たいまつ祭り 2011年10月04日10:40 

昨日、10月3日は浅間温泉のたいまつ祭り。
2週間前にたいまつを作りました。たいまつ

材料は麦わら、高さ2,2m 直径1,3m位かな。今までで一番大きなたいまつです、ちょっと中ほどがくびれてしまいましたがまあまあの出来上がり。
この周りに7~10人位が取り付き、長く伸ばした引き綱を20~30人位で引っ張ります。夜8時にスタート、坂道を1時間以上かけて1,5km位離れた『御射神社』に奉納します。もちろん火をつけて。

去年まで指揮者をしてくれた人が今年は中国の天津へ出張ということで急遽私が指揮者になりとても焦りました。
今年のたいまつは火のまわりが早く、道程半ばで上の方が燃え落ちました。担ぐ人は大変です、火の粉が頭に降り注ぎます。でも今年の担ぎ手は根性があります。首の隙間から火の粉が背中に入ってもたじろぎません。顔もすすで真っ黒け。
歴戦のあと
見てくださいこの勇姿。

なんとか燃え尽きないうちに無事奉納、記念写真をパチリ。
無事奉納


御射神社にお参りをして無病息災を祈りました。
お参り

久々の学校 2011年10月03日16:08 

久々に学校と名のつくところに2泊3日で行ってきました。
その校名は『全国食肉学校』群馬県にあります。
そこで食肉加工品=ハムやソーセージの作り方の基礎を学んできました。

スモークハウス大

これが食肉加工品を作るための必需品=スモークハウスです。この機械1台で乾燥、スモーク、加熱まで行います。

それとソーセージを作るための必須アイテムとして、
サイレントカッター

このサイレントカッターが必要です。大きな皿がゆっくりと回転し、奥の方では鋭い3枚刃が1分間に6000回転しています。 うっかり手を入れるとみじん切りになります、でも鋭い刃と高回転のおかげで痛みを感じる暇が無い?そうです。お~怖い!
エマルジョン完成

ソーセージの生地が完成しました。エマルジョンと言って肉と脂をカットすることで乳化させたものです。これがソーセージの基本になります。この生地は絹挽、粗挽はここまで細かくしません。
そして肉を練っていく過程で入れるのが
ソーセージの調味、添加物

これらの調味料や添加物、肉の発色や結着のためには必需品です。

練った肉を充填します。まずケーシング(羊腸(ウインナーソーセージ)や豚腸(フランクフルトソーセージ))を塩抜きして水に晒しておきます。
天然ケージング

そして肉を充填
安藤さん頑張って

けっこう難しいものです。気を抜くとすぐに破れます。

これらを吊り下げていよいよスモーク調理です。
いよいよ薫煙

その前に水できれいに洗い流します。
ソーセージ完成

ソーセージの場合は約2時間で完成です。
このまま食べるとめちゃくちゃ美味しいですが、皆さんの口に入るためにはこの後計量、包装、2次殺菌やラベル貼りが必要です。

とりあえず今日はソーセージの製造工程を紹介しました。



遠山郷 2011年09月27日11:21 

久々にアップします。

先週の土日に信州の最南端、遠山郷へ行ってきました。
一昨年は北西端の小谷村、昨年は最西端の王滝村、今年になって北東端の栄村=秋山郷、そして今回の遠山郷=旧上村、南信濃村と、信濃の国の輪郭を辿る旅を楽しみにして動いています。

中央道の松川ICから豊丘村、喬木村を抜け、これが県道?というような狭隘な道を通りぬけ、場違いなような超近代的な矢筈トンネルを抜けると遠山郷の一角、上村にたどり着きます。

遠山郷で一番見たかった所が『天空の里、上村の下栗』
天空の里、下栗

写真の右上にある、はんば亭に車を停めました。私たちのような熟年、高齢の2人連れとバイク客であふれています。
そこの案内板に誘われて
下栗ビュースポット案内

人がすれ違いできないような細い道を30分(案内には20分とありましたが)
林の小道を抜けていくと

絶景のビューポイントにたどり着きます。残念ながら晴れてはいても薄く靄がかかる景色で、遠くの山々は霞んでいますが、念願の景色が見えて感慨無量。

帰りはヘアピンカーブ連続の里の道をそろそろと降りました。
下栗の道
下栗の道2

すれ違いの出来ないような急坂の道がここに住む人にとっての生活道路、冬になって凍結したらスリップしてまっすぐ谷底へ落ちかねないスリル満点の道です。

我々観光客は能天気に素晴らしい景観を満喫できますが、ここを生活の場にする人たちの苦労と粘り強さに心打たれました。

下栗を後にして和田へ向います、和田は遠山郷の中心地、その昔遠山氏のお城があった城下町です。
遠山郷で有名なのが霜月祭り、毎年12月に行われるそうです。部落によってその形式や使われるお面が違い、そのお面が遠山郷土館に沢山展示してありました。
霜月祭りお面2
霜月祭りお面

スタジオジブリの千と千尋の物語はこのお祭りをヒントに考え出されたものだそうです。
千と千尋

また、ここは昔から人が住んでいたということで、縄文時代の石器も展示してありました。
石斧


現在私たちが不便に感じる山里の生活も、古代人には快適な暮らしだったのでしょうか? それとも快適そうな平地は昔の人からすれば危険一杯の生活だったのでしょうか。

記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

hongokeiniku

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ