信州百峠(梨子野峠、恋路(小路)峠、根の上峠)木曽の桟 2020年09月16日11:35 

9月12日です。
今日は松本へ帰りますが、昨日妻籠ツアーに行った奥さんから「木曾の恋路峠に行ってきた」と聞いて、恋路峠?それはもしかしたら小路峠では? と思い、宿の女将さんに木曽の案内をいただいたところ、恋路=小路と判明、また案内図上には根の上峠の記載も。ということで南木曽から木曽を抜けて帰ることに。

国道256号線を南木曽方面へ、そこで昨日から気になっていたのが梨子野峠、清内路の集落から入れそうです。
国道架橋の下を潜り抜け
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こんな道を行くと
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ありました。清内路関所⁉
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この峠は1500年ごろにはできていたらしいです。下伊那と木曽路を結ぶ街道として様々な人が往来していた。織田信長麾下の森長可や、サツマイモでおなじみの青木昆陽、幕末には武田耕雲斎などの水戸浪士もこの道を抜けたといいます。

清内路街道の急坂を上ります。
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車の幅ギリギリ、日が差さない道は落ち葉が堆積し不気味に湿っています。
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こんな道では戻るに戻れません。ヘアピンカーブがあり、そこはやっとのことでUターンできそう。

そこには沢が、
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アンコ沢、サンショウウオが生息しているそうです。
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これから先は車では怖い! 次回はバイクで峠を上ろうと思います。
完登できませんでしたが、梨子野峠の標高は1172mです。
梨子野峠

ちなみに、これから読もうと思っていた本。
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「義烈千秋天狗党西へ」の中に、
梨子野峠や清内路峠が記載されていました。
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武田耕雲斎等の天狗党の面々の思いを抱いて、今度は梨子野峠を完登したいものです。


昨日上れた清内路峠、今日はゲートが閉まっています。
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工事車両が入っていたので行けたのでしょう。国道旧道であっても管理が厳しいですね。

南木曽で国道19号線に出て十二兼の柿其橋から恋路峠を目指します。
柿其渓谷
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こんなつり橋があり
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こんな渓谷、
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つり橋の先を登れば恋路峠らしいのですが、車道がありました。
いつでも旅は楽なほうがいい、のポリシーで行きます。
恋路峠にはあっけなく着きました。
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この峠、本来は小路峠、艶っぽい名前が良い?と恋路峠に改名か?

大桑村から見た恋路峠、南木曽町と大桑村の境をなす峠です。
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中央アルプスの眺望が効きます。
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この峠、柿其渓谷と阿寺渓谷の間にある峠。
今日の新聞で、阿寺渓谷で水遊びをしていた2人が溺れて亡くなったそうです。
このところの雨で水量が増したことと、元々高地から流れてくる水は冷たくて、夏であっても心臓に悪いようです。
恋路(小路)峠の標高は822m
恋路峠


次に向かうのは根の上峠、野尻宿と三留野宿を結ぶ峠です。
国道沿いのデイリーストア脇から上ります。
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のぞきど森林公園方面へ
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中山道が林道の随所を横切っています。
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のぞきど森林公園と分岐して右が歴史の道
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中山道も地図上では平坦でも、実際は難儀な山道。
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やっと根の上峠。
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ここも林道を中山道が横切っています。

与川の三差路を右へ、
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ここにも中山道、昔の旅人の困難さが分かります。
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根の上峠は奥深い、現在の国道はほぼ平坦、それに比べて旧道のアップダウンの激しいこと。
根の上峠の標高は840m。JR木曾野尻駅の標高が522mですから300m以上の標高差です。
根の上峠


上松で昼食、一路松本の前に、未だ見てない木曽の桟(かけはし)を、
上松⇔木曽福島は現代的なハイウエーになっていますが、下って昔の国道へ、
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ここが木曽の桟
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旧国道の足元に、慶安年間(1650年ころ)からの石積が残っています。
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ということで2泊3日の下伊那、木曽路の旅でした。
今日の走行距離は118km、約6時間の所要時間でした。












信州百峠(神坂峠、横川峠、清内路峠、馬籠峠、大平(木曾)峠、飯田峠) 2020年09月14日14:18 

9月11日、一緒に行った奥さんは妻籠宿へのツアーに出かけたので、今日は晴れて一人で峠探訪。
天気もよさそう、国道256号線を途中で県道89号線、園原方面へ
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対岸の山麓に動くものが、
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中央道が間近に走っています。
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園原インター、ここから入れるのは名古屋方面のみ、松本方面へはいけません。
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インターを過ぎると信濃坂の石碑
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ここは後回しにして直進。
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恵那山方面、神坂峠へ行けるのか?
宿の女将さんは、長野県側は途中で通行止め、という情報でした。
岐阜県側からなら神坂峠まで行けそうですが、とりあえず行けるところまで。
神坂峠


途中の月川温泉を過ぎると道幅が狭まって
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やっぱりダメそうですが
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こんな道を行くと
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やっぱり、土砂の流れた跡がある先には通行止めのゲート
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ここで神坂峠はあきらめます。

月川温泉の入り口にあった記念碑
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恵那山トンネルを掘った際に出た土捨場となった所のようです。
現在、同じ南信の大鹿村あたりではリニア新幹線のトンネル工事での土捨の件が問題になっています。
昭和60年に完成した恵那山トンネルの工事でも、地元との間で様々な問題があったのでしょう。

その先には月川温泉「野熊の庄」
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先ほどの信濃坂を上っていきます、この道が古代東山道のようです。
清々しい秋の空。
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神坂峠へは行けないとわかっていたので月見堂でUターン
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園原インターの手前を左折すると、県道109号線の起点ここからが横川峠のようです。
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宿の女将さんが言っていたように、かなりしびれる道のようです。
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車窓からは崩落地も見えます。
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横川峠


路のカーブの先に案内が、清内路は右、横川集落は左へ、横川へ行ってみます。
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5~6軒の集落のようです。
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神社や
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古民家横川渓谷美術館、とあります。
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残念ながら施錠してあり、ガラス戸から中をのぞくと
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絵葉書でしょうか? 

元に戻って、清内路方面へ、峠に着きました。
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1107mでしょうか⁉
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峠を降りると上清内路、県道109号線の終点、短い県道ですね約6kmの道程でした。
しかし横川集落の人々にとってはライフラインを確保する唯一の道だったことが分かります。
ここで国道256号線に合流します。
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国道を南木曽方面へ快適な道を進むと3km程で清内路トンネル
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この山上に清内路峠があるはず。
清内路峠


手前の架橋の直前に右へ行く道を発見、
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この道のようです。 鉄塔建設の作業をする人たちが工事中のところを過ぎていくと、
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トンネル?
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驚きです!
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国道256号線、清内路峠、標高1192m。
下のトンネルも国道256号線、ここも同じく。国道が二重に走っているのですか⁉

トンネルというよりスノーシェードのような向こう側は通行止め、南木曽方面に行けません。
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木々も生い茂っています。

改めて清内路トンネルを抜けて、南木曽側、
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やはり通行止めのゲートがありました。
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南木曽方面へ、次は馬籠峠、そのあと上り返して大平峠方面へ行く予定です。
南木曽伝統工芸の森
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木地師の里
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南木曽手前に「大妻籠、中山道」の道標発見。
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橋を渡ると、大妻籠から馬籠峠、馬籠への道。
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中山道の案内や
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道標が
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旧中山道が道を横切っています
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このアスファルト舗装の下には旧道が保存されているとか
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そして馬籠峠、
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標高790m、清内路峠に比べると400mも低い。
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峠の馬籠方面
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馬籠峠


峠から馬籠は2km程、
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観光気分にはならないので、早々に登り返します。

気になっていた水車他
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ここには集落があり、江戸時代には「尾州岡船」と言われる牛方を稼業にしていた、また明治37年に水害で流されたと記してあります。
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尾州岡船は、私が中信の奈川地方を調べた際にも出てきた言葉、牛を連ねて美濃から信州、そして上州までの広範囲で運送を担っていました。
なぜ「尾州」なのか?
江戸時代、木曽は尾州(尾張)領でした。尾張藩の鑑札を持った運搬業の牛追いが尾州岡船、海や川の船ではなく、岡(地上)を行く船になぞらえた言葉だそうです。
松本市奈川(旧奈川村)では山地に放牧場を設けて運搬用の牛を供給していました。

もう一つ、石碑の傍らにあった「長野縣」の境界標識。
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馬籠峠が長野県と岐阜県の境界になっていることは先ほど走ったので分かっています。
念のために地図を確かめても同じこと。
明らかに岐阜県側にあるこの標識、なぜ長野縣?
推理を働かせます。
馬籠を含む長野県旧山口村は、現在は岐阜県中津川市。
それが2005年2月13日に岐阜県に帰属したのです。
それ以前からあった長野縣の標識が、見過ごされたのか?現在も残っているのか⁉
面白いことですね!

ちょうど昼飯時、
先ほどの水車のところにあった案内の一文が面白い
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名物栗こわめし、とありました。
十返舎一九が1819年に木曽路を旅して「岐蘇街道膝栗毛」の馬籠宿の下りで詠んだ狂歌に
「渋皮の むけし女は見えねども 栗のこはめし ここの名物」とあるそうです。

それでは栗のおこわを食べよう!
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「栗こわめし 樹梨」で昼食、
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ざるそば定食1300円也
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甘くない栗おこわと信州そば、そして盛りだくさんなお惣菜。
変わっているのはそばつゆに梅干しを入れるところ。
美味しくて完食しました。
入店中に雨が降りましたが、食事が出てくるのに間があったこともあり、出るときはお湿りのある爽快な気分。

国道256号線を上り返し、県道8号線、大平高原方面へ左折、
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こんな道を上っていきます。
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大平峠県民の森
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大平峠も間近です。
ここからの眺望、右手にもう少し上ると峠に行けそうです。
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トンネル出現! 木曾峠と書いてあります。  間違いなし、大平峠です。標高は1358m、今日では一番高いところを走っている峠です。
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路傍には大平街道の碑
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大平峠


ここから大平の集落まではわずかな勾配の下り道、
茶屋跡の民家や
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さかえや
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を過ぎると、大平です。
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いろりの里、大平宿
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現在保存されている民家の配置
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こんな家並みが続いています。
この集落は、現状で保存されるだけでなく、実際に泊まったり、いろりで火を起こして炊飯をしたりもできます。
申し込みは「南信州観光公社」まで。
一軒ごとの由来を説明してあります。
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大平宿からまた上りとなり、2km程で飯田峠
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標高1235m、大平峠にはかないません。
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ここからは一路飯田へ下るのみ。
沢などの地名が克明に表記してあります。
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また馬頭観音も随所に祀られていますが、
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この街道が険しい旅路だったことを伺わせます。

飯田市街へ出るちょっと前で、
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名水猿庫の泉を発見、
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ちょうどペットボトルが空になったので、甘くておいしい名水を補給して昼神温泉に帰りました。

走行距離は118km、所要時間6時間。
山道ばかりで疲れましたが、待望の大平峠をはじめ六ケ所の峠と出会い、充実の一日でした。


























伊那谷の奥へ 2020年09月13日13:39 

伊那谷へは何度か訪れましたが、まだ未訪の地が阿智から南木曽にかけて。
特に大平峠は是非行きたいところです。

9月10日、あいにくの雨模様でしたが飯田へ、
大平高原への道標
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雨の中を峠へ行くのももったいない、また今日と明日の宿は昼神温泉に予約しているので飯田から阿智へ。
途中で満蒙開拓平和記念館に寄って昼神へ、

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二泊する「万葉茶寮みさか」

雨も上がったので付近を探索、
昼神から国道256号線を少し上ると園原インターへ行く道に遭遇、
インターそばの案内板に
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秘境横川郷という文字があります。
後で調べたところ園原から清内路へ抜ける横川峠を発見しました。

宿のご主人の蔵書、民俗学や歴史
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司馬遼太郎の全集も網羅
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宿の横から阿智神社の参道が伸びています。どうやら阿智神社の管理もされているようです。
御朱印をもらう旅人も訪れていました。

夕食は女将さんの手作り、
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大変美味しくいただきました。

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