ディープな根羽村(探訪編) 2011年11月09日17:54 

根羽村は興味が尽きません。
2日目は朝から村の総務課の方3名と、何と村長さんもご一緒に村めぐりの案内をしていただきました。マイクロバスとワンボックスを連ねて広い村の中を駆け巡りました。

最初は愛知県境の茶臼山へ、この山が矢作川の源流になるそうです。昨日の夜は矢作川明治用水の事務局長さんと飲み明かし、源流の根羽村と明治用水のある安城市の結びつきを話してくれましたが、道の途中には安城のライオンズクラブの方々が植樹したもみじが紅葉していて、上流と下流の強い結びつきがうかがえました。村長さんから頂いた名刺に、森林整備協定(上下流協定 愛知県安城市)全国第一号の村という文字が誇らしく掲げてあったのを思い出しました。
山頂直下の駐車場に車を停めて歩くことたった1分、そこに矢作川の源流がありました。村長さんの目の前の竹筒から清水が出ています。
源流


皆で記念撮影、真ん中の村長さんの右が今回の立役者、長野大学の大野先生。先生は高知大学の名誉教授でもあり、『限界集落』という言葉を作った方です。全国の山村の実情に精通し、過疎化した地域を活性化しようと『千曲川流域学会』を主催され活躍しています。                                          矢作川源流で

次に向かったのは根羽杉で有名な根羽村森林組合、昨日のお話の中で、松本の川上先生という設計家のお名前が出ました、川上さんは私も良く存じ上げていますが、松本の縄手通り商店街を作る際、根羽杉に着目し、商店街で使う木を全て根羽杉で誂えたということで、松本との縁を深く感じました。
組合自慢の木材乾燥機
木材乾燥機

これで乾燥させるため、狂いの無い上質な根羽杉が供給できるそうです。                       すぐに組みあがるよう、このような加工もしていました。 
根羽杉板材

組合事務所の前で組合長さんをパチリ、
根羽森林組合長

山の仕事や森林や木が私たちの暮らしに役に立っていることを子供たちに学んでもらうために、チェーンソーで彫った作品です。
山の仕事

根羽杉だけで建てたモデルハウス、床も柔らかい質感でくつろげる家です。 
根羽杉の家

この家が設備込みで何と坪当り60万! もう一軒欲しくなりました。  

極めつけは『月瀬の大杉』長野県第1の巨木です。全国でも5本の指に入るとか。
月瀬の大杉

樹齢1800年、高さ39m、幹周り14m、もちろん国指定天然記念物です。
県下1の大杉

まだまだ書きたいことがいっぱいありますが、今日はここまで。                              

ディープな根羽村 2011年11月08日16:20 

上田の長野大学から、信州の南西端の根羽村へ駆けつけました。雨の飯田山本ICから更に1時間、思ったより広い国道を走ると、さすがに山間の村、こんな道路標識初めて見ました、ヘアピンコーナーほどきつくは無いですがタイトなS字コーナーを抜けて、
急カーブ

愛知県との県境にこの村はありました、私は初めての訪問で心踊ります。

今回の訪問は『千曲川流域学会』という長野大学が主催する取り組みの一環で、中小企業家同友会も1枚かんでいます。昼から様々な発表があったようですが、私は夜の懇親会(好きなお酒を飲める!)からの出席です。
ねばーらんどhttp://www.nebamura.jp/page013.html というレストランや土産品店がある施設で一献。
私の隣が根羽村森林組合代表理事の小木曽さん(後で聞いたら前村長さんだそうです!)、その隣が村長の大久保さん、まだ若い快活で素敵な村長さんです。村会議長さんや総務委員長さん、村会議員さんもたくさん出席されていてびっくりしました。

確かな味のお料理がたくさん出てきましたが、鹿味がらめにはびっくり!
鹿肉がらめ

鹿肉の味付けを唐揚にしたものですが、鹿特有の匂いも無くあっさりといくらでも食べられます。
村長さんに伺ったところ、ここねばーらんどの一角に鹿肉の処理場があり、専門の調理人が吟味して作っているからとのこと、早速そのご本人、料理長の桑原さん(桑原さんのくわの字は始めてみる漢字で私の能力では変換できません)を呼んでくれました。
名古屋などの一流ホテルなどで経験を積み根羽村へ越してきたそうです。根羽村の鹿肉は桑原さんが厳しい基準を設け、肉質や衛生面でもきちんと管理しているとのこと、鹿味がらめは前長野県知事の村井さんも『長野県の鹿肉料理の中で1番美味しい』と絶賛されたということです。
我々の山賊焼のことにも興味を持っていただき、信州の玄関口(愛知県からは確かに玄関になる)で山賊焼を広めたいと仰っていただきました。

今宵の泊まりは、ファームインねばーらんど、http://www.ii-s.org/syukuhaku/logs/post_61.html 2階建の1階は暖かいストーブが迎えてくれるリビングとキッチン、バス、トイレがあり、木の階段を昇ると2階にはツインのベッドルームが2部屋あります。
ストーブのある部屋


その一部屋で2次会です。村長さんや村の振興課長さんも加わって、三河のまったりと美味しいお酒を頂きました。

恐れ多くも村長さんとツーショット、(左のにやけているのが私、精悍な村長さんが右です)
村長さん

楽しくディープな根羽の夜が更けていきます。
1回のブログでは書ききれないので続きは次回。

上田自由大学 2011年11月08日09:52 

戦前に信州上田で自由大学というものが日本で始めて始まったことをご存知ですか?

上田の長野大学で『自由大学運動90周年記念集会』が開かれました。
自由大学

中小企業家同友会でお世話になっている長野大学の長島先生が中心になり、全国から自由大学の研究をしている先生方や地元で研究している郷土史家が集まり、長野大学、早稲田大学、慶応大学などの先生が登壇されました。
自由大学とは、1921年に上田小県地域で開始されました。金井正、山越脩三、猪坂直一などという地元の農家の青年たちが、自分たちの『真理の探究をしたい、勉強をしたい!世の中のことを知りたい!』という燃え上がるような情熱をもって、自分たちで金を出し合って京都帝大などから一流の学者を呼んで勉強したものです。

この運動は普通選挙権の獲得という目的から出たものです。今では当たり前の選挙権、この時代には一定以上の税金を納めている人しか選挙権がありませんでした。一般の人には政治への参加が閉ざされていたのです。
全国民に選挙権を! という運動が起こったのですが、選挙権が与えられても政治にも不慣れな有権者では的確な判断ができず、結局地域のボスの言うがままになってはいけない、もっと幅広い学問や知識を習得しなければ!という思いがこの運動のきっかけになったようです。上田で始まった自由大学が飯田や松本、そして新潟など県外に広まっていきました。

現在に目を転じても、日本はこの頃と変わっていないと思わざるを得ません。
普通選挙権はあっても有権者(私たち全員)が充分に考え、この人をと思って投票できる環境にも無いし、主体的に政治に関るというよりあきらめのムードが充満しています。
殆どの人が大学へ進学できるようになっていますが、真理の探究をしたいと思って行く人がどれだけいるでしょう。履歴書に大卒と書けるから進学する(私もそうでしたが)だけで良いのか? 

等等今までの自分の反省も含めて考えさせられる集会でした。


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