえずらせて飛んでくる同種の小鳥を絡めとる猟法です。
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郷土館の主館は有料、300円を払って入りました。
古くからの衣食住から歴史、地質、産業など興味深い品々が要領よく展示されていましたが、残念ながら撮影禁止。時間があればじっくりと見て回りたいところです。
田峯菅沼氏興亡紀、200円也を購入。
ここ設楽は山家三方衆の根拠地、昨日の長篠城も今日の野田城もその一族です。
巨大な武田と徳川に挟まれ、一族でも争いをしながら生き抜いてきた人々です。
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城跡も多数存在、それらを巡って歩くだけでも楽しそうです。
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屋外には出店が、「したら町の五平餅」をアピール!
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ここはくるみタレの「つぐや」というお店、ちょうど昼時なので五平餅と分厚いヒレカツサンド、それにサービスで頂いた「したらの水」。この水は設楽町の水道水を缶に封入したもの。
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県道10号線を伊那街道へ
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ここは直進
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伊那街道を無事通り抜け津具の街へ、でもここからは昨日着た道で楽しくありません。フッと見れば稲武へ抜ける道がありました。
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稲武から根羽村へと迂回しても良さそうです。杉並木の山道を行くと
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面ノ木峠を越え
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無事稲武へ着きました。
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そして何回もここまでは来たな、という景色の長野県境へ
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そうです、根羽には中馬街道があった。ここから杣路峠にも行ったっけ。
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伊那街道を走った実感とすれば、野田城で撃たれた信玄も、設楽ヶ原で惨敗した勝頼もこの街道、そしてこの峠を通って信州へ敗残の姿を運んだのかもしれません。

2日間の走行距離は484km。たいした距離ではありませんが、戦国歴史の一端を垣間見られた旅でした。





日本周遊の旅(奥三河)設楽城跡、鳳来山東照宮、長篠城址、設楽ヶ原、鶏の奥三河 2024年02月18日17:52 

2月10日も快晴、穂高連峰がくっきり見えます。
1月30日に天竜川沿いの三遠南信を周ってきましたが、今回はその西側の奥三河を新城まで下りたいと思います。
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前回と同じく飯田山本で高速を降り、まずは駒場で満蒙開拓平和祈念館
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そして武田信玄ゆかりの長岳寺、
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三方ヶ原の戦いの後、新城の野田城を経て甲斐へ帰る途上でここ駒場で信玄は亡くなったとの説もあります。
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駒場の街
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平谷スキー場も暖冬で雪がわずか!
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根羽村のネバーランドではつるし雛の展示が、
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史跡信玄塚を経て
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根羽から売木、津具方面へ
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津具は右へ、県道10号線を行きます。
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県境を越えて津具高原グリーンパークにて奥三河の概要をチェック、
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奥三河の位置関係は信州の南、こんな関係です。
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津具の街は静かです。
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町に一軒だけあったマルツマーケット
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総菜売り場
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田口の塩鶏?
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味つけ肉の売り場が充実しています。
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花祭りの聖地古戸
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路傍にはこんな鬼面も、
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名古屋コーチン飼っています、お静かに!
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前回通過した設楽城址を見学、
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城下の証と思われる地名城市(しるいち)を経て
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城址の麓には小さな駐車場が、そこには設楽城址案内
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こんな坂道を登っていきます、熊が怖いので手をたたきながら。
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堀切跡
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設楽城跡
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鎌倉時代に設楽氏によって作られ、戦国時代に伊藤氏によって現在の形にされたといわれています。

本郷を通過、
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そろそろ昼時、レストハウストーエイにて昼食。
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季節のおすすめ、麦とろろ飯定食(チキンカツ付き)1300円
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食堂隣の物産店には、ここも鶏肉の味つけ「東栄チキン」
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製造元は丸トポートリー
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鳳来寺山パークウエーへ、
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鳳来寺東照宮へ、
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道のどん詰まりには料金所、料金は550円。
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東照宮へは駐車場から約10分
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鳳来寺山と姿の良い松が、
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東照宮への急な石段を登って
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東照宮、三代将軍家光が、鳳来寺山を家康誕生ゆかりの地として、祖父報恩のため建築をはじめ、家綱の時に完成。国の重要文化財に指定されています。
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鳳来寺山から下って飯田線と並走、
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道の駅もっくる新城で情報収集。
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ここでも鶏の味つけ肉を強烈アピール!
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案内所にはこんなパンフレットも。「新城市鶏ガイド」
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鶏とろ、半身揚げetc
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パンフレットには味つけ肉の老舗の記載も、「鳥長商店」
住所は長篠、ちょっと戻りますが長篠城址を見学するにも好都合です。

鳥長商店、旧道の狭い道筋にひそやかに佇んでいました。
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お品書き
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小さいけど清潔なお店です。
近在のお客さんが生の味つけを買っていましたが、わたしは旅先のため冷凍を宅急便で送ってもらうことに。
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各300~350gで500~600円、お手頃です。お勧めのNo1は「かわきも」
先ほどのパンフレットを見せたところ女将さんもお客さんも初めて見たとのこと。

道を抜けるとすぐ長篠城跡
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長篠の戦いで有名なのは何といっても鳥居強右衛門、城内から豊川越しに見た強右衛門磔死の地。
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後でその場まで行ってみました。立派な碑が建っていました。
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城脇を飯田線が走っています。
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長篠城址史跡保存館
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ここでもやはり強右衛門と長篠の戦いの展示が大半です。
保存館前には土塁も。
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城址のそばに馬場美濃守信春の墓があるとのこと。
馬場美濃は武田家の中で私の一押しの武将です。これは行かねば!
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馬場美濃は松本城の前、深志城代として松本に滞在したこともあります。
無謀にも設楽ヶ原で決戦に臨む勝頼を諫め、崩れたった武田軍の殿を引き受けて討ち死にした悲劇の武将です。

馬場信春の墓近くには中央構造線、長篠露頭が、
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次に行ったのが設楽原歴史資料館、設楽ヶ原を望む高台(勝頼の戦地本陣跡)にあります。
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伝説の信玄砲、明日行く野田城から武田信玄を狙撃し死に至らしめた?という伝説があります。
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火縄銃の展示は圧倒的、稲富流の銃から幕末のゲベール銃、明治時代の村田銃まで、ガンマニア必見です。
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村田銃新旧
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火縄銃七つ道具
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銃弾の玉鋳型
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馬場美濃以外にも武田家の多くの武将が命を落としました。
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資料館の麓には馬防柵の案内と甘利信康の碑、
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現在の連吾川、
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連吾川を渡ると長篠、設楽ヶ原合戦屏風絵図が、
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真ん中を流れているのが連吾川、左徳川織田連合軍、右が武田軍。実際の地形と絵図を見比べると当時の様子が手を取るようにわかります。
再現された馬防柵
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徳川軍兵になった気分で馬防柵から武田の本陣を望みます。
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鉄砲構えの復原
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徳川の馬防柵は進退が自由にできる構造、機能的です。
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織田の馬防柵は防備一辺倒、戦いに出る意欲が感じられません。
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武田の騎馬武者の視点?で見た馬防柵。
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家康の本陣跡
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その隣にある東郷中学校の庭には平成の馬防柵が、
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今日は新城泊り、新城駅。
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泊りはホテルルートイン新城、
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夜はホテル近くの「いちや」で、
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紋甲イカの刺身、鰯のたたき、鴨そばで一杯でした。










日本周遊の旅(三遠南信)佐久間ダム、青崩峠 2024年02月02日15:29 

1月30日、快晴。
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北アルプスもくっきり見えて気温も高く穏やかな日です。
冬場には北へ行くと雪で悩まされるので、南方で良いコンディションの場所はないかと物色、その結果南の天竜川沿いで、私には未知の場所ということで愛知県、静岡県境の佐久間ダムへ行くことに。

佐久間ダムにはひときわ思い入れがあります。
小学校時代、学校で日本一のダムが完成したという話を記憶しています、それが佐久間ダム。
また2019年12月に新野峠から愛知の豊根、富山を経て天竜川に沿って帰ってきた際も、富山から南へ下れば佐久間ダムへ行けるのに、と悔しく思ったこともあります。

中央道で飯田山本を目指します。最初の休憩は小黒川SA,山賊焼の振興をした際にお世話になったOさんの勤務先です。Oさんも来年が定年ということでしたがお元気でした。
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飯田山本から天竜峡へ、
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国道151号線を新城方面へ、
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ここから新城までは100km以上ありますが、その手前の東栄町を左へ行けば佐久間ダムに行きつけるはず。
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信州最南端の新野千石平道の駅も過ぎ、
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信州最南端の新野峠(1060m)には雪があります。
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豊根へ下る日影にはアイスバーンも、
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2019年にはここを左折して富山へ行ったことを思い出します。
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東栄町で道を確認、
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下道でも三遠南信自動車道でも行けそうです。
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が、東栄町役場前まで来たところで宗旨替え。予定よりかなり時間を食ってしまいましたので、三遠南信自動車道経由に妥協します。
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途中に史跡設楽城跡もあり、
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さらに進むと三遠南信自動車道を佐久間へ、この間無料区間です。
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浦川IC,その次が佐久間川合IC,そこを一般道へ。
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出ました、佐久間ダムは左です。
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安堵!幸いなことに本日通れます。
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不気味な暗いトンネルを3本抜けた先で(ピンぼけですが結構怖い)
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佐久間ダム到着!
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堰堤から下流方向、155mの高さです。
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ダム湖は山にさえぎられて奥が見通せませんが、上流10km以上は続いているようです。
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取水口
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地元の人が水不足でダムの水位が心配と見に来ていました。確かに普段水に没している水際もむき出しです。

ダムの左岸の高所にあった佐久間ダム電力館、
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客は私一人、職員の方から資料と
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ラッキー!ダムカードももらいました。
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展示は、水力発電のいろいろ。
ダムには重力式、ロックフィル式、アーチ式のみっつがありますが、ここはコンクリート重力式ダム。
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諏訪湖からの天竜川水系、この上流三分の二は何度も通いました。
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日本一の佐久間ダム
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日本最大の発電所
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私の小学校時代の記憶も間違っていなかった!
小学校の松田先生が「皆さん、日本で一番大きなダムが完成しました」と誇らしげに話した姿がいまだに記憶があります。
工事中のジオラマ
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工事の経過をたどってみると、
ダム地点全景
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ダムの基礎を掘削中
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基礎掘削の夜間工事
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25tバケットフル活用でコンクリート打ちたけなわ、蒸気機関車も動員されています。
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仮排水放水口と建設中のダム、
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高さを増す佐久間ダム
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取水口建設工事
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完成した取水口とダム、
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佐久間ダム完成
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展示品には井上靖の「満ちて来る潮」 ダム建設工事を背景にした小説です。
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早速読んでみたいものです。

電力館の屋上からはダムの全景が、
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佐久間ダムの正面図
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そして断面図
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ダム堰堤中央から手前が静岡県、向こう側が愛知県。堰堤上県道1号線を行けば富山ですが、今日はまたまた時間的にきつい、あきらめます。
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電力館側=左岸を詰めてみますが、やっぱりここで通行止め。
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広い駐車場や立派なトイレもありますが、今日は私一人。
昔は観光客でいっぱい、食堂や出店もあって魅力の観光地だったようです。
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昭和30年には昭和天皇や皇后さまもご来臨。
和歌も読まれていたようです。
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佐久間の街に下りてみると巨大変電設備。
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ここでは東西日本で違う50と60ヘルツの変電なども担っているそうです。

飯田線中部天竜駅
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帰りは国道473号線を水窪へ、
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歴史と民話の郷会館、寄ってみたいのですが昼食を食べるのが優先。
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ガソリンスタンドの人に食堂を教わりました。多分この町で唯一開業している食堂です。
活ウナギを売りにしている植山食堂、
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お品書きは鰻とジビエ、それでは精がつきすぎるので
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なべ焼うどん670円也。次回来れればうな丼を食べたい!
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美味しくいただき水窪⇒兵越峠経由で帰路につきます。

大井橋を今度は国道152号線を水窪方面へ、
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道沿いで食休みをしていたら、警官に不審尋問? 松本ナンバーで私が横になっていたので体調が悪いのか? と心配になって声をかけたそうです。が、免許証まで提示させるとは不可解?
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城西宿を過ぎ
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奥領家から
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水窪へ、飯田まで74kmもあります。
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水窪には種田山頭火の案内が
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昭和14年、秋葉山参拝と伊那の井上井月の墓まいりのために天竜川を遡ったようです。

ここを左へ行けば再び天竜川沿いの道に出られますが今日は直進。
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三遠南信自動車道の工事中か、あちこちで工事をしています。
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よよよ! 何と青崩峠!
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10分、4kmの道のりなら行ってみようか!
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林道青崩線。
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ここからが急傾斜、
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足神神社
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その由来、鎌倉時代北条時頼が足を患いその治療をした地元の庄屋が、時頼の命により霊神として祀られたもの。
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しっ平太郎の墓
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その由来
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木地屋の墓などを過ぎ、
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雪で路面も凍結しています。
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青崩峠古道の入り口に着きました。
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この奥が古道へと登る道
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車道はここで通行止め。
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秋葉信仰の道、塩の道、信玄が三河(三方ヶ原の戦い)へ軍を進めた道、そして物流の古道として活躍した峠がこの先にあるというのは感慨深いです。

残念ながら後で分かったこと。
後日、国土地理院地図で青崩峠を見たところ、終着点からほんの300m程古道を行けば峠に到達することを発見! 冬なので熊鈴がなくとも行けたのに。
でも再訪の理由ができたことで満足するか?

元に戻って草木トンネルを抜け
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昨年5月にはここを水窪へ下ったものです。
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やっと長野県境、兵越峠に、
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信州側からの青崩峠入口は入れそうですがあきらめます。
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南信濃のかぐらの湯は休業中。運営を巡って問題があったり湯をくみ上げるポンプの故障などがあり2025年まで休むようです。
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上村程野から
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三遠南信自動車道で矢筈トンネル
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飯田からは中央道で帰還です。
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この日の走行距離は403km、9時間半の道行きでした。
かなり疲れましたが念願果たし爽快でもありました。

そして三遠南信を調べるためにググっていた際に見つけた「三遠南信Biz」
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行ってみれば行くほどディープな三遠南信地域、もっといろいろ突っ込んでみたいという願望が湧きだして定期購読を決めました。
おまけで「ROUTE SAN-ENNNANSHIN EXPWY 474」というシールまでいただきました。

青崩トンネルも開通し、これからは今まで以上に身近な地域となる予感もします。
これからも行くぞ! 三遠南信へ。







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