4月11日、快晴、気持ちいい日なので裏山の大音寺山へのトレッキング。
そこから横谷沢へ下ると御殿山へのトレッキングルートへつながります。
その時、一瞬ひらめきました!
そうだ! 私の最も身近、目の前にある峠を失念していたことに。
信州百峠を目指して3年目、浅間峠をアップしていませんでした。
浅間峠と言えば浅間の火祭りに大いに関係があります。
火祭りのたいまつ
これに火をつけて
奉納します
それが三射神社の春宮、秋の実りを感謝し、
この火や煙に乗って神様が三才山にある秋宮へ移られます。
この火祭り(松明祭り)が前夜祭、10月第2土曜日に行われますが、翌日曜日、本祭りの主役は押鉾。
現在押鉾は浅間温泉に町を一巡するだけですが、昔は浅間峠を越えて三才山の秋宮まで練り歩きました。
今日はその浅間峠を越えてみます。
浅間温泉のメインストリート湯坂を上り
横谷沢を左に折れると御殿山へのトレッキングルート、そこが浅間峠への入り口です。
こんな道ですが、昭和30年代まで、スクールバスが無い時代には三才山の生徒が徒歩で通学していました。
急坂を上ると御殿山の見晴台、
北アルプスが一望できます。
これを横に見て進むと
残念、倒木が道をふさぎバイクでは乗り越えられません。
現在のルートへ迂回し、美鈴湖へ、
ゴルフ場の脇を折れるとありました、浅間峠です。標高900m。
古代から使われていた道のようですが、
私が子供のころは、浅間温泉も三才山も本郷村。
自動車が無い時代には村内の主要道路でした。
私の足でも春宮⇒秋宮の間は1時間半ほどで行き来できました。
三才山の集落が見えてきました。
三才山本村の突き当りに鎮座するのが三射神社の秋宮です。
あの押鉾を担いでの登りは相当きついと思いますが、祭りと酒の勢いで登り切ってしまうのでしょう。
凄いことです。
余談ですが、2002年3月21日、大音寺山から御殿山にかけて大きな山火事が出ました。
火元は線香の火、その日は強風が吹き荒れ、それにあおられて山林一帯に広がったものですが、今日走った一帯も焼けてしまいました。
写真の左が御殿山、その日は風向きが山の方に吹いたため旅館街には火が来ませんでしたが肝を冷やされたことを思い出します。
走行距離はわずか19km、所要時間は1時間でした。
そこから横谷沢へ下ると御殿山へのトレッキングルートへつながります。
その時、一瞬ひらめきました!
そうだ! 私の最も身近、目の前にある峠を失念していたことに。
信州百峠を目指して3年目、浅間峠をアップしていませんでした。
浅間峠と言えば浅間の火祭りに大いに関係があります。
火祭りのたいまつ
これに火をつけて
奉納します
それが三射神社の春宮、秋の実りを感謝し、
この火や煙に乗って神様が三才山にある秋宮へ移られます。
この火祭り(松明祭り)が前夜祭、10月第2土曜日に行われますが、翌日曜日、本祭りの主役は押鉾。
現在押鉾は浅間温泉に町を一巡するだけですが、昔は浅間峠を越えて三才山の秋宮まで練り歩きました。
今日はその浅間峠を越えてみます。
浅間温泉のメインストリート湯坂を上り
横谷沢を左に折れると御殿山へのトレッキングルート、そこが浅間峠への入り口です。
こんな道ですが、昭和30年代まで、スクールバスが無い時代には三才山の生徒が徒歩で通学していました。
急坂を上ると御殿山の見晴台、
北アルプスが一望できます。
これを横に見て進むと
残念、倒木が道をふさぎバイクでは乗り越えられません。
現在のルートへ迂回し、美鈴湖へ、
ゴルフ場の脇を折れるとありました、浅間峠です。標高900m。
古代から使われていた道のようですが、
私が子供のころは、浅間温泉も三才山も本郷村。
自動車が無い時代には村内の主要道路でした。
私の足でも春宮⇒秋宮の間は1時間半ほどで行き来できました。
三才山の集落が見えてきました。
三才山本村の突き当りに鎮座するのが三射神社の秋宮です。
あの押鉾を担いでの登りは相当きついと思いますが、祭りと酒の勢いで登り切ってしまうのでしょう。
凄いことです。
余談ですが、2002年3月21日、大音寺山から御殿山にかけて大きな山火事が出ました。
火元は線香の火、その日は強風が吹き荒れ、それにあおられて山林一帯に広がったものですが、今日走った一帯も焼けてしまいました。
写真の左が御殿山、その日は風向きが山の方に吹いたため旅館街には火が来ませんでしたが肝を冷やされたことを思い出します。
走行距離はわずか19km、所要時間は1時間でした。