浅間温泉の枇杷の湯、400年以上も続く名湯です。
創業は戦国時代末期、豊臣秀吉の武将=石川数正(元々は徳川家康の武将だったが秀吉に篭絡?されて豊臣方に寝返った?)が松本に移封され、松本城の元を作ったとされますが、その石川氏の一族がこの旅館を作ったそうです。
その後、秀吉は亡くなり、関が原の戦いを経て、世は家康が支配する江戸時代になりました。そんな情勢の変化の中、石川数正、康長親子も無事ではいられず、御家断絶。
石川氏に繋がる枇杷の湯は苗字を石川から小口に替えて現在まで生き残ってきたということです。
そんな日本史にも関る大変動を生き残ってきた枇杷の湯も15年ほど前、旅館を日帰り温泉に衣替え、古き良き風情を生かして好評を得てきました。
そんな枇杷の湯の、今まで使っていなかった客室をリニューアルして懐石料理の店『草創庵』がオープンしました。
永らく『ホテル玉乃湯』の板長を務め、松本調理師会の会長も歴任した、草間民安さんのお店です。
枇杷の湯の玄関を、左へ行くと浴場、右側がお店になります。
手を充分に入れた風情のある中庭に面して、
座敷や小部屋が並んでいます。縁側に立て付けられたガラス戸のガラスも、現代の平板なガラスではなく、戦前にでも作られたらしい微妙に凹凸のある古風なものです。建物全体には大正ロマンも感じます。
そこで草間さんの腕を振るった懐石料理を頂いて来ました。
全ての料理の写真を撮りたかったのですが、食べて飲んで、話をしをしているうちに忘れてしまいました。
最後の〆には手打そばも出てきて、とても満足な会食でした。
創業は戦国時代末期、豊臣秀吉の武将=石川数正(元々は徳川家康の武将だったが秀吉に篭絡?されて豊臣方に寝返った?)が松本に移封され、松本城の元を作ったとされますが、その石川氏の一族がこの旅館を作ったそうです。
その後、秀吉は亡くなり、関が原の戦いを経て、世は家康が支配する江戸時代になりました。そんな情勢の変化の中、石川数正、康長親子も無事ではいられず、御家断絶。
石川氏に繋がる枇杷の湯は苗字を石川から小口に替えて現在まで生き残ってきたということです。
そんな日本史にも関る大変動を生き残ってきた枇杷の湯も15年ほど前、旅館を日帰り温泉に衣替え、古き良き風情を生かして好評を得てきました。
そんな枇杷の湯の、今まで使っていなかった客室をリニューアルして懐石料理の店『草創庵』がオープンしました。
永らく『ホテル玉乃湯』の板長を務め、松本調理師会の会長も歴任した、草間民安さんのお店です。
枇杷の湯の玄関を、左へ行くと浴場、右側がお店になります。
手を充分に入れた風情のある中庭に面して、
座敷や小部屋が並んでいます。縁側に立て付けられたガラス戸のガラスも、現代の平板なガラスではなく、戦前にでも作られたらしい微妙に凹凸のある古風なものです。建物全体には大正ロマンも感じます。
そこで草間さんの腕を振るった懐石料理を頂いて来ました。
全ての料理の写真を撮りたかったのですが、食べて飲んで、話をしをしているうちに忘れてしまいました。
最後の〆には手打そばも出てきて、とても満足な会食でした。