塩釜 2011年10月14日10:16 

面白い料理の作り方を見学できました。
豚肉の塩釜です。塩釜とは、肉や魚を塩で包んで蒸し焼きにする料理です。

蒸し焼きという料理方法は、人間がまだ容器(土器)というものを発明する前から存在した料理法で、自然界に存在する大きな葉っぱなどに食材を包んで焚き火の下に埋めてその余熱で調理をしたことから始まったそうです。今でもニューギニアなどにはそのような調理法があります。

今回は豚のヒレ肉を使って塩釜を作りました。
まずヒレ肉の表面をフライパンで焼いて肉汁を封じ込めます。
塩メレンゲを作ります。たくさんの塩の中に卵の白身を入れてメレンゲの角が立つまでかき回します。
塩メレンゲ作り

塩メレンゲをホテルパンに引いて塩釜の底にします。豚肉を置いてその周りにも塩メレンゲを塗ります。
塩メレンゲを塗って豚の塩釜

前後左右上下全てを塩メレンゲで包み込みます。
塩釜塗り

そしてオーブンに入れます。           待つこと30分、
塩釜完成

完成です、裏側はこうなっていました、底に敷く量が少なかったか、肉汁が染み出ています。
塩釜の裏


カチカチに固まっています。そして割ってみると、
塩釜を割ってみると

美味しそうに出来ました。周りの塩からの塩分で少し塩辛かったですがジューシーでした。

塩釜という調理法もなかなか考えられた方法だと感じました。塩に卵の白身を混ぜることで、白味の蛋白質が熱で固まる性質を利用して塩自体を固め、蒸し焼きにする。
卵の白身以外では、パン生地に塩を混ぜて、塩パン包焼という調理方法もあるそうです。人類の美味しいものを食べたいという欲求はあらゆる調理法を編み出すものですね。



山賊焼とケーちゃん焼、そして 2011年10月13日13:32 

今、私たちの会社では『信州名物、山賊焼』の普及を一生懸命に取り組んでいるところです。
信州名物、山賊焼とは
骨付山賊


山賊焼は、戦前に塩尻の『山賊』と言うお店の高見さんが開発したものです。戦後それが大ヒットして塩尻はもちろん松本や安曇野にも広がりました。7年程前から先のブログでも取り上げた『松本食堂事業協同組合青年部』の方々が地元の名物として再チャレンジ、現在のブームになっています。
山賊焼とは鶏肉を大きく開いて、醤油、ニンニクなどで味付けをし、片栗粉をまぶして豪快に揚げたものです。
ネーミングの山賊は、元祖の高見さんが山賊顔だったことから付けられましたが、山賊は人から物をとりあげる=とり(鶏)あげる(揚げる)⇒山賊焼になったという説、山賊のように豪快に野蛮に鶏肉を頬張るところから名づけられたという説もあります。
揚げるのになぜ焼なの、という疑問には、戦後は油が貴重品で鍋に浅く油を張り、揚げ焼にしたからという説が有力です。

今まで山賊焼は地元の飲食店で食べるか、当社が以前からやっていた、スーパーなどの惣菜売場で揚げたものを買うしか出来ませんでした。そこで当社は昨年からおみやげ用の山賊焼を考案、販売し、新たな販売ルートを開拓しています。
おみやげ用冷凍山賊焼がこれです。
冷凍山賊BOX

現在、高速のサービスエリアや地元の観光施設で販売を開始しています。

先日、当社の取引先の鶏肉問屋さんに同行して来られた方が、岐阜県の飛騨地方の名物『ケーちゃん焼』を作っている会社の社長さんでした。名刺交換をしただけですが、その後ケーちゃん焼を送ってくれました。
ケーちゃん焼

ケーちゃん焼はフライパンなどで野菜と一緒に焼く料理です。飛騨地方ではごく一般的な庶民的な味だそうです。
ケーちゃん焼パンフ

そこで考えました。明治時代、松本と飛騨地方は『筑摩県』という一緒の県内に存在していました。北アルプスをはさんで交流もたくさんあったそうです。そんな因縁の中から『山賊焼』と『ケーちゃん焼』を結びつけ、一層活性化させる秘策はないものか? どなたか良いアイデアを教えてください。

そしてまたまた美味しいものを頂きました。
スモークチキン

手作りのスモークチキンです。丸鶏と砂肝、肝の3種類、絶品でした。作った方はプロではなく、趣味で燻製を作っています。ここまで完成度が高ければプロも裸足で逃げ出します。

いつも美味しいものを頂いて幸せ一杯です。

善光寺街道を往く 2011年10月12日11:09 

善光寺街道とは、中山道の塩尻洗馬宿から松本を通り、筑北を経由して北国街道篠ノ井から長野の善光寺までの約80kmにわたる街道です。
現在では国道19号線や中央道、JRの篠ノ井線がごく当たり前のルートになっていますが、昔(とは言っても篠ノ井線ができるまで、そんな昔の話ではありません)は善光寺参りなどで人馬が頻繁にこの街道を利用していましたし、武田信玄も川中島の戦いに臨むために往来していた歴史の道でもあります。

そんな歴史の道を松本から善光寺まで我が愛車スーパーカブで踏破しようとチャレンジを開始しました。これから寒くなるので完全踏破は来春になるかもしれませんが、いけるところまで細切れに行ってみたいと思います。

まずは出発点、松本の安原の木戸跡です。ここには江戸時代松本城下から外へ出るための木戸があったと言うことです。付近には下級武士の住まいもありました。
安原

左奥へ行くのが善光寺街道、右手の建物は徳若という老舗のお菓子屋さんです。

萩町、信州大学付属小、中学校の前を抜けます。左の建物は老舗の砂糖問屋。
萩町

その先の五差路を北西(左の小路)へ、
付属北の岐路

少年刑務所の手前で県道を横切り、右上の道へ。
少年刑務所の岐路

女鳥羽中学校の前を通り、
女鳥羽中

岡田神社参堂前に抜けます。
岡田神社入口

ここには刈谷原峠への案内板がコスモスの陰に控えていました。
コスモスと案内板

そして岡田宿
岡田町

ここには、地元の方々が設置した善光寺街道に関る案内や公園が整備されています。まずは岡田宿本陣跡、大名行列のお殿様が泊まりました。
岡田宿本陣跡

地蔵堂
地蔵堂

岡田宿公園ではこの地の歴史が分かります。
岡田宿公園

岡田宿の先で善光寺街道(至刈谷原峠)と江戸海道(至稲倉峠)が分岐。
江戸海道分岐

ここを左へ進むと伊深地区、その中頃には安原の木戸からの一里塚の案内が、これが我が愛車スーパーカブ。
伊深の一里塚

国道254号線の下をくぐっていよいよ坂道。でもちょっと寄り道、ここの近くには昔伊深城がありました。
伊深城案内

刈谷原峠と馬飼峠の分岐点。
峠入口

ここで助平根性を出し、左の馬飼峠へ行ってみよう! この峠は明治以降に作られた刈谷原峠の脇道です。峠頂上から常念岳や槍ヶ岳がの眺望が見えるので行って見たくなりました。
馬飼峠の道

しかし草ぼうぼう、登っていくと何と! 軽トラックが悪路にはまり込んで動けません、おじさん2人が呆然としています。『携帯電話持ってる?』と聞かれたのでお貸ししました。地元の人だったので家に助けを求めています、『トラクターで助けに来てくれ!』と。車を押すのを手伝おうとしましたが人力では動きそうにありません。健闘を祈ってさらに登りますが、
馬飼峠悪路

こちらもギブアップ、大きな石や折れた木が道をふさぎ、わだちは10~20cmも掘られています。先の台風で荒れ果てたようです。バイクの車輪も空転するだけで登れません。すごすごと来た道を引き返す羽目になりました。
おじさんたちの脇を下って分岐点へ、そこで救助のトラクターとすれ違いました。
本来の目的地=刈谷原峠へ登り直します。こちらも舗装路は途中で途切れますが整備された道です。坂はかなりきつくローギヤーでゆっくりと登ります。途中には昔からの馬頭観音が行儀良く並んでいました。
馬頭観音

もっとドラマがあると思いましたが、あっけなく峠へ出ました。
刈谷原峠

峠では地元の人が1人、翌日に予定されている峠ウオーキングの準備のために仮設トイレを作っていました。穴を掘って周りをブルーシートで囲っています。ご苦労様です。
この峠には昔の茶屋跡があるということで聞いてみました。
峠の茶屋跡

樹間には石垣も見えます、茶屋跡の左隅には井戸も、
茶屋の井戸

今でも透明な水を湛えていました。
おじさんに別れを告げて四賀側=刈谷原宿へと降りていきます。
刈谷原峠四賀側入口

これが降り口(登り口)この山の向こうは松本市岡田方面です。

刈谷原宿です。岡田宿の次の宿場町になります。
刈谷原宿


今日はここまで、今来た道を登り返し、峠を越えて家路につきます。
最後に刈谷原峠のショットを。
刈谷原峠2
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