7月11日は薄曇り、今日は稚内まで行き、そこからフェリーで利尻島へ渡る予定です。
稚内までのルート、
国道232号線を日本海に沿って北上。
左(海側)に延々と続く柵?は何だろう??
いかにも北海道らしい一本道、風力発電の風車が至る所に、
苫前、羽幌、遠別を経て天塩の道の駅へ、
ここではしじみの大貝を売込中、しかし旅の途中で生ものは買えません。
土産にしじみの潮汁、しじみラーメンを購入。
広大な牧草地では牧草のロールが点々と、
北緯45度線を越えます。
稚内は右へ、内陸を走ってきた国道40号線に合流、
稚内市内へ入りました。昔懐かしい「つぼ八」、そういえばつぼ八のフランチャイズチェーンに入ることも考えた過去があります。
稚内のランドマーク=古代ローマ建築のような北防波堤ドーム、
今が盛りと咲き誇る北国の花々、
稚泊航路記念碑
稚泊とは稚内から大泊(現在の樺太のコルサコフ)までの航路、北防波堤の先で連絡船に乗り込んでいました。
海上保安庁の巡視船りしり
ここに昭和の大横綱大鵬の碑が、
1945年8月、ポツダム宣言を受諾した後、大鵬は母等と一緒に樺太から引き上げ船で小樽へ向かいましたが、母がひどい船酔いのため稚内で下船、その後引き上げ船は日本海で潜水艦の魚雷によって撃沈されたため九死に一生を得ました。それを記念した碑です。
フェリーターミナルで出航時間の確認をすると、
何と時間を間違えていました。5月までのダイヤを見ていたようです、14時30分と思っていたのが実際は16時40分。
まだ時間はたっぷりあります。
そこで昼食後、ノシャップ岬、稚内公園、宗谷岬を周ることに。
稚内駅、日本最北端の駅。
駅の運賃表
そこの隣で昼食。
私は海鮮丼とそばのセット、奥さんはウニが食べたいと三色丼。
店の人からひと言「ことしはウニが不漁なのでお値段を2800円から3300円に値上げしています」とのこと。値上げのわりにウニが少ないぞ!
稚内の北にあるノシャップ岬=野寒布と書きます。日本最東端の納沙布岬とは違います。
そこからは北の守り、自衛隊のレーダーが、
稚内公園へ、丘の上に公園が広がっているようです。
公園頂上には北方記念館と開基百年記念塔、
早速北方記念館へ、巨大な狼がお出迎え、残念ながらカナダ産でした。
過酷な寒気の中で生活を支えた蝦夷地のカッヘルストーブ、
宗谷の寝棺、
柩のようですが、厚い板で一畳敷ほどの箱を作り底に笹の葉を厚く引き詰め、熊の毛皮などの引きその上に布団を引いて、蓋をした中で寝るという寒冷地ならではの寝具でした。
こんな感じで寝てみました。
伊能大図の稚内は驚くほど精緻です。
水道ろ過機
寒気ばかりでなく水も悪かったことが分かります。
昭和8年、現役で活躍中の北防波堤ドーム
記念塔の頂上まではエレベーターで行けますが、あいにく霧がかかってきました。
北方記念館を出て、南極観測樺太犬訓練記念碑
南極観測船宗谷に乗って行った犬もここで訓練を受けたのですね。
記念碑の奥には女鹿が、5mほどまで近づいても逃げません。
樺太慰霊碑
宗谷岬へは往復2時間程、時間があるので行ってみます。
左へ延びるのが宗谷丘陵、
40分程で宗谷岬に、これで日本の最西端、最南端、最北端制覇です。
間宮林蔵像、
宗谷岬から3kmほど稚内よりには間宮林蔵が樺太へと渡った場所が、
宗谷丘陵を貫く最北の白い道、
帆立貝の貝殻を敷き詰めた道です。
ここの鹿も逃げません。
フエリーターミナルには程よい時間に着きました。
16時40分発、利尻島の鴛泊着は18時20分。
2等船室、昔の連絡船と比べれば快適、
カムチャッカに沈む夕日
利尻島に着きました。
今日の宿は鴛泊の利尻マリンホテル、背景の丘はペシ岬(翌12日昼の撮影)
利尻岳は雲に覆われて見えません。
陸路184km、海路52km、合計236kmの旅でした。
ホテルの風呂はナトリウム塩化物泉、
料理を撮り忘れましたがメニューは
チョコっとですが新鮮なバフンウニが出ました。
稚内までのルート、
国道232号線を日本海に沿って北上。
左(海側)に延々と続く柵?は何だろう??
いかにも北海道らしい一本道、風力発電の風車が至る所に、
苫前、羽幌、遠別を経て天塩の道の駅へ、
ここではしじみの大貝を売込中、しかし旅の途中で生ものは買えません。
土産にしじみの潮汁、しじみラーメンを購入。
広大な牧草地では牧草のロールが点々と、
北緯45度線を越えます。
稚内は右へ、内陸を走ってきた国道40号線に合流、
稚内市内へ入りました。昔懐かしい「つぼ八」、そういえばつぼ八のフランチャイズチェーンに入ることも考えた過去があります。
稚内のランドマーク=古代ローマ建築のような北防波堤ドーム、
今が盛りと咲き誇る北国の花々、
稚泊航路記念碑
稚泊とは稚内から大泊(現在の樺太のコルサコフ)までの航路、北防波堤の先で連絡船に乗り込んでいました。
海上保安庁の巡視船りしり
ここに昭和の大横綱大鵬の碑が、
1945年8月、ポツダム宣言を受諾した後、大鵬は母等と一緒に樺太から引き上げ船で小樽へ向かいましたが、母がひどい船酔いのため稚内で下船、その後引き上げ船は日本海で潜水艦の魚雷によって撃沈されたため九死に一生を得ました。それを記念した碑です。
フェリーターミナルで出航時間の確認をすると、
何と時間を間違えていました。5月までのダイヤを見ていたようです、14時30分と思っていたのが実際は16時40分。
まだ時間はたっぷりあります。
そこで昼食後、ノシャップ岬、稚内公園、宗谷岬を周ることに。
稚内駅、日本最北端の駅。
駅の運賃表
そこの隣で昼食。
私は海鮮丼とそばのセット、奥さんはウニが食べたいと三色丼。
店の人からひと言「ことしはウニが不漁なのでお値段を2800円から3300円に値上げしています」とのこと。値上げのわりにウニが少ないぞ!
稚内の北にあるノシャップ岬=野寒布と書きます。日本最東端の納沙布岬とは違います。
そこからは北の守り、自衛隊のレーダーが、
稚内公園へ、丘の上に公園が広がっているようです。
公園頂上には北方記念館と開基百年記念塔、
早速北方記念館へ、巨大な狼がお出迎え、残念ながらカナダ産でした。
過酷な寒気の中で生活を支えた蝦夷地のカッヘルストーブ、
宗谷の寝棺、
柩のようですが、厚い板で一畳敷ほどの箱を作り底に笹の葉を厚く引き詰め、熊の毛皮などの引きその上に布団を引いて、蓋をした中で寝るという寒冷地ならではの寝具でした。
こんな感じで寝てみました。
伊能大図の稚内は驚くほど精緻です。
水道ろ過機
寒気ばかりでなく水も悪かったことが分かります。
昭和8年、現役で活躍中の北防波堤ドーム
記念塔の頂上まではエレベーターで行けますが、あいにく霧がかかってきました。
北方記念館を出て、南極観測樺太犬訓練記念碑
南極観測船宗谷に乗って行った犬もここで訓練を受けたのですね。
記念碑の奥には女鹿が、5mほどまで近づいても逃げません。
樺太慰霊碑
宗谷岬へは往復2時間程、時間があるので行ってみます。
左へ延びるのが宗谷丘陵、
40分程で宗谷岬に、これで日本の最西端、最南端、最北端制覇です。
間宮林蔵像、
宗谷岬から3kmほど稚内よりには間宮林蔵が樺太へと渡った場所が、
宗谷丘陵を貫く最北の白い道、
帆立貝の貝殻を敷き詰めた道です。
ここの鹿も逃げません。
フエリーターミナルには程よい時間に着きました。
16時40分発、利尻島の鴛泊着は18時20分。
2等船室、昔の連絡船と比べれば快適、
カムチャッカに沈む夕日
利尻島に着きました。
今日の宿は鴛泊の利尻マリンホテル、背景の丘はペシ岬(翌12日昼の撮影)
利尻岳は雲に覆われて見えません。
陸路184km、海路52km、合計236kmの旅でした。
ホテルの風呂はナトリウム塩化物泉、
料理を撮り忘れましたがメニューは
チョコっとですが新鮮なバフンウニが出ました。